第37話 俺の勝利

 次の瞬間――倒れていたはずの自分の身体が浮いた。

 銃声が先程よりも、少し遠くに聞こえる。

 不意に揺さぶられる。

 右。

 左。

 途端に、身体の節々に、小さいながらも衝撃が走る。

 ……これがあるから嫌なんだ。

 究雨は、人間の限界を知らないかのように全力で身体を使うから、翌日の僕は筋肉痛で、歩くのでさえも辛くなる。よく格闘漫画に出てくる『人間は普段、一〇〇パーセントの筋肉を使用していない。使えば強くなる』なんてことをこんな風に体現しているわけだなんだけれど……まあ、俺自身も信じられない。こうして銃弾を避けたり、左右に俊敏に移動していたりと、あり得ないことが、しかも自分の身体に起こっているなんて。

 ……そして。


 そう頭の中で語っている間に――とは。


(お前さ……本当に人間か?)

「ああ? 久羽、それはギャグか? ギャッハッハ!」


 究雨はそう豪快な笑い声を上げると、


「んで、あんたはどうするんだ爺さん?」

「……」


 ただ一人銃身をこちらに向けず、微動だにしていない老人に向けて手を広げる。


「おうおうおう。縮こまっちまっているのか? ならさっさとこいつら連れて帰りな」

「……」

「俺がこんなに強いのを見て腰が抜けたのか? そうは見えねえけど……」

(……手を伸ばすな、究雨!)

「あん? どうしたんよ?」

(絶対に助けようとするなよ。その爺さんを)

「あーあー、警戒しろってか。しかし偽善者の塊のようなお前がそう言うのも珍しいな」

(いいから。気付いてない振りしてくれ。そして今から言うことに驚いた反応を見せるな)

「そっか。今日の晩御飯はハンバーグか。で、それがどうした?」

(子供を殺したのは、多分――この人だ)

「……何だって」


 僕は気が付いていた。

 この老人は、究雨が金髪と顎髭を倒していた際に、猟銃の弾を詰め直していた。

 つまりは、手に持っている拳銃の他にある猟銃を使用したということ。

 では、猟銃を使用したのは、誰に対してか?

 決まっている。

 それは――子供達に対して。

 そして、そこに子供が一人、死んでいる。

 額に、少し大きめな穴を開けて。

 少し大きめ。

 他の二人は、拳銃しか持っていないようだった。何故なら、究雨が拳銃を弾き飛ばした後、二人とも新たな銃を取り出さないで格闘戦に切り替えてきたのだから。混乱していたのかもしれないが、それなら一層、銃を使おうとするだろう。つまり、持っていないと考えるのが妥当。

 すると、あの少し大きめな穴は、一体誰が開けたのか。

 答えは、一つ。


(しかもこの人は猟銃を複数回、子供に撃ち込んでいる。相当悪質だよ)

「……」

(だからこの人を、さっさと捕えなくちゃ。絶対、あの三人の中で一番危な――)

「……ほう。気付いたか小僧」


 老人が顔を上げる。その表情には、不気味な笑みが張り付けられていた。


「わしの実力が一番高いということに」

「自分で言うかねえ、それを」


 鼻で笑いながら、自然体を取る究雨。


「爺さん。この距離じゃあ銃より拳の方が速いぜ」

「まあ、落ち着け。お前さんが知りたがっている情報を教えてやる」

「ああ? 何を血迷っている?」

「血迷ってなんぞおらん。わしも今後の老後が牢獄なんて嫌じゃからのう」

「ほう、取引というわけか」


 ふん、と鼻を鳴らし、究雨は後ろに手を回す。


「んじゃ遠慮なく答えてもらおうか」

「金じゃよ」


 老人は指で丸を作るという、下卑た仕草をする。


「この化け物どもを退治すれば、一匹につき一〇〇万。わしら三人にその依頼が来たんじゃが――ああ、わしらはただの猟師じゃ。普段は三人で狐などを狩っておる。しかしこれが、あまり金にならなくてのう。まさにこの話は天恵だったわけじゃ」


 ただの猟師が拳銃など持っているわけがない。

 そこが嘘だと分かっていながら、究雨は「ふーん」と適当な言葉を返す。


「で、依頼者は誰だ――なーんて訊くと『それは言えぬ』とか言って戦闘になるのがセオリーだよな」

「戦うつもりはないが、その通りじゃ。言えぬ……というよりも、知らぬ、と答えた方が正しい」

「それもまたセオリー」


 何故か満足気な様子で、究雨は続ける。


「んで、帽子を目深に被っていたり、筆談だけで交渉したり、代役を立てられたり、ってか?」

「いや、『いんたーねっと」じゃ」


 たどたどしく、老人はその単語を口にする。


「わしはよく知らなんだが、あの二人が作った『ほーむぺーじ』とやらに、依頼者から連絡があったそうじゃ」

「たっはー。時代を感じるねえ。しっかし、どうしてその依頼者を信じたんだい?」

「口座に振り込みがあったのじゃ。前金として五〇万。だからこの依頼を引き受けることにしたのじゃ」

「ほう。それで?」

「それで、話は全てじゃ」

「へ……」


 究雨は呆けた声を出した。と、思ったのだが――


「へ……へっへっへへへへへへへへへへへはははははははっ!」


 大笑い。

 腹部に手を当てて、涙腺までもが緩んでいる。

 心――は、今は僕なんだが、それでも、あいつは心の芯から笑っていやがる。

 まあ、笑う理由は判るが、そこまでではないだろう。


「バッカじゃねえの、お前ら」


 究雨の嘲笑に眼を丸くしていた老人は、その表情を厳しくさせる。


「……馬鹿とはなんじゃ?」

「お前ら、五〇万で殺人を請け負ってんだぞ。安過ぎるじゃねえか」

「何を言っている? 五〇万は前金で、その別に一匹につき一〇〇万が支払われるんじゃぞ」

「依頼主も判らない状態で何をほざいている」


 見下す視線。


「ちゃんとやって、報告して、それで振り込まれるなんだろうけれどさ――どうしてそんなことが信用できるわけ? 前金払ったからって、後金払うとは限らないじゃん」

「それは……」

「それに、お前らがやってもいないのに殺しただとか言っても判りゃしないのに、金を払うわけないだろうが。まあ、その依頼主がここに来て、それを見ているのならそれは別だがな」

「な……」


 老人は唖然とする。


「わしらは……騙されたのか……?」

「騙されるも何も、こんなにも頭の回らない、目先の金に追いすがるような田舎猟師にしか使えねえよ、こんな手口。マルチ商法と同じ手段だな」


 はっはー、と馬鹿にした声。


「たっけえ五〇万だったな。老後は牢に入った後――牢後に考えるんだな」

「ちょ、ちょっと待て!」


 老人は焦りを表面に浮かべる。


「わしは全て偽りなく話したぞ! それなのにどうして――」

「話したからどうしたんだ?」


 ふふふ、と口から悪い笑みを漏らす。


「こういう展開になったなら判ると思うが、当然、俺は取引を認めてなんぞいないぞ。勝手にお前が一人でペラペラと喋っただけじゃないか」

「……」

「おっと。騙したなとか言うなよ。元々てめえは人殺しだ。おめおめと帰すわけにはいかないさ。それに――」


 歯を剥き出しにして、究雨は笑う。


「お前もさ、俺に見逃してもらおうなんてつもり――ないだろうがよっ!」


「っ!」


 老人は目を見開き、そして猟銃をこちらに向ける。

 が――そこに究雨の姿はなく。


「話を聞く時には、引き金から指を離しておいた方が騙せるぜよ」


 老人は左に身体を向ける。

 だが当然、そこに究雨の姿はなく、


「そして残念だったな老人よ。俺が狐じゃなくて人間で」


 老人はさらに身体を左に向ける。

 そこに究雨の姿は――


「!」


 あった。

 だが、老人がそれを認識したであろう、次の瞬間には――


「バキューン」


 究雨の口から出たその言葉より遥かに鋭い音が、場を駆け巡る。

 同時に、老人の猟銃が宙を舞う。


「……ありゃ?」


 自分の手元を見つめながら、首を傾げる。究雨の右手には拳銃が握られていた。実は金髪の男が握っていた銃を、後ろ手にずっと隠していたのだ。


「アニメみたいに黒煙が吹かないんだねえ。ノット・リアリティ」


 残念そうに二、三度首を振ると、究雨は驚愕して動けないでいる老人の後ろに移動し、そして手刀を入れた。


「なあ、知っているか老人」


 白眼を向いて倒れゆく老人に向かって、究雨は語りかける。


「あんたがどれだけ野生の動物を狩ってきたベテランであっても、実力者であったとしてもな――」


 黒塊の先端に息を吹きかけ、究雨はにやりと笑う。



「人間は狐と違って、銃が使えるんだよ」

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