第四話 中学校

 中学は自分の実力不足というのもあって、嫌々仕方なく地元の公立に進んだ。自転車で20分、その後自転車置き場から山を登って5分。山の上にある中学校は、近くにある2つの小さな小学校から生徒が集まる。

 私が中学生なる前にまずおこなったのは、自転車の練習だった。小学校時代、学校は歩いてすぐのところにあったし、友達の家は踏切を越えて行かなければならなかったため、自転車に乗る必要がなかった。しかし中学校ではそうはいかない。

 朝起きが苦手な私は、自転車で中学校まで通う必要がある。1日中、自転車から何度も何度も転びながら練習を続けた。普通は自転車くらい乗れる。そう周りが言っていて、ひたすら私は「フツウ」を目指していた。


 中学校の最初の頃を私は覚えていない。多分、慣れることに必死であったのだろう。


 しかし体育大会が終わったころからだったと思うが、私は友達の態度に異変を感じ、疎外感を感じて学校を休みがちになってしまった。学校に行こうとすると、自然に涙が溢れてきてしまうのだ。

この頃、学校では仲の良かった麻衣や真子も私とあまり話してくれなくなっていた。

それから私は、特にグループ活動の多い体育の授業がある日は学校を休んだ。また同じ頃、入っていたソフトテニス部を辞めた。

 学校を休むのに、特に理由があったわけではなかったように思う。強いて言えば、学校の雰囲気に馴染むことができなかったことだろう。

 私が休むたびに、担任や近所の友達がプリントを届けてくれたり、顔を見に来てくれたりした。母親は、私に彼らを会わせようとしたが、頑として会おうとはしなかった。人と会うことが嫌で嫌で仕方なかったのだ。

(学校に行けない。行きたくない)

 嫌だ嫌だと考えるうちに、リストカットをするようになった。左手首だけを集中的にやっていた。


特に担任や保健室の先生は、私に学校に来るようにすごく説得してくれた。でも、私は保健室の先生が苦手で、話し方が苦手で、保健室登校も最初はすごく渋っていた。

 そのせいで、私にプリントを届けてくれていた友達に同情の目が集まり、私はさらに孤立していった。私が悪いというのは、分かっていた。それでも、友達にあうと元気なふりをしたり、反抗しているだけだというふりをしたりするのがきつかった。


 自分の人間関係作りの下手さや勉強に対する傲慢さが招いたことかもしれないと思い、私はどんどん自信を無くしていった。

 こんな状況をどうにかしたいと、病院に行きたいと言っていたが、誰も取り合ってはくれなかった。



 私が休んでいたとき、学校で授業参観があったらしい。「らしい」というのは、私は行っていないし、プリントもまともに見なかったからだ。なぜか母は、私のいない授業参観に行っていた。教室の雰囲気や、私が行かない理由を知りたかったそうだ。

「私が行ったら、みんなこそこそ言っててね、チラチラこっち見るし、ともの友達は変わったねー」

 帰るなり、母は私にそう言った。娘が休んでいるところに行っているのだから、不思議の思うのは当たり前だろうと私は答えた。しかし母が言うには、教室の雰囲気も嫌な感じだったらしい。

 私がいないのに学校に行くのは少し嫌だったが、母が私の気持ちを少しは分かってくれたかなと思い、安心した。


 それからも半日学校を休んだり、保健室登校をしたりした。おそらく、先生から言われたのだろう。クラスメートが、保健室で勉強している私のところに来て、話して行くこともあった。それに気を許して教室に行くと、誰とも話せないし、話しかけることができない。結局私は、テストだけ受けて帰ったり、午後から帰ったりを繰り返した。そうやって1学期を過ごし夏休みになった。

 この頃になると、私が不登校気味であることは中学校全体だけでなく、小学校時代の担任や図書の先生、前に行っていた塾の先生にまで話が伝わり、電話や手紙が届くようになった。

 特に私を元気づけてくれたのは、図書の先生との再会だ。先生は、私の話を聞いてくれたり、買い物に連れ出してくれたりした。そして学校のことは一切聞かずに、本の話や図書室での思い出話をして過ごした。さらに、私が新聞に投稿した童話が掲載されたことをきっかけに、自分に自信を(僅かではあるが)取り戻していった。

 2学期になると、不思議と学校に行けるようになった。クラスには馴染むことができなかったが、隣のクラスにリナという友達ができた。真子が紹介してくれたすごくテンションの高いリナにひっぱられるような形で、私は学校生活を送ることになった。リナは、それから高校に上がってからも私のことをいろんな意味で救ってくれる存在となる。

 私がすんなり学校生活に戻れたのには、友達ともう1つやはり勉強があった。休んでいたにも関わらず、自分でいうのもなんだがある程度勉強ができた私は、休んでいる間も教科書を読んだり、問題を解いたりしていたおかげか、授業についていくことができたのだ。


 2年生になると、クラス替えがある。クラス替えといっても2クラスしかないため、ほとんど知っている顔である。

 そこで私は、男の子からいわれのない嫌がらせを受けることになった。机にゴミやものを置かれる。近くを通るとなぜか悪口を言われる。用事があって話しかけても、からかわれて相手にしてもらえない。小学校までは普通に接していた地元の友達だったのに、急に態度が変わったその子に私自身すごく戸惑った。その上、修学旅行では美鈴をはじめとして、あまり仲の良くない友達と班をつくることになり、小学校とともに修学旅行は良い思い出とはならなかった。

 2年生からソフトテニス部に復帰したものの、誘ってくれた友達はなぜかその後部活を辞め、私は一つ下の後輩とペアを組むことになってしまった。多分、後輩も戸惑ったことだろう。みんなよりも遅れていて、さらに下手な私はプライドがズタズタになりながらもどうにか3年の引退まで頑張った。後からソフトテニス部に入ってきた妹の方が上手いぐらいであった。

 もう1つ、うちの学校に変化があった。転校生が来たのだ。彼女は、髪を茶色に染めて(自称・地毛)化粧もしていて、やんちゃな子達とつるんでいた。そのなかには美鈴もいた。話したこともないのに、美鈴と話しているのを聞いて「巴ちゃん、ウケる。面白いね」と言われた。意味がわからなかった。

 彼女は、田舎のヤンキーになりたい子達の指針になっていたようだ。おかげで、もともと悪かった学校は、さらに風紀が乱れていた。


 相変わらず学校生活に馴染まず、周りとの言いようのない違和感が消えることはなかった。みんなが言っていることや、反抗していることが分からなかった。

 進学を考える際には、通信制の高校に行きたいと言ったくらいだ。


 3年になると、クラスのほとんどが受験モードになった。塾に行く人がほとんどという状態になった。私はというと、小学校時代に行っていた塾を辞めていたので、通信教育で受験対策をしていた。

 どうにか続けていた部活を引退した私は、地元で仲の良かった友達の真子と一緒に帰っていた。お互いに漫画やアニメが好きで、学校の話だけでなく趣味の話や考え方も合った。真子は誰からも好かれていた。いつも笑顔で、できないことがあっても、そのことで馬鹿にされるようなことはなく、逆にそのことを人から認めてもらえるような魅力を持っていた。そして絵を描くことが上手で、将来はそういう仕事に就くのだときっと誰もが思っていた。

 真子と帰り道の途中で他愛ない話をして、18時頃慌てて家に帰る。これが私の放課後の過ごし方になった。学校に行けなかった私が、友達と遅くまで話し込んで帰って来るなど、きっと母親は想像していなかっただろう。少し怒りながらも、その表情は嬉しそうであった。


 勉強をしていくうちに、私は中学1年の時に休んでいたツケを払うこととなった。英語が飛び抜けて悪かったのだ。そこで、母の知り合いにお願いして、家庭教師をしてもらうことになった。おかげで、基礎を最低限理解することができた。


 さて、進路相談のための二者面談や三者面談の時期がやってくる。私は一貫して、普通高校に通うことを拒否していた。将来は本に関わる仕事、特に司書になりたいという夢は持っていたが、普通高校で自分がやっていけるか自信がなかったのだ。

「私は、田根森学園高校に行きたい。そこなら通信制もあるから、働きながらでも勉強ができる」

「あそこは遠いから、近くの于手野うての高校に行きなさい。あそこだったら、巴の好きな勉強もできるし、朝からお母さんが送ってあげることもできるから」

 面談や何かあるごとに、進路についての相談を母親とした。通信がダメなら、高校と大学が一貫の学校に行きたいと言ったこともある。しかしそれは、金銭的な問題で却下となった。科目が選択できる自由な学校も行きたいと思ったが、あまりに遠すぎて、今の体力では無理だという話になった。

 そもそも、当時の私の成績では、于手野高校はギリギリのラインだったのだ。


―そして、最終の3者面談の日―

「先生、私は田根森学園高校に行きたいんですけど」

「君の成績なら、于手野高校でも行けるよ」

「そうよ。于手野高校にしておきなさい。同じレベルの人たちがたくさんいるから、きっと大丈夫よ」

 母と先生に説得され、私は于手野高校を目指すことになった。パンフレットで調べてみると、持久走大会はなく、競歩大会というものがあるらしい。2年生からは目指す進路別にクラス替えが行われる。これなら、自分と同じ目標の人たち勉強できるかもしれないと思った。それからは、今まで以上に受験勉強に励んだ。塾に行くつもりはなかったから、県模試を受けたり、高校受験用の問題集を買って解いたりした。


 私が高校受験をした時は、前期選抜試験と後期選抜試験がある頃である。私は試しに前期試験を受けることにした。もちろん、小論文の練習もやった。でも、結果は不合格。ダメ元で受けたのは分かっていたが、結果を聞いたときは悔しくて泣いてしまった。

 前期で合格した子達や私立に行く子達は、楽しそうにしている。その一方で後期がある私たちはピリピリしていた。険悪なムードになったこともある。

 後期試験で、どうにか于手野高校に合格したが、入学時の成績は下から数えた方が早いくらいだった。



 とにかく、私は無事に高校へ進学することになった。仲の良かった真子は隣の高校に行くことになり離れてしまったが、リナが一緒の高校に行けることになったので、とりあえずは安心していた。

 卒業近くになると、同じ高校に行く人同士が一緒にいることが多くなり、私はリナと仲の良い圭織とも仲良くなった。

 卒業式も無事に終えて、春休みは高校からの課題に追われる毎日となった。リナや圭織と一緒に勉強したり、高校生になるための準備物の確認をしたりと忙しかったが、私はとても楽しかったのを覚えている。


 これから進学校に行って、自分がやっていけるのか、ちゃんと卒業できるのか不安でいっぱいだったが、それよりも嫌だった中学校を出て新しい世界に行ける喜びの方が大きかったのだ。


 卒業以来、中学校には行っていない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます