ドヴェルグ
霧の街マイストでの補習から五日後の昼。
ミーリは突然電話に呼び出された。無論最初は面倒なので断ったが、夕方まで寝るつもりだったのでそのときは腹ペコで、ご馳走しようという言葉にまんまと釣られてしまった。
呼び出された場所は、ラグナロクの三年生の教室。時計塔の中にあるそこは、他の学年の教室に比べれば一回り小さい。それに代わるメリットといえば、食堂に一番近いということくらいだ。
その教室に呼び出した本人は、腕組みをして待っていた。ラグナロク三年生にして
「久しぶりだな、ミーリ」
黒のロングストレートを揺らして、微笑まれる。寝起きだったミーリはあくびしてから、軽くうぃっすとだけ返した。そして近くの席に、といっても机に座る。
「ロンゴミアントはどうした?」
「ウッチーこそ、パートナーはどうしたの。集会以外はいつも一緒じゃん」
「うん、来てもいいと言ったのだがな。都合があるとかで、仕方なくだ」
「ふぅん……で、用は何? 神様討伐の依頼?」
「いや、それはまたべつの機会にしよう。おまえとやるのは楽しいがな」
「じゃあ、何」
空虚の表情が少しこわばる。彼女は東洋の武術の家の生まれで、表情から動きが読まれないようにすることを心掛けているためにマイナス面の表情は出さないようにしているそうだが、今回はわずかに出てしまっていた。
ミーリの隣におもむろに座るその際も、どこか心配そうに見える。
「何、そんなに深刻なこと?」
「……ミーリ。マイストでおまえは見たのだったな、彼女の剣を。どうだった」
「あぁ……」
彼女が生徒達を襲う通り魔で、パートナーの大剣が問題なのではないかとなっていると。そして近々、これをミーリに処分してもらおうと思っているといるとも。
それをミーリは二つ返事で受け入れた。彼女の――彼女の剣の危険性を見たばかりということもあって反対はなかったし、他の誰かに代わってもらおうという気も起きなかった。
面倒くさがりでさえ、危険と判断する狂気だったからだ。その狂気の根源を、ミーリはマイストで見ていた。
「ドヴェルグ。玲音のパートナーだ」
倒れた彼女を担ぎ上げたドヴェルグは、改まって自己紹介してきた。ロンゴミアントは警戒して、ミーリの後ろにいく。ミーリも珍しく神経を尖らせた。
「そう怖がるなよ、先輩。今日限りとはいえ、俺達仲間だろ?」
「その仲間に斬りかかったじゃんか、最後。どういうつもり?」
「どういうつもりだ?」
その質問は、彼にとってのなんだったのかは今でもわからない。だがそのとき彼は嬉しそうに笑みを浮かべて、黒と灰色のオッドアイを爛々に輝かせた。
「クッハハハッ! そんなの、物足りなかったからに決まってるじゃんか! 足りねぇんだよ、血が! これくらいじゃ満足ならねぇ! てめぇの血も浴びとかなきゃ、どうも落ち着けなかっただけさ!」
「ふぅん」
冷め切った反応に、ドヴェルグはまた歪んだ笑みを浮かべる。だが今はそこから一歩も、動こうとはしなかった。
「ハッ! まぁ安心しな、先輩。玲音が寝てる今は俺も何もできねぇ。ここは大人しく帰るさ。よかったな、俺の霊力に玲音が耐え切れなくて。お陰でおまえは死なずに済んだ」
霧の晴れた空に轟くくらいの大声で嘲笑し、ドヴェルグは玲音を連れて行ってしまった。それから、玲音とは一度も会えていない。
「あんな
つい最近を振り返ったばかりの頭は、率直な感想を述べる。それに関して空虚は少し安心した様子で、微笑を浮かべて吐息した。
「まったく、おまえは相変わらず能天気だな」
「へぇへぇ」
ここに来て初めて、空虚から笑いが起きる。彼女の笑顔を見れて安心することができたのは、彼女があいつと同じ黒い長髪の女性だったからだ。
あいつがよく見せる表情といえば笑顔で、代名詞と言ってもいいくらいあいつは笑っていた。楽しいときや嬉しいときはもちろん、悲しいときや辛いときにも、不適に笑う奴だった。
「それでどうだ、勝てそうか?」
「勝つよ、必ず。俺にはロンがいるし」
「そうか」
立ち上がった彼女はおもむろに数歩歩きだし、教室の中心に立ち尽くす。沈みかかった日から漏れるわずかな光が窓から入り込んで、空虚の影を大きく伸ばした。
「獅子谷玲音とパートナーを逃がさないため、学園長が模擬試合を用意されている。勝った方が単位を貰えるということだが、実際はおまえが勝って二人を押さえるのが目的だ」
「わかったぁ」
「簡単に返事するな、まったく」
腕を組んで黒板に寄り掛かると、空虚はまた心配そうな顔で吐息する。もはや感情を悟らせないための表情の隠蔽など、まったくできていなかった。
「勝てよ、ミーリ」
「大丈夫だって。あれくらい、ロンと俺なら勝ってやるよ」
「おまえという奴は……本番で情が湧いて、手加減などしてくれるなよ?」
「つい最近知り合ってちょっと一緒に行動した程度で情なんて湧かないし、手加減だってしない。そんなんじゃ……」
「うん? なんだって?」
後半ミーリの声が小さくなったことで、空虚が訊き返す。だがその部分はあえて小声にしたわけで、ミーリはいんやと首を横に振った。
こんなことをもしあいつのまえですれば、あいつはなんて言ったのかを言うまで訊いてくるだろう。それくらい図々しい奴だった。
だが空虚はそうかとだけ返事して、それ以上訊いてはこなかった。
「では行くか、食事に。話はもう終わったしな」
「なんだ、それだけだったの。もっとほかにあるのかと思ってた」
「む、すまないな……その、ミーリが心配、だった、から……」
「ほえ?」
「な! なんでもない! そら、行くぞ!」
空虚の言葉は最後小さくて、聞き取ることはできなかった。だが彼女は聞いてほしくなさそうだし、今さっき訊き返さないでくれたので、それ以上は訊かなかった。
本当に、あいつじゃなくてよかったと思う。
――ねぇ今なんて言ったの?! ねぇ、ねぇ!
――なんでもないって
あいつは容赦なく訊き返してくる。当時はそれが普通のことで、あいつのまえでヒソヒソ話など、できるものではなかった。
そのときはたしかあいつに言ってほしいと言われた言葉があって、でも恥ずかしくて、結局小声で言った結果そうなった。はっきりと、しっかりと口にしてほしかったらしい。
――もう一度、もう一度よ、ミーリ! さぁもう一度言うの!
――もう絶対に言わないって! 大体、なんで俺がこんなこと……!
口答えをすると、彼女は突然その場で回りだす。背中どころか太ももまで伸びた長い黒髪と、メインの白に黒を生やしたヒラヒラの服とを一瞬だけ浮かせて、その場の空気を切るように一回転した。
その場の空気を変えたいときなどにするあいつの癖のようなもので、不思議なことに本当にその場の空気が変わる。あいつから、何か香りのようなものが出ているのかもしれない。そう思えるくらい、見える景色まで変えてくるのだ。
――……もう一回。お願い、ミーリ
そしてあいつ自体も、回ると変わる。頭が冷えるのか冷静になって、言い方や態度、行動までもガラリと変えてくるのだ。
このときもいきなりしおらしくなって、やや小声でねだってきた。突然の豹変にわかっていても動揺してしまって、結局渋々了承してしまう。あいつは頷くとその場に座り込み、何も言わずに言葉を待った。
――好き、だよ。君のことが。君のことが、好きだ
はっきりと、しっかりと、もうヤケになって言ってやった。そうするとあいつは満足したようで、立ち上がるその勢いで頬にキスしてきた。
――私も大好きだよ、ミーリ。あなたのことが
またその場で一回転。そして手を取り、引っ張りだす。
――行こ、ミーリ
――……うん
手を繋いで、並んで走る。
あいつははっきりと好きと言ってもらえたのが嬉しかったのか、それとも回ってまた自分を変えたのか、すごく笑って走っていた。
だけど当時はそんなあいつのことが本当に好きで、愛おしくて、あいつと一緒に笑って走った。とても楽しかった。
でもだからこそ、想像などそのときはしたこともなかった。あいつと自分の関係が、こんなにも変わってしまうだなんて。あいつが回りでもしなければ、きっと変わらなかったのかもしれない。
だがあのとき、あいつは回った。雷に打たれて燃えた別荘で、激しく燃え盛る炎の中。あいつは炎に囲まれた階段の上で、軽やかに華麗に回ってみせた。自慢の黒髪と、血塗れのドレスを一瞬浮かせて。
――ねぇミーリ、言って? 言ってよ、ミーリ
――わかった……
燃え盛る炎を吸い込んで、その手をあいつへと差し伸べながら、歌うように告白する。
その言葉がまた嬉しかったのか、あいつの赤い虹彩は爛々と輝き、頬を自らの熱で火照らせ赤に染めた。
そしてまた、クルリと回る。天井を仰ぎながら、口元に笑みを浮かべながら、血塗れの足でステップを踏んで。
「ミーリ、ミーリ? ミーリ!」
気が付くとそこは街のレストランで、自分は空虚をまえにしてすでに席についていた。もうメニューも開いて、選び始めている。頭はなんだか眠ったように重くって、ずいぶん長い間過去にタイムスリップしていたのだと気が付いた。
空虚はまた心配そうな顔である。
「どうした、さっきから上の空で。何か気になることでもあるのか?」
「うん? いや、そんなことないよ。ごめん、ボーっとしてた」
「……ならいいのだが。おまえ、まさか私との食事がつまらんとか思っているのではなかろうな」
「まっさかぁ。同じ七騎でも、ウッチー以外と食べたくないよ。ロー先輩とアンド先輩は固いしリスカル先輩も怖いし、ボーイッシュは問題外だし」
「じゃあリエンはどうだ。あいつは常識もあるし、同じ三年だろう」
「リエンはぁ……わからない。でも固そうだし怖そう。一応うちの女性最強だし。だから一緒に食べるなら、ウッチーとがいい」
「そ、そう……か。そうか」
彼女はまた安心したようで、水に手を伸ばし一口含む。その表情はまたあいつと似ていて、また頭が過去に飛びそうになってしまった。
本当に、あいつと空虚はよく似てる。容姿や性格は全然なのだが、雰囲気がかなり。凛としているというか、筋ができているというか、そんな感じだ。
「どうした、また考えことか?」
「いんや。なんでも」
あいつが今どこで何をしているのか、そもそも生きているのか、何も知らない。
だがもし会ったなら、あの日あのとき言ったのと同じ台詞を、ミーリ・ウートガルドは言うのだろう。一語一句、はっきりと。
そしてあいつもまた、それを聞いたなら回るのだろう。回って笑って、そして――
ふと窓越しに見た外は、突然の風が通行人を困らせていた。あいつがどこかでまた回ったのだろう。そんな気がした。
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