恐怖との対抗
アノスの怒声により、霞蜘蛛の怒りのケージがオーバーフローした。
ほぼ瀕死に近い状態であるにも関わらず、亜種は霜のこびり付く足を動かして巨体を無理矢理突撃させる。
その突っ込んで来る重機に勝るとも劣らない迫力に、奴との最初の戦いが脳裏に過ぎった。
フラッシュバックする牙や食肢、異常に硬い糸の塊等、一つも色褪せることのない恐怖が、今一度アノスを戦慄させる。
しかし、今はそれごときに慄いている場合ではない。眼前に迫る亜種を出来るだけ引き付け、仲間から距離を離さねばならない。
最低でもファスティスが目覚めるまで。それがいつになるか分からないが、現時点でのアノスの役割はその時が来るまでの時間稼ぎをすることだ。
「……っ、こっちだ!」
沸き上がる恐怖心を拒絶し、虚勢の蓋で抑えつける。
そして、向かって左側に移動し、亜種の注意を引くと、思惑通り亜種は方向を転換させてアノスの走る方へと軌道を修正した。
ここまでは作戦に沿って進んでいる。後は、このまま真っ直ぐ走って遠くに誘導し、時間を稼ぐだけである。
後ろを確認し、亜種の奥に隠れる三人を確認。
移動を終え、早速ファスティス復活のためにバッグから様々なアイテムを取り出している姿が見えた。
「早めに頼むぞ……!」
誰にも聞こえることのない小さな追い立てを呟くと、前方を見直して加速する。
囮の速度上昇に、亜種は瀕死故の鈍足ながらも粘着質にその後を追い続けてくれていた。
†
「これでも、食らいやがれっ!」
そこそこの距離までの引き付けに成功したアノスは、鈍く輝くレーヴァテインで通り過ぎた低木や育ち切れていない木を後方に飛ぶように薙ぎ払った。
切れ味の高い神器の一閃は滑らかな切断面を残し、分離した葉の生る部分が後方の霞蜘蛛へと向かっていく。
無論、こんな物が堅い甲殻を持つモンスターに通じるとは思っていない。そう、普通の武器ならばの話だ。
切り飛ばされた数本の木端は、切断面から激しい白銀の爆発を起こして亜種へ爆撃する。特性スキルによる爆破効果付与によって爆発物へと変貌したのだ。
それを仕掛けたアノス本人も驚く程その攻撃は霞蜘蛛に効いており、八足の進撃を一時中断までに追いやることに成功する。
「多分、頭の傷に爆破の衝撃が当たったのかな? 霞蜘蛛は頭部分の中身が弱点だったから、間違いないはず」
脳内に浮かぶゲーム時代の情報を基に、ダメージを与えた原因を推測する。
我ながら良いアイデアである。アノスは早速怯むモンスターの隙を突いて地面に落ちている石ころに目を付けた。
鈍い紅色に光る刃に石ころを当てると、触れた部分が僅かに欠ける。制限時間はものの数秒。
「食らえ、即席手榴弾ッ!」
野球のピッチャーを脳内でイメージ&シンクロさせながら、大きく振りかぶって投擲。フォームこそ猿真似だが、アノスの身体能力の高さがそれをカバーし、見事亜種の腹部に命中する。
そして、爆発。今の爆発には銀の風以外に小さな粒が放射状に拡散して霞蜘蛛の体や周囲の遮蔽物に食い込み、更なるダメージが加算される。
石を爆破させたため、その破片が本物の手榴弾と同じ原理で飛び散ったのだ。
「いよっし! 良い感じだ。このまま二つ目を──って、もう石が無ぇ!」
いよいよ本格的に弱り始めてきた霞蜘蛛を前に、意気揚々と第二射の準備をしている最中、不幸にも先ほど投げたあれが最初で最後の物だったようで、周りを見ても石らしき物体は落ちていなかった。
その分、木から落ちた枝葉が大量にあるが、どうにもダーツのように棒を真っ直ぐ垂直に飛ばせる自身が無いために、使う気にはなれない。
「ちっ、だけどこれで十分。後は俺自身で倒す!」
身の不幸にもめげず、アノスは愛剣を構え直して対敵する。
本日何度目となる霞蜘蛛との対峙だろうか。状況は幾分かは違えど、このように目の前に巨大なモンスターが居るというのは馴れないものだ。
ファスティスのおかげでこうして弱った亜種を前に優勢になっているものの、やはり怖いものは怖い。
何せ今は一人。ミラもスメラギも居ない、真の意味での一対一。その新たな要因が虚勢で抑えていた感情を少しずつ蘇らせていた。
剣先から柄を握る手、そこから肩まで繋がる腕は細かく震えている。腕だけではない。脚も同じように孤独に怯えていた。
「落ち着け……。こんな時こそ平常心だろ……!」
口呼吸で澄み切った自然の空気を吸収。そして邪念と共にそれを吐き出し、高鳴る鼓動の鎮静を繰り返す。
──いける、いける、いける。絶対にいける。
そう自己暗示で己を鼓舞し、頭の端に浮かぶもしもの状況を払拭させる。代わりに頭に浮かばせるのは勝利の想像だ。
勝てれば人としてのレベルアップ。負けて死んでも元の世界に戻るワンチャンス。前向き思考で考えをまとめ上げ、アノスは再戦の覚悟をもう一度決めた。
「うぉおおお!!」
走る。ゼロ距離助走からの最高速度で出撃し、レーヴァテインを水平に構えた。
判断能力の鈍った亜種は、アノスの接近を易々と許してしまう。
危険──。そう有るかどうかすら曖昧な霞蜘蛛の知能は判断するが、それはアノス自身も同じだ。
自分から恐怖対象に迫る行為に発生する戦慄は計り知れない。近付く度に、忌々しい記憶が盾となって接近という行為を邪魔するのだ。
このまま行けば確実に攻撃は命中し、亜種に大ダメージを与えることが出来る。しかし、記憶と体に塗り込まれた恐怖がそれを躊躇わせていた。
「怖がるな怖がるな怖がるな……!」
徐々に迫る恐怖の根源を前に、己を維持する鼓舞を再開する。
もし、ここで思わぬ反撃があり、あの時同様になってしまったら──。そうなると、助けてくれる者が居ないので今度こそ終わりとなる。
止めどなく溢れ出る負の感情は、無理矢理叩き起こした気合いと押し殺そうとしていた。
「この世界から脱出出来る方法が見つかるまでこの世界で生きるって決めたんだ。だから、ここで立ち止まっちまう訳には──」
──いかない!
刹那、自分の中で何かが弾ける音が聞こえた。
視界に映る光景は急速に遅くなり、全てがスローモーションのようなゆっくりとした時間が流れる。
それだけではない。最初に戦った腐毒龍の時のような謎の高揚感や体の内側から漏れ出す不可解な清涼感が再び現れ、あろう事か先程まで存在していた恐怖という感情を無に帰したのだ。
この瞬間、霧散した負の感情の代わりに、一つの感情がアノスの胸中を支配した。
迫る自分。近付く亜種。
迫る自分。近付く亜種。
迫る自分。近付く亜種。
迫る自分。近付く亜種。
迫る自分。近付く──亜種!!
寸での瞬間に見捉えた七つの単眼の一つ。そこに、必死の形相で剣を構える見慣れない
そして、レーヴァテインの輝きが一層強くなる。紅い光がアノスの前に一線を引く。
言葉にならない絶叫が、深部中に響き渡った。
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