後半
僕と大和が、イタズラの事をすっかり忘れ去った頃……。
ゴールデンウィークに大和と一緒に車で遠出した帰りの事です。
その時、僕の父親が運転をしていて後部座席には僕と大和がいました。
遠出先ではしゃぎ過ぎて疲れていた僕は、隣でまどろんでいました。
高速道路を出て、あと約三十分くらいで家に着くという父親の声で目が覚めて半睡状態で運転するのを見ていました。
欠伸をしながら隣に座る大和を小突きました。
「着くってよ」
大和は呻くように返事をしてから寝返りをうって、起きそうもありませんでした。
僕は完全に停車してから、もう一度起こそうと虚ろな目を窓の外へ向けました。
見慣れた街並みで、あぁ帰って来たんだなと実感していました。
……するとそこへ赤いナニカが横切りました。そこで完全に目が覚めました。
真っ赤な車が、僕達の車を追い抜いたのです。
心臓がバクバクと音を立てて、どんどん早くなっていきました。
その時、否応なしに事故の事を思い出してしまいました。
前半分がグシャグシャになった車。
辺り一面に散らばった血で染まったガラスの破片。
気付けば、もうすぐ……あの交差点でした。虫の知らせだったのでしょうか。
僕は言い表せない不安に駆られて、大和の方を向きました。
「なあ、大和……」
でも言葉を言い終える事が出来ませんでした。
さっきまで寝ていたはずの大和が恐怖に目を見開いて、硬直していました。
何故なら大和の……大和の、く、首には真っ白い手が、巻き付いていました。
数枚の爪が剥がれて、手首の方まで血が伝う生気のない白い両手の十本の指が首を絞めるというより、掴んでいました。大和は目だけを動かして、僕に助けを乞うていました。でも僕は動く事はおろか、話す事も出来ませんでした。目の前の光景の有り得なさよりも前に恐怖を覚えていて、助けることなんて出来ませんでした。手の持ち主は女性でした。長い髪で女物の服を着ていて……全身に血が……血に染まっていて……見たくないのに瞼をこじ開けられているような感じで女に首を掴まれている大和を見ていました。そして女性は、白い手は、まるで大和の中に溶けていくように消えて行きました。
次の瞬間、起こった事は鮮明に脳に焼き付いています。
いきなり立ち上がった大和は、運転席に座っている僕の父に飛びかかって後ろから首を絞め上げたんです。大和は、女の声で何かを叫んでいました。
首を絞められた父親はハンドルを誤って……。
僕は大和が掴みかかると同時に、シートベルトを締めて頭を抱えていました。
誰かの絶叫と共に物凄い衝撃があって、身体が前に放り出されようとしたらシートベルトが押さえ込んでいて、その反動で僕は意識を失いました。
次に目を覚ました時は病院で、泣き腫らした母の顔が見えました。
僕達の車は交差点の電柱に激突しました。あの事故と全く同じく……。
シートベルトを固く締めて頭を抱えていた僕は、鞭打ち症程度で済みました。
父親は一命は取り留めましたが重い後遺症を負いました。今も寝たきりです。
そして大和は……前面ガラスを突き破って、前に放り出されて……電柱に頭部を強打して首の骨が折れて……即死でした。事故を起こしたのは……あの交差点です。
同じ場所で、同じ交通事故で……大和は死んだんです。
女性が死亡した事故の原因となったかもしれない、イタズラを提案した張本人が……死んだんです。僕はお葬式に行きませんでした。行けませんでした。
その日からずっと……事故に遭ってからずっと……僕は自分達がしたイタズラと目撃した事故と経験した事故を毎日考えています。
忘れたいほど忌まわしい記憶なのに忘れられないんです。
忘れさせてくれないんです。彼女が。
――――僕、9月が嫌いだって言いましたよね?
あともう一つ嫌いなもの……いや、怖いものがあるんです。それは車です。
車に乗るのが怖いんです。事故を経験したから……って普通はそう思いますよね。そうじゃなくって……あの……。あ、あの…………。
……あ、はい。大丈夫です、はい。話せます。大丈夫です。
その……後ろに、僕の後ろにいるんです。
女の人が。後ろに……車に乗ったらバックミラーに映るんです。
自分の車でも他人の車でも、僕の背後に立つ女の人の姿が必ずいるんです!
恨めしげに僕をみ、見つめて……うぅ、うっ。
振り返っても、その姿は見えない。でも確かにいるんだ。
だってミラーを見る度、彼女は僕の後ろにいるんだから!!
あの時、僕を殺さなかったのは……殺さない代わりに一生……僕に取り憑いて苦しませる為なんだ。一生、許さないつもりなんだ。きっとそうだ。
――――畜生。どうして僕がこんなに苦しまなくっちゃならないんだ!?
おかしいじゃないか! もう十年以上も苦しんでいるんだぞ!?
もう、生きているのは苦痛でしかない。でも自殺は出来ないんだ!
寝たきりとなってしまった父のかわりに、僕が働いて家族を養っているから、死ぬ事は出来ない。でも彼女が……いつまで生かせてくれるのか……。
車に乗る度に、彼女が徐々に近付いてくるんだ。
最近は、手を伸ばしてきている。僕の首へと、その血に染まった白い手を……彼女の声も聞こえる気がする。嗚咽ような笑い声のような……何て言っているのかはわからない、不気味な声が。でも、確かに声が聞こえるんだ。
大和の口から出た女の声と同じ声が、耳元で聞こえるんだ。
……もう長くないかもしれない。そう思って今日、闇夜の所に来たんです。
全てを話して、僕と大和がしてしまった事……この恐怖を誰か、他の人にわかって貰いたくて。だってこんな話、誰にも話せないから。
話しても信じて貰えないし、おかしくなったと思われるだけ。
……正直、僕はおかしくなりたい。そうすれば苦しみを感じることはないかもしれない。忘れられない記憶すらも……どうでもよく感じるかもしれない。
でも彼女は、それすらも許してくれない。
巧妙な手段を使って、おかしくならない程度に、僕を追い詰めていく。
彼女は車に乗ったときにだけ現れるんだ。他は一切出て来ない。
そうして僕の精神が完全に崩壊させないようにしているんだ。
9月……僕達が過ちを犯して、親友を失って、終わらない償いが始まった。
この時期が近付く度に、後悔と恐怖に毎日苛まれる事になるんです。
だから僕は9月が、大嫌いです。
闇夜、最後まで聞いてくれて……どうもありがとう。
それじゃあ、帰りますね。もう、僕は全て話したから。さようなら。
以上で話は終わりです。
さて、夏生。この話を聞いてどう思いましたか?
『たった一度の過ちにしては、罰が重すぎる』……そうですか。
――――ワタシですか? たった一度の過ちでも、許されない事があります。
自業自得だと思いますね。死者を悼む気持ちを愚弄したのですから。
罪は大きかろうか小さかろうか、罪なのだということなのでしょう。
彼はいつ、許されるのでしょうね?
親友の死の悲しみと、彼女の憎しみを背負って生きる。
犯した罪に見合うかどうかはわかりませんが……それが彼に課せられた罰なのだとしたら……もしかしたら、生涯を終えるまで許されないのかもしれません。
どうか、気をつけて下さいね。
悪意がなくても惨事が起きてしまったら、その償いをしなければなりません。
そして……その償いが予想以上に過酷である事も有り得なくはないのですから。
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