第四章 3 高らかなる勝利宣言

(ロッシュはまだか……)


 ツェントラーは、すでに二時間以上開放された謁見の間の入口の角に立ち、いつ果てるとも知れない、退屈きわまりない接見の儀の一部始終を見守ってきた。


 ロッシュと別れたのは半日以上も前のことだ。もうかなりの時間が経過している。

 自分が伝えたクレギオンの命令が不可能事に近いということは、十分承知している。

 だが、ロッシュは黙ってそれを受け入れた。

 つまらない意地を張って、無謀な命令に従うような男ではない。

 ロッシュにはそれなりの成算があるにちがいなかった。

 たとえ失敗したとしても、それを隠していたずらに時間を引きのばすような男でないこともわかっている。

 ただ、間に合うかどうかだけである。


〝接見の儀〟というのは、参列者たちが皇帝に直接挨拶の言葉を奏上し、それに対して親しく言葉をかけてもらう、という儀礼にすぎない。

 だが、相手やかわされる話題によって、かかる時間には当然長短がある。

 一人の相手に一〇分以上を要する場合もあった。

 ブランカの実質的な総責任者であるクレギオンは、皇帝のかたわらにあって、女性の式部官が案内してくる謁見者を皇帝に引き合わせ、人物の紹介をする役割を果たしていた。

 皇帝の表情や声からは、どの相手ともあたりさわりのない会話に終始していることが容易に見て取れた。


 そちらよりむしろ、ツェントラーの眼と耳は、謁見の間の手前の小回廊に用意された軽い料理や飲み物を囲んでの立食形式のパーティのほうに、注意深く向けられていた。

 パーティの場に出席しているのは、皇帝の御前に呼ばれるのを待つ謁見者とその妻子、そして帰還に随伴してきた貴顕たちなどである。

 ブランカの住人たちが楽しみにしていたのも、ほとんど中をうかがうことのできない謁見の間の様子よりは、パーティのほうを見物することだった。

 ウォークやふだんほとんど使わない壁面階段に陣取り、小回廊で優雅に展開する貴顕たちの交歓風景を見守っている。


(それにしても――)

 とツェントラーは思う。

 顔ぶれが豪華すぎるのだ。

 謁見者の多くは、元大臣や退役した軍の高官とその妻子などである。

 アンジェリクでの定例の接見の儀と大きく異なる点は、直近の戦役で武勲をたてた現役の若い軍人や美しく着飾った彼らの夫人たちがいないことで、それが人数と華やかさにおいて物足りなさを感じさせるところである。

 だが、ブランカ側の出席者はそうであっても、皇帝に随伴してきた重鎮の多さがいつもの帰還とは大きくちがっていた。

 執政マドランをはじめ、大臣、将軍など、このままキールへ直行して入城式典に参列してもおかしくないほどのお歴々が勢ぞろいしている。

 しかも、皇帝を合議で選出する選帝官は高齢者が多く、その半数以上がブランカの在住者である。

 そういう視点で見れば、選帝官はほぼ全員がここに集ったことになる。


(いったい、何が始まろうとしているのだ)

 ツェントラーはいぶかった。

 おそらく、キール入城の前祝い、というようなものにとどまるものではないはずだ。

 この後、よほど重大な発表なり、会議なりが行われることは確実だった。


 ツェントラーのもうひとつの気がかりは、もちろん、カナリエルの失踪をめぐってのことである。

 だれかが皇帝の耳にそのことを吹き込む前に直接伝えようとしたクレギオンの意図は、最上階のホール前で執政マドランによって寸前で阻止されてしまった。

 それはツェントラーにとっても痛恨のことだったが、マドランがしてやったりの表情かというと、むしろ苦りきったしかめっ面にほとんど変化は見られない。

 ツェントラーの不審の念は、そこにもある。


 謁見の間の皇帝は、つぎつぎと述べられる制覇の祝福の辞にいちいちうなずき、ずっと満面の笑みを浮かべている。

 根が率直な性格なだけに、その表情を見れば、カナリエルの件を伝え聞いていないことは確実だった。

 宿敵クレギオンの失態をあげつらう絶好の機会を、不可解なことにマドランはみすみす見送ったことになる。

 しかも、側近や重鎮たちにも、目立った表情の変化や人の動きがまったくといっていいほどないのである。

 それこそ、高位の随伴者たちは一人残らず荒天の夜を徹しての空の旅に疲れ果ててしまい、接見の儀の直前になるまでブランカの者との接触をいっさい断って、割り当てられた居室でぐっすり眠りこんでいたかのようだった。


 そんなことはありえない。

 とすれば、皇帝たちには、カナリエルのことなど取るに足らない出来事に思えるほどに、彼らの心を何らかの別の重大事が占領しているということだろう。

 ツェントラーの冷静で曇りのない眼には、ブランカの保安部と皇帝一行が、たがいに背後に秘め隠したものを抱えながら、どちらが先に手の中のものをさらすかをめぐって、静かなにらみ合いを演じているように映った。


 ふと気がつくと、玉座から降りてくる複数の足音が背後に聞こえた。

 ふり返ったツェントラーの眼に入ったのは、こちらへ歩いてくる皇帝とクレギオンの姿だった。

 不覚にも、接見の儀が終了したことに気づかなかった。

 最後に呼び入れられるはずのブランカの最高権力者である寮母が、ついに現れなかったせいである。


 皇帝がツェントラーの前を通過し、その一歩斜め後ろをクレギオンが従った。

 皇帝の姿が小回廊に現れたとたん、パーティもそれを遠く取り巻く見物人たちも、一瞬の静寂につつまれた。

 つぎの瞬間、割れんばかりの拍手と歓声がわき起こる。

 皇帝は、がっちりとして均整のとれた体躯を誇示するかのように両手を広げ、四囲にむかってゆっくりと顔をめぐらせた。

 臣民全体に対するその親愛のポーズをとるのは、今回の帰還では初めてのことだった。


「栄光ある帝国の臣民、ブランカの市民たちよ――」

 もみあげから口まわりをおおう優雅な巻き毛のひげを揺らしながら、皇帝は深みのあるよく通る声で呼びかけた。


「みなもすでに承知のとおり、わが帝国軍は何年にもわたって各地で赫々たる戦果を上げ、フィジカルの城塞や都城を続々と攻略してきた。そしてこのたび、ついに彼らの最後の牙城たる城塞都市キールを陥落させることに成功した」

 そこでひと呼吸おくと、小回廊のまわりはふたたび沸きかえるような熱狂が渦巻いた。

「われわれは、もはや無敵である!」

 追い討ちをかけるように皇帝が叫び上げると、歓声はさらに絶叫とまがうばかりに高まり、拍手は雷鳴とまがうばかりの最高潮に達した。


「……と、キール入城のために用意しておいたせりふを思わず口走ってしまったが、かまわなかったかな、クレギオン? マドランも?」

 皇帝がひげの間から白い歯を見せ、左右の二人を芝居がかったしぐさでふり返ると、満場がこんどは遠慮のない笑いとやんやの喝采につつまれた。

 こういうところが、愛すべき武人皇帝を自任するオルダインの真骨頂である。

 クレギオンは深々と頭を下げて承服し、マドランは苦笑しながらうなずいた。

 それを満足そうに見届けて、皇帝はゆっくりと前に向き直った。


「みなの者、聞いてくれ。たしかにわれわれは勝利した。しかし、われわれの目的は、ただ敵を掃討することではなかったはずだ。帝国を称することの意味は、一部のかたよった勢力や地域のみの栄華を許さず、平和と繁栄をあまねく全土に分ちあたえることである。フィジカル諸国を一方的な圧政の下に置くのではなく、全土に新たな秩序と一体感を生み出していかなければならない。帝国とは、われわれスピリチュアルが勝手に自称する名ではない。この大陸に生きているすべての者にとっての、愛と、誇りと、信頼の、最大のよりどころとなるべきものの名なのだ」

 最後の三つの言葉を、皇帝が一語一語かみしめるように区切りながら言うと、群衆と貴顕たちは、感動と同感を表す拍手を惜しみなく送った。

 皇帝は片手を軽くかかげてそれに応えた。


「ありがとう。今こそ、新たな帝国の創造に着手すべきときだ。そのために、私は志を同じくする者たちとともにブランカへもどってきた。それが今回の帰還の目的である。余は、これからブランカの同志たちと語り合い、あるべき新しい国の形をしっかりと定めることにしようと思う。もちろん、帝国を愛する心にもさまざまある。すぐには結論がまとまらないかもしれないが、みなの期待と願いがけっして裏切られるようなことがないことは、固く約束しよう。待っていてくれ!」

 オルダインの本領である威勢のいい言葉でしめくくると、くるりと身をひるがえしてふたたび謁見の間へと歩み去った。

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