発達の凸凹が分かった

第九話 学校司書2年目

 私が高校の学校司書になって2年目に突入した。


 昨年度末には朝読書に向けた学級文庫の導入もして、図書委員の仕事が少しだけ増えた。


 卒業式も無事に終わって新しい三役も決まり、今年度から学期に1回ではあるものの、朝読書を取り入れるという図書部として新たな試みが始まる。

 朝読書の始動に伴い、階段横での出張図書館や朝からの図書館開館をすることにした。まずは生徒に図書館に来てもらうこと、本に親しんでもらうことが大事なのだ。

 新しい委員長は、とにかく図書委員会を活動的にすることと貸出冊数を増やすことを目標にしていた。そこで月に一回図書委員会を行なって、図書委員に学級文庫を責任持って管理することや延滞図書の督促を行うことをお願いしたり、文化発表会に向けてメンバー決めをしたりした。

 今まで図書委員会の開催が学期に一回だったのが月に一回に増えたことで、中には不満の声もあった。それでも図書委員同士の顔合わせの回数が増えたことは彼らにとっても良いことだと私は思った。


 すこしだけ、張り切りすぎたのかもしれない。エンジン全開!フルパワーって感じでやり過ぎたのかもしれない。

だんだんと、疲れがではじめて、その疲れがとれなくなってきた。でも私は、新学期が始まったばかりだから、緊張してるのかもと思っていた。


 2年目になるとさすがに色々と学校行事の中でも任されることが多くなる。体育祭の接待のチーフ的ポジションになって、私はそのプレッシャーからか体調を崩した。

(死んでしまいたい。もうやだ。消えたい)

そう思う日々が続いて、心療内科に再び通うことになった。

「よく1年間やれたね。今回は、社会人にもなったし、あなたのその性格や考え方を変えていくような治療をしていきましょう」

「治るでしょうか」

「そりゃあなた次第だけど、僕はできると思うよ」

 それから私は、以前貰っていたのとは違う薬を処方してもらった。抗不安薬である。

 その薬は副作用が出にくいものだということだった。しかし軽めの副作用があるかもしれないとも言われていた。しかし、まさか朝立てないほどの副作用が出るとは思ってもみなかった。

 薬の副作用によって、体がものすごく重くてだるかった。例えるならば、長い距離を全力疾走した後に、無理矢理食べ物を食べさせられて気持ちが悪くなったような感覚だ。吐き気とダルさが同時に来た。


 体育祭前日。とにかく仕事だと思って、私が重い身体を引きずりながら這うようにして学校に行くと、事務の先生に止められ家に帰るよう促された。次の日の本番も来ないで休んでいるようにと言われ、私は有難く家で休ませてもらうことにした。その日は一日気持ちが悪く、薬を飲むためにゼリーをなんとか食べるくらいだった。

 



 その頃彼氏はというと、まだ県外に出張で帰って来ていなかった。それでも電話やLINEをよく送ってくれていたので、すごく心強かった。彼の存在は私の支えだ。


 薬も飲み続けているとだんだん体が薬に慣れ、一応は普通に仕事ができるようになっていった。仕事中なのに仕事に集中できなかったり、イライラしたりすることもあったが、それは仕事をしていれば誰にでもある普通のことだと思って気に留めなかった。



 私がADHDだと言われたのは、それから約半年後のことだ。

 

 あまりにも仕事に集中できず、生徒の言動にイライラするということを主治医の先生に話すと【ある薬】を処方された。


 それがADHDを改善するための薬【コンサータ】である。


 それは近年まで子どもにしか処方できなかったが、大人にも処方ができるようになった薬だ。私の場合、10時間程集中力を高め、イライラやモヤモヤする気持ちを抑えてくれる。その効果が切れると、自分でも薬の効果が切れたことが分かるくらいの差があった。体が慣れてくると効果も薄くなるらしいのだが、今のところ支障はないので増やさずに済んでいる。

 最初、私が発達障害だと分かったとき、今までの自分の生きにくさの原因が分かってホッとしたと同時に「私は普通なのになんで!?」という思いに駆られた。


 それからしばらく私は、カウンセリングの度に主治医の先生に対して、本や漫画で見る人のようなことはないので私は違うのではないかということをよく話した。

「先生。私、多動とか忘れっぽいとかそんなひどくないですよ」

「でも、ごちゃごちゃ考えるでしょ」

「まぁ、はい。でもそれって普通でしょう?」

「そこまで複雑に考えないし、他人の気持ちまで考えて自分の行動を決めたりはあんまりしないよ」

「そうでしょうか。でも、ADHDの特性って普通の人でもありゆることですよね」

「そうだね。でも、それが日常に支障をきたすレベルの人がADHDって診断されるんだよ」

「私、支障をきたしているんでしょうか」

「支障をきたしているから、学校休んだり、心が困ったりしてるんでしょ」

「あぁ、そうか(笑)」

「貴女は元々の能力が高いから、それらでカバーできていたんですよ。でも、今の仕事のように、能力以上のことを望まれるとカバーしていた能力ではそれに対応できなくなって、症状がでてきちゃったんでしょうね」

 褒められてるのか、そうじゃないのか分からないが、コンサータが効いているということは、私はADHD的な脳を持っているのだろう。



 このことを彼氏に話すと、彼もショックだったらしく、結婚を考え直すというようなことを言った。

 その彼の言葉も、私にはショックだった。

 私はそれで泣き出してしまった。

「私がこんなんだから、そんなこと言うの」

「違うって。でも、今まで治そうとか治るとか言ってごめんね」

「ううん。私も治るって思ってたから」

「ともも辛いよね。ごめんね」

「私はフツウなのに、なんで。頑張っても頑張ってもできない。仕方がない。だって、生まれつきのものなんだもん。今まで私が努力して直そうとしてたことは無駄だったの?今までのことが否定されたみたいで辛い」


 発達障害だから仕方ない。

生まれつきそういう脳を持っていうのだから仕方がない。

 それは、今まで自分が努力で改善できると思ってやってきたことを否定されたような気持だった。同時に、だからできなかったんだという安心感もあり、脳の発達のせいに全てしてしまいそうになる自分も嫌になっていた。

 そのときは本当に心が不安定で、どうしたらいいか分からなかったというのが一番近い感情だったと思う。 


 

 年を越して、勇気を出して母親には打ち明けることができた。少し変だとは思っていたけど、そうだったんだという反応が返ってきた。

 私は私の苦手なところやADHDとしての特性を知って、「フツウ」を目指そうと決めた。だって人間「フツウ」が一番だから。そう信じていた。

 そんなとき、ある先生が「卯月さんは卯月さんのままでいいんじゃない?私は卯月さんは良いところいっぱいあると思うよ。それに、普通ってよくわからないし」と言ってくれた。

 そして彼氏もいろいろ考えてくれていたらしく「ともはともだから」と言って、少しずつでもネガティブな所を直していこうと言ってくれた。




 それから現在。

私はこれからできる限り司書を続けていこうと思っている。いまだに自分の良い所なんて分からないし、怠惰で自分はダメ人間だという気持ちは消えない。死んでしまいたいと思うことだってある。劣等感の塊で、自己評価は低いし、他人が羨ましくてしょうがない。

 それでも、毎日毎日少しずつ生きている。

 

 心療内科でお世話になっている主治医の先生に、今年の目標は何かと聞かれたことがあった。

「とにかく生きることです」

「そうですね」

 私は答えた。とにかく生きること。それが今の私の精いっぱいなのだ。

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