第十話 学校司書3年目

 今年で司書3年目になる。


 最近は寝る前や仕事中に気持ちがモヤモヤしたり、暑くもないのに汗をかいたりして自律神経がおかしくなっていたので…病院から自律神経を整える薬を処方してもらっている。


 私は整理整頓だったり、先生達のようにたくさんの仕事を抱えたりすることが苦手だ。配布資料は必ず見えるところに置いておかないと忘れることが多い。

 誰にでもあるかもしれない。しかし、私の場合やろうと思っても、出来ない。何からはじめて良いのか分からないのだ。どこをどうさわれば良いのか全く分からない。それがすごく辛い。

 したくなくてしないことは私にだってある。運動はその最たることだ。

その一方で、掃除や整理はやろうと思っても進まないし終わらない。やってもやっても、綺麗にしたら?と周りに言われる。


 しかし、不思議なことに、私は周りからしっかりしていると言われることが多い。見た目の問題もあるかもしれない。感情をあまり表に出さないし、少しのことでは動じないこともあるだろう。それに、言われたことはある程度はできるし、今の仕事は私の好きなことだからなんとか出来ている。

 実家では、そのしっかりしているというイメージが重みとなっていたようだ。親や親戚からずっと「しっかりしている」といわれてきた。

「ちゃんとしなきゃ」

「しっかりしなきゃ」

「真面目に、きちんと、コツコツと」

 なんとなく、周囲からの私に対するイメージを守ろう、良い子でいようとしていたところがある。

 しかしそれは、私が小学生時代から身に付けた処世術だと思う。いじめられていた時、反応すればさらにからかわれることが分かっていた。しっかりして、真面目にしていれば、皆に必要としてもらえると思っていた。 だから、私は友達というのは、利害関係で成り立っていると本気で大学時代まで思っていたのだ。


 主治医の先生曰く「あなたは、もともと衝動的で、好奇心旺盛で、天真爛漫な性格だと思うよ。でも、それじゃだめだっていう上からの重しが重すぎて、出来なくなってる。僕たちの世界では、そういうのを超自我っていうんだけどね」


【超自我】自分の行動を第三者の視点で見ていること。監視しているように見るため、自縄自縛状態になる。


 なるほど。周りに期待に応えようとした結果、自分で自分の理想像を作ってしまったのだ。しかも、私の場合は、自分を批判しながら監視しているらしい。そりゃ、悪化するわけである。

 ずっと心にモヤモヤがあったのは、本当の自分が出せていないからなのだ。しかしそんなことを言われても、十数年も今の私なのだから、そう簡単に変えられるわけはない。まだまだ課題は多そうだ。



 司書3年目で、今までやってきたことを定着させて、さらに新しいことを取り入れていこうとしていた矢先のことだ。

熊本で地震が起きた。震度7以上の大きなものだ。みんな、想定していなかった。しかも、そのあとの余震が今もなお続いている。

 前震の夜、公園にいて余震が怖くて眠れなかった。本震のときは、夜中に鏡が倒れる音で起こされて、停電して暗い中を、アパートの人達と避難した。そして再び公園で夜を明かした。その結果、自律神経のバランスが崩れてしまって、食欲が減退した。また、いくら寝ても熟睡出来ない毎日が続いた。

 もともとストレスに弱く、環境の変化や音に敏感なため、地震という非常事態が引き金となって、心と体のバランスが壊れた気がした。当然と言えば、当然の結果だ。

(みんな、同じだ)

 自分にそう言い聞かせながら、死にたいという思いを押し殺していた。


 震災の前後くらいから、常用しているコンサータがあまり効かなくなった。元々一番弱い量をもらっていたので、増やすことは可能だという。しかし増やしても、また体が慣れてしまったら、また効きにくくなると言われた。

それじゃいたちごっこだ。

 結局私は、薬を増やさないことにして、自分の心の持ち方や考え方を変える治療を続けることにした。

 平行してやっているケロイドの治療もだいぶん進んでいる。膨らみもなくなり、跡も少しずつ薄くなっている。



 地震の影響からか、実家から帰るように言われるようになった。しかし帰っても緊張感が解けないため、あまり帰らないようにしている。以前の私なら、求められるままに言うことを聞いていただろう。しかし、自分がしたいことやしたくないことを自分で決める。主治医の先生と、治療の一環として決めていた。少し心苦しいし、相手の気持ちになると申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、自分の気持ちに正直に生きると、心のストレスはないことが分かった。



 自分の心に正直に生きること。現代社会では難しいように感じるだろう。仕事や学校、家事などすることはたくさんある。それはもちろんそうだ。しかし、そうではなくて、自分の心に従えるところは従うということも必要だということが言いたい。

例えば、プライベートで、自分の行動を取捨選択する。したいこと、行きたいところに行くことなどがそうだろう。

 今私は、その訓練の最中だ。自分がどう変わっていくのか不安だが、生きやすい方向にいくといいなと思っている。


 司書3年目で、こんなことが起きて、いろいろと予定が変わったが、なんとか対応できているのは、やはり慣れもあるが、周囲の理解ある先生方の助けが大きい。

感謝感謝の毎日だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る