第三章 Life Corridor Revisited 生命回廊ふたたび

第三章 1 迷宮彷徨

 ロッシュは足を止め、携帯用の小さな発光器を後ろのほうへ向けた。


 光の輪の中に、アラミクが顔を上げた。

「すみません、ロッシュさま。足手まといになってしまって」

「いや、気にすることはない。しかし、これほどひどい道だとは……」

 アラミクがそばまで来ると、ロッシュは発光器をふたたび前方へかかげた。


〝排気口〟というのは、発電所の機能上の呼び名にすぎなかった。

 その洞窟は、ブランカがここに建設されるはるか昔に、地底から上昇してきた溶岩流が硬い岩盤をつらぬき、切り裂いた、いわば大地の深い傷痕なのだった。

 奔流となって噴出したマグマは、その後に奇怪な形状の突起や危険きわまりない割れ目をあちこちにつくり、手を軽く突いただけでも痛い、ザラザラの岩肌を残していた。


 発光器の弱い光では、たいして先まで照らし出せない。

 その光も、穴がでたらめに曲がりくねっているために、ほんの数メートル先の岩壁で無情にもさえぎられてしまう。

 身の安全のためなら、頭上の突起や足元の凹凸にだけ光を向ければよかったが、二人の目的は、まずだいいちに生命回廊につづく換気口を見つけ出すことだ。

 発光器の明かりは、もっぱら左右の黒い壁に向けられなければならなかった。


「すこし重いが、これを杖にするといい」

 ロッシュは長いバールを手渡した。

 アラミクの感謝の言葉は、しかし、声にならなかった。

 ゆるやかに昇りつづける洞窟をえんえんとたどってきた疲れのせいもあったが、唇はひび割れ、のどはひりつくように渇いているからだった。

 発電所に充満していた熱気が、出口を求めてつねに彼らを追い立て、彼らを追い越していく。

 しかし、そのおかげで、空気の流れにそって行きさえすれば、まちがいなく出口にたどり着くことだけはできるだろう。

 だが、行き止まりかもしれないとなかばわかっていても、深くて暗い横穴をひとつでも無視して通り過ぎることはできないのだ。


「ちょっと休もう」

 そんな横穴のひとつを調べおわったとき、ロッシュは言った。

 その中なら、すくなくとも吹き上げてくる熱風の直撃からはしばらく逃れていられる。

 電池を節約するために発光器を消しても、スピリチュアルの眼には、くずおれるように反対側の壁に背をもたれて座りこむ女性の姿がかすかに見えた。

 ほかの若い娘なら、心身の疲労と不安にさいなまれてすすり泣いてもおかしくないところだったが、アラミクはこの後の探索にそなえ、静かに身体を休めていた。


 ロッシュは、カナリエルならどうだろうと想像してみた。

 カナリエルは……

 そうだ、いきなりくすくす笑いだすかもしれない。そして、何か、思いもかけないことを言い出しそうだった。

『ね、楽しいわね。そうじゃありません? わたしたち、まるで地球の中心をさまよっているみたい!』


 遠く去っていったものの貴重さが、あらためてロッシュの胸をしめつけた。

 意味のない仮定であることはわかっている。

 だが、あの朝ブランカの頂上で、ロッシュがカナリエルの横に黙って立ち、彼女の視線の向けられた先をいっしょにたどっていたとしたら、彼女の心が求めているものを理解し、共有することさえできたのかもしれなかった。


 その後は、左右を一度に見渡すのではなく、探る対象を洞窟の片方の壁面だけにしぼって進むことにした。

 換気口が見つかる確率は半分に落ちるが、たとえ見つからなくても、地獄めぐりをしているようなこの過酷な暗闇の空間からは、遠からず確実に逃れることができることになる。


「光ですわ、ロッシュさま!」

 アラミクがひさびさに明るい声を上げた。

 前方斜め上の天井近くに、小さな、しかしまばゆい白い光が輝いていた。とうとう長い洞窟を抜けたのだ。

 暗闇に馴れきった眼には、そこには輝く真夏の日差しが待ち受けているものとばかり思われた。

 だが、二人を迎えたのは、激しく逆巻く灰色の霧と、叩きつけるような雨と風だった。

 しかも、牢獄のような太い鉄格子が、彼らが一歩でも外界に踏み出すことをはばんでいた。


 唯一の救いは、強い風が熱風に逆らって洞窟の中まで吹きこんでくるおかげで、熱にひたされてすっかりだるくなり疲労の極限にきていた身体が、しだいに本来の感覚を取りもどしてきたことだった。

 ロッシュもアラミクも、茶色に錆びた鉄格子の間から動物のように舌を突き出し、降りかかる雨粒をけんめいに受けては、むさぼるように飲みこんだ。


「今ここで暮らしている人たちの中で、ブランカがこれほど深い地中にあったのだと実感しているのは、たぶんわたくしたちだけですわね」

 ようやくすこし人心地がつくと、アラミクがめずらしく軽口をたたいた。

「まったくだ」

 二人はしばらく、さし迫った目的のことも忘れ、鉄格子に身をあずけていた。


「ひどくもやっていてほとんど何も見えませんけど、こちらはいったいどの方向に当たるのでしょう?」

 アラミクが尋ねた。

「さあ……。しかし、このような排気口や鉄格子を外から見かけた記憶はない。周囲の山肌の感じからすると、かなり切り立っているようだ。風向きからしても、たぶん、ブランカの西側から、北にかけてのあたりではないかな。つまり、裏側ということだ」


 先刻ロッシュは、皇帝が搭乗する飛空艦プロヴィデンスのむこうに朝焼けの空を見た。

 広場も表ゲートも、東側に当たっているのだ。

 裏ゲートは、便宜上〝裏〟と呼ばれているだけで、表ゲートから数キロ南側へ回りこんでいくにすぎない。

 ロッシュが〝裏側〟と言ったのは、そのような、いわばブランカが外界に対して開かれている方向とは、正反対の側だという意味である。


 西側は、深い原生林にびっしりとり巻かれた突兀とした岩塊が怪物の群れのようにそびえる高原地帯で、ほとんど開発の手が入っておらず、集落もない。

 残る北側には、巨大な屏風のように高い山脈が連なり、北方王国の版図との間をへだてていた。


「ブランカの山は、全体的にどの面も険しい絶壁なのだが、こちら側はとくに切り立っていて、はうようにして登るのがせいいっぱいだ。飛空艦も持たない敵が攻めてくることなど、まず考えられない。でなければ、このような開口部が、見張りも置かずに放置されてはいないよ」

「では、たとえ鉄格子がなかったとしても、ここから脱出することはできないのですね」

 ロッシュはうなずいた。

「救いを求めるのが、まったく不可能というわけではないだろう。北側には、いちおう北方王国からの来襲を監視するための巡視路が設けられている。たまたまそこに来合わせた兵士に呼びかければ、あるいはなんとか気づいてもらえるかもしれないがね」

 もちろん、二人とも救出を求めるつもりなどない。

 換気口を見つけ、自力で生命回廊へ到達することしか頭になかった。


「北方王国は、もう五〇年以上前から帝国に朝貢し、臣下の礼をとっています。それでも警戒しなければならないのですか?」

「彼らの臣従は、形ばかりの、いわば休戦協定のようなものなのだ。依然として、帝国にとって最大の仮想敵国であることに変わりない。南部が平定された今、帝国の次なる標的が北方王国になることは必然だ。北との間に戦端が開かれて、われわれの主戦力がそちらに向けられれば、こんどはまた、南部地方の反抗勢力が息を吹き返すことだって十分考えられる。つまり、統一事業の完成とは、戦いが新たな局面を迎えたということにすぎないのだ」

 先刻ツェントラーと話し合うまで、ロッシュが状況を安閑と見守っていたわけではない。

 一兵卒にすぎない彼なりのとらえ方では、体制の変革にまでは思いおよばなかったが、まさにこのような認識と展望くらいは持っていた。


「あら、何かしら、あれは……」

 アラミクが、鉄格子の間から下方を指さした。

 もやは視界をぶあつくおおっていたが、どんよりと垂れこめているのではなかった。

 気まぐれな強風にあおられ、つねにその位置と形を変えている。

 何層にもなるそのもやのすき間とすき間が奇跡的に重ね合わさり、緑濃い草原の風景をほんの一瞬幻のようにかいま見させた。

 見えたと思う間もなく、たちまちかき消すようにその光景は閉ざされたが、ロッシュにもアラミクが示したものはなんとか捉えられていた。


「何か、白い点のようなものがいくつも見えませんでした?」

「羊、か。あのような場所に……」

 眼の裏側に焼きつけられた残像をなぞるようにして、ロッシュはつぶやいた。


 それが何を意味するものなのか、ロッシュにはすぐに理解できなかった。

 だが、その幻影のような光景に、何らかの可能性が秘められているのではないかという不確かな思いは、ロッシュの心にずっととどまることになった。

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