関わってはいけない 中編

 動物虐待事件は、それからも続いた。

 保護者が自主的に通学路に立ったり、校門前に先生が立ったり、大人達がピリピリしているのはとてもよくわかった。

 私の親も車で迎えにきたり、習い事を休ませたりした。


 集団下校が一週間続いた頃……教室に、不穏な噂が広まった。

 動物虐待事件の現場に、闇夜がよく現れるというのだ。

 そして……実は闇夜が事件の犯人じゃないか……なんて根も葉もない噂。

 いつもは存在が無いように扱う男子生徒、松沢まつざわ 享一きょういちが問い詰めたが闇夜は否定も肯定もしなかった。

 その無愛想な態度に、クラスメート達は身勝手な推測を広げた。


「近所に死んだハトが三羽。首をちょん切られていたって」

「猫の首がゴロゴロ。砂場に転がっていて、子供達が見つけたんだって」

「ポストに猫の足が突っ込まれていたらしいよ。何軒も……異常だよね?」

「黒い服を着た人を見たって、お母さんが警察に話してた」

「犯人は黒い服を着て、右手に鋭利な鎌を持っている」

「鎌? シャベルじゃなくって?」

「シャベルじゃ切れないでしょう?」

「固い地面を掘り起こす道具なんだから、柔い猫を切断するくらい……」

「やめてよ!」


 自分達は、犬猫鳥みたいにむざむざ殺されない。

 危なくなった逃げられるし、大人に守られているから絶対に安全だ。

 そう自信を持って、事件の事を話題に上げている同級生。


 私は、そんな会話に参加したくなくて自分の机に突っ伏していた。


 皆のように楽観的に考えられなかった。

 あの日、公園で闇夜を見てから……私を取り巻く世界は変わってしまった。

 大人達はいつも怖い顔で、何かに怯えて怒っている。

 同級生は残酷な実話を嬉々として、語り合っている。


 その中には……親友の悠乃も含まれていた。


 悠乃は、動物の死骸を見つけることが多いらしく心底、怯えていた。

 でも求められたなら発見時の話を、あの公園の事を、誰にでも話した。

 だから闇夜の事を疑わしく思う人は、自然と増えた。

 疑惑と嫌悪の眼差しを向けられても、闇夜は我関せずだった。


 私は……どうしたらいいのか、わからなかった。


 教室の空気が、雰囲気が、変わっていく。

 異様なクラスメートの中で、私だけがまともなんじゃないかって勝手に思った。

 昼休みになると、悠乃は動物虐待事件について話す為、私を呼び寄せる。


 闇夜は自分の席で静かに読書をしているか、不意に何処かへ行ってしまう。


 私は、虐待事件を不謹慎に面白おかしく話してない。

 私は、闇夜を証拠も無しに無暗に犯人扱いしてない。

 けれども……あの公園で、闇夜が何をしていたのか気になった。


 しかし、話し掛けない関係が出来上がってしまった今、闇夜に公園の事を訊く事は出来なかった。

 それに教室で、悠乃やクラスメートの前で話し掛けるなんて論外。

 私は、どうやったら闇夜と話せるか……必死に考えた。


 闇夜が昼休み早々教室を出て行った、とある日。

 悠乃の話が一段落着いたところで私は、適当に理由を挙げてごく自然に教室を出て闇夜が一番行きそうな場所、図書室に行ってみると……その日はたまたま私のクラスの図書委員がカウンターにいた。

 図書室なんか滅多に来ない私が、のこのこ顔を出したら印象に残ってしまう。

 闇夜がいるのか出入り口、カウンターから見えない位置から探した。


 闇夜は図書室には、いなかった。


 時計で昼休みの残り時間を確認して、どこを探そうか考えた。

 闇夜の行動パターンほど推測するのは難しい。

 何を考えているのか、わからないから。

 廊下を行きかう生徒を眺めながら、今日はもう無理かなと思った時……。


 窓の外を見ていた女子生徒が突然大声を上げたので、私は視線を外へ向けた。

女子が騒いだのは、学園の女子の人気を有する先輩が横切ったから……だった。

 『なぁんだ』と馬鹿馬鹿しくなって、その先輩から視線を外した時、まるで吸い寄せられるように歩いている闇夜の後ろ姿を見つけた。


 遠目でもシャベルを持っているのが、わかった。


 心臓が一番大きな音を立てて、動いた。

 後先考えず、私は大急ぎで階段を駆け降りて、先生に見つかったら走っていると注意される速度の早足で昇降口まで向かった。

 そして踵を潰したまま、闇夜が歩いていた場所を辿った。




 闇夜は、シャベルを軽々と抱えていた。

 私は闇夜が立ち尽くしている場所を見て、小さな悲鳴を上げた。

 そこは、色んな動物がいる飼育舎だった。


「な、何をしているの!?」


 思わず、そう叫んでしまった。

 闇夜は驚いたように振り返り、私の顔を見ると微笑んだ。


「奇遇ですね」


 公園の時と同じ台詞……私は全身に鳥肌が立った。


「どうして……シャベルなんか持っているの?」


 ある日聞いた男子の言葉が脳裏をぐるぐる回っていた。

 『固い地面を掘り起こす道具なんだから、柔い猫を切断するくらい……』


「ウサギの糞掃除をしようと思いまして」

「え?」

「シャベルですくって糞を土ごと袋へ入れて捨てます」

「な、何で!? 闇夜、飼育委員じゃないのに!」

「今日だけ代わって欲しいと頼まれました」


 闇夜は微笑んだまま、飼育舎へ入って行く。

 鍵を職員室から借りて来たらしい。私は、慌てて一緒に中に入った。

 とにかく私が一緒にいれば、下手な事はしないはず……。

 結局、二人で糞掃除からエサやりまで全てやってしまった。


「これ一人でやるつもりだったの?」


 一人で出来る作業量じゃなかった。

 闇夜に代理を頼んだ生徒以外の飼育委員は、一人は欠席でもう一人は忘れているのか来ない。昼休み中に終わったのは、二人でやったからだ。


「こちらの都合で後回しになんか出来ません。

 糞まみれでは不衛生で可哀想ですし、お腹をすかせたままは残酷です」


 ピョコンピョコンと嬉しそうに跳ねるウサギ達を、闇夜は優しい眼差しで見つめていた。私は……一瞬でも、闇夜がシャベルで動物達を虐待をするかもしれないと疑念を抱いた事を申し訳なく思った。


「おや。《レイト》……ようやく出てきましたか?」


 闇夜の言葉に、その視線を辿ると穴から真っ白いウサギが顔を出した。

 ジタバタと慌てながら、エサ場へ向かう。

 でも他のウサギが隙間なく囲んで食べていて、割り込めない。


「まるで不思議の国のアリスに出てくる、白兎みたいですね。

 急いでも急いでも遅刻してしまう白兎」


「……だから《遅いレイト》なの?」


「ワタシが勝手に呼んでいるだけです」


 闇夜と共に《レイト》がちゃんと餌を食べるのを見届けてから、出た。


「それでは、ワタシはシャベルを片づけるので、先に教室へ戻っていて下さい。

 手伝ってくれたおかげで、本当に助かりました。ありがとうございました」

「――――あっ、闇夜!」


 私は、そこでようやく今日の昼休み闇夜を探していた目的を思い出した。


「はい?」

「あ、あの……放課後、予定空いてる?」

「はい。空いています」

「話したい事があるんだけれど……」


 ろくに誘い文句を考えずに口走っていた。


「……わかりました。放課後、裏門で待っています」


 闇夜は、しっかりと頷いてから踵を返した。




 生徒の大半は、正門から帰る。

 虐待事件の影響で集団下校が決まってからは、人目が少ない裏門を使用する生徒はいなくなった。だから、闇夜が待ち合わせ場所に裏門を指定したのは最善だった。

 クラスメートの中でも一番欺く事に神経を使うと思っていた悠乃は、さっさと挨拶も無しに教室からいなくなっていてホッとした。

 早く帰宅しようと、教室を飛び出していくクラスメート達を見送り、だいぶ周りが静かになってから私は裏門へ向かった。


 闇夜は、やってきた私の姿を見ると先に歩き出した。

 闇夜の後を続いて来たのは、お洒落な喫茶店だった。

 隠れ家のような店の名前は《幻想》。


「……ミルクレープが美味しいですよ」


 なかなか訊く決心がつかずメニュー表に逃げている私に、闇夜が言った。


「う、うん……じゃあ、それ」


 闇夜は私の分もまとめて注文したら、私の目をじっと見据えた。

 普通に話すように催促すればいいのに……無言で圧力を掛けてくる。

 闇夜は、わかっていた。私が何を話したいと思っているのか。


「闇夜、あの……一週間前、公園で会った時……シャベルで何をしていたの?」


 闇夜は深く溜息を吐いた。目を側めて、まるで咎めるような表情になった。

 覚悟していたとはいえ……実際に目にすると堪えた。


「ワタシが、猫をシャベルでバラバラにしたと疑っているのですか?」

「い、いや……」


 即座に否定の言葉を出そうとして、最初から潔白を信じていたわけではない事を自覚した。昼休み、一緒に飼育舎の世話をしなければ……私は闇夜への疑いを捨てはしなかっただろう。

 いずれ周囲の噂を信じてしまって、同じように闇夜を排除していただろう。


「闇夜がしたんじゃないと……信じたくて」


 クラスメートが残酷な事件の犯人なんて、想像でも思いたくない。

 それでも疑いを持ってしまったのは闇夜が、はっきりと無実であると声に出してくれなかったから……いや、闇夜の弁明を私達は信じただろうか?

 今まで異端だと決めつけて、関わってはいけないと決まりを作って、除け者にしていたのに?


「ワタシは犯人ではありません」


 闇夜は、私の目を見据えて言った。


「猫の惨い死骸があったので、あのまま野晒しは可哀想なので土に還してあげようと思っただけです」

「そうだったんだ。ごめんね」

「いいえ、お気になさらず……」


 闇夜は少しだけ笑みを浮かべて、頼んだミルクティーを一口飲んで、フッと音を立てて息を吐いた。自分勝手だけれど、闇夜は犯人だと疑っていた事とか無視同然の扱いをしていた事とか、全てを許してくれたような気がして……私の肩に乗っていた何かが無くなって、とても身体が軽くなった。


「ワタシも、訊きたいことがあるのです。いいですか?」

「え? あ……うん」


 そこへ、私の飲み物と頼んだケーキが届いた。

 甘い香りに胸を高鳴らせるのは、あとにして私は闇夜の質問を待った。


「……ワタシの埋めた猫の死骸を掘り返し、警察に通報しましたか?」

「えっ!?」


 私は、思わず大声を上げてしまった。慌てて声のボリュームを絞った。


「あの……闇夜じゃないの? 通報した生徒って」

「通報するつもりなら、埋めたりしません」

「そ、そうだよね。いや、てっきり闇夜が、あの後に警察に通報したんだって思っていたから」


 深く考えれば、不自然であることはハッキリしていた。


「だとするならば――――」


 闇夜は、ケーキを目の前にして黙考し始めた。


「早く犯人が捕まればいいのにね」


 私は恐る恐るフォークを手に取りながら、言った。


「捕まったとしても……数年で出てきますよ」


 闇夜は淡々とした口調で言った。


「でも、何の罰も受けないなんて、そんなの」

「生命を奪っておいて、何の罰も受けないで逃げ遂せている者はいます。

 それに人と動物では罰則の重さが違います。

 人を殺した者は、死刑または無期もしくは五年以上の懲役に処されます。

 一方、動物を殺した者は、二年以下の懲役または二百万円以下の罰金です」

「えぇ!? どうしてそんなに違うの!? 生命は等しいんじゃないの!?」


 また大声を出してしまった。両手で口を押さえている私に闇夜は続けた。


「……どれだけ『命は平等』と綺麗事を後世に教えても、現実は――――。

 人間は、食物連鎖の頂点。

 動物は人間によって支配され、人間の為に消費されるべき。

 食肉や皮革等を得るための屠殺や保健所の殺処分など……」

「それは、必要悪でしょ? 今回の虐待は違うじゃない!」

「はい。屠殺や殺処分は、動物に余計な苦しみを与えないよう配慮が成されていますから。しかし虐待は……動物に苦痛しか与えません。

 そして例え捕まったとしても、すぐに出てきてしまいます。

 捕まらない事も多いです。

 動物虐待を行った者が短い懲役で、その残忍で醜悪な性根が直されるとは思えません。みだりに動物の命を奪う者は将来……凶悪な犯罪を起こすと統計で示されています。対象が動物から人へ移行するのは、典型的なパターンですから」

「嫌だ……怖い」

「ですけれども、本当に……早く解決するといいですね」


 久し振りに闇夜と話し込んでしまい、一時間は喫茶店に滞在していた。

 時々、この喫茶店でお茶をしようと約束をして、その日は別れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る