神霊武装《ティア・フォリマ》は……

 その日、スルトは選抜試験四戦目を勝利で収め、食堂で食事していた。無論、パートナーであるレーギャルンを連れて。ただしレーギャルンは食事していない。もちろんおなかは空いているし、疲れてもいる。だが同じ場所で飯など食えるかと、機嫌の悪いスルトはレーギャルンの食事を許さなかった。

 水を飲むことも許されていないため、レーギャルンはスルトの食事が終わるのをただ俯いて待つ。頭や腕、脚に巻かれた包帯が痛々しく、周囲の目も厳しかった。

 だが泣けば、スルトの逆鱗に触れる。

「今日もつまらん試験であった……まったく、いつになったら七騎しちきと戦わせてくれるのだ」

「い、いずれそのときは来ます。だからその、辛抱を――」

「わかっている。おまえの意見など聞いてないわ」

 きつい言葉だけを浴びせて、スルトは溜め息交じりの食事を再開する。もう限界を超え、泣きそうになるレーギャルンに助け舟を出したのは、絶えず眠そうな目をした青年の、大きな手だった。

「だぁれだ」

 レーギャルンの目を後ろから覆い隠す。突然の暗闇に驚いたが、少女はすぐに冷静になってその声の主を一生懸命記憶の中から探り出した。

「み、ミーリ先輩、です」

「おぉ、当たりぃ」

 正解だったため手をどける。その際優しく涙を拭ってくれたのに気付いたのは、レーギャルンだけであった。

「久しぶりだねぇ、レーちゃん」

「は、はい。お久しぶりです。以前はその、食事に誘っていただいてありがとうございました」

「いいよいいよ、また行こうね。今度はロンも連れてさ」

「あの、ロンゴミアント先輩は……」

 ミーリの後ろを見てみても、どこにもロンゴミアントの姿はない。どこかの席に座っているのかとも思ったが、やはりどこにも見えなかった。

「あぁロンなら来てないよ、今日。眠いから寝てたいって」

 嘘だけど。

「そうなんですか」

「おい」

 ここでようやく、スルトが我慢の限界を迎える。レーギャルンの手を引こうと手を伸ばしたが、先に少女の手を掴んで立ち上がらせたのはミーリの方だった。スルトの眉が痙攣したかのようにピクつく。

「なんのつもりだ、ミーリ・ウートガルド」

「ちょっと借りるよ、この子」

「そいつは俺の武器だ」

「でも今日の試合はもう終わったでしょ?」

「これから討伐依頼に出る」

「明日にすればいいじゃん」

「さっさと済ませたいのだ」

「俺も今レーちゃんと話したい」

「おまえと話すことはない」

「それはレーちゃんが決めることでしょ」

 絶対に引き下がるつもりでないのが、スルトに伝わる。眠そうにしている瞼の奥で、ミーリの脳内が今さまざまな言い訳を構築している気がした。

「いいからその手を放せ!」

 スルトが伸ばした手を、レーギャルンに触れる前に弾く。突然のことにレーギャルンも、周囲の生徒達も驚いて凝視した。そして驚いたのは、弾かれたスルト本人も同様である。伸ばした手を弾かれた経験など、初めてであった。

「貴様……! 貴様ぁ!」

「なんで君がそう決めようとするかなぁ。ねぇ、レーちゃん。レーちゃんはどうしたい? これからすぐスルッチと行きたい? それとも俺と話してくれる?」

「スルッチ……?」

 おそらくスルトのことを言っているのだろうが、ニックネームでそんなにも可愛らしくなるとは思ってもみなかった。実際どうでもいいが、驚愕の真実である。思わず可愛いと言いそうになってしまった。

 だがどうするべきだろうか。おそらくスルトと一緒に行った方がいい。身のためだ。だがどうしたいかと訊かれると、答えは変わってしまっていた。

「マスター、一度先輩とお話を済ませてきた方が……」

「何?」

 怒りの色を見せたスルトから、威圧の霊力が吹き付ける。だがそれがレーギャルンに襲い掛かる一歩手前で、ミーリの霊力がスルトのを叩き潰した。見えない攻防に、周囲では空気が渦巻き息吹く。

「怖いなぁ、そんな顔しちゃあ」

 スルトの霊力が治まり始める。そして生徒証だけを投げつけて、食器を乗せたトレイを持ち上げた。

「一時間もあれば充分だろう……それまでに帰ってこい」

 食堂を後にしたスルトを見届けて、ミーリはふんと息を漏らす。今の静かな攻防で、霊力を思ったより消費してしまった。正直、帰って寝たいかぎりである。

「じゃあ行こっか、レーちゃん」

「は、はい――」

 二人の間に鳴った音は、最初何か動物が鳴いたのかと思った。音源を耳で辿ると確かにそうで、レーギャルンの腹の虫が鳴いていた。恥ずかしすぎて、少女は涙目になって赤く染まる。

 だがすぐにミーリも自分の腹を押さえて、しんどそうな顔をしだした。

「腹減ったぁ、なんか食べよう?」

「え、あ、はい……」

 食堂はもう席が空いてないので、二人は庭園に出ているファストフードの屋台でホットドッグを買う。すぐ隣のベンチで座って、腹の虫を押さえまいとかぶりついた。

「それで、お話って――」

 ミーリの指先が、レーギャルンの鼻先をそっと拭う。指先についたケチャップを舐め取ると、レーギャルンは卒倒しそうなくらい真っ赤になってから、夢中でホットドッグにかじりついた。

 結局話は二人が食べ終えてから。今度は顔のどこにもケチャップがついてないのを確認してから振り返る。

「それで、お話ってなん、ですか?」

「あぁうん、実はロンに聞いたんだけどさぁ……」

 ミーリが少しだけ深刻な顔になる。それだけ大事な話なのだと、レーギャルンは緊張した。実際呼び出された時点で覚悟はしていたのだが、それでも緊張する。だからこそ次に繰り出された話題に、レーギャルンは耳を疑った。

神霊武装ティア・フォリマって子供産めないって本当?」

「……へ?」

 その問いの答えは自分のことなのでとても簡単で、少し答えにくくはあっても答えられない質問ではない。だが何故今ここでその質問をそんな真面目な顔をして訊いてくるのかがわからなくて、激しく混乱した。

「どうなの、人型になってもやっぱり無理なの?」

「は、はい……その……私達は武器、ですので……その、生殖器が存在しないんです。だから子供は……」

「やっぱ本当なんだぁ……ロンがからかってるだけかと思ってた」

 真面目に受け止めて、そしてそれなりに反応してみせる。すべて本心からきてることで、本当のリアクションだということは、なんとなくだがわかった。

「いやまえに、神霊武装と交際してる人がいるって話聞いてさ。ロンがかわいそうとか言ってるから、なんでって思ってたんだけど。そっかそういうことなんだなぁ……じゃあ何、神霊武装に変わりはいないんだ」

「は、はい。私達はたとえ死んでも――武器として壊れても、霊界に帰るだけ。また新しい人に召喚されるまで眠れば、記憶を代償に蘇ります。ですから変わりはない、はずです……」

 一部の例外を除いてはですけど。

「でもこれ、たしか一年生のとき授業でやったってマスターが……」

「あぁ、俺寝てたもん。授業とか」

「ね、寝てたんですか……」

「うん、授業のときとポカポカ陽気のときほど寝れるときはないよ。これ絶対」

 そう言い切るミーリに、レーギャルンは思わず笑う。なにかおかしいことがあったわけでもないし、楽しいともまた違うのだが、今のミーリには何か笑うことができる点があった気がした。

 そこからは談笑した。取るに足らないなんでもない話をして、ときどき驚いて、笑いあった。べつに各段おもしろい話があるわけでもなかったが、少女はミーリの話を笑って聞いた。全身の怪我など忘れてしまっていた。今のマスターのことなど忘れてしまっていた。

 そして同時に、昔のマスターのことを思い出していた。二人きりで話して笑いあったのは、事実そのとき以来だった。そしてミーリに、彼の話をした。

「先輩は、昔のマスターによく似てます。本当に」

「へぇ、青髪だったりしたの?」

「髪は黒でしたけど、よく似てます。優しくて、強くて、おもしろくて、一緒にいて、楽しい人です。怖がりの私をいつも笑わせてくれました」

「そんな、まるで今は違うみたいな言い方だなぁ。スルッチに怒られるよ?」

「マスターは強い人です。たくましいです。素晴らしい方です。でも、ちょっと怖いです……ときどき怖がっちゃって、みっともないって言われちゃいます」

「まぁスルッチ厳しそうだからなぁ。あの俺絶対って感じのオーラ、俺は無理。嫌われてでも支配されたくない」

「嫌われてでも……」

「まぁスルッチ厳しいと思うけど、頑張ってね。愚痴ならいつでも聞いてあげるからさぁ。なんだったら言ってくれれば、その場で加勢してあげる」

「あ、ありがとうござい、ます……」

 一転、静まり返ったその場に通知のブザーが鳴る。ミーリの生徒証とレーギャルンが預かったスルトの生徒証が、同時に震えていた。レーギャルンは見るのを渋ったが、ミーリは躊躇いなく生徒証を開く。来ていたのは、第五戦となる試験の通知だった。

「先輩?」

「試験の通知ぃ。相手、ウッチーだ」

「荒野先輩ですか? 七騎同士でなんてこと、あるんですね……」

「まぁ運が悪かったってだけだよ。そっちは?」

「これはマスターのですから、私が勝手に見るわけには……」

「じゃあ俺が見る。それでいいでしょ?」

「でも――」

 渋り続けるレーギャルンから生徒証を取り上げて、その中身を勝手に見る。来ているのは案の定試験の通知で、開始時刻と日にちはミーリと同じだった。その相手は――

「リエンか……」

「リエン先輩が相手、ですか?」

「大変だねぇ、そっちも」

「はい……」

 片方は七騎同士の戦いで、もう片方は女性最強との対戦。どちらも他の人からしてみれば見応えはあっても決して自分達はしたくない死闘であることは確かだった。お互いそれが明後日で、思わず溜め息が出る。

「まぁお互い頑張ろうね。きっとなんとかなるよ」

 ミーリはレーギャルンの頭を撫でる。その手の温もりと優しさが前の言葉と重なって、召喚してくれた前の主人をまた思い出した。

――一緒に頑張ろう、レーギャルン

「はい、マスター」

「ん?」

「あ、いえ……」 

 目の前の人をつい、マスターと呼んでしまった。もしスルトが聞いていれば、大激怒である。それを思い出すとまた怖くて、少女は自分の肩を抱いた。その震えが、ミーリの視界に入る。

「さてっと、そろそろ帰さないとねぇ。スルッチ怖いし」

「そ、そうですね……そろそろ失礼、します」

 立ち上がり、一礼して、そして行こうとした。だが足がなかなか動かなくて、少しだけその場で固まってしまった。

「怖いの?」

「え?」

 不意の質問に思わず訊き返す。だがミーリは真っすぐ見つめるだけで、繰り返して言ってくれることはなかった。

「だ、大丈夫です。言いつけさえ守れば、マスターも優しい人です……だから、大丈夫、です」

 今にも泣きそうで、まるで説得力がない。だが少女はそれだけ言って足早に行ってしまった。そのままベンチに残ったミーリは、生徒証で電話を掛ける。

「あぁもしもし? うん、お願いはちゃんと聞いたよ。今帰した。そうだなぁ……じゃあ君が何か俺を動かす一言を言ったらいいよ?」

 電話の向こうで、その人は困ったような反応を聞かせる。だがすぐに改まって考え、そして言った。ミーリを動かす、その一言を。

 それを聞いたミーリは溜め息をつくと、おもむろに立ち上がって電話を切った。そして眠さ全開にして大あくびする。これからしなくてはいけないことを一つ一つ考えると、とてつもなく面倒だった。

 面倒すぎて動けなくなる前にとりあえず行動する。その先駆けとして、ミーリはまた電話した。

「あぁもしもし? 俺だけど……ちょっとお願いがあるんだよねぇ。うん、だから待ち合わせしてほしいんだけどさぁ、今どこ?」

 待ち合わせを確保すると、次は電話番号を知らない相手を探す。だが一応知り合いなので、居そうな場所は大体検討がついた。その場所を歩いて探し、見つけたのは教室の前だった。

「いたいた、探したよ」

「ミーリ・ウートガルド……」

 振り返ったのは鎧を身にまとった銀髪の聖女、リエン・クーヴォ。ミーリが彼女に話しかけるなど滅多にないことで、その場を目撃した周囲の生徒達は思わず固まって耳を傾けた。

「何か用か」

「うん、ちょっとね。お願いがあって」

「お願い? おまえが、私に?」

「うん、今のリエンしか聞けないからさ」

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