魔法
再び森の中を進み始めて数時間。浅部だからなのだろうか、今度は何かしらの大型モンスターとの遭遇どころかゴブリン一匹にすら視界に入って来なかった。
そして今はとある場所に到着し、冒険者一行は何か準備をしている。全体の草を刈ったり土を掘り返したりと異世界の人間であるアノスにとってはこれほど珍妙な光景は無い。
ぱっと見ではそこそこ大がかりなことをしようとしているのだと分かるのだが、如何せん今の知識だけでは何をするのかまでは理解することが出来ないでいた。
「あの……、それって何やってん……ですか?」
この行動がどうしても気になったアノスは短剣を駆使して低木を切り倒しているハイエルに話を聞いてみることにした。
話しかけた理由は、彼女が一番近くに居たからだ。今まで話を聞いてくれていたバルゼンは少し遠い場所で掘り返した土を固める作業をしており、とてもではないが話せる状況では無かったからだ。
「え、分からない? 貴方ってもしかして魔法とか勉強してない人?」
唐突に出てきた単語『魔法』。大体予想はしていたため、あまり驚くことはなかったが、どうやらこの世界にもゲームと同様魔法の概念が存在するようだ。
考えてみれば、冒険者と遭難者含む四人中二人は魔法に特化した種族のエルフ。おまけにスメラギという名の少女に至っては容姿は完全に魔法使いそのもの。むしろこれで魔法の概念が存在しない方がおかしいだろう。
そして、この整地作業はその何らかの魔法を発動させるために必要なことらしい。アノスの頭では整地と魔法に何の関連性があるのかは未だ理解出来ていないままだが。
「あ、ああ……」
とりあえず、魔法を使えない──厳密には使い方が分からない──ことは素直に肯定することにした。変に使えると見栄を張ってこの謎の儀式の準備に参加させられても困るからだ。
「ふーん。じゃあ、簡単に教えてあげるわ」
そう言って、ハイエルは左手に掴んでいた枝を放り投げると、枝はくるくると錐揉み状に回転しながら美しい放物線を描いて低木の上に引っかかった。
「まあ、流石に魔法の基礎は知ってると思うから除外して、今やっているのは魔法陣制作のための整地作業よ」
「魔法陣?」
「手書きの魔法、って例えれば分かりやすいかな? 今からそれを地面に書くの。地面に
なるほど、とハイエルの分かりやすい説明を聞いたアノスは納得する。
どうやらこの整地作業は魔法陣を展開する上でかなり重要な役割を担っているらしい。
『グロース・レコード』内でも魔法陣というのは存在していた。主に魔法職のプレイヤーの技によって地面などに展開されるのだが、特に地形によって威力の高さが左右されるというシステムは無かった。
だが、ハイエルの説明を聞く限りでは、魔法陣は地形に左右されやすいらしい。ここはゲームと大きく違うようだ。
「えっと、それじゃあ今は何の魔法陣を作ろうとしているんだ……、ですか?」
「私にも敬語じゃなくてもいいわよ。別に気にしないから。それで、今作ろうとしているのは転移魔法陣よ」
転移魔法陣、どんな物なのかはおそらく読んで字の如くだろう。これから何をしようとしているのかが何となく予想出来てきた。
「先輩! 整地作業終了しました!」
再び思考に耽りそうになったところで、別の場所からハイエルに対して声が掛かった。
「ん? 早かったわね」
「はい。この辺りの土壌が思いの外柔らかかったのと、バルゼンさんがとても頑張っていたことで、予想よりも早く土台が完成しました」
現状の報告に来たのは銅色のギルドカードを持つ新人冒険者スメラギだった。魔術師的なローブに泥が付いているのは、彼女が土を掘り返す作業をしていたからである。
作業を行っていた所を見遣ると、最初は雑草や枯れた低木などによってありのままの自然が存在していたのだが、三人の冒険者の手によって見事に変化を遂げていた。
円形に切り開かれた三メートル程の空間。草一つ生えていない土色の地面のは礫はおろか
最後の仕上げを終えたバルゼンは、空間の端によって次の作業工程の指示を送る。
「ハイエル、スメラギ。魔法陣の作成は頼むぞ」
「はいはーい。それじゃあ、スメラギちゃん。折角だから前に教えた転移魔法陣の書き方の復習も兼ねて実践をやってみようか」
「わ、分かりました。やってみます……!」
指示を受けた女子二人組は均した地面に足を入れると、ハイエルはスメラギに向かって何かをレクチャーし始めた。
言葉を聞く度にうんうんと頷くスメラギを見ていると、先輩後輩の関係というよりも教師と生徒の関係の方がしっくりと来る。
そんな作業工程を何も考えずに黙視しているとバルゼンが横歩きでこちら側に近づき、耳打ちをして来た。
「アノス、もうしばらく待っていてくれ。スメラギはまだ新人だから、色々と教えないといけないんだ」
「あ、うん」
別に気にしていないのにわざわざ伝えに来るとは、全く律儀な男である。
そうこうしている間にも魔法陣作成は着々と進んでおり、気付くとほぼ完成している状態にあった。今は最後の仕上げをしている所である。
「うん、うん、うん? ……あ、合ってた」
魔法陣に描かれた文様を一つ一つ確認し、誤りがないかを見定める上級冒険者。
時折出る疑いの
「大丈夫、大丈夫。何度も練習したし、何回も見直した。不備は無い……はず」
それを近くで合格発表時の学生さながらの面持ちで見続ける新人冒険者。
自分を落ち着かせるためなのだろうか、蚊の鳴くような声でぼそぼそと呟いている。
「バルゼン。ここって試験会場か何処かなの?」
「いや、此処は至って普通のモンスターが出現する自然の森だが……、何か気になることでもあったのか?」
「あぁ、いや、そうなんだ……」
そしてそれを空間の外で傍観する他にすることのない男組。
アノスはこの謎の緊張感に包まれた空間とバルゼンの放った求める物と違う答えに対して解せないでいた。
査定開始から数分、魔法陣から離れたハイエルはどうやら審査を終えたようだ。スメラギの前に立ち、整った顔をきつくする。
緊張した面持ちのスメラギの顔がさらに強ばった。どの世界でも物事が終わった後が一番緊張するらしい。アノスは元居た世界での高校入学の受験発表を思い出しながら行く末を見守る。
数秒間の沈黙。ハイエルの切れ長の
そんな徐々に増していく緊張感は、次に放たれた台詞によって瓦解した。
「……合格っ! おめでとう、スメラギちゃん。完璧な仕上がりよ」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」
どうやら魔法陣の作成に成功したようだ。ハイエルから合格の言葉を貰ったスメラギの目尻には水が浮かび、緊張に覆われていた表情も喜色満面の笑みに変わっていた。
この結果に他人であるアノスも思わず拍手をする。
「よし、スメラギが一人前の冒険者に一歩近付いた所で、そろそろ街に帰るとしよう。今回の依頼を中断したことやアノスについてギルドに報告しなければならないからな」
パーティーリーダーのバルゼンがそう告げると、二人の女性冒険者はそそくさと魔法陣の中央へと入っていった。
そしてアノスは再びバルゼンの背に負ぶさり、同じように陣の中央へと移動をする。
「ハイエル、起動を」
「オッケー」
「アノス、目は閉じておいた方がいいぞ」
「え?」
バルゼンの言葉を理解するよりも早く、魔法陣を囲う外周の線に光が迸った。
そして、そこから光の薄い膜が直上に伸びて行き、魔法陣の中に居る四人を包み込んでいく。
瞬間、視界が真っ白に変わった。否、染まったのだ。
一瞬の閃光。魔法陣のあった場所には四人の姿は無くなっていた。
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