決戦へ

 盲目のネキの華麗なるドライブテクニックによって、歌舞伎町へと舞い戻って来たミーリ達は、その場に残していた全員をバスに乗せて魔法学校を目指していた。

 ケットシーとクンシーは疲れ切った様子。全力を出し切った死闘のあとで、もはや眠たそうである。

 それでも二人が寝ないのは、これから最終決戦に臨むとミーリに聞かされたことももちろん理由の一つであるが、しかし直接的な理由としては背後の席に座らされた少女だった。

 花嫁の神、ジャヴェル・ザ・ハルセス。

 今も尚気絶するホークの召喚獣でもあり、実際はメディアが呼び出した少女神。無力な女性の象徴たる存在である。

 そんな彼女が、平然とバスに揺られていた。背中には、射抜かれた魔弾によって刻まれた髑髏の刻印。それが彼女の動きどころか、能力すらも止めていた。能力さえなければ無力な少女は、これでもかというくらいに大人しい。

「なぁ、こいつどうすんだよミーリ。元の世界に連れて帰るったってまだその目処も立ってねぇんだぞ」

「感じない?」

「何を」

「空」

「あぁ……? 空にでっけぇ霊力の塊があるな。まだ残ってる野郎の攻撃か何かか」

 ヘレンの溜め息に、ウィンがムッとなる。その隣のレーギャルンもリストも空の霊力に気付いてはいたが、それが元の世界に戻る目処だとは思えずにいた。

 眠たそうな目をこすり、あくびしてからヘレンが話す。すでに半分頭が寝ている状態で、コクリコクリと頷きながらである。

「神様との戦闘で忘れてると思うけど、ここは本来霊力の薄い世界……霊力の塊である霊術が発現している時点で、まずおかしいわ。そこの花嫁さんが使ったのみたいな、小さなものなら問題ないでしょうけど……今空に浮かんでるあれは、もう神様の存在そのものを消滅しかねないくらい大きいわ」

「自爆攻撃、ということではないのか?」

「あれだけの霊力を溜めるのに、私達のマスターがどれだけ時間をかけたと思う? 自分と体の中の神様が三人。合計四人分で一週間以上かかったわ」

 ごめんヘレン……最近実はミラさんもエレさんもいなかったんだけど……。

 ミーリはツッコミを内心に留める。せっかく眠たいのを我慢して説明してくれているのに、その腰を折るようなことはできなかった。

「でも例えば、何百という数の霊力を一つに凝縮して溜め込んでというのをいくつか用意して、それらをまた一つに凝縮したとしたら」

「あの、それってもしかして……魔法戦争のこと、ですか?」

 ウィンやリストよりも早く、ケットシーが気付く。クンシーもまた同じ結論に至ったようで、窓の外に顔を出して空で輝く黒い星を見上げていた。

 そして同時、そこに四人の人影をも視認する。それが校長と、この最後の儀式に参戦させられていた三人の生徒だとわかると、思わず窓から飛び出そうとした。

 しかしそれを、アステュアナクスに止められる。その様子に気付いて黒の星を見上げたリストもまた、四人の人影を確認した後、一番後ろの席で気絶しているホークを一瞥した。

「先駆者よ。つまりあれか、あの今空に浮かんでいるものが、この儀式の果てに現れるという一なる魔法、という奴だというのだな。そしてその正体は、蟲毒のように蓄積された霊力の塊、能力発現まえの霊術だと」

「そゆこと。あれだけの霊力の籠った霊術を、俺が時空神マキナの力を使って次元に穴を開けられれば……帰れる、と、思う」

「最後の最後でハッキリしろよミーリ。だがまぁ、わかった。要はあれをブン取ればいいんだろ? 任せとけよ」

「いんや、ボーイッシュ達は参戦しないで。そこの花嫁さんと、ヘッドホンちゃんを守ってあげて」

「ハ?! さっさと俺らで片付ければ――」

「ホーク?!」

 クンシーに合わせて、全員背後に視線をやる。するとそこで気絶していたホークの体が持ち上がり、首を締め上げられていた。

 意識朦朧とする中で、ホークは首を絞めている透明な何かを剥がそうと必死にもがく。しかしそれを解くことは叶わず、ホークはさらに締め上げられる。

 とっさの判断で立ち上がったウィンが銃を放ち、リストが鎌を振る。しかし透明な何かはそれらを躱すのではなく受けきって、傷一つ付かなかった。

 そしてそれは透明化を解き、純黒の鎖の姿を現わす。鎖はバスの屋根を通過して、空の黒い星へとホークを引っ張り上げていった。

「ホーク!」

「待つのだ、主」

「離してくれ! ホークが連れ出されたんだぞ!」

「今のあなたはダメージを受け過ぎている。あそこまで辿り着くだけで、あの鎖を操る者に太刀打ちできまい。ここは、太刀打ちできる者に託すべきだ」

 アステュアナクスは席を立ち、ミーリの手を握り締める。そして自らの中を循環する霊力を明け渡し過ぎて、その場で片膝をついた。

「其方に託そう、ミーリ・ウートガルド殿。そして今から、あなたが私の主だ。共に帰った暁には、存分に私を使い潰してくれ」

「いいの?」

「元は魔神、この世界に生まれ出ることなかった存在だ。それに我らはすでに敗退している。本来消えるべき存在なのだからいいだろう、なぁ主よ」

 クンシーは何か言いたげに口を開き、そして閉じる。その顔は悔しさと悲しさが入り混じると同時、しかし肩の荷を下ろしたような安堵をも獲得した様子だった。

 そしてアステュアナクスに手を貸して、自分が座っていた椅子に座らせる。

「ありがとう、アステュアナクス。お陰でここまで来れた」

「……あぁ、今の言葉で報われたよ」

 彼女の夢、他人からの認定。

 人から求められ、認められる存在となる。この魔法世界という異世界の、たった一人の少女から、彼女はその夢の第一歩となる認定を受けた。

 故に疲れ切ったアステュアナクスは、夢の実現に一歩近づいて安堵した様子で眠り始めた。そこにヘレンが座り、コクリコクリと眠気に負け始める。

「猫ちゃんとワンちゃん達は私達で護る。あなたはあの子と一緒にあの霊術を手に入れる。それでいいのでしょう? Masterマスター

「うん、ありがとう、ヘレン」

「……あの子に、よろしく」

 ヘレンは静かに眠りにつく。ウィンとリストはハルセスの両脇に座り、レーギャルンは運転手のネキの側に付いた。いつネキが襲われてもいいように、バスの周囲に魔剣を並べて飛ばす。

 ミーリは一呼吸置くと、ケットシーの側に片膝をつく。仮にも主である彼女を初めて見上げ、そして頭を下げた。召喚獣として、最初で最後の敬服である。

「ごめんねケットちゃん、ここでお別れ。これが多分、最後。君達には悪いけれど、俺達はあの霊術を手に入れて帰る。だから……今までありがとう。楽しかったよ」

 ケットシーは鼻をすする。そしてボロボロと涙を零し、すすり泣く。

 始めはただの事故だった。召喚の術式と転移の術式を混同し、雑じり雑じって呼んでしまった異世界の戦士。

 他の召喚獣と違って自由に歩き、自由に喋り、自由に戦う。何もかもが他とは違う彼を呼び出したことに、何か縁を感じたわけではなかった。

 だけど今、少しだけ思う。

 誰からも認められ、誰からも求められる彼。

 誰からも認められるために、自らを欺く自分。

 こんな縁があるだろうか。自分はきっと、憧れの自分を呼んだのだと今思う。彼の生き方あり方が、自分の理想とする形だったのだ。

 彼は、自分の理想だった。だから今、こんなにも苦しい。彼はきっと、これからの自分のあり方を教えてくれたのだ。

 言葉なんてもらってない。でもそのあり方だけで、示して貰えた。彼はそんな気など微塵もないだろうけれど、それでも、彼は自分を最初に人間として認めてくれたから。

――君は本当に人間なんだね

 だから、言わなくてはいけない。もう憧れを追うのは止め。

 これからは、自分がその憧れになる番なのだから。

「……あㇼがとぉ……ござぃました……私、私……忘れませんから……! ミーリさんと、皆さんと、一緒に過ごした時間は、短かったけど……でも、でもとっても大切だったから……だから……! 忘れません! 私、ミーリさんみたいに強くなって……いつか……! あなたの、ような……!」

「うん。君の行く末が幸せになることを、俺は信じてる。頑張れ、ケットシー・クロニカ」

「……はいっ!」

 ミーリはケットシーの目から涙を掬い取り、そして前髪を掻き上げる。そしてその小さく白い額に口づけすると、猫の耳が震える頭を撫で回した。

「猫の君も、好きだよ」

 ケットシーの涙が、スッと引いていく。耳元で囁かれた甘い声が、そうさせたのは間違いない。だが実際はその声の甘さにではなく、掛けてくれた言葉によってだった。

 彼は認めてくれていた。人間としてのケットシーではなく、ケットシー・クロニカという一人の個人を、個人として。猫の姿もすべて、ケットシー・クロニカとして認めてくれていた。

 やっぱり憧れだ。自分もそんな人になりたい。周りから認められ、周りを認められる、そんな人間に。

 そうこれは、自己完結。問題は実際解決されていない。自分が認められるには、まだまだ長い時間と労力とが必要だろう。だから今の言葉で救われているのは、ただの自己満足でしかない。

 でもそれでも、今この場で救われたことが大きくて、感謝しかなかった。

 最後の言葉を伝えて向けたミーリの背に、ケットシーは頭を下げた。また込み上げてくる涙を拭うことを後回しにして、ひたすら頭を下げ続けた。

 感謝の意を今この場で示すのに、それが精一杯の誠意だった。

「ミーリ」

 肩に掛けているミーリの上着を握り締め、荒野空虚あらやうつろが呼び止める。

 純粋な心配。ここまで迷惑をかけたことへの謝罪。そして体の中に神を宿していることについての言及。様々な要因から呼び止めたが、しかしどれも掛けるほどの言葉ではなくて。

 だからこそ、空虚は言葉を選ぶ。同じ戦場に出るものとして、今戦場に向かおうとしている戦友に――他でもない、想い人に。

 この想いを伝えるのはずっと先だけれど、でも、それでも、言葉はあった。

「武運を」

 その言葉に、たくさん意味が込められているのだと、直感的に感じ取った。その意味のすべてを計り知ることは叶わないが、しかし理解できるだけでも思う。

 その表情も仕草も声色も、すべて自分を思ってくれている。あぁ何故、自分は今まで気付かなかったのだろう。

 そこまで思って、ミーリは自分の胸を押さえつける。青い双眸は火照りに火照り、目の前の空虚を少し湾曲させて映す。その姿は愛おしく、また勘違いなのではないかとトラウマを呼び起こさせた。

 だがそれでも、抑えきれない。また間違いだったとして、何か問題はあるだろうかと自分に問いかけたとき、そこにはなんの問題も挙げられなかった。

 故に、ミーリは応えた。

 自身の額と空虚の額、自身の鼻先と空虚の鼻先をくっ付けて、小さく吐息を漏らすように囁く。他の誰にも、聞こえないように。

「行ってくるよ、

 頬を紅潮させて驚く空虚に、ミーリは少しいたずら笑顔を見せて窓を開ける。そして体の中に溜めに溜め込んだ霊力で脚力を強化し、大気を蹴り飛ばして空の星へと肉薄した。

 武器はもっていない。神格化もしない。前方には自分に気付いたのだろう敵が、攻撃を仕掛ける構え。だがミーリは構わず、突っ込んでいく。

 信じていた。彼女が来ることを。

 は少しだけ嘘をついていた。だがきっと、彼女を送り出してくれる。方法なんて知らないし、そもそもそんな術があるかどうかも知らない。あの人がそれをしてくれるかもわからない。

 だけどきっと、あの人ならやってくれる。ミーリ・ウートガルドを見つけて、きっとやってくれるはずである。

 だから、大丈夫。心配なんていらない。自分はただ、突っ込むだけだ。

 一直線に突っ込んでいくミーリの軌道上に残る残光は青く、血の色空にはまるで流星のように映る。その光が徐々に自身の頭上に迫ってくるのを、ロンギヌスは見ていた。

 その体はすでに煌き始め、消えかけている。残り少ない霊力で自分を繋いではいるが、やはりもう限界なのだろう。

 だがやることは残っている。まだ一つ、最後にこの一つだけ。

 自らの手に握り締めている、一本の長槍。それに今自身が持ち合わせている霊力の九分九厘を込める。桜色の槍は煌き、その色を徐々に色濃く変えていく。

 その色は、紫。

 深い深い眠りだった。もう一生、このまま夢もない眠りの中に閉じ込められてしまうのだとすら思いこんでしまうくらいに、深い眠りの中に沈んでいた。

 だが今、自分を呼ぶ声がする。自分の名前を、聖なる槍の名前を、その槍の名から取った愛称を、呼んでくれる声がする。それは生涯で初めて、自分を握り締めた人。自分を神殺しの槍にした、あのお人。

 起きなさい、ロン。さぁ、あなたの主が待っていますよ。行くのです、彼の元へ。あなたをロンと呼んでくれる、彼の元へと。あなたは彼にとって常勝の槍。必ずや、勝利を与えなさい。

 懐かしい声がする。

 とても優しい声がする。

 とてもきれいな声がする。

 あぁできることなら、この声と語り合いたい。この声ともっと戯れたい。でもきっと、そんな時間はないのだろう。あのお人は今無理をして、自分を呼んでいるに違いない。

 だからこそ、だからこそ、応えなければならない。あのお人が呼ぶのなら、応えなくてはならない。ずっと暗い意識の中から、引っ張り出してくれるその声に、応えなくてはならない。

 今顔を上げて、腕で掻いて、この虚無の中から抜け出して、応えなくてはならない。彼の元へ、行かなくてはならない。

 だって――

『そう、私はミーリ・ウートガルドの槍……彼の、常勝の槍よ』

「そう、それでよいのです。ロン」

 自然と涙が零れてくる。その涙で滲む目で、ロンは槍持つ人を見る。懐かしいその立ち姿。今まさに投擲せんと、力強く構えるその姿。

 その美しさ、神々しさ、精錬さ、まさしくこの槍の創造主にして使い手に相応しい者。槍持つ者ロンギヌス。その名が最も似合うあなたこそ、まさしく――

 歴史に名を刻まれなかった。ただ槍を持つ者として残された。それ以外の何も残ることはなく、彼女は戦士ではなく聖職者として残された。誰にも認められなかった。

 しかし彼女は嘆かなかった。だって例え世界の誰にも認められなくても、認めて欲しいと思っていた人に認めてもらえたから。そう、わたしが認めたから。

「また、会えるその時まで」

「えぇ……そのときまで――」


「――任せました」

 それは、果たして槍に言ったのか。それとも槍を預ける彼に言ったのか。手は槍に、目線は彼に向いていた。実際はどちらかわからない。

 しかし槍は思った。えぇ、任せて、と。

 約束を交わし、ロンギヌスは投擲する。紫の軌跡を残しながら突き進む槍は、真っすぐミーリへと駆け抜けた。

「ミーリィィィィィィィィィ!!!」

「ロン!!!」

 槍の姿から、人の姿へ。しかしその姿は、大きく変貌していた。

 ほとんどは変わっていない。紫の長髪がさらに伸び、その毛先が赤く変色していることと、胸部や臀部がより女性的に膨らんだこと、美しい紫の双眸が、赤紫と青紫というオッドアイに変わったこと。

 そしてその脚が、槍の脚ではなくなっていたこと。

 人の脚に、槍のように先の尖った靴を履いていたのだ。それが一番の変化。

 それがミーリと言うただの運と縁で繋がっている人間にではなく、自身を作り上げた元の主によって呼び出されたロンゴミアント本来の姿。不随の槍脚は、未だ完全ではなかった証だったのだ。

 しかしそんなことを、二人は知らない。ただ二人は空中で抱き合い、口づけを交わす。そしてロンゴミアントはその姿を変え、ミーリの武装となって輝いた。

 紫の槍だけではない。ミーリを包む込むほどの大きさの上着となって揺らめき、その肩には鎧が嵌めこまれる。さらにミーリの毛先までも紫に変え、今までにない姿に変貌させた。

 その新たな姿の名は、今までと変わらず――

「上位契約・槍持つ聖人ロンギヌス!!!」

 再度宙を蹴り飛ばし、肉薄する。その軌跡は青と紫の混じった光で、彗星のよう。それを見届けたロンギヌスは、静かにその姿を消失させた。

 その消滅を霊力探知で確認したミーリとロンギヌスは、静かに涙する。だがここでそのことについて言及することはなく、迎撃の体勢を整えている敵に向かって肉薄し続けた。

「一撃で決めるよ、ロン」

『えぇ……私は今、あなたの槍。必ずあなたを勝たせてみせる!!!』

「……“槍持つ者の一撃ロンギヌス・ランス――”」

 敵の無数の鎖が伸びてくる。躱さない。一直線に突進する。その身に全身全霊の霊力をまとい、一直線に突進していった。

「“――聖槍サン・ロンギヌス”!!!」

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