青色の告白
女神アテナの進軍を受けて、空中庭園が受けたダメージはゼロ。
軍のすべてがミーリの軍に阻害され、どれも庭園の草木一本傷付けることも適わなかった。
その軍の力を認めたアテナによって、軍に依頼の説明がされている。
ミーリはもちろん、庭園を操るセミラミスとネブカドネザル。そして知識も実力もある神が数体、説明会と作戦会議を兼ねた話し合いに参加する。
「空虚……大丈夫か?」
「あぁ……」
空返事に参る軍服の少女、
もう一人の
確かに不安定ではある。
しかし空虚は不安や悲観でそうなっているのではなく、緊張でそうなっているのだ。
何故って、それは会議に行く前にミーリに言われたからである。
――ウッチー。後で俺、告るから
――……ん、な……な?!
ドゥルガーと
さながら、オルアに台無しにされてしまったこれからの告白を、取り戻そうとするかのように。
――だって、告ろうと思ってたのに……オルさんにバラされたし
元凶であるオルアは舌を出し、フンとそっぽを向く。
好きな男性が他の女性を好きとわかり、しかも結婚を前提に告白するつもりとわかって平静でいるのもおかしいとは思うが、しかしオルアという比較的温厚な女性がここまで攻撃的になるとは思わなかった。
あぁ素敵です! と褒め言葉を乱発するジルダを率いて、オルアはその場から去っていく。
少し困った様子で見送ったミーリは、改めて空虚に宣言した。
――さっきカッコよく告ってくれたし、俺も少しはカッコつけたいんだ。我儘だし、ただの俺の自己満足だけれど、俺は君にとって恥ずかしくない人になりたいから……だから、ちょっと待ってて
――今の俺の精一杯で、君に告白するよ
ズルい。
卑怯だ。
もうすでに告白されているようなものではないか。
空虚にとってはもうすでに、オルアに暴露された告白などもう充分に上書きされている。
ミーリは去り際に、期待しないで待っててと自分に保険をかけていたが、これで期待しないでいる方が無理だ。期待してしまう。
公開サプライズなんて演出は、今まで見聞きしたことはなかった。
そりゃあ、ホワイトデーに告白とかクリスマスに告白とか、記念日やイベントに被せると言う定番かつ王道を除いて言えば、だが。
しかしダメだ。ドキドキする。心臓が潰れそうである。
「主、お体の調子が悪いのですか?」
二人にまで心配される始末。
あぁ、ここまで自分はどうしようもなく、彼のことが好きだったのだと知る。
同時に得るのは、適度な安心感。
私は本当に心の底から、彼のことを好きでいるんだと言う確信を持てて、安心感を覚える。
近年は両想いだったはずの恋人同士も、数年の時を経て冷め、別れてしまう時代。TVに出るような人達は言う。お互いの価値観のズレだと。
だがその価値観のズレを補うために付き合い、その価値観のズレを確認するために付き合い、お互いがお互いのことを知るために付き合うのではないのかと思う。
しかし、恋は人を盲目にさせるのも事実だと思う。
一度異性として好意を寄せてしまうと、ある程度美化されて映っているものだ。
今のこれだって、傍から見れば自分勝手な酷い男女の寸劇だと言われて捨てられるかもしれない。
しかし自分達は至って真面目で真剣で、誰にも否定されない権利があって、僕達私達は誰にも邪魔されたくないわけで。
たとえ障害があったとしても、それは二人で一緒に乗り越えたいものであって、誰かによって恥ずかしいとか怖いとか気持ち悪いとか言われたくないことである。
恋とはやはり人を盲目にさせるものであり、他人からはどう見えているのかがわからなくなってしまうけれど。
しかし自分自身がその人を好きだと確信を持てるのならば、きっと恥ずかしいとか気持ち悪いとか、そんな心の籠ってない罵詈雑言じみた言葉すらも跳ね除けられる気がするのだ。
だから大丈夫。
今、ミーリ・ウートガルドを心の底から好きでいられている
しかし何度も言うように、恋は人を盲目にさせる。それは自分とて例外ではない。
自分自身がそう思えているだけで、現実がそうはいかないなどよくある話だ。自分はもしかしたら、途中で挫折するかもしれない。
だけど、そんなときでも寄り添って、きっと。
「あら、緊張気味かしら?」
「……ロンゴミアント……」
ノックが聞こえなかっただけか、いつの間にかそこにいたロンゴミアント。
彼女もまた、魔法世界からの帰還以降変わったなと不意に思う。
槍脚は、ミーリが召喚の際に適当にやったのが災いしていて、元の持ち主である魔神ロンギヌスによって正しく召喚された姿が今の姿だと聞いている。
つまりは今の姿が、神霊武装ロンゴミアントの正しい姿であるわけだが、しかし正しく召喚されたその影響は、体だけではなく性格にも表れている気がした。
「二人共、少しいいかしら」
基本的、お姉さん気質。
天と戦も含めて、ラグナロクの神霊武装なら多くの者が慕っているし、相談もしている。
ラグナロク最強の生徒の武装としては、申し分のないポテンシャル。彼女がもし神霊武装でなければ彼女にしたいと、よくラグナロクの男子がこぼしているのを聞いている。その話を聞いた側で、空虚はよく安堵を覚えたものだ。
ロンゴミアントが神霊武装でよかったと。
彼女がもしも人間だったら、もっとも近くにいる彼女にミーリは惚れていただろうし、結婚相手には当然のように選んでいただろう。
彼女自身ミーリに惚れているのだし、実際、今だって自分よりもお似合いの二人だと思う。彼女に勝てる自信は、きっといつまでも湧かないままだ。
人間と神霊武装では結婚できない法律であるが、そんなことはもしかして関係ないのではないかと思うほど、二人の仲はいい。
空虚がミーリに告白するうえでもっとも懸念していた相手も、実際リエン・クーヴォやオルア・ファブニルではなく、ロンゴミアントだった。彼女達には悪いが。
彼女はそれほどまでに、人間として完成された女性である。
そんな彼女が告白されるまえの自分の元に来たことが、空虚は少し怖かった。緊張を超えての恐怖だ。
「空虚、ちょっと話をしたいのだけれど」
「あ、あぁ構わないが……」
天と戦に先に何か言っていたから、人払いかとも思ったが、そうではないらしい。二人はまだ部屋に残っている。
別に聞かれても構わない話、ということだろうか。
にしては、少し雰囲気が固いのだが。
「まずは、交際開始についておめでとう。あなたなら、ミーリを任せられるわ」
「あ、ありがとう……」
「で、本題なんだけど……」
「ミーリ、基本的に熱いお風呂は嫌いだから一番風呂は入れちゃダメよ」
「へ……?」
「熱いお湯に浸かってられないのよ。あと、洗濯物は自分で畳ませなさい。あの人他人に服とか仕舞われると、収納場所がわからなくなっちゃう人だから。それと毎晩の献立を聞いてくるけど、あれは別になんでも同じ反応だから、気にしないでいいわ。あぁでも、ハンバーグだと少し嬉しそうかも、あと――」
突然始まったミーリに関するレクチャーは十分程度続き、ま、戦闘時のことはあなたもよくわかってるでしょうと終えた。
正直一度で覚えきれる量ではなかったし、また同じことを言われると最初に覚えていたことが抜けそうなくらいなのだが、とりあえずわかったことは、ミーリは自分のことは自分でやらないと済まないタイプということだ。
「まぁ尽くし過ぎると逆に警戒しちゃうし、尽くさないなら尽くさないでまた緊張しちゃう人だし、面倒くさいとは思うけれど、そこの加減を間違えなければ大丈夫よ」
「あ、あぁ……」
「しっかりしなさい、空虚。あなたは私の大好きなミーリと婚約するのよ? 中途半端なんて許さない。あなたは世界中を敵に回しても、彼の味方をし続ける。あなたはそうなろうとしているのだから」
ロンゴミアントの言うことは最もであると思ったし、何より親切心で言ってくれているのは理解できた。
だが何故だろう。その言い方だと、まるでミーリがこの先世界中を敵に回すかのような。そんな風に聞こえてしまっていた。
「ミーリは、対神学園には戻らないつもりよ」
「……神と共に軍を結成したから、か……?」
「それもあるけれど、一番はあの子と戦うから……ね。ユキナは今までの魔神とは明らかにレベルが違う。間違いなく名のある神と同等以上でしょう。覚悟を決めようとしているの。死ぬ覚悟も、彼女を殺す覚悟も。そんな中で、あなたが迎えられる理由が理解できる?」
理解できそうでできない質問だった。
神と共にいる今、世間的にもう人間の社会に戻れないのはわかる。
ミーリは例えユキナを倒した後も、神と通じていたものとして罵られ、酷い洗礼を受けることになるだろう。
社会から排除されたとしても、決して文句は言えないほどに、現在の社会で神と通じるということは重罪だ。殺人鬼に情報を与えているようなものである。
ユキナ・イス・リースフィルトがどれだけの大罪人だとして、それを討ち果たしたところで一体どれだけ罪が軽くなるのか。おそらくは、ほとんど変わらないだろうから。
故に世間との縁を切ろうというミーリの考えは理解できるのだが、死ぬ覚悟も殺す覚悟も決めている人間が妻を迎えるということ、その意味を理解するのには時間があっても難しそうだった。
戦場に赴く男の詩吟など、同じ戦場に生きる女でも難しいだろう。
しかしその答えを聞いて、男とはそういう生き物なのかと理解した。
「あなたは希望なのよ、空虚。例えミーリが死んでも、生き残ったとしても、どっちでも……」
「生き残ればあなたと生きる人生が待っている。死んだとしても、あなたの心に自分を残すことができる。例え生き残っていても、最期には死のうとしていたミーリが、生きるために戦おうとしている。わかる? あなたがミーリにとって、この世界に生き残るための
「楔……」
「だから幸せになりなさい。それはミーリが、あなたに求める唯一の縛りよ。まぁ私もいるから、二人きりにしないですけど」
「……たまにはしてくれ。私だって、愛情を受けたいと思うことくらいある」
「えぇ、考えておいてあげるわ」
やはり、彼女には敵わない。
ロンゴミアントは、自分よりも素敵な女性だ。
それなのに自分を選んでくれたミーリには、感謝しかない。
「さ、行くわよ」
「行くって――」
「当然、ミーリのとこ」
告白されるのか?!
ロンゴミアントとの対話で完全に忘れていた。
自分がこれから好意を伝えられると言うことを。未来の妻になって欲しいと懇願されるということを。
いや、まだわからない。もしかしたら友達として一緒に居て欲しいと言う意味かもしれないしと自分に保険をかけて、空虚はロンゴミアントについて行く。
そんなに緊張することはないわよと彼女は言うが、この状況で緊張しないのはどうなのだろうか。というか無理だろう。
そんなことを考えていると、途中で花嫁の姿をした少女に遭遇した。奇運である。
一瞬、自分の妄想の具現化かとすら思いこんだが、確かミーリの軍の中に花嫁の神がいるなと思いだした。
名は確か――ジャヴェル・ザ・ハルセス。
「あら、調度よかったわ。ハルセス、この人はあなたの主の奥さんになる人よ」
奥さんになるでよかったのかぁ!
空虚、赤面と同時に胸中で悶える。
「花嫁の女神として、この人に精一杯の恩恵を与えてあげて頂戴」
決してその声を誰にも聞かれたことのないハルセスは、このときも結局何も喋らなかった。
ただ両手を固く結び、月光が輝く星空に祈る。
しかしその直後に薫風が吹き荒んだかと思えばその辺り一帯の花園を多くの花で満たし、満天の星空を輝ける流星で一瞬ながら恩恵の輪を描くと、唇で恩恵を紡いだ。
声にはしなかったが、その唇は確かに恩恵を描いた。
汝とその夫、その家族に奇跡と幸運の輪が描かれ続けますように、と。
祈りを捧げたハルセスはチラッと空虚の方を見ると、庭の方を指差して行けと促す。ロンゴミアントが行こうとしていた方とは、別の方角である。
それを見たロンゴミアントはあぁ、と一人理解した様子で鳴いた。
「あっちにいるのね、ありがとうハルセス」
ハルセスと別れ、ロンゴミアントは空虚を庭園の中にある石造りの舞台へと連れて来た。
しかしそこにミーリはおらず、いるのはミーリの武装達。
左右に三人ずつが空虚を挟む形で並び、空虚に舞台へ上がるよう促す。
そして空虚が舞台へと上がった瞬間、上空より青い閃光が降り立った。
まるで上空の星空が染み込んだかのように青く、小さな輝きの粒をまとう。
比喩ではなく、ミーリは実際に星屑の輝きをまとっていた。
「ミーリ、待たせ過ぎよ」
「ごめんごめん。ちょっと準備に手間取っちゃって」
「準備……?」
「というわけで、ちょっとごめんね」
ミーリはそう言って、軽々と空虚を抱き上げる。
戸惑う空虚に少しそのままでいてと優しく呟くと、六人ににこやかに笑みを向けた。
「じゃあみんな、ちょっと行ってくるから」
六人に見送られ、ミーリは霊力で脚力を極限まで強化。
満天の星空へと高く跳躍し、一定の高さで停止する。
空虚が目を見開くとそこは雲海の上で、真下を見れば台風の目のように雲海を避けて通る空中庭園。真上を見上げれば、もはや何も邪魔する者はないことに感激するしかないほどに、美しく輝く星々があった。
「ごめんね。ベタだけど、俺にはこれくらいしか思いつかなかった。んでもって、これくらいしか用意できなかった。悪いけど、俺の胸ポケットから取ってくれる?」
このとき、空虚は緊張で気付く余裕すらなかったが、ミーリは普段肩に掛けているだけの上着に袖を通し、キッチリ前を閉めていた。
そしてその胸ポケットには小さな箱が入っていて、視線で促された空虚が開けると、七色の小さな宝石が散りばめられた指輪が入っていた。
神霊武装六人がミーリより貰い受けたのと同じ種類の宝石が台に埋められており、その台の中心に輝くのが、月光を受けて虹色の光を反射するブラックダイヤモンドであった。
「嵌めてくれると、嬉しいな」
そう言われた空虚は一瞬右手の薬指に嵌めようとして――左の薬指に嵌めた。
「ウッチー、前に自分で石を取りに行ってくれたでしょ? それ、軍のみんなに頼んで神獣とか魔獣の体の石を削ってきて貰ったんだ。真ん中の石は、キーナの
「そうか……うん。ならいい。店で買ったとか言ったら、さすがに幻滅していたぞ。大体、そう易々と宝石を買ってしまうおまえの神経は、さすが元貴族というかなんというかだな……」
「やっぱり、ちょっと引いちゃう?」
「まぁ、一般人を代表して言わせてもらえれば、女性に軽々と宝石を送る男はいい印象ではないな」
「そっか……」
「だから、私で最後にしてくれ。ロンゴミアント達もオルア達も、おまえにとって大切な者達であることはわかっている。だがもし、私に我儘が許されているのなら……これが私の、最初の我儘だ」
「なら、条件がある。これが俺の最初の我儘」
「俺の……俺だけの奥さんになってください」
「そ、それは……告白と言うかプロ、プロポーズ……では、ないか……ズルいぞ……」
「ごめん」
「……だが、構わない。これから私はおまえのものだし、おまえは私のものだ。よろしく頼む」
優しく、そっと口づけを交わす。
どちらからということもなく、互いが同時に唇を食んだ。
雲海の上。冷たく切れる大気の中で、口づけを交わす二人の吐息が混じり合う。
「これが、契約の証ね」
「上位契約か?」
「最上位……最高上位契約、かな」
「……了解だ。大好きだぞ、ミーリ」
「大好きだよ、空虚」
こうして、星空の下、雲海の上での告白は無事に済んだ。
なんのハプニングも起こることはなく、輝く星も沈む月も、昇って来る太陽すらも、彼らの幸福を祝福しているかのようで。
少し肌寒さを感じざるを得ない気温だったが、二人は口づけを交わし抱き合ったあとも、しばらくの間雲海と星空の狭間で二人の体温を感じ続けた。
これからのことも今までのこともその間は何もなく。ただそこに、二人だけの世界が広がっているだけであった。
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