25.皮膚
スラム街に足を踏み入れるのは初めてではない。だがあまり来たいと思える場所でもない。
ヅッソは口に出さないまでもその居心地の悪さを全身で雄弁に語っていた。
そんな恰好でくるからさ、とフィーロは思った。
何日も風呂に入れないような奴らの町で、質のいいローブ着てそんな良い靴履いてちんたら歩いてたら周りから見られるに決まってるだろうに。
まあ、そういうフィーロの服装も、たいがい浮世離れしているのだが。
夜のスラム街。
中でも飲み屋の点在しているあたりというのはこの時間でも比較的明るい。
こうして夜遅くまで営業している店がいくつもあるからだ。入口に掛かっている篝火やオイルランプがあちらこちらにぽつぽつと燃えている。店からは酒の匂いとストレス発散の喧騒が外にまで漏れている。
目的地は飲み屋街を抜けたところだ。
フィーロはスラム街の地理に詳しい。友人も多い。珍しい素材を手に入れるために毎日のように通っていた時期がある。
「行くのは、はじめてかい?」
フィーロに問われ、ヅッソは激しく頷いた。まあ、そりゃそうだろう。
左に折れてから暗い道をしばらくあるくと、いきなりピンクのネオンが周りを照らしている場所に出た。金回りがいいのか、飲み屋街とは違い数多くの魔法の光源がそこかしこに使われている。
そこには城内では禁止されている娼館がいくつも立ち並び、煌びやかで妖艶なムードを醸し出していた。
ちかちかと派手に光る魔法の光源の連なりに、ヅッソが気後れする。
フィーロは光源もヅッソの態度も意に介すことなくどんどんと歩いてゆく。営業に出ている派手な女達にも知り合いがいるようで、時々手を上げて軽く挨拶したりもする。
目指す建物はこの一角の一番奥にある。
甘い誘いをかけてくる女を袖にしながら進むフィーロの背中をヅッソは必死で追いかけ続けた。
不意に、フィーロが足を止める。
「ここさ」
フィーロの言葉にヅッソは目の前の大きな建物を見上げる。
その建物は王宮をモチーフにしていた。建物の周りをぐるりと細い水路が流れている。スラム街には相応しくない豪華な造りだった。
入口には大理石で出来た獅子の像があり、その口からはごぼごぼと水が流れ出て水路に注ぎ込まれている。裸体の女性の像もいくつか並んでいて、桃色の光源を反射しぴかぴかと輝いていた。
店名は『
無駄にかけられた短い橋を渡り、二人の男が建物の中に入った。
「どうもどうも、ようこそ『
黒髪をぺったりと撫でつけた支配人らしき男が営業スマイルで二人に声をかける。だが二人とも客としてここに来たわけではない。
「カルーアを呼んでくれ。フィーロが来たと言えばわかるはずだ」
マーフォークの図書館で情報を集め文献を漁り、分かったことがいくつかある。
まずは竜の皮膚構造について。
竜の皮膚は五層構造になっていることが分かった。外側から硬鱗皮、軟角質層、ダイタラント層、基底層、真皮と名付けられている。
硬鱗皮は魔力を帯びており、通常の武器で傷を付けるのは難しい。ただし、魔化された武器であれば硬鱗皮とその下の軟角質層までは傷つけることが出来るようである。
問題はダイタラント層で、上階の硬鱗皮が衝撃を受けた際、その信号を受けて瞬時に硬化するというのだ。そのため硬鱗皮と軟角質層を斬りつけた刃も硬化したダイタラント層でたやすく弾かれてしまう。これが通常武器で竜を傷つけられない仕組みであった。
文献の中では“竜斬”についても言及されている。
“竜斬”の付与された武器は、この硬鱗皮がダイタラント層に送る信号を一瞬だけ遅らせることができるのだ。それによりある一定以上の速度で攻撃することが出来ればダイタラント層が硬化し始める前に切り裂くことができ、基底層、真皮を超えて内部まで刃を通過させることができるのだという。
速さの問題なのであれば、トリヤの剣術であればまず問題ないようにヅッソには思えた。彼の剣はヘカトンケイロスの太い腕をぶった斬るだけの速度と威力を兼ね備えている。
解剖図についてもそれらしきものが発見できた。
デ・ロ・ラシュは古代種の竜の中でも四足竜類、六爪目、双翼科に分類されることが分かり、文献内で同種の竜の詳細な解剖図が展開されていた。種類が近しいものであれば、そこまでの差異はないだろう。火を吹くための燃料袋が体内にあり傷つけると大変な事になるとあるのだが、双翼科の竜の燃料袋は喉にあるため、今回の手術にはとりあえず関係ない。
予想外な事に、手術の際にネックになるのが竜の血液であった。
ヅッソは皮膚に魔力があることは把握していたのだが、血液については少し失念しており、早急に対応策を考えなければならなくなった。
問題点は二つあった。
一つは竜の血の粘性の高さであった。傷口からドロドロとあふれ出て、手術の際に邪魔になるというのだ。
もう一つは縫合の問題だった。魔力の高い血液が縫い糸を浸食し、脆く変質させてしまうのだ。麻、絹、綿、羊毛どれも竜の縫合には適しない。
解決しなければ今回の手術計画自体が暗礁に乗り上げてしまう、重い課題が残ってしまったことになる。
頭を抱えたヅッソはフィーロに相談してみることにした。
手術については門外漢とはいえ、糸という意味では腕の立つ裁縫屋が何かしら解決の方法を見つけてくれるかもしれない。
「俺に聞かれても分かるわけねーだろ?」
素敵な答えが返ってきた。
「何か魔法でいい方法ないのかよ?」
「魔法か……」
「なんかこう、魔法で強い糸作るとかできねえの?」
見えない糸を出し、相手を拘束する”束縛”という魔法ならあるが、今回の件には使えそうもない。“水を繊維に”という物質変換魔法はあるが、これといって強い糸が出来るというわけでもない。
ヅッソはぶつぶつとと現存する魔法を口にするが、なかなか良い答えに辿り着かないままだ。
「いまさ、水を繊維にって、言わなかったか?」
フィーロが口を挟む。
「ああ、言ったよ?」
と、ヅッソ。
「それなんかさ、もうちょっとうまい具合にできないのか?」
前のめりになるフィーロだが、ヅッソにはいまいちピンとこない。
「ああもう分かんねえかなあ。繊維ってのは寄り合わせれば糸になんだよ。あー、何だろうなあ」
言いながらフィーロが頭を激しく掻きむしる。
掻きむしりながら唸り続ける。しばらくしてその手が唐突に止まった。
「あはっ、あははっ」
今度は突然笑い出し、ばんばんとヅッソの肩を叩く。
「いいか、よく聞けよヅッソの旦那。俺は魔法は詳しくないから無茶苦茶言ってるかもしれねえけどもし可能ならいっぺんに全部が解決するぜ」
その勢いに押され、ヅッソは思わず頷く。
「まず、そのドロドロの血を魔法で繊維に変えるんだ。そうすればむしり取って切開箇所を露出させることが出来る。次に、そのむしり取った血の繊維を縒り合せて糸を作る。この糸であれば縫合もいけるんじゃないか? 竜の血が竜の血を邪魔する確率は低いと思うんだがどうだ?」
生物の身体には自分を守ろうとする力が備わっているという。
そのため手術や“部位接合”の魔法の時などに糸や別人の部位を使うと拒絶反応というのが起こるらしい。身体が自分の身体ではないと判断し、その物質を排除しようとして化膿したり腐食したり、高熱を発したりするのだそうだ。
竜のこの糸を脆くする機能が拒絶反応の一種なのだとすれば、フィーロの言うとおり、自身の血で作成した糸を拒絶することは考えにくい。
実際、“部分接合”の魔法に使用する皮膚や骨も、本人から採取(お尻の皮や肋骨などが適していると書かれていたように記憶している)したほうが成功率が高いという。
「たしかに……それならいけるかもしれない」
ただし、これには問題がいくつもある。
残念ながらそもそも“竜の血を繊維に”という魔法の魔譜は存在しない。
“水を繊維に”の魔譜を分解、再構築してやることで“血を繊維に”という魔法をもしかしたら作り出せるかもしれないが、そのためには高度な魔法技術と魔創語への深い造詣が必要になる。しかも対象は魔力を帯びた竜の血である。竜の血の魔力を乗り越え繊維に変えるためには、かなり強い魔法技術を備えた、それこそ魔導士クラスの人材でなければいけない上に、実際の手術に立ち会うために山頂まで来てもらわなければならない。
大魔導師キュオリであれば確かに全ての条件を兼ね備えてはいるだろう。
ただ、魔譜の書き換えというのが膨大な時間を要するものである。書き換えたからと言って確実に発動するというものでもない、少しずつ修正を加え、半年一年かけて作り上げることも少なくない。
この短期間でという条件下では、いくら大魔導師といえども難しいようにも思える。
しかも師は、見た目は少年の姿をしているものの一五〇歳を超える高齢である。箱組に頼んで運ばせるにしても、山頂まで同行してもらい、さらに長い呪文詠唱で老体に負担をかけるのはどう考えても得策ではない。
魔女フレイヤはどうだろうか。条件は満たすかもしれないが、気分屋の彼女がわざわざ山頂までやってきて協力してくれるとは少し考えにくい。旅を共にした仲間が作った王国を離れ、わざわざ一人で暮らすのにはきっとそれなりに理由があるのだろう。
ヅッソにはあと一人、魔譜の分解で思い当たる魔術士がいた。
世界で初めて魔譜を分解し再構築することに成功し、天才という呼び名をほしいままにした男だ。
彼の代表作“黒い火球”は魔術士達のなかでは未だに語り草になっている。
”歪め屋”の異名を持つ、元魔導士ケティエルムーン。
もし彼の協力を得ることが出来れば、短期間で魔譜を分解し“血を繊維に”の魔法を作り上げてくれるかもしれない。
ただ、これにも懸念があった。
ケティエルムーンは重度のキスメア中毒者だという確かな噂をヅッソは知っていた。
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