18.報告

 また、深夜だった。

 男の寝室の窓枠にトラツグミが舞い降りた。

 窓枠、といっても石で積まれた壁に空いた穴の縁とでも表現するほうが正しいのかもしれない。

 建物全体が大きな石を積み上げられて作られている。王国の建築とは根本的に工法が違っていた。

 トラツグミは渡り鳥である。長距離の飛行が出来る上に夜目が効く。大陸間を往復するのに最も適していた。

 トラツグミはそのまま窓から室内に入り、敷かれた赤い絨毯の真ん中で

 身体が液体化し、膨張し、全裸でかしずく女性の姿に変わる。

「ただいま、戻りました」

 頭を垂れたまま、シェリーは言った。

「おかえり」

 と男は言った。

 中性的で端正な容貌。それとは裏腹に確固たる自信を感じさせる強い目。柔らかな銀髪を夜風になびかせ、天蓋付きの大きなベッドの上で微笑んでいる。

 フーゼル・アードベッグ。

 新興国の王であった。


 シェリーは三才で新大陸へと渡った。

 船の中で料理人として働いていた両親は、そのまま国に召し上げられ、お抱えのコックとなった。新しい地で初めて見る食材や調味料と毎日のように格闘する両親。幼い彼女の遊び相手は空想の友達だけだった。

 オンルちゃん、と彼女は呼んでいた。

 同い年の女の子。泣き虫だけど歌が上手。

 ピンクの髪。長い前髪の右目の上だけ白く透けている。

 虫が苦手でパンが好き。

 シェリーはウサギのぬいぐるみを引きずって歩きながら、架空の友達、オンルちゃんとずっとお話をして過ごす。

「あなた、おなまえは?」

「おんるちゃん」

「あなたもひとりなの?」

「うん。ひとりよ。あなたといっしょ」

「わたしといっしょ」

「しぇりーちゃんは?」

「どうしてあたしのなまえをしってるの?」

「うふふ。あなたのことはなんでもしってるのよ」

 空を眺めては話をし、石段に腰をかけては話をし、眠る前に話をする。

「どうしてよるはくらいのかしら?」

「くらいからよるっていうのよ。はんたいなの。だいたいのことははんたい」

「はんたい?」

「さかさまってことよ。さかさまであべこべ」

「あべこべ」

 周りのみんなはウサギのぬいぐるみの名前だと思っていた。変な子だと思われるのが嫌で、シェリーがそう言っていたからだ。両親でさえその言葉を疑わなかった。

 だが、それに気が付いた男がいた。

「こんにちは」

「おじさんはだあれ?」

「おじさんはおじさんさ。誰と話してるんだい?」

「……ぬいぐるみ」

「じゃないよね?」

「……うん」

 男は彼女の横にしゃがみこみ、目線を合わせる。

「お友達のお名前は?」

「おんるちゃん」

「どこにいるの?」

「わかんない。でもおはなしするの。だからいるの。ここに」

「そうか。仲良しなんだね」

「うん」

 それだけ言って男は去っていった。不思議なおじさんだなあとシェリーは思った。

 不思議なおじさんは、それからも時々廊下で出会うと、声をかけてくれた。

「お友達は元気かい?」

「うん。こないだはおかぜをひいてこんこんしてたの。いっしょにおふとんでねてあげたのよ」

「あー、それで」

「そうなの。うつされちゃったの」

 こほんこほんとシェリーが咳をしてみせる。

「お友達は元気かい?」

「きのう、けんかしちゃったの。あのこ、ごはんをのこすのよ」

「それは悪いね」

「そうなの。だからわたしがおこったの。そしたら、ごはんをのこしてもしなないからいいの、っていうのよ。でも……」

「でも?」

「ごはんをのこしてもしなないなあって、おもった」

 男は微笑む。そしてシェリーの頭を撫でた。

「君は素敵な子だ。もう少し大きくなったら魔法を教えてあげよう」

「まほう?」

「そうだよ。世界をあべこべのさかさまにできる方法だよ」

「そんなのできるの? あたしに?」

「できるよ。君には素質がある。早く大きくなるといい」

「うん」

「そのためにはご飯を残さず食べなくちゃいけないよ」

「わかった」

 その後、新興国はフーゼルの“始まりの子に関する声明”を受け、ベビーラッシュを迎えることになる。両親にも三人目の子供ができ、まわりも新生児ばかりになった。六才のシェリーもオンルちゃんと二人で遊ぶ。

「……魔法って、どんなだろうね?」

「わたししってるわ。てからひがでるのよ」

 オンルちゃんは三才のままだった。

「手から火が出ても楽しくないわ」

「えー、たのしいよ。いつでもアップルパイがやけるのよ」

「こっちの大陸ではリンゴが手に入らないって前も言ったじゃない」

 石畳に腰かけながら溜め息をつくシェリー。

 男がその頭に手を乗せる。

 シェリーは慌てて立ち上がり、挨拶をする。

「し、失礼いたしました。フーゼルで、で、陛下」

「おじさん、でいいよ」

 男が微笑む。

「よ、ようしょの頃の数々のぶれいを、お、お許し下さい」

 シェリーは深々と頭を下げた。母に教わった挨拶がうまく出てこない。

 子供のころから声をかけてくれる不思議なおじさんは、この国の王であった。

「お友達は元気かい?」

「……」

 六才のシェリーにとって、いつまでも三才のままのオンルちゃんは、少し退屈な存在になりつつあった。

「そろそろ魔法、覚えてみるかい?」

「……難しそう」

「そんなことないさ。魔法に必要なものはひとつだけだ」

「ひとつだけ」

「想像力だ」

「想像力?」

「イメージする力さ」

「……イメージ」

「世界が変化するのを想像するんだ。それを現実にする。それが魔法」

「……そんなの、できないよ」

「そんなことはないさ。君はもう魔法を使っているんだよ」

「え?」

「いるはずのないお友達を作っている」

「……」

「どうかしたかい?」

「……オンルちゃん、ずっと小さいままなの。最近、お話しててもちっとも楽しくないの……私、どうしたら……」

 石畳の上に、ぽたぽたと水滴が落ちた。

 自分でも驚くぐらいに目から涙がこぼれ落ちていた。

「おいで」

 フーゼルがしゃがんで、シェリーの小さな身体を抱き寄せる。

「寂しかったんだね」

 その言葉を引き金に、涙腺は歯止めを失った。

 フーゼルにしがみつきながら、シェリーはずっと泣き続けた。

 フーゼルは彼女が泣き続ける間、ずっと抱きしめ続けてくれた。

「……私に」

 ようやく涙が止まった頃、シェリーは言った。

「……私に魔法を、教えてください」


 石造りの寝室は”光源”の魔法を付与された燭台のおかげで、ぼんやりと明るさを保っている。

「やはり竜は、手術を行うことになりました」

 シェリーは裸であることを恥ずかしがるでもなく王に報告を行う。

「だと思ってたよ」

 男はベッドの上で胡坐をかいたままシェリーの報告を聞いている。

「魔術士ですが」

「ヅッソ、だったかな」

「はい。執刀を行う戦士を探しに北へ向かったそうです」

「それはまた悠長な話だね」

「恐らく次は」

「ミスリル」

「ええ。ミスリルで剣を作りに行くことになると」

「なるほど」

 男は右手の人差し指を空中でくるくると回した。考える時の癖だった。

「わかった、それにしよう」

 これは男の独り言だ。納得するように二度ほど頷く。

「それから、例のネックレスを箱組に渡すよう伝えています」

「なるほど。なかなかの妙案だ」

「それと、あとひとつ」

「なんだい?」

「ヅッソの暗殺を命じました」

「ほう」

 あの夜、スチルマンにもうひとつ頼んだことがあった。

 可能であればヅッソを殺してほしい、と。

 今回の件、あの魔術士さえいなくなれば計画は頓挫し、フーゼル様の思うままに事が運ぶだろうと思ったからだ。

 シェリーが兄、スチルマンに助けを求めることになったのは、本当にただの偶然だった。

 当初の予定では、誰かを誑かすつもりだった。あの時間にも起きている城内の従業員であれば誰でもよかったのだ。失敗しても魔法で何とでもできるだろうし、そもそも自分の美貌に抗える男は少ないと思っていた。勝算は高かった。

 それがたまたま兄だった。シェリーは女としての武器を使わずに事が運び、ひと手間省けたな、と思った。それだけだった。なにせ兄と別れたのは三才の時である。名前ぐらいは両親から聞いてはいたが、顔も覚えていないし他人も同然だった。

 ――できるなら、魔術士を殺して。お願い。

 シェリーの言葉に、スチルマンは長考の末、深く頷いた。

 きっとまともにナイフを扱ったこともないだろう。上手くゆけば僥倖だ。フーゼル様の邪魔をする奴なんていなくなればいい。それ以外はシェリーにとってどうでもいい瑣末なことでしかない。

「えらく思い切ったことをしたね」

「いえ、そんな。全てはフーゼル様のためですから」

「おいで」

 フーゼルに言われ、シェリーが女の顔になる。

 一糸まとわぬ姿のまま、大きなベットに飛び込むシェリーをフーゼルが抱きしめた。小さかった六才の頃とは違う、成熟した女性の身体にフーゼルが腕を回す。唇を重ね合う。

 長い長いキスを終えてから、フーゼルはベッドの脇に手を延ばした。

 手の平が人の頭ほどの大きさの水晶球に触れた。同じものがタリスカとプルトニーの乗った船にも積まれている。念話装置だ。

「……起きてたかいタリスカ。欲しいものが決まったよ」

 男は嬉しそうに言った。

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