朝食と絶叫

 しばらくして、アノスにも朝霧の薫るイグドの酒蒸しなる料理が運ばれて来た。


 見た目は盛り付けに多少の雑さは有ったものの、酒蒸しというよりもアクアパッツァ……。俗に言う欧州風水炊きに近い見た目をしていた。料理名にもある『イグド』とはおそらく皿の中央にある首のない鯛に似た赤い皮の魚の名前であろう。


 少なくとも拳ステーキのような一目で食欲を減退させる様なグロテスクな料理ではないことだけは確かだ。


 余談だが、ミラが寝言で言っていた「転がる」に関してだが、この料理に転がる要素は皆無だった。やはりあれはミラの浅はかな夢の中の話だったようである。


 話は戻り、味の方だが普通に美味しかった。

 かつて瀬維だった頃に行ったイタリア料理の店で食べたアクアパッツァよりも濃い味付けではあったものの、食欲が少し薄れていたのにも関わらず胃はすんなりとそれを受け入れてくれた。


 だが、先に拳ステーキを食べ終えたミラが物凄いメシの顔で無言の要求をしてきたので、料理を奢ってもらっていることも踏まえ、半分残った酒蒸しを全てミラに譲渡してアノスの朝食は早々に終わってしまう。


 そして現在。口内に残る残味を冷水で胃の中に流し込んでいた。


「ああ~、美味しかった」


 ミラはもう何度目かも分からないおくびをしながら、椅子に深く凭れていた。


 すでに鉄板と皿、カトラリー一式は片付けられ、最初の水差しとコップだけが置かれたテーブルに戻っている。昨夜はジョッキや小型の酒樽がこの席に無造作に置かれていたため、ここまで綺麗になるのは初めて見る。


 それにしても、朝からとんでもない物を胃に入れるんだなとアノスは思う。

 普通の人なら朝でなくともあんなステーキを食べてしまえばすぐに胃凭れを起こしてしまうはずなのに、この男は体調を崩している様子は無い。どれだけ胃が強いんだろうかと想像する。

 痩せの大食い、なんて言葉が生まれ育った国にあるが、それは異世界でも共通なんだなと染々思う。


「そういえばさぁ、アノス君」


 眼前の男の胃について考えていると、その本人がアノスに訪ねてきた。


「何で依頼発注用のカウンターに居たの?」

「あー、うん。実は……」


 どうやらミラはアノスが依頼を発注しているところを目撃していたようだ。昨日からずっとギルドにいるため、気付いてて当然といえば当然なのだが。


 そして、アノスは昨晩に気付いた武器の紛失、それをバルゼンに相談したら依頼にすればいいと言われたのを簡単に訳して話した。


「へぇー、君の武器かぁ! 何だか興味深いなぁ」


 とミラは先程の拳ステーキを目の前にした時と同じようにやや興奮気味になる。

 この男は他人の武器に興味が有るのだろうか。その気持ちは分からなくもない。


 ゲーム時代でも仲間が新しい武器や装備を手に入れたら、扱える扱えない関係なしにそらを見せてもらっていたものだ。どこで手に入れたか、どんな素材を使ったのか等様々な質問をぶつけていたのもしょっちゅうである。


「じゃあさじゃあさ、僕が君の依頼を受けようか?」

「顔近いって……」


 顔をぬっと近くに寄せ、笑顔でアノスが発注した依頼を受ける宣言をした。

 中性的な顔立ちだと思っていたが、こうして見ると中々に女性らしい顔付きをしている。もし、彼が女性だったのならば、間違いなくヒロインに大抜擢されるであろう顔だ。しかし、実際は男である。


「てか、俺の依頼受けてくれんの?」

「勿論。代わりに、もし君の武器が見つかったら少しだけ僕に見せて欲しいんだけど……。いいかな?」


 初めて間近でミラの顔を見た感想はともかく、どうやら彼は神器の捜索を手伝ってくれるらしい。


 レーヴァテインが見つけ、それを少し見せるだけでいいならばその提案を断る理由はどこにも存在しない。ここはありがたく頼んでおくことにする。


「ああ、見せるくらいなら全然オッケーだ。ミラ、ありがとう」

「うぇっへっへ、交渉成立だね」


 ミラは近付けていた顔を元の位置へ戻し、昨日の妙な笑い声を漏らした。


 このミズガルズ街に着いて約半日、ここまでは幸運が連続している。

 我ながら本当に運の良い異世界転生をしたものだ。もはやこの運の良さが自分に与えられたチート能力なのかと思ってしまうくらいである。


 この幸運が後どれくらい続くのかは未だ不明瞭ではあるが、しばらくは地道に努力しながらこの運の良さに頼っていこう。そう決めた時、とあることをふと思い出してしまった。


「そういえばさ、ミラ」

「ん、何だい?」

「ミラってバルゼンのこと『室長』って言ってるよね?」

「ん~、そうだね。確かに呼んでるね。あまり意識はしてなかったけど」


 それが突然浮かんだ疑問である。

 確かにバルゼンは冒険者と異世界の研究という二足草鞋を履いている人物だ。だが、研究者であるとはいえ、普段から『室長』などという事務的な呼び方をさせているはずはない。


 現にハイエルやスメラギ、医者のサノメルやまだ姿を見たことのない上級冒険者センゼンらはバルゼンのことをきちんと名前で呼んでいた。それに対し、ミラだけはバルゼンのことを『室長』と呼んでいる。


 このことから導き出される答えを、アノスは質問口調で訊いてみた。


「ミラってもしかして、異世界について研究してるグループの一員とかに入ってるの?」

「うん、そうだよ」


 特に隠し事をするような仕草はせず、ミラは呆気なく疑問の答えを教えてくれた。


 常々、異世界に行く行為は異端なのではないかと考えてはいたが、ここまであっさりと話してくれるとなると、その線は薄いようだ。


 それに、よくよく考えてみれば異世界を研究する者達の集まりがあるというのを教えてくれた時点で異世界へ干渉しようとする行為が合法なのだと分かる。


 まだまだ自分の思慮の浅さに呆れていると、ミラが口元をにやけさせながら訊ねてきた。


「なになにぃ? もしかしてアノス君も異世界に興味があるたちなのかな?」


 正解と言えば正解である。厳密には元の世界へ帰るために異世界転移をする方法を見つける、というのが百点満点の答えなのだが。

 しかし、異世界転生をしてやって来たとは言えないので、とりあえずはミラの言葉に肯定を示しておく。


「少し興味はあるよ。ここに来るときにバルゼンから話を聞いてさ」

「へぇ~、そうなんだ」


 うんうんとどこか嬉しそうな表情を浮かべるミラ。何となくではあるが、この後に言うかもしれない言葉が想像出来た。


「じゃあ、研究所のメンバーにならない?」


 案の定、想像通りの言葉が出てきた。

 突然のスカウトだったが、これは逆に好都合である。異世界から脱出するための最初の目標である『扉』、否『歪み』を研究する者達に会い、共に異世界干渉の研究をするという目標が早くも目の前に現れたのだ。


 これこそ断る理由の無い話。アノスは目標の達成に一歩近付き、研究所はメンバーの増加。つまりお互いにWIN・WINな関係になれるという訳である。


「まあ、明日三ヶ月ぶりの全体会議があるけど、どうせ皆何も成果を発表することが出来ずに会議はあっという間終わるから問題は無いよ」


 ははは、と自身の所属している研究所に自虐的に笑いながら水の注がれたコップを口に運んだ。


 だが、またここでもアノスはあることを思い出してしまう。

 それは今日の朝、先程バルゼンがアノスに依頼の頼み方を教えるほんのちょっと前の言葉だ。


「そういえば依頼を頼む前にバルゼンが集会があるって言ってた気がするんだけど……」


 その言葉に、目を細めながら水を喉に流していたミラの表情が引き吊った。

 こめかみから一筋の汗が線を引く。


「……え? さっき?」

「うん。二階から降りる少し前に」


 当時のことを嘘偽り無く吐露すると、ミラの細くなっていた目が開く。そして、焦燥の籠もった声で次の問いをする。


「え? 今日の日付は?」

「ごめん、まだ森での遭難生活が長かったせいで日付感覚が鈍っているようでさ、悪いけど今日が何日かは分からないかな」


 今のは半分嘘だが、今日の日付は本当に分からないので、とりあえず後で確認することにする。


 ミラはあたふたとしながら、周囲を見渡すが、カレンダーが見つけられなかったのか、大声で店員を召集を掛けた

 そして、例のナンバーワン店員が席にやって来る。直ぐ様ミラは日付の確認を要求すると、店員はその美貌でとびきりの笑顔で現実を告白した。


「はい、現在の日付は五月の二十日、時刻は九時三十分です」


 瞬間、ミラの身体がネガに反転。数秒間の猶予を経て、心底絶望した表情で一叫。


「遅刻だああああぁぁぁぁっ!!!!」





 当時、ギルドに二階にある休眠室で眠っていた冒険者はこう告げる。


「ありゃぁ、人の声なんてもんじゃねぇよ。まさに稲妻が耳の横に落ちてきたって感じだった。あんなおっそろしい声を聞くのは初めてだぜ……」

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