第6話 諍い

「さて皆様、案内は以上で終了致しました。後はごゆるりとお寛ぎ下さい」


 本館の前で、笑美がそう頭を下げた。


「夕食は六時に、ここ、本館で行う予定です。お風呂は各コテージに備え付けてありますので、そちらをお使い下さい。他に何か判らないことがあれば、イオちゃんがこの本館におりますので、お手数ですがこの本館に電話していただくか、もしくは直接お尋ね下さい。本館の電話番号は――」


 と、長々と連絡事項を口にして「――最後に」と付け加える。


「私の婚約者になる人は、申し訳ありませんが、明日の朝までに決めさせていただきます。突然、婚約者候補などと言ったり、この場所に来ていただいたり、本当に申し訳ありませんでした。さらに、私の婚約者になる方はさらに御苦労を掛けることになりますので、お先に謝罪させていただきます」


 先程から何度も頭を下げている笑美。


「ここまで足を運んでもらっていただいてひどい話だとは思いますが、皆様は誰が婚約者であっても私は誇りに思える人ばかりなので、どなたでも構わないのです」


 本当にひどい話だな。だが何故だか許せる雰囲気が彼女にはある。


「そこで一つだけ、提案があるのです」


 笑美が人差し指を立てて告げる。


「このような私に好意を持っていただけることはないとは思いますが、婚約者になっても良い方ということはいませんか?」

「へ……? どういうことっすか?」


 左韻が発した質問は、恐らく全員の質問であっただろう。

 笑美は答える。


「婚約者候補とはいえ、強制的になってもらいたくない、ということが私の本音でございまして……ここまで候補として強制的に来てもらって何を言っている、という話ですが、ここで立候補される方がいるのならば、私はその方を婚約者としたいと思います」


 つまりは、婚約者になりたくない人は名乗り上げるな、ということ。――いや、ここで名乗り上げるのは財産目当てだと思われるから、なども考えられる。が、どちらにしろ韋宇は上げないだろう。

 他の面々も躊躇する――かと思っていたのだが、


「俺は婚約者になってもいいぜ。むしろこんな可愛い子を妻に出来るなら、喜んで」

「僕も……折角ここまで来たのだし、笑美さんは美人だし……」


 日土と天野さんがすぐに挙手をした。前者はそうだろうなと思ったが、後者は意外すぎて仰天した。てっきり、上げても日土だけかと思っていたのだが、予想が外れた。

 因みに他の二人の婚約者候補は、


「うーん……俺は保留ってとこっすかね。まだ決めかねているっす」

「……」


 困惑している様子。こちらが普通の反応だろう。

 そして韋宇は胸の前で両手をクロスさせる。


「俺はパス。婚約者にはならないよ。譲るよ」

「あ? 何言ってんだよ、あんた」


 日土が眉間に皺を寄せて韋宇に歩み寄る。


「じゃあさ、何でここに来てんだよ?」

「俺はここに、婚約者候補を断りに来たんだよ。だから他の人に、その婚約者になる権利ってのは譲るよ」

「譲るだあ? その言い方が気に入らねえな。もし参戦するなら、自分が選ばれると思ってんのか?」

「いやいや。そんな意味は含んでいないさ」

「へえー、そうかいそうかい。そうなんです……かい!」


 そう言って突然、日土が韋宇の胸倉を掴んだ。


「ざっけんなよてめえ! そうやって好感度アップってか? 僕は関与しませんよ、皆さんで醜く争って下さいってか? 男なら正面から挑めよ!」

「んなこと考えてねえって。さっきから違うって言ってんだろうが。てめえの耳は何を聞いていたんだよ。俺が好感度アップさせたい女は一人だけだっつーの」


 韋宇がいらついた声で手を振り払い、そして嘲笑する。


「ってかさ、あんたのその態度がマイナスじゃね? バッカじゃねえの」

「んだと!」

「まあまあ、お二人さん、ストップっす」


 いつの間にか、二人の間に左韻が入り込む。


「喧嘩っつうのはお互いに良くないっすよ。両方とも悪印象になるっす。喧嘩がプラスになるのは空想の世界だけっすよ」

「うっせーな、チビ。黙ってろよ」


 声を荒げて、日土が今度は左韻の胸倉を掴もうとする。

 だが――


「――俺も巻き込むなよ」


 その前に、日土の身体が一回転して、床に叩きつけられた。日土は、痛みはなさそうだが、驚きで目が飛び出さんばかりに見開いている。それはそうだろう。自分よりも一回り小さい、細身の男性に綺麗に投げられたのだから。


「あと背は関係ないじゃないっすか」

「お前……柔道の有段者か……?」

「いいや、違うっすよ。柔道なんか今まで一度もしたことないっす」


 飄々と笑う左韻。彼はその眼を細めて、日土を見る。


「でさ、喧嘩すると雰囲気が悪くなるっしょ。その最中も、終わった後も、ね」

「……」

「だからさ。喧嘩は両成敗って言葉が――」

「……ちっ」

「おわっと」


 近くにあったソファを思い切り蹴り飛ばして、日土は出て行ってしまった。その後ろ姿を見て、左韻は「ありゃりゃ。やっちまったっすね」と頭を掻く。


「平和的に解決を願ったすんけどね……どうも俺はそういうとこ要領を得ないっすね」

「いやいや、ありがとう、左韻。おかげで助かったよ」


 韋宇が感謝の意を述べると、左韻は照れた様子で頭の後ろに手を廻す。


「どうってことないっすよ。っていうか、むしろ間に入ってすまんかったっす。でも……」


 にやりと、そこで口の端を歪める。


「轟さんなら入らなくても、あの人に殴られることはなかったでしょうね」

「それは買いかぶりすぎだよ。ま、でも俺は男性から殴られる趣味はないから、ブチきれて、後先考えずに思いっきり殴り返してたかもしれないけどね」

「そういうことにしときますよ」


 含んだ表現をする左韻だが、韋宇にそんな潜在能力があるとは到底思えない。むしろ殴るなんて自分で言っているが、韋宇は怒っても手は出さない人間だと思う。


「そういや轟さんは、婚約者の権利を蹴るんすよね?」

「おう、そうだけどさ。どした?」

「俺もそうしようと思ったんすよ。やっぱり」


 人差し指を立てて、左韻は頷く。


「いきなり婚約者って言われて困惑しましたし、元々あんまり乗り気じゃなかったっすし、それに――あの人に悪いっすからね」

「あの人?」

「ほら、日土さんっすよ。彼は俺と轟さんの二人で大きく株を落としましたから。ここで俺達が辞退しないと、彼にチャンスが巡らないでしょう」

「どうでしょうかね?」


 すっとそう会話に挟み込んだのは、笑美。


「あんな様子を見ても、私が彼を選ぶ、という選択肢が残っていると思いますか?」

「俺は……そうは思えませんね」

「正直分からないっす」


 肯定の韋宇に、悩む左韻。


「ん? 左韻、どうして悩むのさ?」

「だってっすよ、この人は見ず知らずの他人を婚約者候補にするような変な人っすよ。思考も俺達とは違うかもしれないっす」

「――うむ。確かに私はおかしいかもしれぬな」


 ふふふ、と敬語ではなく、古めかしい口調で笑美は笑った。


「だから、既に婚約者の枠から外れようとしている貴殿達には馴れ馴れしい口調でいこうと思うのも、おかしな人間故に我慢してくれないか?」

「いきなり何っすか? 口調も態度も変化して」

「んー、こっちが本当のあんたってことだね、笑美さん」

「うむ。そろそろ疲れたのでな。慣れぬ言葉を使用するのも」


 伸びをして、笑美は大きく息を吐いた。それと同時に表情も少し柔らかくなった気がした。


「というよりも、婚約者を決めるとか、本当に馬鹿馬鹿しくてならぬのだよ。私だって見ず知らずの他人を自分の夫にするなど、本当はしたくない。でも仕方なしなのだ。あの父親の口から結婚の二文字を消し去るには」

「じゃあ、どうして婚約者候補を渋谷で選んだのさ?」

「渋谷という場所を選択したのは、イオちゃん」


 掌で差し示されて、端の方にいる洲那さんが礼をする。


「因みに、躊躇していた私の後押しをしたのもイオちゃん。最初の婚約者候補を選んでくれて、そこから決心がついたのだ」

「あ、そういや一番は俺っすよね? あのメイドさんに連れられたっすからね」

「その次は……僕ですよね?」


 婚約者候補の中で唯一可能性の残っているとも言える人物――天野さんがようやく会話に入ってきた。因みに、婚約者候補の残る一人の森さんは、いつの間にか退館していた。

 さて、その天野さんはというと、眉間に皺を寄せて韋宇と左韻を指差した。


「というか、二人ともおかしいですよ。こんな美人な人を妻に出来るチャンスなのに、揃って辞退するなんて……」

「俺は他に好きな人いるし」

「俺はっすね、うーん。まだ大学入ったばっかしなんで結婚とか判んないんすよ」

「え? 左韻って大学生だったの?」

「そうっすよ。若く見られるっすけどね。化学系の大学っすよ。轟さんと……」と、視線をこちらに移し「――そのお二人の方も、大学生っすか?」


 傍観者を決め込んでいたので、突然話を向けられて僕は少し動揺して返事を出来なかった。だが、美玖は小さく首肯して、


「そうだよ。あたしらみんな大学一年生。だからタメ語で全然いいのよ」

「へえ、そうなんすか。じゃ、同い年なんすね。でも癖だからやめられないっす、敬語。慣れているんでこっちが楽っす。えと……」

「名前か? あたしは葦金美玖」

「あ、僕は伊南久羽だよ」

「では葦金さんと伊南さんと呼びさせていただくっす。皆さんはどんな知り合いなんすか? というよりも、葦金さんと伊南さんは恋人なんすか?」

「は? 恋人に見える?」


 そう疑問を端に発したのは韋宇。少し棘があるように聞こえたのは、彼の気持ちを知っているからだろうか。

 そんな彼に、左韻は「ええ」と首を縦に振る。


「さっきから見ていたのですが、お二人はとても仲が良さそうに見えたっすから」

「そっか……お前ら……」


 そこで鋭い視線を韋宇が向けてきたので、僕は慌てて弁明する。


「いやいやいや。そこでお前は納得するなよな。いつもほとんど一緒にいるじゃないか」

「隠れてこそこそと……」

「してないってば」

「そうそう。ただの友人だよあたしらは。勿論、お前もな」

「そ、そうか……」


 美玖の言葉に、複雑な顔をする韋宇。はっきりと僕との関係を否定した安堵の気持ちと、自分もただの友人であると線引きされている悔しい気持ちが混ざっているのだろう。

 そんな韋宇の内情は知らない様子で、美玖は「それよりも」と話を笑美に向ける。


「あの、洲那さんって笑美ちゃんとはどんな関係なのさ? 本人から聞いたら、ただの友人だって」

「うむ。彼女は私の大学の友人だ。一ヶ月前に声を掛けられ、友人となった。私にはこの口調故に友人が少なくてな。人前では体裁を取れるのだが、すぐに気が緩んでこの口調になって変人扱いされるのだ――まあ、変人であるのは間違いないのだが――と、すみません。この場にはまだ候補者に立候補してくれた天野殿がおられたのですね。私としたことが……」

「い、いや。そのままの口調で大丈夫ですよ、杉中さん」


 天野の曖昧な笑みに一瞬だけ表情を陰らせたが、笑美は「……では、お言葉に甘えて」と続ける。


「どこまで話したかな……そうだ。私がイオちゃんと出会ったきっかけは何だかな……そう、変人同士が惹かれあった、というものかもしれぬ」

「それってメイド服っすか?」

「うむ。それに可愛いと口添えしてしまった私が始まりだな。あのような可愛い服装をした人物を、今まで見かけなかった私はかなりの損をしていたのではないかと、小一時間悩んだな」


 何故悩む必要があるのかは、僕には理解できない。


「と、そのような縁でイオちゃんとは知りあった訳で、現在はこのように、婚約者候補についての手伝いをしてもらう程、親しくなったということなのだ」

「ふーん、そうなんだ……ってあれ? その洲那さんは今どこに?」


 韋宇の言葉で気が付いたが、洲那さんの姿は見当たらなかった。メイド服を着ていても、ここまで存在感がないのか。


「彼女は料理が得意なのだ。故に、皆の食事を作ってくれていると思う」

「え……僕達も手伝わなくていいのですか?」

「案ずることはない、天野殿。皆様は客人であるからして、のんびり過ごして結構だ。イオちゃんは友人だが、一応はお手伝いとして雇っている形でもあるのだ。本当の意味ではお手伝いではないのだが、私の気持ちとイオちゃんの気持ちを折半した結果が、このような形なのだ」

「つまり、善意で手伝ってくれる洲那さんに悪いと思って、せめてお金を払わせて、ということだね」

「つまり、洲那さんとはラブラブってことか」

「うむ。後者の轟殿よりも前者の伊南殿の意見の方が正しいな。賃金云々は私の勝手なことで、本人に受け取って貰えるかは判らないのだけど……」

「それなら受け取りませんよ」


 と、その声と共に、奥から洲那さんが姿を現した。


「私は好きで笑美ちゃんの周りのことを手伝っているのです。お金を貰うなんてとんでもない」

「だからといって、雇っていたお手伝いの方に暇を出さなくてもよいだろう。イオちゃんも私にとっては客人なのだから、ゆるりとしていればいいのに」

「迷惑……ですか?」

「いや、断じて迷惑ではなく、むしろ助かっているのだが……しかし、本家のお手伝いの方や料理人よりも素晴らしいとは……イオちゃんは末恐ろしいと思ってしまうよ」


 へえ、と感嘆の息を僕達は漏らす。そんな皆の視線を受けている洲那さんは「言い過ぎです」と照れた様子もなく長袖のメイド服を翻して奥へと戻っていく。


「……はあ。やはりイオちゃんは頑固だな」


 首を二、三度振って、笑美は溜め息をつく。が、すぐに顔を上げて口の端を上げる。


「さて、この問題は置いておくとしよう。それよりも、ここからは雑談としようか。なんなら猥談でも構わないぞ」

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