墓地。

1、森の古寺


 何故なぜこんな場所にサエコを連れて来ようと思ったのか、自分でも分からなかった。

 ひょっとしたら何か「予感」のようなものが僕の中にあったのかもしれない。

 予感うんぬんの話はともかく、生まれて初めてのデートが墓場なんて、誰がどう見たって最悪だ。「二人きりでドライブに行かないか? 行先は森の奥にある雪に埋もれた古寺なんだけど」なんていう男が居たら……その時の僕が正にそうだった訳だが……こいつちょっと頭おかしいんじゃないかと疑って当然だ。

 でも、サエコは最初こそ驚いたものの、すぐに「わかった」と言ってここまで一緒に来てくれた。

 三門さんもんの手前は、ちょっとした駐車スペースになっていて、端っこに白い大きなSUVが一台だけ停まっていた。それ以外には、車もタイヤの跡も人間の足跡も無かった。

 ジーディーにヴァンを駐車スペースに入れさせ、僕は車の外に出た。

 門、塀、周囲の木々。全てが白い雪に覆われて、静かだった。人の気配がしない。振り返って白いSUVを見た。自動車にあまり詳しくない僕でも高級車だという事くらいは分かる。半ば雪に埋もれるような感じで駐車場に停まっている。

「静かね。誰もいないみたい……」

 車から降りたサエコがブーツで雪を踏みながら僕の隣まで歩いて来て言った。

 僕は屋根に雪をのせた白い車を指さした。

「この寺の住職さんが乗っている車だよ。屋根とボンネットにあれだけ雪が積もっているという事は、少なくとも二日間くらい使われていない。こんな深い森の奥じゃあ、車が無ければ何処どこにも行けない。つまり住職さんはこの境内に居るはずだよ。ひょっとしたら裏の墓地に行ってるのかもしれない」

 僕はヴァンの運転席側へまわってドアを開けた。

「ジーディー、車の外で待っていろ」

 大型軍用ロボット犬が車から飛び出して、車体ボディのわきで「伏せ」の姿勢をとった。ドアを閉める。

 ジーディーは、氷点下何十度という極寒の地から灼熱の砂漠まで、地上のありとあらゆる地域で活動すべく設計されたロボット犬だ。次の命令まで、雪の中で何時間でも待つことが出来た。

 僕は自分の胸に手をあてて、首から下げた犬笛いぬぶえを確認した。人間には聞きとれない周波数で鳴り響くこの笛の音を感知した場合、軍用ロボット犬は全速力でその発信源に駆け付けるようプログラムされている。

「大丈夫。何かあったらジーディーが来てくれるさ」

 半分はサエコに、半分は自分自身に言い聞かせる。

「何かあったら……って、何かありそうなの?」

「い、いや、そういう意味じゃないよ」

 滅多に人の来ない山寺は確かにちょっと不気味だったけど、住職さんが境内の何処どこかに必ず居る。万が一の時は大声で叫べば良い。

 ただ……寺に住んでいるもう一人の人物、寺男てらおとこのタロウは少し心配だった。

 住職さんは「恐がることはない。彼も戦争の犠牲者なのだよ」と言っていたけど……

 三門をくぐり、僕とサエコは寺の境内に足を踏み入れた。

 石畳の参道を通って、ひとまず本堂へ向かう。

 本堂の中も無人だった。がらんとした空間に大きな仏像が安置されている。仏像の前に長くて大きな蝋燭ろうそくが二本立っていた。蝋燭には灯がともっていた。

「ほら、やっぱり住職さんは居るんだよ。外出するなら火は消すはずだろ」

「そうね……」

 僕らは形式的に仏像に向かって手を合わせた。

「このお供え物、なんか変じゃない?」

 合掌を解いたサエコが、仏前に供えられた乾燥きのこを見て言った。大きな茸が五、六本、竹のざるにのっている。

「危ないから手を出しちゃ駄目だよ。小型のエネルギー・フィールドで守られているから」

「小型エネルギー・フィールド? なんで……?」

「盗まれないように、さ……それ、極楽茸ごくらくだけって言って、この地方固有の珍しい茸なんだ。乾燥させたものをせんじて飲めば、この世に居ながら極楽浄土を見られるって言い伝えがある。縁起の良い名前だからなのか知んないけど、檀家だんかの人たちが時々もって来て供えるんだよ……でも縁起が良いのは名前だけでさ。本当は猛毒なんだ。摂取し続けると神経をおかされてしまう。常習性があって止められなくなるって話も聞いたことがある」

「なんで、そんな危険な物を仏前に供えるの?」

「さっきも言ったけど極楽茸ごくらくだけっていう名前、縁起が良いからじゃないかな。あとは昔からの習慣だとしか言えないよ。とにかく危険な代物しろものには違いないからね。こうしてイタズラされないようにエネルギー・フィールドで守っているんだ。そして一ヶ月に一回、新月の夜に住職さんが護摩ごまいて、まとめて焼却処分してる」

「ふうん」

「変な習慣だろ? 町の外から来たサエコから見たら……」

「まあね」

 それから僕らは本堂を出て墓地へ向かった。

 本堂の外壁に沿って裏へ続く小道を歩く。積もった雪を指さして僕はサエコに言った。

「ほら、まだ新しい足跡があるよ。誰か……住職さんと、たぶん寺男のタロウさんの歩いた跡だ」

 角を曲がって本堂の裏へ出ると、いきなり視界が開けた。

 深い森を切り開いて作った広い土地に、僕の肩くらいの高さの墓石がそれこそ森の木々のように立ち並んでいた。

 墓地は、なだらかな斜面の上に造られていて、手前……つまり本堂の側が一番低く、奥へ行くほど徐々に高くなっていく。

 頭の上に白い雪を乗せた墓が幾つも続くさまは、ちょっと幻想的だった。

「なんか、不思議な景色」

 サエコが言った。

「そうだね」

「あれは何?」

 彼女の指さす先、墓地の敷地の外、その向こう側の一番高くなっている場所に、はあった。

「軍の研究所さ……いや、研究所」

「昨日言っていた?」

「そう。そのうちの一つ」

 薄汚く雨だれの染みついた、打ちっ放しコンクリート製の味ももない四角い建造物。

 側壁には窓というより銃眼と呼びたくなるような細長い穴がズラリと並んでいる。窓には一つ残らず頑丈な鉄格子がはまっていた。

 戦時総動員令により、寺の敷地を強制的に接収して軍が建てた新兵器開発研究所。鉄格子付きの窓の奥では一体いったいどんな研究が行われていたのか……他の多くの研究所と同様、戦争が終わると同時にこの施設も放棄され、今も放置されたままだ。

「何か、怖い」

「ちょっと不気味だよね」

「中はどうなっているの? 今は?」

「分からない。たしか、終戦と同時に任を解かれて散り散りになった研究者たちが、最後に電子ロックを掛けて行ったから、今はもう誰も入れない……住職さんがそう言ってた気がする」

「大丈夫なのかな?」

「外見からして、いかにも何かヤバい研究やってたっぽいよね」

「うん」

 僕らは墓石の間を縦横に走る通路を歩き、ほぼ中央にあるヨネムス家の墓まで行った。

 驚いたことに、二つある花立てにそれぞれ一輪ずつ花が供えられていた。雪を被って半ば萎れていたが、何か月も前に供えられた物ではない。せいぜい四、五日前くらいだろうか。

「ヨネムスさん、最近、墓参りに来てたんだな」

 僕の独り言に、サエコが答えた。

「一周忌があるなら、お寺との打ち合わせに来たでしょうから、その時に供えていったのかも」

「うん。そうかもしれない」

 ふと見ると、墓地の向こうから坂を下りてくる僧衣姿の男が目に入った。

 サエコの肩を叩いて注意をうながす。

「あれがこの寺の住職さん」

「真冬の曇り空なのに、サングラスしてる」

「それが住職さんのトレードマークなんだ。あんまり良い意味じゃないけど」

「どういうこと?」

「終戦直後、まだ研究者たちがあの施設に残っていた頃、事故があったらしいんだ」

 僕は墓地の向こうに見える薄汚いコンクリートの建物に視線を移した。

「そのとき巻きぞえを食って、住職さんは両目とのどに大けがをした。責任を感じた当時の研究者たちが、ありあわせの部品で機械の目と人工の喉を造って住職さんの体に埋め込んだ……それと……たしか、舌と歯も機械だって言ってたか」

「かわいそう……」

「以後、サングラスと襟巻えりまきがトレードマークになっちゃった。冬でもサングラスは外さないし、夏でも襟巻は外さない。機械がき出しだからさ」

 突然、僕らから十メートルも離れていない墓石の陰から、男が立ちあがった。

 サエコが息を呑んで、僕の袖にしがみ付いた。

 不気味な男だった……といっても、外見に何か際立った特徴がある訳ではない。着ている服も安物ではあったけど、すごく変という程でもない。

 その顔……というか表情に、何かゾッとさせられるものがあった。奥底に異様な光を宿した大きな茶色の瞳にも。

 男は意味不明の声を低くブツブツと発しながら、ジッと僕らを見つめた。

 ゆっくりと、力の無い足取りで、一歩一歩ぼくらに向かって歩いてくる。

 僕の袖をつかんでいるサエコの手に、ギュッと力が入った。

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