はじめてのいらい

 アノスは現在、一階のギルドで目的の場所まで一人で歩いていた。


 今の時刻が早朝であるためか、昨日の夕方から夜までの様な喧噪は何処にもなく、受付のスタッフが書類を捲る音をBGMに早起きな冒険者がちらほら見えるくらいで、辺りは静まり返っていた。


 この平和な光景も後二時間程度で様々な冒険者がたむろする猥雑わいざつとした空間に様変わりしてしまうと考えると、この平穏な時間帯が大変に貴重な時なのだと思わせる。


「あの~、依頼を出す所ってここで合ってますか……?」


 そんな静寂な空間を闊歩し、目的の場所の前に立つとアノスはカウンターに座る女性におそるおそる訪ねた。


「はい、こちらは依頼を発注するカウンターとなっております。本日はどうなさいましたか?」

「依頼を頼みたいんですけど……」


 すると、依頼発注用カウンターを担当している黒髪ショートの受付嬢は「了解しました」と言い、アノスからは死角で見えない所から昨夜と同様に紙と黒いチョークを受け渡してくれた。


「あっ、俺実は森生まれで文字が書けないんだ。だから代筆って良いかな?」

「代筆ですか? 分かりました」


 受付嬢はアノスに渡るはずだった用紙とチョークを手元に留め、代筆の準備をし始めてくれた。机の上に置いてある雑貨や書類を片付けを始める。


 さり気なく嘘をついて文字が書けないことを誤魔化してしまったが、まだ異世界転生をしてから二日目。この世界の文字を覚えるまではこのやり方で通していくことにする。


「代筆の準備が整いましたので、ご用件をどうぞ」


 どうやら片付けは終わったらしい。さっぱりとなった机の上には先程の用紙とチョークが置かれている。


「あっ、はい。実はイセルの森の深部で落とし物をして……」


 アノスは数十分前にバルゼンから教えられた依頼発注の手順を思い出しながら依頼内容を伝え始めた。





「依頼の出し方には三種類あってだな、今回はその内の一つ。『直接依頼発注』という方法で依頼を頼むといい」


 バルゼンは人差し指、中指、薬指の三本の指を伸ばし、その内の人差し指以外の指を折り畳んだ。当たり前だが、三つある選択肢の中で最善の方法を選んだ、ということを表現している。


「これはギルドの依頼発注用のカウンターで直接依頼を出すやり方だ。依頼の発注方法だが、特に複雑な手続きが必要ではないから受付の指示に従って依頼書を書けば問題は無い。因みに、依頼発注用のカウンターは階段を降りてすぐ右横にあるから間違えるなよ」


 そう説明され、バルゼンによる新人冒険者レクチャーは終わりを告げる。


「依頼を発注するには発注金額と成功報酬をカウンターに出さなければならない。お前は無一文だろうから今回は俺が代わりに払ってやろう」


 最後に説明を付け足すと、バルゼンは懐から財布のような布の袋を取り出し、その中から硬貨数枚を取り出してそれを渡してくれた。


 見た目は十円玉のような赤銅色をしたコイン五枚と、青銅色の五百円玉サイズのコイン六枚。計十一枚の硬貨を受け取る。


「イセル深部で捜し物の依頼となれば大体この位が相場だろう。まあ、ないとは思うが、これで足りなかったら武器探しの依頼はもう少し待っていてくれ」


 そう告げると、バルゼンは椅子から腰を上げ、休眠室から出て行ったのである。





「……はい、分かりました。ではこちらに発注金額と成功報酬と入れて下さい」

「あっ、はい」


 数十分前の説明を思い出しながらアノスはバルゼンから受け取ったコイン十一枚を差し出されたトレイに投入する。

 受付嬢は出された金額を確認すると、昨日の受付嬢のようにカウンターの奥へと入って行ってしまった。


 例にも漏れず、数分で帰ってくると今度はこれまで使用していた物とは雰囲気の違う如何にもな感じの紙を見せてくれた。俗に言う羊紙皮という物かもしれない。


「お待たせしました。こちらが今回の依頼内容を記した依頼書です。お間違いが無いかご確認下さい」


 そう言われ、アノスは依頼書を受け取って確認をする。因みに、紙の表面はざらざらとしており、中々の触り心地である。


『依頼主、アノス・モーメント。依頼内容、イセルの森深部で紛失した武器の捜索。依頼報酬、二千ジゼル。受注期限、無期限』


 依頼書に書かれていた文字はそう読むことが出来た。

 ジゼルというのはおそらくこの世界での通貨名だろう。大きいコイン六枚で二千となると、やはりこの世界の物価は現実世界と比べて安いと思われる。


 確認を終えたアノスは依頼書を受付に返却。そして最後に前回同様拇印を要求されたので、言われた通りに印を押して依頼の発注は終了した。


「最後にですが、此方側ギルドから依頼の報告はしませんので、頻繁にご確認して下さい。依頼達成から十日以内に確認に来ていただけなければ、回収した品をギルドが処分致しますのでご注意下さい」


 予想はしていたが、やはりずっと管理してくれる訳ではないらしい。大事な武器を処分されては元も子もないので、確認はきちんと行おうと心に誓った。


 最後の説明が終わり、依頼発注用カウンターから離れたアノス。これで、ついにやることがなくなってしまった。


「うーん、何をしよう」


 思えば依頼を出した後の予定を何も考えていないことに気付く。

 十時から新人冒険者講習があるが、その時間になるまではそこそこ猶予がある。


 しかし、暇を潰そうにも手持ちの硬貨は依頼に使ってしまったために店で飲食することは出来ない。それ以前にこの街がどれ位の規模なのかすら分からないので、無闇に散策して迷ってしまうのも避けるべきであるため、ギルドから出る訳にはいかない。


「昨日書いてたやつの続きでもしようかな……」


 そうこう考えながら人の少ないギルド内をほっつき歩いていると、少し離れた場所から声を掛けられた。


「お~い、イェーガー・アノス~!」


 その忌まわしき通り名を呼んだ声には、何となく聞き覚えがあった。だが、少なくとも前に聞いた時よりもかなりイントネーションが違う気がする。


 後ろを振り返って見ると、一人の女性っぽい見た目の人物がこちらに向かって大きく腕を振っていた。


 あのオレンジ色の頭髪。マゼンタピンクの瞳。そして床まで届きそうな程長いバンダナ。間違いなくミラ・スラウィス本人だ。


「ご飯奢ってあげるからこっちに来なよ~」


 と言うので、アノスはミラの座る席に着いた。すると、足で何かを小突いた様なのでテーブルの下を見ると小型の酒樽やジョッキが綺麗に積み上げられており、ここが昨日の席なのだと気づかせられる。

 つまり、この男は昨夜からこの席を離れていないということだ。


「いや~、話し相手が欲しかったんだ。君が居てくれて僕は嬉しいよ」

「あ、そうっすか……」


 一日経って酒が抜けたのか、ミラは朝から上機嫌そうだ。どこにあったのかは分からないが、メニュー表のような板に目を通して朝食を選んでいる。

 そして、食べる品を決めたのか、今度はメニュー表をアノスに差し出した。


「さあ、アノス君も食べる物を選んで。最も、品数は少ないんだけどね」


 その言葉通り、メニューに書かれていた料理の数は体に付いている指の数よりも少ない十八品。しかも、その大半が肉料理で占められており、朝から食べるには些か重すぎる料理が多すぎる。


 流石に朝からそういった料理を食べる気にはならないので、アノスはメニューの端っこにあった名前的にも他の料理と比べて比較的さっぱりしてそうな魚料理『朝霧の薫るイグドの酒蒸し』というのにした。


 昨日のミラが寝言で言っていた料理だったので、少しばかりの興味で選んだのだ。


「おーい、店員さーん! 料理の注文いいかなー!?」


 何の食べ物に決めたのかを確認したミラは、居酒屋よろしく人目をはばからずに大きな声で叫ぶ。


 すると、程なくして一人の女性スタッフがこの席にやってきた。今度来たのは銀髪の長身、それにエルフ耳をしている。やはりどこの世界でも接客するのは妙齢の美人が適役らしい。

 勿論、その手にはバインダーのような板と例の黒いチョークを持っている。


「お待たせいたしました。ご注文をどうぞ」

「あ、僕はいつものでお願い。青髪の彼にはイグドの酒蒸しを一つ」

「かしこまりました。イグドの酒蒸しは出来上がるまでに少々お時間を頂きますが、それでもよろしいでしょうか?」

「いい? 時間掛かるよ?」

「あ、別にそういうの気にしないんで」

「かしこまりました。では、少々お待ち下さい」


 一通り注文までのやり取りを終え、女性スタッフは席から離れていった。

 何となくその後を目で追ってみると、冒険者講習所の隣にあったもう一つの扉を押して、その奥へと消えていった。あそこが厨房に繋がっていると思われる。


「どうしたんだい。もしかしてさっきの店員さんのこと気になってるの?」

「へ? いや、別に何も」

「ふーん、珍しい。あの人はギルドに勤める女性の中で一番人気なのに、何とも思わないなんて変わってるね」


 どうやらあの銀髪長身エルフ耳のスタッフは冒険者から高い人気を得ている人物のようだ。


 確かに他の女性スタッフに比べ、二段階くらい上の美人だとは思う。だが、それだけだ。一緒に話をしたいとか付き合いたいなどとは特に思わない。


 生まれてこの方、初恋や一目惚れといった甘酸っぱい体験をアノスもとい瀬維は経験したことはないのである。


「もしかして男性趣味だったり?」

「いや、それはない」


 異世界にもそういう概念があるんだな、と思いつつアノスは即座にミラの予想を光よりも早く否定する。


 たしかにこれまでの人生で異性に対する恋愛感情が湧いたことは無いが、だからといって同性にそれを感じたことも一切無い。きちんと恋愛対象は女性であり、そもそもハイエルとスメラギに足の治療をしてもらった際ににやけてしまうのを我慢しているのだ。


 これから先、そのような趣味に走ることは絶対に無い。そう断言出来る。

 そんな下らないことで話に花を咲かせていると、あのギルド内ナンバーワンスタッフが注文の品を届けにやって来た。


「お待たせしました。こちらが大魔熊だいまぐまの拳ステーキになります」

「おっ、来た来たぁ~!」


 アノスはその料理名を耳にした瞬間、ぞわりと浮き立つような予感を察知する。


 鉄板の上に鎮座するのは、何と皮を剥がされた本物の熊の手。じっくりと両面に焼き目を付け、ニンニクらしきスライス片が降り掛かけられた豪快さをそのまま調理したかのような一品だった。


 その名前からして使われている食材がどんなものなのかは大抵予想はついていたが、まさか実物ソレを異世界で見ることになるとは想像もしなかった。


「いや~、いつ見てもほんとおいしそうだねぇ~」


 と、ミラは舌なめずりしながら言うが、正直食欲が湧かない。


 時間帯が朝だというのも理由に有るが、やはり一番の原因はその見た目だろう。その見た目の悪さからバラエティー番組の罰ゲームとして用意されることがある。


 最も味は珍味とされ、中国では八珍はっちんと呼ばれる高級食材なのではあるが。


「イグドの酒蒸しはもうすぐ出来上がりますので、もうしばらくお待ち下さい」

「あ、はい」


 グルメと化しているミラを余所に、スタッフはもう一品の料理が完成間近だと伝えると、再び厨房へ戻って行く。


 アノスは、ゲテモノの料理を美味しそうに頬張る稀少種族の末裔を見る他、することは無かった。

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