漆黒の魔
ユキナ・イス・リースフィルト率いる軍、
今やこの世界において人類の対神軍、神々の対人軍、ミーリ・ウートガルドの
この世で今最も強大な組織であり、世界にとって最も有害だろうと言われる軍。
目的もなく、ただ正式に暴れられることを目的とした神や悪魔が入りたがるが、そういう三下の者どもが入れるほど、この軍は甘くない。
ミーリ・ウートガルドさえ倒せば、次は人間も神もすべて敵に回して世界を手に入れようと――まぁユキナ自身にその気などないのだが――している組織だ。
ましてやミーリ・ウートガルドそのものが、名のある神すらも打倒しうる存在。弱い戦士は戦わずして肥やしにするくらいでなければ、打倒などあり得なかった。
そんなユキナの軍で力を奮うのは主に――
和国の英雄神、スサノオ。
人類史最初の人間の王、ギルガメス。
悪魔の王にして蠅の王、ベルゼビート。
軍師の魔神、
理性を欠いた狂気の戦士、ベルセルク。
この五体の魔神及び神。
そしてそこに、もう一つの勢力が加えられた。
それは軍が隠れ蓑にしている南の大陸絶海の孤島。
数百年前の人間の文明がわずかに残っているその島を住処にして、ユキナの軍は来たるべき戦いのときまで備えていた。
その島の地下。おそらく昔は人々が神を祀っていたのだろう祭壇のある地下の広間に、その新勢力である大樹が生えていた。
西の孤島から遥か数万キロ。ここまで運んでくるのにそれなりの苦労があったのは、未だに軍の中で語られる偉業の一つである。
それをやってのけたベルセルクはベルゼビートの配下である悪魔達や太公望配下の歴史に名を遺せなかった兵士達――いわばベルセルクからしてみれば足軽兵のような存在からの評価を得た。
ベルセルクのコントロール実験成功、及び軍からの信頼の構築完了。軍としては、大樹の運送に二つも儲かった点があり、喜ばしいことであった。
だが軍には秘密にしているがもう一つ、喜ばしいことはユキナの中にあった。
それを軍の中で知っているのは、今となってはスサノオと太公望の二体のみ。
「ユキナ様」
その太公望が、ユキナの元へ。
軍の大将、ユキナは数少ない人工物である廃れた元宮殿にいた。
かつてはこの島を治めていた王が座していたのだろう。王座に座すユキナの足元には、真っ黒な瞳のない大きな犬が眠っていた。
最近ユキナが飼い始めた魔神の猛犬。名を、バスカヴィル。
かの名探偵の探偵譚を描いた小説、その中の一つの事件に出てくる魔犬である。
バスカヴィルは太公望がやって来るとその場をどき、ユキナの隣で寝始める。彼の主はユキナであり、ユキナを護るのが自身の役目だと自負している、いわば忠犬であった。
「クシナダ姫とナルラートから、ご子息様共々無事霊峰に入ったと連絡がありました。北の最高位度危険地域、
「クシナダから聞いたわ。普通の人間はもちろん、霊力の高い人間も神も酔わされる、世界一霊力の濃い場所、この星そのものの霊力が、充満している場所だって。私もミーリも、修行の場には選べなかったほどだもの」
「しかしナルラートホテプ。あれは混沌、この星の中心と呼ばれる場所から生まれ出た存在。星の霊力を吸って、むしろ言葉のどもりも治るでしょう。クシナダは……正直わかりませぬが」
「大丈夫よ、クシナダは。だって元々、世界で有数の毒蛇の化身でしょう?」
スサノオの妻、クシナダ。
混沌の魔獣、ナルラートホテプ。
彼女達は軍を脱退――と表向きにしておいて、秘密裏に、最重要機密事情に動いてもらっていた。
ユキナの軍最大の目標、ミーリ・ウートガルド打倒。
しかしそのミーリ・ウートガルドと、大将のユキナが恋人同士だということを知らない者達が多く、ただ単に神々としては消しておきたい存在としてでしか映っていない。
故にミーリとユキナの間にできた子供など、軍の仲間達が認められるはずもなく、脱退者が多く出るだろうことは想像に難くないわけだ。
まぁ幹部である神々が残っていればそれでいいのだが、しかしあまり軍を小さくしてもミーリに格好がつかないので仕方ない。
とにかく様々な理由で、子供の存在は隠さなければならなかった。
そのために人も神も寄り付かない霊峰に二人を行かせ、戦いが終わるまで待っていろと命じたのわけで。
「しかし、クシナダはあなたのことを一番に心配しておりました。何十時間の難産に耐え抜きやっと産んだ我が子と対面し、その温もりに触れたのはわずか数分程度。あなたがもう、二度と子供と対面しないつもりでいるかのようだと……」
「だから、これを?」
ユキナの膝の上に乗せられた、一つの木櫛。
幾重にも重なってかけられている霊術式から感じられる霊力は凄まじく、ただの櫛でないことは見てわかる。
スサノオの
戦闘の勝敗すらも左右しかねないほど強力な、自己強化の霊術が施された武装と言うのがわかりやすいか。
それを出発前に手渡された。
何かあったときのために、いわば護身用だそうだ。
「三種の神器の一つ、
「いいわ、別に。あの子の顔を見ていると、決意が揺らぎそうですもの……」
「……そういえばもう一つ。ナルラートより報告です。自分が抜ける穴を彼らで埋めて欲しいと……その、軍を送って参りました」
「軍?」
太公望に連れられ、ユキナはバスカヴィルに乗って宮殿の裏庭へ。
そこには象と同じ大きさを誇る宝石のような甲冑をまとった天馬の群れと、長身痩躯の漆黒の瘴気をまとった体も顔も見えない兵団がたむろしていた。
ナルラートの呼んだ軍であることは間違いなく、全員が全員ナルラートと同じく言葉がどもっているか、未知の言語で会話していたからである。
「忌まわしき狩人、
「これをナルラートが? へぇ……私のお願いを三つも聞いてくれるだなんて、いい子。最後に頭でも撫でてあげればよかったわ」
「すでに存在する我が軍の総数は、八万九五一二。ここに一万五千もの数を加えれば、我らが軍もまた強靭なものになりましょう」
「えぇ、そうね」
混沌の軍勢の前に、ユキナが一人躍り出る。
架空世界の生物であるシャンタグと夜鬼の軍勢にとって、この世界の人はおろか神ですら、愚弄の対象になりうる存在だ。人から神へ進化した魔神など、嘲笑の対象でしかないだろう。
しかし彼らは一瞬足りとも、嘲笑などできなかった。
もはや魔神ですらなく、神をその中に封じているただ強いだけの人間に対して、自分達より遥か上の存在である架空支配者と同じ畏怖と恐怖を感じて動けなかった。
たかが人間と侮ってかかれば、確実に殺される。絶望的な未来を予感して、彼らは一切彼女に逆らうことなく、首を垂れて忠誠の姿勢を見せた。
それが当然と、ユキナは何も疑問に感じることなく受け入れる。
今まで誰にも逆らわれたことがないというわけではないのだが、しかし誰もが傅いても当然とすら思えるほど、彼女はさらに力を増していた。
出産によって、今は一時的に力が落ちている――そんな説明をされたところで、まったく信じられないほどに。
現にそれを信じて彼女の首を取ろうとした神々を、彼女は一人ですべて粉砕していた。
「じゃあみんな? ナルラートの分までよろしくね?」
混沌の魔獣の配下。それもまた、混沌の魔獣達。
まるで阿鼻叫喚のような、狂気の混じった奇声が響く。
言語になっているようななっていないような、凄まじい声量で意味不明の言語を叫ぶ彼らは、ユキナをナルラートに代わる主として認めたようだった。
そんなユキナの背後に、一体の名もなき悪魔が現れる。
背中に一本の大筒を背負ったそれは、彼女の軍の中では伝令役を担っている一体だった。
背負っている大筒から一枚の紙を取り出した悪魔が指先に灯した火で炙ると文字が浮き出て来て、ユキナへの報告書へと変わる。
それを受け取ったユキナはゆっくりと、文字の一つ一つを噛み締めるように読むと、それを丸めて後ろに
炙り出しという加工がされているその用紙は言ってしまえば霊力が込められていて、それを嗅いだバスカヴィルは餌と思って喰いつく。
しかしすぐに触感で餌じゃないとわかり、ペッペと吐き出した。目がないので、度々こうなる。
「太公望」
「は」
「ミーリの居場所がわかったわ……
「空中庭園……となれば、管理者はネブカドネザル。神域に達した王にございます。かなりの使い手だとか」
「自分の軍に入れたのね、さすがミーリ……でも、なんで女神アテナと戦って……対立でもしてたのかしら……オリンポス軍は比較的温厚って聞いたけど……ま、だからこのヘルメスの脚も手に入ったのですけどね?」
「ヘルメス、デュオニュソス、デメテル。三体の神を蹴散らし取り込んだあなたにとって、アテナももはや敵ではないでしょう。同じ戦の神でも、天を司るイナンナの方が上位互換にあります故」
「でもデメテルとデュオニュソスの力は要らなかったわ……今更だけど、生贄にしてあの子の養分にすればよかったかしら……」
「ユキナ様に出過ぎた真似と承知の上で申し上げます。デメテルもデュオニュソスもアテナやヘルメスと同じオリンポスの神。その力は他の魔神や神を圧倒します。その力を存分に発揮さえすれば、ユキナ様の更なる力となることでしょう」
「それはそうね……まぁ暇だし、リハビリがてら少ししましょうか、特訓」
「ユキナ様に口出しした無礼を、お許しください」
太公望は軍の参謀に当たる。
生前の人間時代も、名将と言われるほどの軍略家で知られていたというその実績から、ユキナの軍の計画その計算をしてきた。
実力は未だ計り知れないところはあるが、しかし純粋な神でありさらに武神であるスサノオには敵うまい。
故に戦闘能力ではスサノオがナンバーⅡに当たるわけだが、しかし作戦指揮官という立ち位置では太公望こそナンバーⅡと言える。
故にユキナ、スサノオと並んで三大権力者――と威張ってもよさそうなものだが。
ベルゼビートのような後先を考えないそのときの至福しか考えられない奴ならば、三大権力者となれば喜び威張るものだろう。
しかしこの太公望、威張るどころかユキナを軍の大将として敬服するのみ。
ユキナの前では基本片膝をついて自身の頭を下にする。
自身が高身長であるが故、そうしないと低身長のユキナよりも頭が高くなってしまうから。
絶対に丁寧語、敬語を外さない。
軍の総司令官はあくまでユキナであり、総大将はユキナであることを軍の全員に認識させるため。決して、決して自分が裏で糸を引いているなどと、思わせることなかれと。
それらを基本に、彼はユキナに対して絶対の姿勢だ。
軍の中で、ユキナを一番に敬っているのは彼だろう。
少しくらいは、砕けた態度を見せてもいいと思うのだが。
多分ミーリの軍には、こんなにミーリと言う大将を持ち上げる者はいない。だからきっと、彼らの中には多くの信頼があるはずだろう。
ユキナが見たのはその一端であり、そのときよりもよりミーリの軍は大きくなっているし強くもなっているはずだ。それからのミーリの軍を、ユキナはまだ実際には見ていない。
だけどきっと、彼のことを知っているからこそ思う。
ミーリ・ウートガルドに自分を持ち上げてくるような奴はいない。
軍の中心としてありながら、きっと全員を対等に扱っているのだろう。あの平均人間に、特別誰かを贔屓するなんてできるはずないのだ。
そう、このユキナ・イス・リースフィルトを含めて――
婚約者なのだ、彼のことは一番わかっている。ミーリが幼少期から特別を持てない人間であることも、全部、全部知っている。
悲しいことだ。
自分が特別になり得てなかったことも知っている。
あの再開の日、公園で何年ぶりと再会したあの日に察した。
あぁ、自分は愛する対象としては歪んだ像で映っていると。
自分はそれを良いように利用して、愛して、愛されて、まぐわって――
「ちょっと脱線したわ……」
「どうか、なされましたか」
特別。
太公望にとってのユキナ・イス・リースフィルトは、何か特別なのだろうか。
自分としては特に何か特別扱いした覚えはないが、しかし彼からの特別扱いは最初からだ。
それは軍の大将だからか、それとも――
「太公望?」
「は」
「……アンはどう? まだ足りないのかしら」
「は。先日捕らえました数体の魔神の霊力をすべて吸い尽しましたが、未だ覚醒までは至らず……大樹の姿で、寝ぼけているかと思われます」
「そう……あの子が起きたら、ちょっと連れ出したいと思っているの。食べてばかりだから、ちょっと運動をさせようと思ってね」
「運動ですか……して、どこに進軍なさいますか」
ユキナは少し空を見上げて、そして架空世界の生物らが自分を見上げているのを見下ろして笑みを零す。
今の一瞬で、彼女が何を思ったのか。それを太公望が知る由はなかった。
「バビロン空中庭園……かのネブカドネザル王に、ご挨拶といきましょうか」
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