36.知識

 スモーク。

 箱組の一人。大柄で筋肉質。寡黙なテント係。

 隊の最後尾で箱を担いでくれていた。

 だけどいまは違う。

 虚ろな目をしたまま殺意をむきだしにし、人間離れした動きで襲いかかってくる……敵だ。

 その右腕は正体不明の翡翠らしき物質でできた外骨格を纏い、ミスリルの剣さえも折るほどの硬度と魔力を備えている。

 ヅッソは草陰で奇異な右腕を凝視している。

 自分の知識の中で、当てはまるものを必死に探していた。

 宝石を使った魔法生物クリーチャーというのは技術的には難しいがあるにはある。フレイヤの所の動物たちがみんなそうだった。宝石も銀やミスリルと同じく魔法との親和性が高いので、宝石を使った人形ゴーレムなんていうのも存在している。そして完成品は元の宝石の性質を持ち合わせている。つまり硬度が高い。

 人を乗っ取るタイプの魔法生物クリーチャーというのは存在する。巨大な蜂や頭のない蛸のような形状で、いずれも首のあたりに寄生して相手の四肢を思うままに操るという。タチの悪い遺跡では罠の変わりに配置されていることがある。

 おそらくあの右腕は翡翠でできた寄生タイプの魔法生物クリーチャーの一種なのだろうと推測できる。

 寄生するワーム型の生物というのは自然界にもいくつか存在する。が、かれらは内部に侵入し、産卵することが目的の事が多い。この翡翠の魔法生物にその意図はおそらくないだろう。スモークにとりついたあの寄生部分だけを破壊してやればスモークは意識を取り戻すに違いない。

 ただ、翡翠というのが厄介だった。

 翡翠は割れにくいのだ。

 モース硬度でいえば翡翠は七でそこまで硬くはない。しかし翡翠は繊維状の小さな結晶が複雑に絡み合っていて、すべての鉱物の中で最も割れにくい性質を持っており、靭性が高いのだ。靭性とは物質の持つ粘り強さのことである。たとえばダイヤモンドはモース硬度一〇と一番硬くて傷は付きにくいのだが、靭性が弱いため衝撃をあたえれば意外と簡単に割れてしまう。

 ――ギィン!!

 静かな森にまた金属音が響いた。

 防戦一方のトリヤが翡翠の拳を受け流す音だ。

 この足場の悪い森の中で、相手の攻撃を受け続けるのは限界がある。早く打開策を考える必要があった。

 かといってヘカトンケイロスの腕を斬り落とした時のように、ミスリルの剣であの翡翠の右腕を斬りつけるのはリスクがいささか大きすぎる。魔力強化された剣も、同じく魔力で強化された硬度の高い鉱物であれば折れたり刃毀れしたりする可能性がある。しかし、現状を打破するためにはあの翡翠の寄生型魔法生物クリーチャーを破壊するより他に方法はない。

「なんかねえのかよヅッソの旦那っ!」

 フィーロがヅッソを掴んで左右に揺らす。

「わっ、ちょっ、いま必死に考えてるんだよっ!」

 硬いものを簡単に破壊する方法。

 脳の中の引き出しを片っ端から開けて、使えそうな情報を探す。

 引っかかったのは、木炭だった。

 七星列島でミスリルの製錬に必要な木炭を割り入れる作業をしている時のことだ。ヅッソがどんなに力を入れて叩いても割れなかった木炭を、小太りの職人がポンと軽く叩いただけで割ってゆくのだ。物には目というものがあり、目に沿って叩くと簡単に割れるのだとその職人は教えてくれた。

 鉱石にも、石目というものがあることをヅッソは知識として知っている。実際、石目に衝撃を受けると硬いはずの翡翠で出来た指輪や腕輪が、簡単に割れてしまうということも少なからずあるという。

 そういった宝石の弱い部分を見つけることができれば……。

 ――ガチィン!!

 先程と違う衝撃音がした。

 トリヤが右腕の一撃を流しきれずにまともに受けて止めしまったのだ。

 軽い身体が吹っ飛び、脇の木に叩きつけられる。

 背中を強く打ち、一瞬、息が詰まる。気合いで息を吸いこみ体制を立て直す。

(こいつ、速ぇし動きが読めねえ……)

 魔法生物クリーチャーの指示で動く身体は、人間らしさのない異様な動きであり、トリヤの持っている読みや予測がまったく通用しないのだ。

「……弱い部分を探したいんだ」

 ヅッソはフィーロに言った。

「なんだって?」

魔法生物クリーチャーは使われた素材の性質を反映する。天然の鉱石には石目や微細な割れ目が存在していて、そこを叩くことが出来れば割れる可能性が高い」

「それ、どうやったら見つけられるんだ?」

「……わからない」

 振り下ろされた右腕をトリヤが紙一重で避ける。

 ドスンッ! と翡翠の拳が地面を叩いた。衝撃で土が舞い上がる。

 スモークだった敵は、力任せに腕を地面から引き抜き、横殴りに振りまわす。それがトリヤの避け遅れた右足を刈る。反動で仰向けに転倒しそうになるも、左腕一本で身体を支え、バク転の要領で一回転して地面に立つ。

 びん、と右足に嫌な感触が走った。

 骨折はしていない。が、トリヤの顔から得意の笑顔が消え、表情に苦悶の色が浮かぶ。

 また正面から翡翠の塊が迫る。

 なんとか右にかわす。汗が目に入ったせいか顔が苦しそうに歪む。

 今度はフィーロが考える番だった。ヅッソの導きだした石目を叩くという解を、現実に引っ張り込むための方法を探さなければならなかった。だが、フィーロは普段、糸や布といった柔らかい素材にしか触れていない。硬い鉱石の知識など持ち合わせていない。

「要は場所さえわかりゃいいんだろ、くそっ」

 ――ギィィィン!!

 当たりが激しい。剣と石がぶつかり、派手に火花を散らす。

 いまや魔法生物クリーチャーと化したスモークに疲れの文字はないようで、虚ろな表情のまま、剣士をじわじわと追いつめつつあった。

「弱い所の、目印さえありゃ……トリヤなら、目印さえ」

 違う、考え方を変えろ、俺は裁縫屋だ。

 フィーロは切り替える。裁縫屋の知識と経験の中から答えを探しにかかる。

 探して、探して、そして動いた。

「……パティ!」

 唐突に大きな声で名を呼ばれ、箱の中の少女が身体を震わせる。

「首の奴をこっちに投げろ!」

 言われてパティは自分の首にかかっている小瓶を見た。

 フィーロに貰った藍色の染料の入った小瓶。蒼く綺麗な液体が硝子の容器の中で揺れている。

 パティは小さく頷き、箱の扉を横に少しだけスライドさせた。

 少し離れた草むらの影に、フィーロの姿を発見する。

 首から下げるために括りつけた紐を解き、硝子の小瓶だけを小さな手に握る。だが、パティは普段、投げる動作などすることがない。フィーロまでは結構な距離がある。投げるのに躊躇する。

「パティちゃん、それをこっちに」

 彼女の傍らにいる赤ら顔の男が少女に言った。

 パティはドゥクレイ医師に持っている瓶を手渡した。

 小太りの医師は軽くテイクバックを取るとサイドハンドでスナップを利かせ、小瓶をひょいと投げた。

 小瓶は縦にくるくると回転しながらフィーロの元へと飛んでゆく。

 狙い違わず飛んできた小瓶を両手で受け取ったフィーロは、草の中を駆け抜け、そのまま戦地に躍り出る。スモークとトリヤの間に飛びこむ形になる。

「ンン?……ゴロズゥ、ヅッゾォォ」

 翡翠の腕が、ターゲットを剣士から目の前の裁縫屋に切り替える。

 目の前の怪物と化した仲間に、フィーロが一瞬怯む。だが怯んでいる暇などない。ここで臆すとただの無駄死にだ。

 己という標的に振り上げられた翡翠の右腕。次の一撃をフィーロは避けられるとは思えなかった。あのトリヤですら押される速さなのだ。それでもこの距離を得るためにはフィーロにはこれしか思いつかなかった。

 受け取った小瓶を目の前の翡翠の腕に投げつける。

 パリィンと派手な音を立てて小瓶が割れ、中の液体が薄緑の右腕をインディゴブルーに染め変える。

 そして染料が流れ、再び翡翠の淡い緑が姿を見せる。その一点、小さな小さなひび割れに藍色の染料が入り込み、うっすらと縦向きの筋を描いていた。

「トリヤッ、突き立てろっ!」

 後方からヅッソが叫ぶ。大人しい魔術士があげた喉が千切れるほどの叫びにトリヤは前を向く。

 その目が右腕を捉える。

 蒼い染料で描かれた小さな傷。

 裁縫屋が身体を張った理由を即座に理解する。そしてこれを外せば仲間と剣を一度に失うということも。

 行くより他に選択肢はなかった。

「くっそおっ!」

 利き足で大地を蹴る。一気に詰める。

 振り下ろされる腕の下に滑り込むようにして、剣を突き上げる。

 翡翠とミスリルがぶつかり合い、キィン、という甲高い音を立てる。

 その音とともに、動き続けていた戦場が静止する。

 場に静寂が訪れる。

 そんな中、フィーロがゆっくりと目を開ける。

 フィーロは見た。

 ミスリルの剣先が蒼い筋を的確に捉え、硬いはずの翡翠に潜り込んでいるを。

「……まじかよ」

 そう呟いて自嘲気味に笑った。

 トリヤは小さく息を吐いた。ずっと張りつめていた緊張を解く。

 手ごたえは十分だった。

 ぴし、という音とともに、硬質の右腕に派手な亀裂が走る。

 スモークの右腕を覆っていた翡翠のコーティングが細かな破片となって瓦解する。スモークはそのまま前のめりに崩れ落ちた。

 ヅッソがフィーロの元に駆け寄る。

「大丈夫かっ!」

「大丈夫じゃねーよバーカ。もっとましなこと思いつけクソったれ」

 ゆっくりと立ち上がり魔術士と肩を組む。

「まあそれはお互い様か」

 そう言ってフィーロは豪快に笑った。

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