第39話 仮面の少女

 聞いたことのある声。

 その方向に、僕達は素早く顔を向ける。

 途端に――


「な、何……それ……」


 美玖が閉口したのも無理はない。

 何故なら、目の前に現れた女性の顔には――仮面。

 口より上が鉄であろう金属で覆われている。

 見た目だけでは、誰であるか判らないだろう。


 だが声と――状況で判る。


 例え、顔が見えなくても。


 例え、あの綺麗だった黒髪が大きく乱れていても。


 例え、彼女には似合わない、ラフな格好であっても。


「それって、これのことですか?」


 彼女は右手で仮面に触れながら、ふふと微笑む。


「このゴミの中に落ちていたのですよ。全く、誰が捨てたのでしょうかね、このようなもの」

「そういうことを聞いているんじゃない! どうしてそんな仮面を付けているんだよ!」

「美玖ちゃん。死んだキャラが再登場時には仮面を付けるものらしいですよ。まあ、もっとも」


 左手も添えられる。


「私の場合は、別の理由で付けているのですけれどね」

「何だよ、その理由は?」

「美玖ちゃん」


 少しだけ棘を含めた声。


「出来れば聞かないで欲しいのですが、駄目でしょうか?」

「っ!」


 その言葉に、一瞬で美玖は悟ったようで、


「……そういうことか」


 大きく一つ息を吐いて、人差し指を立てた。


「じゃあ、代わりに一つだけ聞く。それは殴られた時のものか? それとも――?」


「もう答えを言っているようなものじゃないですか」


 苦笑。


「まあいいです。後者ですよ。後者。ゴミを食したら、顔が大幅に崩れてしまったのです。不思議ですね」

「そんな軽く……」

「ああ、軽いのは嘘だからかもしれませんよ」


 結局の所、と彼女は天井に顔を向ける。


「醜くなった姿を、人に見られたくなかったから、なんですよね」


 その言葉は、とても寂しく。

 そして怒りも含んでいるように聞こえた。

 その声は、何も変わっていないのに。

 表情の変化は、仮面の下に隠されているのに。

 まるで、そこにいるのは彼女であって彼女でない。

 もう一人の――彼女のように。


「……さて」


 手を一つ叩いて、彼女はこちらを見る。


「何を聞きたいのですか? お二人様」


 その言葉の瞬間だった。

 僕は強烈な違和感を覚えた。

 それが何であるかは、判らない。

 ただ、おかしいと思った。

 それを本格的に考える前に、


「じゃあ、最初に根本的なことを聞こうか」


 美玖が先陣を切って訊ねる。


「お前は……篝雪乃なのか?」

「さあ、どうでしょうね。話の展開ならそうですが」


 のらりくらりとした返答。


「私はただの仮面の女。篝雪乃という名であるかは……まあお察しください」

「あくまで答えるつもりはないってことか……じゃあ次の質問に移るけど」


 腑に落ちない表情で美玖は続ける。


「お前が犯人なのか?」

「何のことです?」

「これはとぼけないで欲しいね」


 鋭い眼つきになる美玖。


「カガリ製薬で起きた殺人事件の犯人は、お前だろう?」


「ああ、それですか。それなら恐らく、私が犯人です」


 至極あっさりと。

 彼女は犯人だと認めた。

 しかし――


「……恐らくってのは、どういうことだ?」

「やっと発言してくれましたね」


 勘違いかもしれないが、何故か嬉しそうな彼女。


「それはですね。確認していないからです。死んだのを」

「確認って……確認する必要ないだろう。あの惨状なら」


 一人は、腕しか残っておらず。

 もう一人は片腕をもがれ、腸を抉られている。


「そうですね。だから確認しなかったのですが。まあ、あの傷で生き残れる方がおかしいですよね。不思議なことに、あの人は悲鳴を上げなかったですから、誰が駆け付けるわけでもないですし。あの出血で即刻起きられればの話ですが、自分の部屋に戻るのが精一杯でしょうね。だくだくってなってましたもの――そういえば、赤って眼に残りますよね?」

「突飛な話だけど、印象は深いな」


 実際あの時、眼を瞑っても視界は黒ではなく、赤に見えていたし。


「私もそう思います。だって――」


 そう言って彼女は自分の白い掌を見る。


「この手が、赤くなっていますもの。血に染まった……落ちない……いくら洗っても落ちない……ふふ、罪の証ですかね。うふふ」

「……」


 その笑い声に対し――狂気じみた怖さを感じた。

 僕は少々引きながら、根本的なおかしさを指摘する。


「……そうは言うけれどさ、君の手に血なんて付いてないぞ」

「じゃあ、本当に罪の証ですね。心で見せているのでしょうか。後悔していないと思うのですが……」

「後悔していない?」

「ええ。どうしてあの人を殺したことが悪いのです?」


 眼を丸くする彼女。

 本気でそう思っている様子だ。


「あのさ、言っていること、判っている?」

「きちんと判っています。その上で、私はあの人を殺して当然だと言い切ります」


 だって、と一含み持たせて、


「あの人は私を――殺したんですよ」

「殺した?」

「ええ。こうして生きていますから、おかしい話ですけれどね。まあ、一度埋められたのだから、死んだと言ってもいいですよね」

「埋められた……って、子供達に埋葬されたんじゃないのか?」

「多分違うでしょう。大分長い間意識は戻りませんでしたが、目覚めた時、子供達は私を掘り起こしてくれていましたから」

「そうなのか?」

「ええ。そうでなくては、私は窒息死しています」

「じゃあ、あの墓は……」

「元、お墓ってことです」

「成程……あたし達はすっかり騙されていたわけだな」


 顎に手を当てて、やられたという表情で美玖が口を挟む。


「あの子供達が嘘をつくはずがないと思っていたからね」

「子供達は嘘を付いていませんよ。私がそこに埋められたのは事実ですから」

「その言葉を聞いて得心がいったよ。あの子たちにとっての『シンダ』は『埋まっていた』ということだったのか」

「その通りです。流石です、美玖ちゃん」

「流石、か。どうしたもんかね」


 肩を竦めて、美玖は首を振る。


「雪乃が犯人ではないかという推理も、あんたがここにいるってことも、全部久羽に教えてもらった形だからね」

「いや、僕のはただの直感と偶然だよ」

「そういえば、どうして私がここにいるって分かったのです? 隠れていたのですが」


 くすくすと笑いながら、彼女は問いかけてくる。

 美玖が答える。


「子供達が一人しか死んでいないことがおかしいって話は、二度としなくていいね」

「私は聞いていないですけれど、大体察しは付くので飛ばして続けてください」

「んでさ、子供達が逃げられたのはどうしてかって言うとさ、誰かが先導して逃がしたってのが妥当な話なんだよな」

「その通りですけれどね」

「それで、あたし達以外で子供達に面識があって、こういうことをやりそうなのは――あんたしかいないってわけさ」

「大正解ですね。見事に私でした」


 ボロボロになって短くなったスカートの裾を広げる彼女。


「それで、大体の話は判ったのでしょう。私がこうして生きていることで」

「ああ。敢えて言うか?」

「いいです。私もあまり追及してほしいとは思っていませんですし」

「もう言うまでもない話だしな」


 言うまでもない話。

 犯人は彼女。

 動機は、殺された――いや、殺されかけたから。

 ここまで判れば、実際の殺害方法などは――言うまでもない。

 一つしかないのだ。

 彼女が犯人なら、あの密室の謎も、そしてバラバラになった死体の謎も。

 全て――納得できる。

 まずは、密室の謎。

 彼女が犯人なら――

 いや、正確に述べるなら、彼女と――『捨てられた子供達』が犯人であったならば、解決できる。

 確かに、あの部屋は密室であった。

 大人にとっては。

 子供には、一つだけあったのだ。

 隠れ場所。


 それは――換気口。


 あそこから子供達は侵入し、そして――喰ったのだ。

 篝人彦と篝千里を。

 八人もの大人数なら、人間一人を喰らうのも、一人よりは楽であろう。

 ただ、時間がなくなった。

 これは本能的な何かだろうで察して直前にいなくなったのか、それとも全て子供達だけでやらせたのか、どちらかは判らないが、画懐さんが来た時には、子供達は換気口に潜り込んでいて、彼女は非常口の方にいたのだろう。そして恐らく、画懐さんがドアを閉めた音に反応して、一人が思わず換気口から出て、非常口の方に向かったのだろう。となると、彼女は一度、部屋の中にいたと考える方が自然だ。その出てきた子供は、彼女の真似をして鍵を開け、そして扉を閉めたのだと推察できる。


 次に、バラバラになった死体の謎だが……これは先程、少し触れた。

 多くの人数で、しかも人間を食すことに慣れている子供達なら、人を喰う理由もその量も説明がつく。察するに、腕だけ残ったのは、腕時計の部分が食べられなかったからだろう。母親がハラワタだけというのは……嗜好としか言いようがない。気分でそこしか食べなかったという理由しか思い浮かばない。


 どちらにしろ、大きな謎は二つとも解ける。

 事件は――解決される。


 もっとも。

 自分が犯人だと認めているのだから、トリックも理由も何も、彼女に問いだたせばいい話で、この推理が合っているかどうかなんて関係のないことなのだけれど。


「では、これからどうするのです?」


 彼女は両腕を広げて、訊いてくる。


「もう話すことがないのなら、そこに倒れている人達を連れて、お帰りになってくださいませんか?」

「っ! お前は!」


 美玖が大声を張り上げる。


「お前は……どうするんだよ!」

「どうもこうもありません。私はそちらの世には戻れないのですから、ここにこのままです」

「罰を受けないでこのまま逃げる気かよ!」

「罰を受ける前に、やらなくてはいけないことがあるのです」

「やらなくては、いけないこと……?」

「……って言ったら、見逃してくれますかね?」

「何じゃそりゃ……」


 ふふ、冗談ですと笑う彼女。

 しかし、僕は気が付いていた。

 やらなくてはいけないこと。

 そう言った時の彼女の言葉には――強い決意が含まれていた。

 だからそれは、嘘ではないのだろう。


「……分かった」


 美玖の肩を叩いて、僕は引き下がる。


「とりあえず、今日の所は帰ろうか」

「何を言っているんだよ、久羽!」

「ってかさ、彼女を捕まえようとしても、まず無理だよ。身体能力が跳ね上がったって、日記に書いてあったし。僕は……よっと」


 そう言って立ち上がる。どうやら歩ける程度にはなったようだ。だが、走るとなるときついものがある。


「この通り、立つのがやっとさ。美玖もこの足場ではそんなに速く動けないでしょ?」

「踏み固められているとはいえ、少し沈む感じがして走りにくいのは確かだけどさ。でもお前は――もう一人のお前は、あんなにも早く走っていたじゃないか」

「あいつは規格外だからさ……って、自分のことだからおかしい話だけどね」

「まあ、アウェイってことですね」


 彼女は僕達の方に近づいてくる。


「私はこの地形に、あなた達よりも慣れています。少し見ていましたが、本気を出せば、先程のそちらの方のような速さよりも少し遅いくらいのスピードは出せると思います」

「……そいつは凄いな。一体、何を喰ったらそんなになれるんだ?」

「ゴミですよ、美玖ちゃん。それとも――」


 口元に笑みを浮かべて、彼女は答える。


「――人肉ですかね」

「じゃあいいや。肉は牛と豚と鳥で間に合っているし」

「私だって食べるつもりはありませんでしたよ。人として……まあ、でも結局食べたのだから、もう人間じゃないですよね」


 うーん、と考え込む様子を見せて、


「では、どう私のことを分類したら良いのでしょうかね? 人間じゃないなら、天使? それはないから、悪魔ですかね? うーん、悪魔ってのも納得いかないんで……あ、『鬼』というのはどうでしょうかね?」

「いや……僕に聞かれても……」

「それでいんじゃね?」


 美玖が適当な返しをする。


「あの子供達も、子供ってのは汚い言い方で『餓鬼』――ちょうど鬼って漢字が入っているしね」

「それは私にぴったりですね。さすが美玖ちゃん。これはさすがと言わずに何と言うのでしょう」


 妙に嬉しそうに声を弾ませて、手を合わせる彼女。


「餓えた鬼。餓えた故に人間を食した。まさに『餓鬼』。言いえて妙ですね」

「いや……そこまで想定した、というかお前のことをそんな風に思っているわけじゃないから、まったく違うんだけどな」

「怪我の功名ですね」

「いや、全然違うから」

「それはそうと」


 美玖のツッコミを軽くスル―して、彼女は倒れている金髪と髭の男の元に行く。


「この人達は、どうしてここが判ったのですかね。この場所を知っているのは、私とあなた達と、既に死んでいる人くらいなのですけれどね」

「もっといるんじゃないのか? あたし達がここに来たのは、ゴミ処理場に珍獣が出るって噂から辿ってきたんだぞ。もっとも、この噂に注目したのは、お前に結びついたからなんだけどさ」

「そうですか。では、私がたまたまあの子――ミナちゃんを見つけた時に、誰かに見られたのでしょうかね。そんな気配はなかったのですが」


 ミスです、と彼女は言う。


「まあ、仕方ないですね。あの時はただの散歩だったので、まさかここまで話が展開するなんて、とても思いませんでしたし」


 近くにあった髭の男の拳銃を拾い、手の上で玩ぶ。


「こんな話になるっていうのも、想像は付きませんでしたしね。人間を狩るだとか、どこか頭がおかしいのではないですかね」


 パン。


 パン。


 乾いた音が二つ。

 彼女は、横たわっている二人の頭に――鉛玉を撃ち込んだ。

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