第35話 幸せの木霊

「不思議なの」

「なにが?」

「淳平とこうしているのが、なんだかとても不思議」

「そう?」

「うん。私は、ずっとあの人とあのまま、苦しくて振り回される恋をし続けるんだって思ってた。ううん。思っていたというよりも、それ以外のことを考えたことがなくて。だから、それが私の日常になっていた。好きな絵を描いて、あの人に逢って。美味しいお茶を飲みながらも、心締め付けられる思いに涙する毎日。それが私の日常だから、それが変わるなんて少しも考えたことがなかったの。けど、今は淳平が傍にいて、私の日常は全く違うものに変わってる」

「いや?」

「ううん。うまく言えないけれど、きっと、こういうのが幸せって言うんだろうなって思うの」

 フミはそこで抱きついていた腕を解き、僕の目を見る。

「私は家族ともあまりうまく接することができないし、恋愛も下手。苦しい恋の経験はあるけれど、こんな風に、なんていうか安らぎのある恋は初めてだから、戸惑ってしまうの。もちろんそれが嫌なわけじゃなくて、本当にこんな風に幸せな気持ちになっていていいのかなって、不安なのかもしれない」

「いいに決まってるじゃん。不安なんて、感じる必要なんかないよ。フミはきっと今、本当の恋をしてるんだよ。僕と、今初めて恋をしてるんだ。それに、戸惑うなって言うのもおかしいかもしれないけれど、僕を信じて。僕、ちゃんとフミのこと大切にするから」

 ドラマでもないのに、こんなくさい台詞が自分の口から出てくるなんて思いもしなかった。こんな状況だから許されるだろうけれど、じゃなかったらとても恥ずかしすぎる。

 だけど僕は、必死だったんだ。幸せであることに不安を覚えるフミはとても脆い存在に思えて、どれだけ言葉を尽くしてでもその不安を僕が取り除いてあげなくちゃいけない。幸せであることに不安を感じる必要なんてないんだって、僕がちゃんと教えてあげなくちゃいけないって。

 フミは少し潤んだような瞳で僕を見つめ、頷きを返してくれた。それからもう一度僕の体に腕をまわして抱きつくと、ありがとう、と囁くんだ。

 大好きなフミの瞼にキスをすれば、柔らかな笑みが返ってくる。

 優しく名前を呼べば、優しく名前を呼び返してくれる。

 朝の澄んだ空気の中で、こだまのような幸せが繰り返されて、二人を優しく包み込んでいった。

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