第65話:選択―Answer―
戦争は終結した。とはいえ、今回の海賊戦争の規模はかの十年前の外敵戦争と比べれば紛争と呼ぶのも難しいほど小規模であった。あくまでハワイ周辺、太平洋のみ。この程度の紛争ならば世界機構が介入する事はないのだが、本戦争は海軍を介して世界機構が参戦した。
これに違和感を感じていたのはその世界機構に所属しているトロイド博士であった。
「――――それで、トロイド博士の見解としては?」
「少なくともこの戦争は世界機構にとって不利益になり得る戦争であったという事だ。そして、アカルト元議員が死ぬ事によって、世界機構は海賊への追撃を止めた。彼らにとって、アカルト元議員はそれほどの思想の持ち主であったわけだ」
ホウセンカの甲板でツバキにこの戦争の裏を模索し語るトロイド博士。現在、ホウセンカとトロイド博士の戦艦は並行してアルネイシアに向かっている。アルネイシアを越えると二人は再び離れ離れになってしまうので、その間に彼はこの戦争がなぜこうなったのかを語り合いたかったのだ。
「アカルトはこの海を支配しようとした。経済を、資源を、人間を支配するわけではなく、この海を。地球のほとんどは海で出来ている。彼が世界機構と敵対する事が目的であれば、まずは海を支配しようとしたのだ。海を奪えば、自ずと島国は他国との関わりが薄くなってしまう」
「ロマンチックな思想ね。海を支配なんて、難しい事をよくやろうとしたわ」
君が言うかね、とツバキにそう言い返しそうになるが、ロマンチストでリアリストの彼女だからこその言葉だと気付いたトロイドはその言葉を飲み込んだ。彼女が行うのは自分が行えると確証を得た、他者が夢見て自分も夢見た事だけだ。だからこそ、アカルトの思想は彼女にとってはロマンチックで滑稽に思えたのだろう。そして、それを実行しようとしたアカルトの愚直さと儚さに共感したのだ。
「だが、その思想は世界機構にとっては邪魔でしかない。何せ、彼らの管理社会の崩壊の楔になり得る要因であるからだ。だからこそ、敵対したホウセンカを支持し手助けを行った」
「複雑な心境ね……果たして、私達は本当に正義だったのかしら?」
ツバキは吐き捨てるように呟く。彼女達は子を助けだすために戦い、そして子供を惨殺した海賊を許せなくなり戦い勝った。世論から見れば、そしてツバキ達の心を介せば悪は海賊であった。しかし、遠い歴史を見ればツバキ達こそが悪になるかもしれないのだ。
両者ともに正義はあった。アカルトは人間社会の解放のために。ツバキ達は子供達の仇討のために。どちらが悪いかなど、今の自分達が決めつける事ではないのだ。決めるのはいつも未来から過去を見つめた人々なのだ。
「今はこの選択が正しい事を信じるしかないさ」
「そうですね……」
消えてしまった者達のためにも、生き残った者達がこの世界を作り上げていくしかないのだ。たとえその先にある未来が間違いであったとしても。
二人の戦艦を率いる長は蒼海を見つめる。今日も海は蒼く光り輝く。
◇◇◇◇
「無理するなよ」
「大丈夫」
キノナリの個室でグレイが椅子に座りながら器用にリンゴの皮をサバイバルナイフで剥いていた。その傍らにはベッドで寝込んでいるキノナリが繁々とそんなグレイの様子を見ている。回転を描きながら落ちていく赤い皮は、一種の芸術のように見えてくる。
「器用だね、グレイは。
「お前の良さだ。まったく、自覚があるなら無理をするな」
「むー、反省してます」
キノナリがグレイの言葉に嫌々ながらも反省の視線を向ける。愛くるしいやつだよ、と心の中でグレイは思いながらもサクサクと音を立てながらリンゴを切り分けていく。
あの後、意識を失ったキノナリはツバキの本領を入れた治療によりどうにか意識を取り戻すまでには回復した。脳にダメージはあったらしいが、そこは元々動物の脳神経を専門としていたツバキの本領によりそれらも残さずに治療したという。現在は安静に。無理に動かず、後遺症を残さないようにリハビリ期間中である。
「はぁ……私、やっぱりグレイに迷惑かけてる……」
「それでいいんだよ。今はゆっくりすればいい」
「でも」
「いつも気を張って、何もかもをこなそうとするのはお前の悪い癖だ。こういう時ぐらい、俺に甘えろ」
素のキノナリの言葉に動揺せず、グレイは一口サイズに分けたリンゴに爪楊枝を突き刺してキノナリの口元まで持っていく。
キノナリが恥ずかしいのか、それとも悪癖のせいか手をもぞもぞ動かそうとするが、グレイが無言でズイズイとリンゴを頬に近づけてくるので、キノナリはしばらく唸ってから口を開けた。
「それでいいんだよ」
「……恥ずかしい」
キノナリがグレイに顔を隠すように逆を向く。顔が赤くなっているのが自分でも判ってしまうからだ。こんな姿をグレイに見せる勇気はない。
だが、グレイは切り分けたリンゴが乗っている皿を持って、彼女が向いている方へ移動する。動けないキノナリに逃げ場はない。グレイのリンゴを食べさせてもらう行為からは逃れられないのだ。
「むむむ……」
「まったく。だから俺はお前の事が」
好きなんだよ、と言葉が続くのは当然であった。
◇◇◇◇
ホウセンカの甲板。先程までトロイド博士とツバキがそこにいたところで、ニーアは一人で海を眺めていた。スミスはトロイド博士の技術員に指導を受けているし、マリーはカエデと一緒にガーデニングスペースで水やりをやっている。
マリーについて行くのも考えたが、ニーアはそれよりも先に彼に会いたかったのだ。
「ここにいたかい、ニーア君」
「えぇ。約束通り来てくれて、ありがとうございます。レインさん」
レイン・カザフ。あの最後の頭突きの後、気を失った彼をニーアはホウセンカに連れて帰ってきていた。最初は皆、驚いたがニーアの説得により捕虜として扱われるようになっていた。
レインの顔をまじまじと眺める。長い金髪で碧眼であるが、片目には傷跡があって見えていないようだ。それにほんの少しだけ皺がある。
「やっと仮釈放だ。今後はTPAが私を雇ってくれるらしい」
「良かったですね。これで安心だ」
ニーアの一言に目を細めながら、しかしレインは彼にどうしても聞かなければならない事があった。だからこそ、彼の言葉はあえて捨て置く。
「君は……なぜあの時、私を殺さなかった?」
「えっ?」
「……あの戦いの勝者は君だ。あの時、君は私を殺せたはずだ」
レインはニーアによって海賊からTPAに移ったという扱いになっている。それは悪い事ではないが、レインはどうしてもニーアがそのように進言したのかが解っていなかった。
ニーアはそんなレインの言葉にしばらく俯き、海を見つめながらハッキリと答える。
「生きていてほしいと思ったから、です」
「…………」
「死んでいってしまった人達はどうしようもないのは僕も知っています。彼らの代わりになれれば、どんなに良かったと嘆く事も知っています」
子供達が死んだ時、ニーアは彼らの死を受け入れた時に感じた心はそれであった。彼らの代わりに死んでやれればどんなに良かったか、と。
でもそれは結果論であり、死んでいった者達にとっては意味のない言葉なのだ。
「でも、死んだ人の跡を追うのは間違っていると思います。だって、僕達は生きているんです」
「生きている……」
「はい。死ぬ事はいつだって出来ます。でも、生きる事は今しか出来ない。レインさん。あなたは生きるべきだ」
その言葉に酷いデジャビュを覚える。あぁ、それは、いつしか聞いたあの声とそっくりであった。
――――レイン。君は生きるべきだ。
偶然か。いや、真実を知るレインにとってそれは必然に思える。子は親に似ると言うが、本当にその通りだ。
「君の言葉は、私に希望をくれるのかもしれないな」
「そんな、大層な物じゃないですよ」
「いいや。一度はそれで生きたのだ。二度目も上手く行くさ」
レインのその言葉の意味はニーアにはよく解らなかったが、彼が生きる道を選んでくれる事は何より嬉しいものであった。
だからこそ、レインの次の言葉に一瞬だけ言葉が詰まってしまったのかもしれない。
「君は――――これからどうする?」
未来への問いかけ。過去を背負いながらも生きると言う選択をした男の問いかけに、未来を歩み続ける少年は、ほんの少しの呼吸を漏らして、でも漠然と蒼海を見て――――
「僕は――――」
ハッキリと答えを出した。
蒼海を進む戦艦、ホウセンカは始まりの街であるルネイシアに近づいていく。それは同時に、彼らの物語の一つの終わりと未知なる始まりが近づいている事と同義であった。
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