第33話 なにやってんだ
旅館の夕食に出された料理は、目にも鮮やかでどれもめちゃくちゃ美味しかった。部屋食だったというのもあって、誰に気兼ねすることもなく大いに食事を楽しみ、さっき売店で買い損ねたビールの分を思い、アルコールもしこたま飲んだ。
コップ一杯のビールを少しずつ口に含み、フミもほんわかとした笑みを浮かべ頬を染めている。
「ねえ。あとで露天に入ろうよ」
箸を置いて窓の外にある部屋の露天風呂の方を指差すと、恥ずかしがりながらもフミが頷いてくれた。
この旅行に二人っきりできたことの意味を、フミはちゃんと理解してくれているみたいだ。
今度こそ露天風呂へ一緒に入れると思った瞬間にテンションの上がった僕は、アルコールがどんどん進んでいった。美味しい料理と大好きなフミが目の前にいる贅沢さに、ビール瓶が次々と空いていく。
このあと待ち受ける露天風呂も想像してしまえば、呑まずにはいられないというもの。
「大丈夫?」
フミに心配されるほど飲んだ僕は、確かに飲みすぎたと、しばらくしてからはしゃぎすぎている自分に気がついた。
料理もほとんど食べつくし、追加のビールもいくつ空けたかすでに判らないけれど、その満腹感や満足感が幸せな気持ちを満たしていたのは確かだった。
「ちょっと休憩」
ゴロリと床に寝転がると、行儀悪いよと叱られつつも、もう起き上がれない。天上の柄を一瞬だけ見た後、瞼はとろりと重くなり閉じてしまう。
瞼は閉じているものの、まだ意識はあるから耳だけは生きていて、仲居さんがやってきて本日の料理やお酒の方はいかがでしたか? なんて訊ねてくるのだけど、起き上がれないままの僕は目をつぶったまま、フミと仲居さんのその様子を聞いているだけだった。
僕が起き上がれずにいるのに気を遣ってか、仲居さんの、お布団敷いていきますね。なんて言っているのが聞こえてくる。
かさかさと足袋で畳の上を歩く音や、よいっしょ。なんて小さな掛け声をかけて布団を敷いている様な音を子守唄のように聞いているうちに、僕は深いところに引きづられていってしまった。
結局、途中でフミに体をゆすられ、布団の上で寝るよう言われてズリズリと移動する。
僕は思いっきり熟睡していたようで、気がつけばそのまま朝を迎えてしまっていた――――。
白み始めた外の明かりにむくりと体を起こして隣を見れば、静かな寝息を立てているフミの姿があった。
何時だろうと思うのと同時に、酷くのどが渇いているのに気づき、振り返った先のテーブルの上に見えたペットボトルまで這うようにして行った。水を手に取ると、一気飲みする。空になったボトルをテーブルに戻してから、これってフミの飲みかけかな、なんてぼんやり思う。
はっきりとしない寝ぼけた思考のまま、外にある露天風呂をみて深い後悔に襲われた。
アルコールは飲んでも飲まれるな、なんていう交通標語が頭に浮かんだけれど、飲まれたあとに浮かんだって仕方ないとうなだれる。
せっかくフミと一緒に入れるはずだった露天風呂だというのに、チャンスを逃してしまっていた。恨めしい気持で外の露天風呂と、まだ眠りについているフミとを交互に眺めた。
考えてみれば、夜には温泉街のイルミネーションだって一緒に観に行こうと思っていたのに、それさえも実行に移せていない。女の子と旅行に来たのに、何もせずにアルコールに溺れて熟睡なんて笑い話もいいところだ。
ああ……と声に出して嘆いてみても、もうどうにもならないのだけれど、往生際の悪い僕は声を出さずにはいられない。あと数時間もすればチェックアウトの時間になって、ここを去らなければいけなくなるだろう。楽しかった旅行も、飲んだくれただけで終わってしまう。
テーブルの上に置き去りにされていた携帯を拾い上げ、お揃いの湯もみ姿のキティーを指ではじいた。
「起こしてくれよなぁ」
反論のできない携帯カバーのキティに向けて愚痴ってみたところで、時間は戻りはしない。
後悔にうな垂れながら片膝を立てて、洗いざらしで何もしていない髪の毛をワシャワシャとかいているとフミが目を覚ました。
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