第23話 手を合わせる行為
「そん、な……」
隣で、美玖が膝から崩れ落ちた。彼女がそうしなかったら、僕がそうしていただろう。一日しか知り合っていないのに、不思議なことだ。これが、友人が出来るということなのか。
……人が死ぬなんて、もう慣れたことなのに。
「オネエチャン」
ボーッとしていた僕の袖を、もう一度少年は引っ張った。
「あ、ああ、ごめん。どうし――」
「オネエチャン」
美玖が先程崩れ落ちた時に落としたのだろう、自分の左手の中の雪乃の写真を指差す。
「オネエチャン、シンダ」
「……ああ。そうなんだね」
「シンダ」
そう言うとおもむろに、少年は写真を――正確には写真の雪乃に向かって、下に落ちていた大腿骨辺りの骨を叩き付けた。
「オネエチャン、オネエチャンに、コウシマス」
「『オネエチャン』に?」
彼がやったジェスチャーは、雪乃を誰かが殴った、ということ。そして、この場でオネエチャンと呼ばれているのは、雪乃と美玖と僕。勿論、僕は殴っていない。さらに、もし美玖が殴ったなら、彼は『オネエチャン』という言葉だけではなく、美玖を指差すはずだ。だから美玖でもない。
この場にいる人以外の女性が、彼女を殴り倒し、殺した。
彼が言っていることは、つまりはそういうことだった。
「……その『オネエチャン』てのは、どんなの?」
「…………」
首をふるふると振る少年。
どんなのだか判らない、というよりも、どう表現していいかどうかが判らないようだ。
「うっし」
そこで、今まで子供の相手をしていた韋宇が、そう呟いて立ち上がる。
「それなら直接、雪乃の両親に訊きに行こうぜ」
「……何で両親に訊くんだ?」
うな垂れていた美玖が、その言葉でようやく顔を上げる。
「両親に聞いても、何も判らないだろ?」
「お前らしくないな。そんな物言い」
ちっちっち、と指を振る韋宇。
「俺はこういう直感的なおかしい所はすぐに気がつくんだが、そこから推理に発展することが出来ない。だからお前に訊くんだが……」
「……何?」
「どうして、使用人達は全員、暇を出されたんだ?」
「あ……」
失念していた、と美玖は額を押さえた。
「……ったく、こんなことすら気がつかないとは……不覚だな」
因みに、僕はちゃんと気がついていた。
そして恐らく、どうしてそうしたのかということも。
「雪乃の両親……絶対何か隠しているな」
美玖も、どうやらすぐに気がついたようだ。彼女は拳を打ち付けて、決意を固めた声を放つ。
「じゃあ、早速行くか」
「ちょっと待って」
意気揚々と進もうとする二人に、僕はストップをかけた。
「何だよ、久羽」
「いやいや。もう少し冷静になってくれ。今行ったら、迷惑でしょ」
「何でだよ! 時間ならまだ――」
「時間じゃない。というか、そもそも迷惑になるのは、雪乃の両親に考慮しているんじゃない」
「じゃあ、誰に……って、ああ、そっか。そういうことか」
馬鹿か、と今にも自分の頭を叩きつけようとせんばかりに頭を振る美玖。
「そうだな。明日が、ちょうどいいな」
「何でだよ?」
韋宇が不思議そうに首を傾げる。
「あたしも気がつかなかったが、今聞きに行くと、暇を出された使用人達の手を煩わせてしまうことになるんだよ」
「それは悪いと思うけどさ……って、待てよ。そうしたら情報を聞き出せないじゃん。明日いなくなっちゃったら」
「逆だよ。使用人達がいなくなきゃ、情報は聞き出せないんだよ」
「何でそうなるんだよ?」
「いいか?」
眉をよせて、美玖は言う。
「あたし達が今、あの家に行ったら、誰が対応する?」
「誰って……そりゃあ、この前みたいに使用人の人達でしょ」
「じゃあ、もし――その使用人達がいなかったら?」
「あ、そうか。雪乃の両親、もしくは姉が対応するのか」
「まあ、対応しない可能性もあるけどな。でも、今日行くよりは遥かに可能性があるさ」
「いや、必ず出させてみるさ。家の中には絶対にいるんだからな」
「あ? どうしているって断言出来るんだ?」
「この前美玖が言ってたんだよ。というか、雪乃が言っていたらしいんだけどな。雪乃の両親は、土日には絶対に家にいるってな。さて、今日は何曜日だ?」
「土曜日……そうか」
うん、と僕は首を縦に振る。
「だからそれも含めて明日にしよう、って言ったんだ」
「成程。……お前も、実は頭いいんじゃないのか?」
韋宇が感心の声を上げる。
「いやいやいや。たまたまだよ。それに――」
韋宇と同じように、あいつの直感がなきゃ……
「それに?」
「……いや、何でもないよ。さて」
ふるふると首を振り、僕は未だに袖を掴んでいる少年に向かって訊ねた。
「ねえ、ここから別の場所に行く道は、どこかな?」
「?」
「僕達、帰ろうと思うんだ。あっちの方へ」
指先を天井に向ける。
すると少年は右方を指し示す。そこには、僕達が入ってきた方とは違うトンネルのような穴がポッカリと口を開けていた。
「ありがとう」
礼を言い、そして僕は彼の目線に合わせる。
「最後に、一つだけ。訊きたいことがあるんだ」
「?」
少年は首を傾げる。
僕が聞きたいこと。
それはその背後にある、盛り上がった土の中のこと。
その中に眠っているのは――
「君達は、雪乃を――『オネエチャン』を、食べたのかい?」
「…………」
少年は首を――『横』に振った。
「え?」
少々予想外の答えに、驚きの言葉を隠せなかった。
食べなかった。
死んだ人間を食べていた、この子供達。
正直な話、訊く前には土の中には、何もないんじゃないかと決め付けていた。
――いや、待てよ。そういえばそもそもの話、死んだ人間を土に埋める、いわゆる『土葬』の観念を、どうしてこの子達は持っているのか。そのことについて疑問に持つべきだった。……雪乃が死んで、冷静さを失っているのは、僕もだな。
「……ヤクソク」
唐突に。
少年がそう言葉を落とす。
「約束?」
「ヤクソク……オネエチャン」
「雪乃と?」
嬉しそうな顔で頷く少年達。
その全員が――小指を立てていた。
一般的な、約束の証。
だからその意味は、一般的な意味。
死んだとしても、人は食べない。
その約束を、雪乃としたのだ。
この子達は。
「……そうか」
その安堵の言葉を口にしたのは、美玖だった。彼女はゆっくりと盛り上がっている土の前まで歩いて行くと、その前でしゃがみ込んだ。
「なら、全てが終わったら……ちゃんとした所に戻すから。もう少し待ってて」
「美玖……」
「雪乃……」
美玖の隣に韋宇が並ぶ。
「なんかな。何て言葉を掛けたらいいか、その……安らかに」
「……その言葉は、ちょっと違う気がする」
なんて溜息をついた、その時だった。
「…………」
静かに、ぞろぞろと、その周りに子供達が集まり始めた。
美玖と韋宇が驚きながら子供達を見ていたが、やがて彼らは一斉に跪き、
そして――手を合わせた。
「……信じられない」
彼らは判っていないはずだ。
それが、どんな意味を持つのかなど。
だけど彼らは、それをした。
――もしかしたら。
それは、人間の根本にあるものなのかもしれない。
祈るという行為は。
誰に教わらなくとも。
例えば、赤ちゃんが泣き声を上げるような。
生きている者ならば、誰もが知っている行動――
「…………」
そんな哲学的ことを考えてしまった。
だからなのだろう。
僕自身も驚いた。
祈るなど、とうに忘れてしまった、この僕が。
神などいないと思っていた、この僕が。
神に恨みさえ覚えていたこの僕が。
一瞬。
ほんの一瞬だけだが――
無意識の内に――手を合わせていた。
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