第32話 好き
ドアを開けて部屋に滑り込むと、二人でふーっと長い息を吐いた。
「大丈夫?」
握っていた手を放してフミに訊ねると、こくりと頷いたあとにマジマジと僕の顔を見る。
今の男の事で何か訊ねてくるのかと、警戒でもしているのだろうか。
悪いけど、そんな無粋というかデリカシーのない発言はしない。
大体、そんなことをいちいち訊くような、ちっちゃい男だってフミには思われたくない。
いきり立っている感情で肩に少し力が入っていると、フミがいつものほんわかした表情を浮かべて微笑んだ。
「髪の毛。ここのところ、クシャクシャ」
どうやら、グシャグシャにしたあとの整え方が中途半端だったのか、おかしな具合になっているみたいだ。妖怪にでも反応するように、ぴょんと立っていたりするのだろうか。
目線を上に向けてみたものの、自分の脳天を自分で見られるわけもない。
それよりも、チャラ男からフミを奪還して一息ついたところでの天然発言に僕の力が抜けていく。さすがフミだ。
もしかしたら妖怪に反応しているかもしれない脳天の髪の毛を整えて僕がキョロキョロしていると、フミが不思議そうな顔を向けるから。
「妖怪レーダーが反応しているみたいだ。フミちゃん、なんか見える?」
なんて冗談をかましていたら、クスクスと声を上げて笑ってくれるから、自分で言ってて僕も笑ってしまった。
フミの笑い声も笑い顔もこんなに近くにあって、僕は幸せだ。
いつまでもクスクスと笑っているフミのおでこを軽く突くと、頬をほんのり染めながら手櫛で僕の髪の毛をすいてくれた。
その仕草があんまりに愛しいものだから、その手をつい握り締めて引き寄せ抱きしめてしまった。
ああ。考えてみたら告白もまだだっていうのに、早まった行動を取ってしまった。
僅かながらの後悔をしつつも、胸の中におさまったフミに、少しだけ意地悪な質問をする。
「さっきの人に久しぶりに会って、ドキドキした?」
耳元へささやきかけると、慌てたように顔を上げて否定する。
「そんなんじゃないよ」
必死な顔での否定だったけど、顔と顔の距離があまりに近くてフミは驚き、みる間に顔中が熱を持ち染まっていった。
フミがドキドキしているのが伝わってくる。そのドキドキが、僕にも伝染してくる。
近すぎる距離に、お互いの心までがとても近づいた気がした。
さっき悔しくて仕方なかった、敵対心とか対抗心とか闘争心なんて、そんなもんあったっけ? てなくらい簡単にどっかへ吹き飛んでいき、ドキドキする気持ちだけに支配されていく。
いつも傍に居たのに堂々と触れたことのなかったフミの体は、ちっちゃくて華奢でとても愛おしいものだった。抱きしめる僕の体から、フミへの好きっていう想いがどんどんあふれ出していく。
熱に浮かされたようなぽわんとしたフミの表情は、まるで小さな女の子のようで、この子を大切にしなくちゃ。しっかり手を繋いでいなきゃって、ちょっと親心にも近い感情もわきあがってきた。
フミの瞳を見つめれば自然と瞼が閉じていき、言葉もないまま唇を寄せると柔らかな感触に心がはしゃぎだす。
ずっと長く一緒にいて、初めてフミとキスをした。
好きって、まだ言ってないって思いながらも、フミから香る柔らかな花のような香りに幸せで胸がいっぱいになっていく。
唇を合わせながら、僕は心の中で何度も何度も、好きという言葉を繰り返し続けていた――――。
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