vs 霧の神

 マイストの住民は霧が出るまえ、正確には日が沈むまえにはすぐに家の中に入ってしまう。そうしなければ霧の獣に囲まれ、喰われるのがオチだからだ。

 その習慣が幸いしたのだろう。この非常事態においても、皆は霧を見た瞬間に家の中にすぐさま逃げ、隠れてくれた。おかげで戦いに巻き込まずに済む。

 紫の槍と霧のナイフの激突は、ぶつかり合うだけで突風と霊力が吹き付ける。普通の人間なんかがいれば、即座吹き飛ばされてしまうだろう。だがその人間よりも飛ばされやすい霧のカーテンは、何度飛ばされようともまた広がってミーリの視界を奪ってきた。

 前後左右上下、どこを向いても曇りきった視界。自分が今どこにいるのか、足場はなんなのか、今走っている先にあるのはなんなのか、位置情報の一切がわからない。その中をミーリは駆け抜け、ナイフの一撃を槍で受け続けていた。

 霧を司るヤギの神は、なかなか一撃が決まらず咆哮する。

「叫びたいのはこっちも同じなんだけどなぁ」

『あなたは叫ぶキャラじゃないでしょ?』

「まぁね」

 霧の獣の群れが、神に代わってミーリを襲う。だがそれらの牙は一つも届かず、あっけなく一刺しにされた。それに対して神がまた吠え、霧の中からナイフを振り下ろす。

「あぶなぁ」

 とっさに跳んで回避したミーリは、着地地点で槍を振るう。周囲の霧を吹き飛ばして払うと、見下ろしている神を見上げ返した。

『どうするの、ミーリ。あいつ、霧に溶けて実体無くしてくる。これじゃあキリがない』

「霧はあるけどね」

『珍しい冗談ね。残念だけど、おもしろくないわよ』

「ぶぅ」

『で、本気でどうするの』

「べつに? いつも通りやるだけだけど。はまだ取っておきたいし。それにこの程度の奴に使ってたんじゃ、あいつにも勝てない。だからいつも通りだよ」

『……わかった。あなたがそう言うならそうしましょう。私はあなたの槍。必ずあなたを勝たせてみせる』

 二人の対話が終わったのを見計らったようなタイミングで、神は手下の獣達を差し向ける。今まで倒してきたのよりもより大型の獣が、牙をむけながら霧の中を駆けてきた。

「行くよ、ロン」

『えぇ、ミーリ』

 槍を振るい、霊力を全身から放出しながら跳ぶ。紫の身体をしならせ踊る槍の乱舞は、次々に獣の脳天を貫いていった。噴き出す鮮血すら風に舞わせて、青白い閃光が赤のベールをまとう。

 突き刺した獣の身体を足場にしながら、神の顎鬚あごひげ目掛けて肉薄する。霧を追い払う青白い流星の突進に、神は危険を察知して六本の腕でナイフを構えた。

『ミーリ!』

 六本のナイフが、霧をまとって襲い掛かる。それらすべてを受け流し、弾き、跳び上がったミーリは、驚愕で見開く神の目を紫の槍で貫いた。

 目を抑えて霧のカーテンに巻き付きながらのたうちまわる神の無茶苦茶な攻撃を躱しながら、一度着地する。

「ロン、どれくらい溜まった?」

『四割くらいかしら』

「充分だね」

 槍を構えて、再び神へと跳ぼうとする。だがその脚を止めたのは、背後から聞こえてくる一つの足音だった。獅子谷玲音だ。

「せ、先輩! 大丈夫ですか?!」

「見た通りだよ。レオくんこそ、よく無事だったね。ここ危ないから、下がってていいよ。もう倒しちゃうから」

「でも、私……」

「補習なら大丈夫だよ。だからさ」

 うつむいたまま、手を握りしめる。そしてその場から動こうとしない玲音のことに気付いてかそれともヤケになったか、天上の神は大量の霧を吐き散らし獣の群れを出して突撃させた。大きさも量も、今までの比ではない。

 あ、ヤバい……!

 自分は全然危険ではない、むしろ余裕だ。ヤケになった神など敵ではないし、獣の群れなどすべて突き穿うがてる。

 だが、間に合わない。

 獣の群れと神をすべて穿つまえに、間違いなく獣の群れが玲音を喰い殺す。彼女の実力は知らないが、神霊武装ティア・フォリマのいない今は実力などあってないようなものだ。間違いなく、彼女は死ぬ。

 どうする?

 すべての思考処理が、もう追いついていない。その結果、頭の中で描いてしまった最悪のシナリオと忌々しいヤな記憶とが交差して、ミーリの背を無意味に押そうとしていた。

「なぁにやってんだ、玲音」

 声と共に現れたのは、赤のロングコートを着た茶髪の男。その背を見た玲音はすぐさま手を伸ばして、男の袖を掴み泣きついた。

「お願い守って! ドヴェルグ!」

 向かってくる獣の群れ。泣きつく少女。二つを順に見た黒と灰色のオッドアイは、喜びの光に輝いていた。

「いいだろう、俺を取れ。玲音」

 男は姿形を変え、その場に刃を突き立てる。禍々しい力を噴き出すその赤い大剣は、それを手にした玲音にまでその力をまとわせた。

 黒い霊力の霧の中で、玲音の赤眼が怪しく光る。向かってくる獣の群れを再度視認すると、その口角は歪んだ形で持ち上がった。

「ハハッ、ハハッ! ハハハッ! ハァッハァ!!」

 突進してくる獣を次々と真っ二つに両断し、血を浴びる。だが玲音は怯える様子も気持ち悪がる様子もなく、ひたすら快感と悦を感じているようだった。

「さっきまでの怯えようはどこへやら……」

『あの子、様子が変よ。まさか、あの武器に乗っ取られて――』

 ナイフを持って突進する神の角を躱し、心臓を射貫く。体の中心から弾けた神は、霧と血飛沫を飛散させながら消えていった。

 頭上で槍を回転させ、血の雨を避けるミーリに対して、玲音は両手を広げて受け入れる。歓喜に満ちたその顔は真っ赤に火照りながら、たしかに高揚しているようだった。

「ねぇミーリ、あの子……」

 血の雨が止んでから、ロンゴミアントは人の姿へと戻る。その先の言葉は何も言わなかったが、ミーリはその先を理解した。

「試してくる」

「ちょっ、ミーリ!」

 玲音の元へ飛び降りて、そのまえに歩み出る。いつもなら怯えた目で震えながら見つめてくる玲音が、今では堂々と見つめ返してきた。

「レオくん、頼みがあるんだけど」

「頼みですか? ヒヒッ! いいですよぉ? なぁんでも言ってください。わたし、頑張っちゃいますから」

 ゆらゆら揺れながら、ケタケタ笑みを浮かべながら、剣先で地面を掻きながら、玲音はミーリに歩み寄る。その勢いはあと一歩で、抱き着いてしまいそうなほど積極的であった。

「神様が残していった、この街の霧。あの中にいるワンちゃん達を退治してきて欲しいんだよね。俺、もう疲れちゃって」

「退治? 霧? あぁ、さっきの犬ですかぁ! わかりました! ぜぇんぶ殺してきちゃいますね!?」

「自身満々だね、レオくん」

「当然ですよぉ! だって、わ・た・し、ですよ? じゃあ行ってきますね、先輩!」

 笑いながら走っていく玲音を、ミーリはあくびしながら目で追いかける。その隣に降り立ったロンゴミアントは、心配そうに吐息した。

「どういうつもり?」

「ロン、もっかい槍になってくれるかな」

 視界不良の濃霧の中、黒い霧をまとった玲音が歪んだ笑みを浮かべながら駆け回る。今まで敵に向かっていた霧の獣達も、溢れる霊力と狂気に恐れをなしたか、一目散に逃げ出した。

 だが玲音は追うのをやめない。むしろより嬉しそうな顔で笑って、霧の下半身を見つけては追いかけ背後から両断する。そして必ず返り血を浴びて、感嘆の息を吐き散らした。

 そんな調子で一体、また一体と斬られていく。獣が消えていくとどんどんと霧が晴れていって、視界が良好になっていった。

「おぉ、晴れてく晴れてくぅ」

 視界がよくなっていくのを実感しながら、ミーリは小さな家の上から玲音を見下ろしていた。絶えず駆け回り獣を斬り殺していく玲音のその様子を、じっと観察し続ける。

 彼女を包む黒の霧。獣を斬り、血を浴びるたびに喜びに光る赤の大剣。そして遠くからでも感じられる、たしかな狂気。

 彼女と過ごしたのはたった数日だけだったし、その間で彼女のことがわかったわけでもない。ただ彼女は剣を持ったその瞬間に、豹変していることだけはわかった。その原因も大体想像がつく。

『ミーリ』

 ロンゴミアントの言いたいこともわかる。頃合いを見計らったミーリは即座、その場から前方に向かって跳んだ。

 屋上という屋上を蹴り、ときどき壁を蹴り、グングン加速しながら街の空を横断する。晴れていく霧をも吹き飛ばしながら、走る玲音へと肉薄した。

「レオくん」

 呼びかけに応じた玲音は血塗れの顔で振り返る。そしてもはやミーリだと認識できていないのかそれとも認識したうえでなのか、大剣を振りかぶった。

 黒い霧をまとった斬撃はミーリの頭上を横一閃し、躱される。さらにそこからもう一撃繰り出そうと振りかぶったが、槍の一撃によってずっと後方へと弾き飛ばされた。

 ミーリと大剣が同時に着地すると、玲音から霧が晴れてその場に倒れる。長い間霧に包まれていた霧の街から、すべての霧が晴れた瞬間だった。

「終わったね」

 槍から人へとまた戻ったロンゴミアントは、即座ミーリに抱き着く。その顔はどこか不安そうで、何かに怯えているようだった。紫の頭を撫でてやると、ほんの少しだけ落ち着いたようで、まだぎこちない笑みを見せる。

「お疲れ様、ミーリ」

 二人は玲音と、未だ剣のまま地面に刺さっているそのパートナーを順に見る。思うところは色々あったが、二人はそれに関してその場では何も言わなかった。

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