第六話 大学

 私の高校から、ある大学文学部日本語専攻に進んだ。その大学の日本語専攻をしたのは私1人だけだった。だからとりあえず、友達作りから始めようと決めていた。

 オリエンテーションでは、1年生で受けるプレゼミという講義の班分けや英語のクラス分けのプリント、そして必修・選択となっている科目とその概要を記した本が配られた。この本の中に記載してある講義内容を基に、自分の時間割を作っていく。自分の好きなことが学べると、私はその本を見ながらワクワクしていた。その一方で、班分けは少し不安だった。おそらく同じ班になるのは、通路を挟んで横に座っている少女だ。いかにも不良といった様相だ。

(どうしよう。ちゃんとやっていけるかな)

 今となっては笑い話だが、その少女のことを私は隣の学部と間違って来たんじゃないかと思っていた。

 正直言って私は不安でいっぱいだったが、同じ机に座っていた女の子とは仲良くなり、とりあえず安心した。昼ご飯は、学生食堂にいた1年生5人に声をかけて一緒に食べることになった。話を聞くと、その内3人は同じ学校の出身らしい。

「話すのはこれが初めてなんだけどね」

「美夏ちゃんは有名だったよ。生徒会だったし」

「有名じゃないって」

 同じ学校という気安さからか、3人は楽しそうに話している。私はそれを黙って聞いていたが、ふと隣にいる陽子が話しかけてきた。

「ねぇ、どこ出身?」

「私はS市だよ。陽子ちゃんは?」

「私はM市!だから、今年から1人暮らしなんだ」

 同じテーブルでご飯を食べているにも関わらず、それぞれが好きなように話を続けている。

(これが大学なんだ)

「ねぇ、プレゼミどの班になった?」

 昼ご飯を食べ終わると、お嬢様風の京香がカバンからプリントを出しながら訪ねてきた。今週末からプレゼミが始まるのだ。講義は決定するまで2週間の猶予が設けられているが、受けることが決まっているプレゼミや必修科目は時間割の中に入れておく必要がある。プリントを見ると、3人、2人とそれぞれ同じ班に一緒にいるメンバーがいて私だけ1人違う班のようだ。残念だったが、講義の猶予期間に友達がまたできるかもしれない。

 私は第2言語を日本語と文法が同じだという韓国語に決めていて、京香と同じ選択になった。英語が苦手だった私は、他の言語に比べて難しくないと聞いた時に、韓国語にしようと決めていた。


「うわー必修ほとんど1限か6限じゃん。最悪」

「真ん中つめないと、暇になるね」

「どれにしよう。単位とか計算しないと」

「単位数ギリギリでいいから、これと・・・」

 みんなで集まって、それぞれ興味がある講義や必修科目を空き時間に入れる作業をした。集まっているとはいえ、受ける講義が違うこともあって自由な感じだ。その中には、初日私が苦手だと思っていた不良風の少女・香奈も入っている。美夏が中国語の講義で同じで、いい子だったからと連れてきたのだ。香奈と一緒に話していた真理もその輪に加わっている。2人とも私とプレゼミの班が同じということを聞いて、同じ班内に知っている人ができたことに私は安心した。


 私にとって大学生活は、高校生活に引き続き幸せな時間になった。少し変わっていても許してくれる友人に、自由な時間をゆっくり過ごせる毎日。


 しかし、この頃から、家に帰るのが嫌になってきたのだ。祖母の言動や祖父母の喧嘩する声、今まで我慢できていたことが我慢できなくなった。

「家を出たい。家が嫌い」

 私はそう言うようになった。

 何かと干渉されるのが嫌になったのかもしれないし、自分が言っていないことまで噂が広まる田舎にうんざりしていたのかもしれない。



 司書免許も通信制大学で取れることが分かり、それに必要なお金をアルバイトで貯めることにした。大学での時間割が確定するとすぐに、土日と平日の週に3日ビラ配りのアルバイトを始めた。そこから携帯代や交通費を出して、残りは司書免許取得のために貯金した。慣れてくると家庭教師のアルバイトもするようになった。


 そんなある日。2年生の時だったと思う。何がきっかけかは覚えていないが、夜まったく眠れない日があった。その次の日は試験という日だ。

「あっ!遅刻だ」

 起きた時間は、自分が学校に着くはずの時間だった。大学に進学する時の親との約束で、単位を落としたら退学させるという約束をしていた。

 とりあえず学校に行かないとという気持ちだけで準備をして、一時間に一本しか来ない電車に乗った。その後、どうやって学校に行ったのか断片的にしか覚えていない。


「巴?どうしたの?今、試験中だよね」

 美夏が学生ロビーで心配そうな顔をしながら声をかけた。私は美夏の顔を見るなり、涙が溢れてきた。急に泣き出した私に、美夏は優しく座るよう促して話を聞いた。そのとき、腕から見える赤い色に美夏は気づいた。

「それ・・・」

「切っちゃった」

 自傷行為をしていることはすでに話してあった。それでもやった跡を見せるのはかなり抵抗がある。

 「どうしよう。どうしよう」

 とにかく、先生に事情を話して試験の受け直しができないか相談に行こうということになった。先生が出てくるまでの間、私はひたすら「どうしよう」と思っていた。もしかしたら口に出ていたかもしれない。

 私はというとまさに顔面蒼白だったらしい。最初見たとき血の気がなくなっていたからビックリしたと美夏にあとから聞いた。

 試験時間が終了するとすぐに、私は美夏に支えてもらいながら担当の先生のところに行った。そして、ぼそぼそと自分が悪いことや試験の受け直しかレポートで単位を貰えないかということを言った。同じ講義を受けていた香奈や京香も最初私の姿を見て驚いていた様子だったが、美夏から事情を聞いたのだろう心配そうな顔で見守っている。その先生は、いつも真面目に講義に出ていた私のことを知っていてくれたらしく、レポート提出で試験の代わりにしてくれると言った。

(良かった)

「ありがとうございます」

「巴、良かったね。ありがとうございます」

「いい友達をもちましたね」

「はい」

 先生はそう言って帰って行った。

 

 それから私の自傷癖が再発した。少しでも心がみだれると切りたくなる。どんなにやめようとしてもやめようとしても治らない。切っているときが安心できた。

 友達の美夏にもかなり心配をかけた。深夜に不安感が襲って、彼氏や友達に電話をかけたこともあった。

 今では必要な経験だったと思うが、その友達には申し訳ないことをしたと反省している。それでも、いまだに友達として付き合ってくれている彼女たちに、私はとても感謝している。



 私が高校時代に通っていた心療内科が、偶然大学の近くにあったため再び病院に行くことにした。睡眠導入剤や精神安定剤などの薬を処方してもらったおかげか、少しずつではあるが自傷癖や不眠も少しずつ改善していった。

 大学時代、1つだけ私を悩ませているものがあった。これは、大学に入って気付いたのだが、文章を省略する癖である。この癖は、文章を書いて発表することを求められる文学部生としては厄介な癖で、発表のたびに先生や他の学生に質問や指摘を受ける。聞かれれば答えられるのだが、どこまで書いていいのか分からなかったのだ。今にして思えば、これは私の一種のこだわり行動だったのだと思う。


 大学3年になると、念願の司書になるための勉強を始めた。3年生になって、必要な単位数を取っていないとその通信制大学に入学する資格が取れない。幸い、単位数もクリアしていて、私が通っていた大学はダブルスクールも大丈夫だということだったので、すぐに通信制大学を受験した。

 その後無事合格するとすぐにインターネットで教科書を買い、パソコンでeラーニングという授業形態で授業を受けるためにパソコン環境も整えた。その大学はパソコンを使っての講義が主で、後はそれぞれの教科書で勉強したり、課題やレポートの提出をしたりして単位を取得していくスタイルだった。

 1つのことをずっとするのが苦手な私にはぴったりな大学だった。正規の大学に通いながら、通信制大学の課題をこなし、そして自分の交通費くらいは稼ごうとアルバイトも続けた。当時、かなりストレスがかかっていたと思うのだが、なぜだか睡眠障害は出なかった。心療内科から貰っていた薬のおかげもあるかもしれない。

 しかし何より夢に近づいていることの喜びが、私のモチベーションを維持していたのだろう。



 その頃、私が一番覚えていることがある。実家の自分の部屋でパソコンスクーリングを受けていた時のことだ。その時の講義は1日がかりで行われていたため、昼休みが50分設けられていた。午前の講義が終わり、台所に行くと仕事が休みだった母親が私のために大好きなオムライスを作ってくれていた。母親のオムライスは私にとって、ご褒美の料理だ。



――高校時代――――――――――――――――――――――――――――――

センター試験の全日程が終わって父親の運転する車で帰るとき、なぜか無性にオムライスが食べたくなった。そこで母親にメールしてオムライスを頼んだ。家に帰ってみると、母親が温かいオムライスを作って待っていてくれた。寒い外から帰って食べたオムライスは心身ともに私を温めてくれた。その日以来、オムライスは私にとって特別な食べものだ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「あっオムライスだ!」

「卵があったから。食べる?」

「うん!食べる!ありがとう」

 少し形の悪いオムライスは、いつ食べても変わらない母の味だ。お店のように濃くない味付けのチキンライスは、卵をのせてその上からケチャップをかけるとちょうどいい味になる。それからパソコンスクーリングがあるときは必ず、オムライスを作ってもらうようになった。それを食べると、私は頑張ろうという気持ちになれた。

 私の母親は、もともと料理が苦手だったという。それでも今ではなんでも手料理してくれるので、私はとても信じられない。私たち姉妹がともに好きなのは、母親の作ってくれる手作りおやつだ。母親がしている仕事の試食品として作ることもあるし、母親が作りたくて作っている時もある。




 私の大学の話に戻ろう。

 私はそれから、一番学費の安い最短コースの半年で無事に司書の単位を修得した。それからも忙しい毎日が続いた。正規の大学で友達とやっていた自主研究も大詰めを迎えていたし、当時は3年の12月から大卒の就職試験が解禁だったので、就職活動に向けての準備を始める必要があったのだ。何をしていいのか分からないまま、とりあえず就職説明会に行ったりマナー講座に行ったり、SPIといわれる就職試験の勉強をしたりした。司書になるという夢は諦められなかったがなかなか募集がない。あっても臨時や非常勤で、しかもすぐに来てほしいというものばかりで、4年生卒業まで待ってくれるものがなかった。


(やっぱり諦めた方がいいのかな)


 気が付けば自分の行きたい企業がない中、他の民間企業希望の友達は内定をもらっていた。また、公務員志望の友達は受けたい役所を決めて書類を出したり、教職志望の友達はその試験に向けて勉強したりしている時期になっていた。

 勉強しても勉強しても司書の募集がかからない。運よく募集がかかって受けても受からない。民間企業からの内定も1つももらえず、私は悩んでいた。

「司書やめようかな。なんか適当なとこに行くか、行けなかったらパートとかアルバイトしてお金稼ごうかな」

 私は同じゼミで卒業論文を書いていた美夏に思わず愚痴っていた。彼女は教職を目指して勉強をしていた。

「巴がそう思うなら、それでいいけどさ。それで納得できる?」

「できないけど、納得しないとしょうがないじゃん」

 次の日。私は美夏から手紙をもらった。

 帰って読むように言われて、私は帰宅するとすぐに自室で手紙を読んだ。

 内容は詳しく書かないが、自分で決めたことなのだから、自分が納得するまで頑張ってみたらどうかというようなことが書いてあった。その手紙を読んで私は涙が出た。

 今でもその手紙は私の手帳に挟んであり、心が折れそうになったときに読んで初心に帰るようにしている。



 4年生の12月。ほとんどの友達が進路を決めていた。私は司書の募集が出ていないか、いつものように図書館司書のサイトを開いた。すると、市で臨時の図書館補助を募集しているというものがあった。最長で5年まで契約を延長することができ、来年度の4月から学校で図書館の先生として勤務できるという。勤務時間が短いせいか、給料は低いが、実家から通えばなんとかなるかもしれない。私はその募集要項を読んで、すぐに市役所に応募の書類を送った。

 試験は作文と面接。

 作文は自信あるが、面接は今までいろんな企業に落とされているのであまり自信がなかった。

「巴が、本が好きでどういうことを子どもにしたいかを伝えれば大丈夫だよ」

「うん。そうだよね!」

 家を出る前、母親はそう言って励ましてくれた。

 試験会場には、小さい子どもを持つ母親の姿が多かった。なぜ分かったかというと、待ち時間に話をしてその人達に聞いたからだ。作文はすでに郵送で提出済みであり、面接会場に呼ばれた人たちはみな、作文試験をパスした人ばかりだ。

 面接は、希望する地区の校長が担当することになっている。

「本が好きか」「貴方にとって読書とは?」「他の職員とうまくやれなかったら?」など民間企業でも聞かれた質問や司書ならではの質問がされた。

 これで将来が決まると思うと緊張したが、自分の思いをちゃんと話すことができたように思えた。発表は2月末と遅く、勤務地の発表は3月の中旬になるという。

 その間私は、仲の良かった京香と美夏と3人で卒業旅行に出かけた。貯金のほとんどを司書免許のために使っていた私は、母親にお金を少し借りて旅行に行った。

 人生初の海外旅行であったが、旅行に慣れている京香と英語ができる美夏となら安心していけた。2月の台湾は、日本でいうところの5月だろうか。ヒートテックや上着は要らなかった。道に迷ったり、変な果物を食べたりといろいろあったが、楽しい思い出になった。一番美味しかったのが、夜市で食べたイチゴ飴というのが笑える話ではあったが…。


 日本に帰ってくると、市職員から連絡が入り、違う地区なら雇えるとのことだった。その地区は少し遠かったこともあり私は悩んだが、行けない距離ではないと思い、とりあえず大丈夫だと答えた。

 しかしそれから数日後のことだ。

 辞退者がでたということで、急遽希望していた地区の小学校で勤務できることになった。繰り上げ合格のような形ではあったが、合格は合格だ。やっと一歩踏み出したと私はほっと胸を撫で下ろした。


 卒業式は晴れやかな気持ちで迎えることができた。

 美夏は大学院に進むことが決まっていた。しかし京香は海外に語学留学をすることを卒業式まで言わず、私たちを心配させた。

 楽しい大学生活も終わり、それぞれの道を進んでいくことになった。

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