50.液体

 背中に草の感触。

 ゆっくりと目を開けると、見覚えのある魔術士の顔があった。

「……ケティエルムーン、さん」

「諦めが良いのは悪い癖だな」

 そう呟く魔術士の表情は険しい。二本の羽根に貫かれる直前にトリヤを地上に“転移”させることに成功したものの、戦況は依然劣勢である。

 稀代の天才魔術士が前線に出てみたところで“竜の血を繊維に”を詠唱し続けかなり疲弊しているうえに、そもそも決定打たりえるものを持ち得ていない。

「早く起きろ。次が来る」

 その台詞を聞き終える前に、トリヤは地面に大の字になっている身体を素早く起こした。剣士が先程まで寝ていた場所を、ドリル状の羽根が土をまき散らし深く抉る。

 ケティエルムーンもバックステップを踏んで短く詠唱し、己の前に小さな壁を作る。ヅッソとは違い、粘性の高い液体の壁だ。尖った羽根の回転がゲル状の壁を巻き取りながら勢いと回転を鈍らせ空中で静止する。

「長く持たんな……」

 魔術士が小さな声で言った。嫌な汗が首筋を伝っていた。


 金属には弱点がある。

 錆びる、酸に弱い、摩擦に弱い、高温あるいは低温で劣化するなど金属によってさまざまだ。

 ミスリルはその弱点が存在しない唯一の金属である。

 高温にも低温にも強く、錆びず、常に光沢を保ち、摩擦にも強い。また、どの金属より剛性も高く、ゆえに単体での加工は困難とされている。

 その加工の困難さを緩和するために使われているのが銀という貴金属である。

 この銀に働き掛ける方法をヅッソは捜していた。

 これまで読んだ本という本を頭の中で片っ端から読み返す。

 そして光明を見つける。

 それはマーフォークの発明家の書いた、フレグマに関する書物の一文だった。結果がどう転ぶかはやってみないことには分からないが、今はその小さな光明にすがるしかない。

 低空飛行のまま“絶望アぺル”のほぼ真下まで戻って来ていた。

 ここから先は木々が途切れ、向こうにもこちらの姿を晒すことになる。

 ヅッソは速度を上げた。

 できるだけ近づき距離を縮める必要があった。

 “飛行”をコントロールしながら、別の魔法の詠唱に入る。

 古い魔法だ。魔創語の言い回しも古風な個所が多く、ヅッソは慎重に言葉を紡ぐ。

 失われしフレグマ。それはマーフォークの繁栄の礎となった、岩を粘土状に変化させる魔法。

 フレグマが完成するまでには様々な試行錯誤があった。幾人もの発明家が挑戦し、失敗を繰り返したその顛末を書いた古い書物がある。時系列で管理されるマーフォークの図書館の一番奥で赤く光っていたその情報の中には、フレグマが生まれる過程で副次的に生まれた産物もそのまま書かれていた。


 目の前の煩わしい魔術士を焼き尽くせたようだが、剣士の方はあと一歩のところで仕留め損ねた。

 二枚の羽根が剣士を貫く瞬間、別の魔術士が邪魔をしたのだ。

 “転移”の魔法を使ったに違いなかった。

 剣士と魔術士の姿を地上に発見する。

 怒りが、怒りが治まらない。

 ――破壊する。

 即座に二人を屠りにかかる。

 再び二枚の羽根を駆使し攻撃を続けるが、地面を無駄に穿つだけでなかなかヒットしない。

 怒りが収まらない。

 それが固執を生む。

 うろちょろと飛びまわる二匹の蠅を執拗に叩きにかかる。

 そのせいで一瞬、気付くのに遅れた。

 己の真下から、燃やし尽くしたはずの痩身の魔術士が迫ってきていることに。


 トリヤがその姿に喜びを爆発させる。

 ケティエルムーンにも笑みが溢れる。

 戻ってきたヅッソが“絶望アぺル”の真下から急上昇する。同時に魔法の詠唱を完了させる。

「……モルガ、ガルフェ!」

 ヅッソが魔創語を言い放つと“絶望アぺル”の上空に黒い雲が生まれた。

 そして雨雲よろしく重たい雨を振らせ始める。

 ただの雨ではない。鈍く輝く液体金属の雨であった。

 “絶望アぺル”の自動防御機能がその雨を魔法による攻撃と認識し、金属の身体を液体化させる。

 それが丁度、液体金属の雨を体内に受け入れる格好となった。降り注がれた金属光を持つ大粒の雨が、“絶望アぺル”の肉体に融和し、混ざり合う。

 ひとしきり雨を降らせた後、黒い雲は霧散した。

 “絶望アぺル”にこれといった変化は見られない。

 トリヤがごくりと唾を飲む。

 ケティエルムーンは顔を顰めた。

 ヅッソの意図は理解したものの、時間に対する懸念があった。

 短い逡巡の後、彼も魔法の詠唱に入る。

 上手くいく方に賭けるしかない。

 ヅッソも同じく祈っていた。

 雨が首尾よく成果をあげてくれることを。

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