世界震動
空中庭園と人類悪の接触まであと三日。
人類悪の覚醒まで残り時間あとわずかと迫りつつある世界も、その覚醒に気付き始めていた。
東の対神学園ラグナロクとエデンは、三柱の一人
赤と青の羽衣と、戦闘用の武装をまとった少年の姿。
しかしその正体は精神を切り離し、肉体から肉体へと移り生きる、所謂残留思念という代物である。
そしてその彼のすぐ側で、同じく三柱の一人
すべて全世界の対神軍を動かすため、軍から送られて来た許可である。
「北は最近戦争が終わったばかりだろう。物資は充分にあるのか、/」
「あのまま続けばとても許可など出せる状況に終わらなかったでしょう。しかし途中で神々が加勢してくれたお陰で、なんとか許可を出せます。彼らには感謝しなくては」
「ミーリ・ウートガルド、だったか。うちのディアナを倒した小僧が……本当に神を従えるとは」
「あなたでも、できなかったことですね」
「神など従えてどうする。あれは三一年前までただただ人間を傍観し、そして突然滅ぼすと言ってきた狂心者共だぞ。後ろから刺されかねん。そもそもそいつが神々を従えられたのだって、そいつだけの力ではあるまい」
「そうですね。彼は何もかも恵まれていた。名前についている神をも惑わす
「その言い方はまるで、奴の手で戦争が左右されると言っているように聞こえるぞ」
「そうは言っていないつもりですが、しかし否定もしきれませんね。彼と彼女の大喧嘩が、やがてこの戦争に何かしらの影響を与えるのではと思ってはいますよ。戦争の激化かはたまた沈静化か、それはわからないですが」
かつて戦争を一時休戦にまで、武力で持ち込んだ滅神者と計略で持ち込んだ/。そしてもう一人、スカーレット・アッシュベル。
人類の三柱と呼ばれる彼らの手を以てしても、戦争を一時的に止めることはできても終わらせることはできなかった。
故に自身の実力に絶対的な自信を持つ滅神者にとって、自身でも成し遂げられなかった戦争終結の要となりつつある青年の存在を認めたくないのと同時、信じられずにいた。
自身の学園エデンで最強を誇ったディアナ・クロスを打倒した点からも相当な実力者だとは思うがそれ以上ではないと思っていたし、何より自身と似て力だけの若者だと思っていた。
ミーリとユキナに因縁があることは一応知っているものの、その因縁がまさか世界を巻き込む規模を孕んでいるとは思えなかったところもあり、二人の戦いがこれだけ肥大化していることに関して、ただただ信じられないという感想を抱くしかなかった。
「スカーレットの奴とは連絡が取れんのか」
「何度か蝶を飛ばしてはいるのですが……どこへ行ったものやら。まぁ彼女らしいと言えば彼女らしいですが」
三柱の一人、スカーレットにも参戦を要請しようと何度か連絡を試みている/であるが、彼女とは連絡が全く取れていなかった。
自身の実力に多大な自信を持つ滅神者としては自分を呼んでおいて他も呼ぶなど以ての外であるが、しかし来ないなら来ないで苛立つ部分もある。
彼女は三人の中でもとにかく自由人であったが、三柱と呼ばれている立場上こういう危機的状況に現れなければ、人類の希望ですらない。
気まぐれで希望にも絶望にもなる女に、滅神者は心底腹を立てていた。
そんな気持ちを察してはいるものの、相手が相手だけにできる限りの完全体勢で臨みたい/。
滅神者の実力は信頼しているし彼がいればなんとかなるとは思っている。別段完璧主義者というわけでもない/であったが、しかしスカーレット不在は痛いと思う自身も居て。
相手は人類の敵。
もしも神々が三〇年前の戦争で彼女を使って来れば、確実に人類は滅んだとも言い切って過言ではない存在。
人間の悪と呼べるものすべてを集約し、形を与えたような存在に、人類だけで勝てると思えない自分が/の中にいた。
そんな自分を否定し切る自信は/にはなく、知っていることはすべて知っていると自負する彼だからこそ、その脅威を充分に知っているからこそ、スカーレットがいればと思ってしまう。
充分か不充分かの問題ではない。
満足か不満かの問題――ようは、我儘だ。
「まぁいい、我は行く。ラグナロクの
「
「っ、あの女といい、どいつもこいつも好き勝手やりおって! 相対した瞬間に滅するぞ!」
怒りを爆発させる滅神者の隣で、ひたすら印鑑とサインを続ける/。
スカーレットがいないことで若干の不安を抱えている彼だったが、しかし相も変わらぬ冷静を保っていた。
今のところは、だが。
そのなんとか保っている平静で、状況を淡々と告げる。
「現在彼もまた行方不明でしてね。代理は彼の学園の生徒会長と風紀委員長の二人が主にやっていますよ。何百と言う生徒をたった二人でまとめて……最近の若者は責任感があっていいですね」
ところ変わって、北方の
そこには現在、話し合いの場が設けられていた。
グスリカ第一皇女、ナツメ・アンドレッサ・グスリカと、その補佐官に就任したユキナの義理の妹、サクラ・イス・リースフィルト。
両者、従者とガードマンで身を固めた厳戒態勢の中、人類悪顕現についてという議題で話し合っている。
普段王城で会って話すときはもう少し気軽なのだが、このときばかりは重々しい空気が流れていた。
ここまでに王国兵を北方の対神軍に入れ、さらに神霊武装を多数召喚することが決定していた。
対神軍と違って一王国兵に神と戦う力はそこまでないし、大量に召喚するとなれば無銘の武装ばかりになるだろうが、ないよりはマシという考えである。
そこまで決まって、わずかながらの休憩を挟もうとしていたが、口はまったく休まない。
「しかしユキナ・イス・リースフィルトもとんでもないものを持ち出して来ました。絶対の悪神など、人類の手に負える代物ではないと言うのに」
別に、あなたを責めているわけではありませんよと捕捉するナツメ。
それに対してサクラは、気にしていませんよと返した。従者、
「姉は我々の想像の上を通過するのが得意ですから。若干斜めですが、しかし脅威的なのに変わりはありません。彼女の目には、ミーリ様との決着しか映っていない。それがこれほどまでの脅威になると、私自身想像できませんでした」
「ですが隣国の王子や姫君らも、今となってはあなたの味方です。皆あなたに直接触れて、あなたの優しさを知ったのでしょう。あなたが彼女の妹と知って、悲観しているのかもしれません。ですがそのお陰で、もう誰もあなたのことを
「はい。ですがすべては姉です。私はあの人にはずっと勝てない気がします」
「人望を失った原因も姉。人望を回復できた要因も姉。あの人は私に一切関わっていないのに、世界を超して私の人生を変えてくる……あの人には、世界を変えるほどの行動力と力があるのでしょう。もしもあの事件がなければ、あの人は必ずグスリカを反映させた。そんな気がします」
「……それはもう、叶わないことです。それに私は、あなたが補佐官の方がずっとやりやすいです。ユキナ・イス・リースフィルトに会ったことこそありませんが、きっと馬が合わなかったでしょうから」
「フフッ。確かに姉は貴族よりも、女王の方が向いているかもしれません」
可愛らしく笑うサクラだが、過密かつ過労スケジュールで疲れ切っていた。
今日この日このときになるまでに隣国という隣国を渡り、各国の王子や姫と会合。軍の兵力強化や貯蔵できている備蓄のことなど、ずっと話し合いをしてきていた。
睡眠時間は馬車の中のみ。姉と違って体が弱い方であり、まだまだ若い彼女には、過酷なスケジュールをこなしていた。
友として、彼女を休ませてあげたいと思うナツメにできることは、せめてこの話し合いと話し合いの合間に設ける休憩時間を、長めにとってあげることくらいだった。
人類悪は覚醒のときを伸ばしてはくれない。彼女が復活するまでにしなければならないことは、山のように堆積している。
今は過酷でも、動くしかない。それが最善だった。
「さぁ、そろそろ再開しましょうか」
「も、もう? もう少し休んではいかがです。顔色が優れていませんよ」
「ありがとうございます、姫様。しかし止まっている間にも、人類悪は覚醒しつつあるのです。私達にもできることがあるのなら、私達がしなければなりません」
「私達には戦場に出て、戦う力などないのですから」
自分はもう戦えない。
だがそれでもまだ、自分にできることがあるのならば、やるだけだ。
自分には姉のように世界を変える力はない。
だけどやるしかない。やらなければ、これから先にあるかもしれない幸せもなにもなくなってしまうから。
だから信じている。彼のことを。
ユキナと同じく世界を動かせる者。世界を変えられる者。彼の存在に賭けている。
女王に対して唯一牙を向けられる一人の戦士に対して、サクラは自分の中の希望をすべて賭けていた。
だから、諦めきれない。諦めるわけにはいかなかった。
自分が愛した彼は、絶対に諦めないから。
再び場所は変わり、とある女神の祭壇跡地。
美と豊穣、そして戦の女神であった彼女を崇拝していた人々の痕跡も、彼女を憎む現代の人々の手によって破壊されてしまった。
そこに立ち尽くす一人の男。
下半身に白銀の装甲をまとい、上半身は意味深な模様の刺青が刻んでいる肌を晒している。
黒髪に多少の顎髭を蓄えた豪快に見えるその男は煙草の煙をくゆらせて、祭壇の始末を見てただ煙を噴いた。
女神に対して特別な因縁がある彼だが、この惨状を見てざまぁみろと嘲笑することもない。かといってこの始末を嘆くこともない。
彼にとって女神は憎むべき対象ではあったが、だからと言って下に見てもいい相手ではなかった。
自分が一時でも愛した彼女が、女神を崇拝していたからかそれとも、内心で女神を認めているからなのか。そこのところは自分のことだからこそわからない。
「あぁいたいた! 何かとここに来るわね、あんた!」
声を掛けるなオーラ全開の彼に躊躇なく声を掛けたのは、人間の女。
ミーリ・ウートガルドの姉弟子エリエステル・マイン。
彼女に声を掛けられた男はまだ長い煙草を踏み消すと、背中を向けたまま答えた。若干、一人の時間を邪魔されたことに怒っている様子ではある。
「準備できたか」
「まだだけど、あまり遠くに行かれても困るし、勝手にいなくなられたら探すわよ、そりゃ」
「ご苦労なこった。あとどれくらい掛かる」
「あぁ……休憩なしで一五時間くらい? 私達の休憩がね。でもそんなの私達があとで使いものにならなくなっちゃうから、まだ二日は掛かると思うわ」
「俺がやるか。俺は霊力の貯蔵量もその後の回復力もおまえらよりずっと上だからな、すぐに終わる」
「ダメよ! あんたは人類悪に対する切り札なんだから! アフラ・マズダがいない今、あれに対抗するうえでの切り札は神でも人間でもない人形のあなたなのよ、自覚してるのエンキドゥ!」
エンキドゥと呼ばれた男はフン、と軽く笑う。
別に切り札と呼ばれていることが嬉しいのではなく、だったらもっと早くから動いておけよと言うちょっとした嘲りである。
自分一人体を動かすことも許されず、もどかしいと言うのもあるが。
故に少し、自分が動く理由を提案してみる。
「てめぇらの師匠がこの戦いのためにウォーミングアップしてるんだ。俺がこの戦いのためにして何故いけない」
「動くなとは言ってないわ。ただ、力の温存をしておいてねって言ってるだけ。それさえ守ってくれれば、体を動かすくらい全然いいわよ。手合わせは万が一があるから、しないけれどね」
手合わせは禁止と言われて、エンキドゥは思い切り舌を打つ。
たかが運動では戦闘前のウォーミングアップになどなるものかと思っているようで、かなり不満そうである。
ここまで不満と機嫌の悪さを雰囲気で感じさせながらキレないエンキドゥもだが、それを感じているもののまったく引かないエリエステルもすごかった。
この場に他の誰かがいれば、確実に気まずい空気に押し潰されただろう。
そんな空気を察しているわけではないが、エンキドゥはとりあえず口を動かす。
「大体、体を動かした程度で人類悪を殺せるのか。数十年のブランクを埋めて、それであれに勝てるのなら、誰も苦労なんてしてないし、勝てないなんて思わないんじゃないか」
「確かに人類悪に、人間は勝てないと言われて来た。だけど、そういう昔話があるだけよ。今は神霊武装っていう武力があるし、昔の人のお陰で人類悪の特性も知れてる。昔ほどの脅威は、もうないはずよ」
「それに、師匠が倒そうとしているのは人類悪じゃないわ。あれを従えるほどの力を持った、人類悪以上の怪物――ユキナ・イス・リースフィルトなのだから」
そう語るエリエステルが女神の祭壇を見上げたとき、瞳には若干の寂しさを抱えていた。
師匠が本気でユキナを殺すため、全盛期に近い実力を取り戻そうとしている。
その結果がどうなるかはわからないと思いつつ、実際もうわかっているような気もして。
ともかく何事もなく、ことが順調に進む。そんな未来を描き、そうなって欲しいと願うしか、彼女の胸の内ではできることがなかったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます