神に会うとき

 そらを泳ぐ名を失った空中庭園。

 交渉の結果、その使用権利を得たミーリ達一行。

 そして、そんな彼らについて来た荒野空虚あらやうつろ

 暇をもらって、幼龍ティア――とはいえ身長は立ったときティアの方が高いし発育も彼女の方がしているが――と共に庭園をうろつく空虚は、一人の女性と遭遇していた。

 白い修道服に身を包んだ若干だが日に焼けて小麦色の肌の女性。その手には十字架を握り締めており、青眼で空虚のことを凝視していた。

 彼女のことは憶えている。ミーリが女王セミラミスとの謁見の際に両脇にいた、白と黒の修道女のうちの一人だ。

 確か名前は――アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ。しかし本名よりも、彼女が修道女として与えられた名前の方がとても有名である。

 シスター・テレサ。後にマザー・テレサとも呼ばれた、修道女として最高の存在である。

 今の彼女は若い頃の姿なので、シスターと呼ばれているようだが。

「……シスター・テレサと、お呼びすればよろしいか」

「……それは主に仕えるために貰い受けた名。主に仕えるどころか、主に近付くなどという冒涜に走った私にその名は名乗れんよ。主は、私の存在を許しなどしないだろうさ」

 そう言って、シスターはなんとタバコに火を点ける。

 シスターらしからぬ言葉遣いと行動に空虚が一歩引くと、シスターは溜め息で煙を吐き尽くした。

「なんだ、あの坊やと違ってあなたは霊力探知が苦手なのかい? 少し探れば、私の霊力が異質なのはわかるだろう」

「い、異質……?」

「ウーウー、ルルル。ルルルゥ」

 ティアがシスターを指差して言うが、やはり何を言いたいのかはわからない。

 するとそこに、一人の女性が歩いて来た。

 獅子の鬣のように凛々しく伸びた金色の長髪と、その頭頂部についた獅子の耳。緑と白を基調とした装束は全体的に丈が短めで、素早く動くのに適していそうだった。

 宝玉のように輝きながら、しかし鷲のように鋭い光を持つ碧眼で空虚達を射抜く。

「気付かないか? 彼女はマザーテレサ本人ではない。彼女の代わりに転生した、彼女と最も近しかった存在。彼女の次に主に愛されながら、その名を遺さなかった人。マザーの名を借り受けているものの、マザーとは名乗れないんだ。察してやってくれ」

 彼女のことは、空虚は知らない。セミラミスとの謁見の際も、彼女の側にはいなかった。

 しかしあのとき、女王はもう一人紹介しようとしていた。それが彼女なのだろう。

 それに気付いたのか、これは失礼と彼女は自らの自己紹介を始めた。

「私はアタランテ。この庭園の女王に雇われている、ただの猟兵だ。同盟のことは聞いている。今し方、おまえの旦那にも挨拶させていただいた次第だ」

「だ、旦那?!」

「ん、ミーリ・ウートガルドというあの青年のことだが、違うのか? 唯一の人間同士、そういう関係だと思い込んでいたのだが……それは失礼した。気分を害さなかっただろうか」

「え、いや、それは……」

「ウー? ウーウー?」

 一瞬だった。

 一瞬で紅潮した空虚はよろめき、自分の顔を両手で包み込んで押さえるという、なんとも乙女的な動作をしてしまった。

 ミーリが自分の旦那だと勘違いされたことも恥ずかしいが、しかし女子らしさというものがいくらか欠如している自分が女子らしい動作をしているのが恥ずかしくもあって、二重に恥ずかしい思いをした空虚は目が回って来てしまった。

 ティアがどうしたの、大丈夫? と空虚をつついて訊くが、空虚の心はそこにはなく、真っ赤な顔を俯かせて黙り込んでしまった。

 それに少し天然気質のあるアタランテが、また勘違いをし始める。

「あぁ、すまない……その、リンゴ食べるか? これで許してくれとは思ってないが、とりあえず謝罪の意として受け取って欲しい。私秘蔵の黄金のリンゴだ。うまいぞ、とにかくうまいぞ」

「あぁ、いや……こちらこそすまない。嫌だったんじゃないんだ。そういう間違いがその、新鮮だったというかなんというか……とにかく少し過剰に動揺してしまっただけだ、気にしないでくれ」

「そうか。いやしかし、勘違いで困らせたのは事実だ。受け取ってくれ。私の秘蔵の中でも特別でかいのをやる。あぁ丸かじりが鉄則だぞ、切ると腐るのが早まる」

 黄金の皮質を持つリンゴ。

 ティアの頭くらいある大きさで、リンゴが大きいような気もするしティアが小顔なような気もする。なんか負けた気になるリンゴだった。

 それをティアが欲しがるのであげると、シャクシャク言いながらかぶりつく。

 口の周りをベタベタにしながら食べきったティアの口を拭く空虚を見て、アタランテは微笑みを見せる。

 タバコを吸っていたシスターも、ティアの言動を見てすぐさま吸うのをやめた。育っている容姿から歳を想定していたものの、それよりずっと下だと見て子供の前での喫煙をやめたのである。

 頭から犬らしき耳、尾骶骨から尻尾を生やしたティアがアタランテにリンゴをねだる。

 アタランテはまたどこからともなくリンゴを取り出して渡すと、ティアは大事そうに手の中に包み込んだ。

「なるほど、それは親しい人にあげるのか」

「ウゥ! ティ、ミーミー、ヌィ、ンゴォ!」

「そうかそうか。きっとその人も喜ぶはずだ、偉いな君は」

「ウゥ! ウーウー! テ!」

「あ、あぁおい……」

 リンゴを持って、ティアはそそくさと駆け足で走って行く。度々振り返って空虚に来て欲しそうにし、曲がり角まで来たときには空虚を待ち始めた。

 言葉は通じないが、しかし来て欲しいことだけは伝わって、空虚は仕方ないなと吐息する。

「すまない。また次回、改めて話すとしよう。リンゴ、ありがたくいただいていく」

 ティアを追いかけて駆け足で行く空虚の後姿を、アタランテとシスターは珍しいものを見る目で見つめる。

 人間と神が命を賭して対立しているこの時代に、神を目の前にして平然と対話する人間は珍しかったのだ。二人も空中庭園に雇われるより前に何人かの人間と相対したが、どれもこれも話など聞かない人間ばかりだったのである。

 それが自然のことだと理解しているし、戦場での戦士の対応も理解している。

 故に逆に新鮮であり、彼女の存在はとても稀有なものだと感じざるを得なかった。

 最も自分達は彼女よりももっと稀有な存在を目の当たりにしていたわけだが。

 神と対峙するどころか自らの仲間として軍を作り、愛する人を討ち倒すと言った青年、ミーリ・ウートガルド。

 彼と話したアタランテは、彼の名前にあるという魅了にやられていたのもあって、胸の高鳴りが続きながら相対していた。

――アタランテさんね……アタさんでいいかな、よろしくね

――あ、あぁ……頼む。ユキナ・イス・リースフィルトを取ると聞いて、大変心強い。それくらいでなければ、同盟の組みがいもないからな

――なぁんかユキナが神様達の間でも? すごい存在になってるみたいだね。ここに来る間も何人かの神様と会ってきたけど、みぃんな怖がって来てくれないんだもの。王様とセミさんに感謝しなきゃ

 以前キーナでアンブロシウスとアルトリウスの聖剣コンビを勧誘したときですら、ユキナ・イス・リースフィルトの名前は軍の大将として神々の間で広く知れ渡っているようだった。

 そして現在ではもはやブランド名のごとく、ユキナの軍は今神の軍と人間の軍の合間に入る世界の第三勢力として名乗りを上げていたのである。

 総勢一億という軍に対して、ミーリの軍はまだ二〇にも満たない。勝てる見込みがあると思える方が、おかしいくらいであった。

 アタランテもシスターも、セミラミスから話を聞いたときはどんなうつけ者かと思っていたが、出会ってみてその印象は大きく変わったものである。

 多腕の武神を筆頭に、聖剣騎士王とその原型となった女王。

 狂気と不思議の童話少女に開闢龍の産み落とし。

 天の川に隔たれた夫と無力に帰りを待つばかりの妻。

 神の声を聞いたとされる聖女とその光に惹かれる狂気の騎士。

 女性の象徴である花嫁の女神、戦うはずのなかった英雄の子。

 そして世界創造の神が作りし天界兵器たる熾天使。

 多種多様。決して戦うために生まれたわけでもない神まで連れて、数々の戦場を闊歩する青い青年。

 神々の戦いに実戦訓練と称して殴り込み、戦いを治めては見所のある神を見つけて仲間に引き入れる。

 この場には居ないがここに来る途中にも三体の神を仲間に引き入れ、二体――正確には十三体――の神を師匠の元においているとまで聞かされたときは、正直本気で感心したものだ。

 人類最後の三柱、滅神者スレイヤーはその力で人々と神を従える。

 スラッシュ・ホワイトノートは権力と利益で人々と神を従える。

 スカーレット・アッシュベルは誰も従えず、三人の弟子にその武術を叩き込んで終わった。

 一人は武力、一人は知力で従えて、一人はそれすらしなかった。

 しかしミーリ・ウートガルドは、その人望と心に惹かせて従えている。

 それは元々の彼では持っていないものであり、名前に魅了チャームが付いているといういわば偽物である。彼本来の力ではない。

 しかしそれでも、彼には人に彼を助けてあげたいと思わせる人望がある。人に頼られ頼る才能とでも言うべきか、神のいたずらによって付加されたそれは、彼の才能だ。

 事実その才能が生まれつき備わっていたが故に、彼は機械仕掛けの時空神デウス・エクス・マキナによって魅了を与えられ、彼の人望というものが完成したのであるということを忘れてはならない。

 彼は魅了さえなければ誰にも好かれない才能の持ち主であったが、しかし誰かに助けられる才能のある持ち主であるという、二律背反が成立する不思議な存在であった。

 さらに言えば、彼の場合魅了が与えられたことでその二律背反が誰にも好かれ頼られて、人を皆平等に好き平等に頼るという、良くも悪くも皆平等に相対するものに接するという人間に成長させてしまったことが、なんとも運命的というか偶発的というかである。

 そんな偶然の産物は、絆でもってこの人と神が対峙する世界で軍を作り上げるという、一個の奇跡を築き上げているわけなのだが――。

 そんな、未だ目の前で光る奇跡に焼かれて、そして惹かれて、ネブカドネザルを含む彼女達もまた、ミーリ・ウートガルドの軍門に降ることとなったわけで、つまりこの場に誰の不平不満も存在しないという、新たな奇跡を生んでいたことに誰も気づけなかった。

 神に会うとき、人々は恐怖と共に覚悟する。しかしこの青年に恐怖はなく、覚悟をして平等に人間とほぼ同じ生命として対峙する。それはもはや、自らも同じ神であると自負しているがごとく。

 そんな彼との邂逅を思い返したアタランテは、ふと吐息を漏らした後に自ら取り出した赤いリンゴを取り出して、果汁を飛ばしながらかじりついた。

「彼といい彼女といい、今の人間なんて神を敵としか思わない者ばかりと思っていたが……」

「昔から、人間わたしたちは救いを求めて神様という神様崇めて祈って奉って、それでも救ってくれない神様に腹立てて恨んで呪って。今も昔も変わらないさ。ただそれが目の前に出てきたかどうかの違いでねぇ」


「ただあいつは信じてるだけだろう。神様わたしたちを」

「……フム、なるほど? それは確かに言えているな。神に会うとき、あんなに真っ直ぐ笑ってみせる奴を……私は初めて見たよ」

「……そりゃ、私もさ」

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