序 章 2 生命塔の孤独

(これだけたくさんの命に取り囲まれているというのに……)


 生命回廊の中央にそびえる生命塔の寮母専用のイスにかけ、ミランディアは同心円状に広がる無数の光の点を見回していた。

 光はときおり星々のようにはかなげに瞬きはするが、またすぐ安らかな眠りにもどって落ち着く。


 ミランディアがこうしてすべてのカプセルに細心の注意を配っていれば、生命の火が絶えたことを示す赤い点に変わることはめったにない。

 だが、それを一人の手でつづけるのは物理的に不可能だし、シスターたちの技量を高めていくためには、多少の犠牲は覚悟の上で責任を持たせて彼女たちの手にゆだねてしまわなければならない。


 一つ一つが貴重な命であるはずなのに、今のミランディアには二つの命だけが特別な重さを感じさせていた。


 ロッシュが生まれようとしていたとき、マザー・カザリンはミランディアに何と言ったのだったろう?


『この子はあなたが生み出す最高の生命ね。スピリチュアルの理想がどのようなものであろうと、この子はその固定化した価値観をかろやかに超える力を発揮していくことでしょう』


 ……そう、たしかにそう言ったのだ。


 幼体が示す数値は公表されることはなく、ロッシュがその力をじょじょに現してくるまでは、虚弱そうな外見にだまされてだれも疑うことはなかった。

 しかし、あの時点でカザリンとミランディアにだけはわかっていた。


『あなたの子にしてもいいのですよ。婚約者のオルダインなら、あなたが呼びさえすればいつでも戦場から飛んで帰ってくるわ。この子の誕生に合わせてそうすればいいのだから』


 生命回廊には厳格な倫理規定があり、それにさらに輪をかけて厳しかったマザー・カザリンがそうまで言ってくれた。

 スピリチュアルの夫婦には、子どもの性別さえ選ぶことを許されていないというのに、ミランディアには特定の幼体を自分の子にすることを許してくれようとしたのだ。


 ミランディアがその選択をしなかったのは、倫理感のせいだけではなかった。

 軍人としての将来を嘱望されているオルダインの妻となれば、彼を支えるためにいずれシスターを辞し、息子としたロッシュを残してブランカを離れることを余儀なくされる。


 それだけではない。

 男の子は父親を生き方の手本とし、理想としながら成長していくことになるにちがいなかった。


 その時点ではオルダインが皇帝に選ばれることまではとても想像できなかったが、軍の最高位たる将軍に昇りつめることは十分予想された。

 子どももそそんな父親の姿を目標とするようになるだろうし、父親もそうなるべく努力することを息子に望むだろう。


 ロッシュをわが子とする喜びと引き換えにするには、ミランディアにとってそれはあまりにも酷く、耐えがたいことだった。


 結局ロッシュは、秘密を厳守することを誓った下層出身のシスター仲間の結婚の際に授けられた。

 父親となった男が直後に戦場で亡くなったことで、ロッシュの優れた特質はよけい秘められたままとなった。

 あとはロッシュが科学者か医師か文官にでもなってくれれば、それはそれで際立った有能さを発揮するだろうが、スピリチュアル社会に波風を立てるようなことなく平穏な生涯を送れることになるはずだった。


 ところが、ロッシュの能力の発現は、カザリンとミランディアの予想をはるかに上回った。

 マザー・カザリンの突然の死で思いがけず寮母の地位を継承したミランディアは、皇帝位に就いた夫がいるアンジェリクに一度もおもむくことなく、ロッシュの成長の過程をつぶさに見守ることになった。


「生命回廊の判断は誤りだった」とはっきり言われるほどに、ロッシュは幼年学校時代からめきめきと頭角を現した。

 ひ弱そうな見かけは、かえって卓抜した能力を際立たせた。

 戦場で上げた勲功のめざましさは、さらに実戦的な頭脳や優れた人心掌握術、作戦遂行能力まで証明した。

 それが史上最短でのブランカ帰還という栄誉をもたらし、そして……。


 娘のカナリエルがロッシュと結婚すると知ったとき、ミランディアはどれほどの歓喜と当惑を同時に味わったことだろう。

 それは素直に受け入れるべき喜ばしい運命なのか、それとも呪われた恐るべき宿命なのかと、心は二つの相反する思いの間を激しく行き来した。


 ミランディアの深い懊悩に決着をつけたのは、これも心底意想外なことに、ロッシュとの結婚を投げ出すばかりかシスターの身分やスピリチュアルとしての生活さえ捨てて「自由になりたい」と訴えたカナリエルだった。


 表面に現れた動機はもちろんちがってはいるものの、娘が望んでいることは、ミランディア自身が果たせなかった夢とまさに同じだった。

 いくらそれが途方もない暴挙、無謀な気まぐれに見えようとも、動機の純粋さからするならば、むしろカナリエルの思いのほうが自然であり、力強くさえあった。


 もちろん娘は具体的に知るよしもないことだが、母娘二代の間で流れてきた時間と感情が、ぐるりと一周りして娘を同じ行動に駆り立てようとしている。

 それが母親にとって喜びでなくて何だというのだろうか。


 そして、そのカナリエルを追うのがほかならぬロッシュである、というもうひとつの皮肉な運命――。


(もし、ロッシュに本当のことを告げたら……)


 そのことを何度考えたことだろう。

 甘やかで、魅力的で、心踊らせる夢想だった。

 しかし、それが絶対に不可能だということはわかっているし、ロッシュはすべてを理解したうえでなお、カナリエル追跡を断念することを決然と拒否することだろう。

 彼はすでに単に可能性に満ちていただけの幼体ではなく、自分の生き方というものを選び取った一個のスピリチュアルなのだ。


(ええ、そうね。それはわかっているわ。でも……)


 ミランディアの思いは、コソリとも動かない地底の闇と静寂の中で、またもや同じところへ還っていってしまいそうだった。

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