第三章 7 ミランディアの予言

「行きましょう、ロッシュ」


 正装をしてふたたび現れたマザー・ミランディアは、いつにもまして凛とした威厳をただよわせていた。

 アラミクに手伝わせたものだろうが、高く複雑に結い上げた髪は、まるで翼を広げた猛禽のように優美で、雄々しくさえ見えた。

 しかし、服装はけっして華美なものではなく、日常の活動に用いる黒衣よりもいくぶん丈が長くゆったりしていて、深い光沢感のある生地であるにすぎない。

「アラミク、ストーラを」

 えりの具合などを直しながら命じる。

 ミランディアの正装とは、そこに金色のストーラという肩掛けを羽織るだけの、あくまでも寮母としてのものだった。


 アラミクがそれを取りに下がると、マザー・ミランディアの前に、ロッシュが進み出て立ちはだかった。

 寮母は、ハッとしてその長身を見上げた。

「マザー。私がここに来た目的は、もうひとつあります。どうか、お答えください。カナリエルは、なぜブランカを出ていかなければならなかったのでしょうか――」

 ロッシュが驚いたことに、マザー・ミランディアは、その問いにたじろぎもしなければ、はぐらかそうともしなかった。


「あなたと同じだと思いますよ」

「私と?」

「あなたが求めているものを知って、あの子は自分が本当に求めているものが何なのかがわかったと言っていました。それはつまり、あなた方がけっきょく同じものを求めていたということですよ。あなたが追い求めているものを探しに、あの子は旅立ったのです」

 謎めいた言葉だったが、その口調はきっぱりとしていた。


 ロッシュは当惑した。

「……それだけでは、私には何のことだかわかりません。私は現に、ここブランカにこうしていて、何の不足も苦痛も感じずにいます。カナリエルは、無謀にもあれほどの危険をおかしてまで、ブランカから逃げ出していったのです。それが、どうして同じものを求める行動になるのでしょうか?」

 ミランディアは口をつぐみ、つかのま宙に視線をさまよわせた。

「それは、たぶん……わたくしの口から説明されたとしても、あなたが納得できる答えにはならないでしょう。カナリエルに直接、問いただすしかないと思います。もし、それがかなわないのであれば……おそらく、あなたは長い長い道のりを、ご自分の心が求めているものの後を追っていくことになるでしょう。その道は、カナリエルのものとはまるでちがっているように思えるかもしれませんが、けっきょく同じところに通じているのです。カナリエルは、先にそこを歩きだしたのですよ」

 ロッシュは、呆然としてその予言のような言葉を聞いていた。


 昇降機のホールへの入口は、生命塔を取り巻く階段の切れ目にあるという。

「そういえば、今はいったい何時だろう?」

 外に出て階段を降りはじめたとき、ロッシュはハッと気がついて言った。

 地熱発電所から排気口の洞窟をへて、ようやく生命回廊へ達した。

 昼夜の見当もつかない長い道のりと、初めて眼にする生命回廊の神秘的なたたずまいに、ロッシュは時間の流れそのものを忘れ去っていたような気がした。


「あれですわ」

 並んで降りるアラミクが、おかしそうに笑みを浮かべながら背後の頭上を指さした。

「生命回廊の仕事は、たいがい分秒刻みの精確さで行われなくてはなりませんからね。回廊内のどこからでも、一目でわかるようになっているのです」

 生命塔の壁面に、幾何学的な図柄がずらりと並んでいた。

 よく見ると、日付け、曜日、時、分、秒がそれぞれ別に表示された淡く光る夜光時計が、塔を何重にも取り巻いて設置されているのだった。

 ロッシュには、ずっと何かの装飾のようにしか見えていなかった。

「四時! もうこんな時刻になっていたとは……急ぎましょう、マザー・ミランディア」


 ツェントラーに言われたのは、午後までにということだった。

 皇帝の接見はもうとっくにはじまっていることだろう。

「何もあせる必要はありませんよ、ロッシュ。わたくしを抜きにして、肝心な話が始まることはありえません」

 悠然と階段を降りてきたマザー・ミランディアが、薄く笑みを浮かべて言った。


「しかし――」

「接見などというものは、適当に引きのばしたり、いちいちに時間をかけていけば、丸一日だろうとつづけられるのですよ。儀礼とはそうしたものです。わたくしの顔を見て、救われたような気持ちになる方が、きっとたくさんいらっしゃることでしょうね」

 そんな軽口をたたきながら、マザー・ミランディアは、三人の先頭になって昇降機のホールの扉へと回りこんでいった。

 妙に浮き立ったような明るい表情だったが、ロッシュには、それがかえって内心の緊張を無理に押し隠そうとする振る舞いに見えた。


「アラミク。あなたはここまででいいわ」

 大扉の前に立つと、マザー・ミランディアがふり返って言った。

「えっ。ごいっしょさせていただけないのですか?」

「どうせ、会堂の中には入れてもらえませんよ。あなたには、わたくしが不在にしている間、生命回廊を守ってもらわなくてはなりません。わたくしならもう大丈夫。ロッシュは、わたくしのことを恨んで傷つけようとするような人ではありませんよ。それどころか、これほど心強い護衛役はいないでしょう」

「ですが……」

「まあ、ひとりで残るのが不安なの? 小さな子どもみたいに心細い顔をしないで。途中で、ほかのシスターたちがすぐ来るように手配させましょう。それでいいわね」


 マザー・ミランディアが慣れた手つきで壁の突起に触れると、壁面にスッと縦に細い亀裂が現れ、それがこちら側へ押し出すように左右に分かれて開いていく。

 そのほんのわずかな待ち時間を取り返そうとするように、マザー・ミランディアは急ぎ足でホールに踏みこんだ。

 アラミクがロッシュを追って地熱発電所へ向かうときに照明を消したのか、昇降機の前は真っ暗だった。


 後ろにつづくロッシュは、寮母の肩ごしに、がらんとして何もないはずのホールの一角に置かれた黒い塊のようなものを眼にとめた。

(おかしい……)

 そう思った瞬間、その塊が地をはうようにするすると接近してきた。

 生命回廊のほのかな光を受けて、闇の中にキラリと何かがひらめいた。


「きゃっ――」


 驚愕とも恐怖ともつかないマザー・ミランディアの短い悲鳴が、ホールの閉ざされた空間に反響した。

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