愛してると、好きと、恋愛感情と

 ミドル・オブ・ヘルを出たミーリ達を待っていたのは、温かな食事とフカフカのベッドだった。

 日付はすでに変わっている。到着したのはたしかに夜だったが、地獄の穴に落ちてから数時間が経ち、日は上ってしまっていた。まさに早朝といった時間に、ホテルに入った。

 そんな時間でも受け入れてくれたホテルと、用意してくれたベディヴィエールには感謝しなくてはならない。部屋に案内されてからまず行ったのは、ホテルにチップを払うことと、ベディヴィエールにお礼を言うことだった。

「ありがとう、ベディさん。ここまでやってくれて」

「これもスラッシュ様から仰せつかったお仕事ですから。それに、感謝しているのはこちらも同じです」

「何? これもあの人の予想通りってこと?」

「/様はそうかもしれません。ですが、お礼を申し上げたのは私の意思です。本当にありがとうございました、我らが王を止めてくれて。それに、あなたの軍に加えてくださって。これで私も、安心して仕事できます」

 ミーリは最初、なんのことだかわからなかった。彼女は/の秘書だと言っていたのに、あの二人のどちらかを王だと言った。まぁおそらくアルトリウスの方だろうが、彼女が彼に関してそこまでの敬意を払っている——はずもあった。

 今気付いた。聖騎士王が最後の戦いの後、聖剣を湖の乙女に返すため向かわせた騎士の名前は——

「あぁぁ……そういうことか……全然気付かなかった」

「言っていませんでしたので。ともかく、お礼申し上げます。私では、彼を止めることはできませんでした」

 それだけ言って、では他に仕事がありますのでと、彼女は行ってしまった。その鉄仮面の下では表情がまるで読み取れなかったが、でもそれでも感謝しているというだけあって、安堵したような様子だった。

 彼女の馬車がホテルを出て行くのを、窓越しに見下ろす。すると何やら緊張の糸が切れて、どっと疲れてしまった。側にあった肱掛椅子に、おもむろに座る。

「ミーリ」

 ウィンが声を掛けてきた。その手には、自分の財布を持っている。たしかこのホテル、食堂の隣にゲームセンターを設けていた気がする。なるほど、それが狙いか。

 ミーリは行こうとするウィンに、財布から取り出したお札を手渡した。

「あまり遅くならないでねぇ。ご飯の時間もあるからさ」

「おぉ、サンキューな。じゃあ行ってくる」

「私も行くぞ! いいよな、先駆者!」

「うん、行っておいで」

 ウィンとリストが部屋を出て行く。さっきまであの重力負荷の中にいたというのに、すごい体力だ。さすがは神霊武装ティア・フォリマ、ということなのだろうか。

「マスター、その……」

「主様、私達も外出の許可をいただきたいのですが……」

「そうなの? いいけど……どこ行くの?」

「それは秘密なの。でも安心して、そう遠くへはいかないから」

「そっか……わかった。じゃあ生徒証渡しとくからさ。帰るってなったら電話して」

「はい、じゃあ行ってきますね、マスター」

 レーギャルンがネキと腕を組み、部屋を出る。それにヘレンもついて行こうとしていたが、何かを思い出したように返ってきた。

 そしてミーリの手の甲に、そっと口づけする。

「どうしたの?」

「おまじないよ。よく寝られるおまじない。色々あったから」

「ありがとう、ヘレン」

「……もう行くわ」

 そう言って、ヘレンはレーギャルンとネキを追いかけて部屋を出て行く。そうして残ったのは、ミーリとロンゴミアントだけだった。

 七人もの大所帯が泊まる部屋なだけあって、かなり広い。その部屋にたった二人だけというのは、少し寂しいものだった。

「ロンはどっか行かないの?」

「行ってほしいの?」

「……脚洗おうか」

「えぇ、お願い」

 部屋にある風呂は広く、寮の風呂と比べるとのびのびとできる。寮の風呂だと二人並ぶと狭いのだが、ここでは思い切りロンゴミアントも脚を伸ばすことができた。

 しかしロンゴミアントの槍脚を洗うのは、久し振りだ。エレシュキガルと聖約を交わして以来、ずっとしんどかったから。毎日のように洗っていたのが、なんだか昔のように感じる。

 そんなほんの少しだけ懐かしい感覚と共に、白銀の槍脚を洗う。石鹸せっけんで立てた泡を塗りたくり、隅々まで指を這わせる。感触は金属なのだが、冷たくはない。むしろ一肌だ。そこがちょっと不思議である。

 ともかく、せっせと脚を洗ってやる。指はないので切っ先を丁寧に。

「今度、ロンに合う靴とか作ってもらおうか」

「ありがとう。でもいいの。私の脚じゃあ、靴なんて履けないから……」

「そっか」

 ロンゴミアントは靴に憧れている。靴を履いて、外を歩きたいのだ。可愛い靴を履いて、水たまりとかわざと踏んでみたい。そんなことを言っていた。

 だけど彼女の脚は切っ先の鋭い槍の脚。周囲からは蔑視の目で見られることだってある。それがたまらなくイヤなのよと、召喚された当初は言っていた。

 彼女のようにここまで武器としての性質が体に現れているのは珍しい。レーギャルンだってウィンだって、みんな人型なのに。ロンゴミアントも人型だが、脚だけは変わってしまっている。

 それがかわいそうだと、ときどき思ってしまう。彼女にとってはいらないお世話だろうが、それでも思う。彼女も普通の人の姿で形作られればよかったのに。一体誰の意地悪で、こんなことになってしまったんだろう。

 そんな思いをどうしても拭いきれなくて、それがこの上なく申し訳なくて、だからこうして脚を洗っている。

 もちろん自分からこうしたいと願い出たわけじゃない。どうしてほしいと聞いたら、ロンゴミアントがじゃあと言ってくれたのだ。

 だから彼女の脚を洗うのは嫌じゃない。むしろ好きだ。そもそもミーリ・ウートガルドは、彼女の槍脚が好きなのだ。だってそうだろう。こんなに綺麗で、鋭い白銀の脚の持ち主なんて、他にはいない。だから好きだ。唯一無二という感じがして。

「ミーリ……くすぐったい」

「だぁめ。今日は念入りに洗うの。ロンはとくに頑張ってくれたものね」

「そんな……私は武器よ。戦ったのはあなただわ。だから、あなたを労わなきゃ。あなたは何か、してほしいことはないの?」

「してほしいこと……?」

 なんだろう、パッと思いつかない。とくに食べたいものがあるわけでもないし、してほしいこともない。眠たいわけでもない。あれだけの戦いを終えた後だというのに。

 特に何かしてほしいわけじゃない。そういう欲に鈍感なところが問題だと、今回言われたばかりなのだが。なるほど、まずはこういうところか。

 でも本当に出てこない。自分は一体、彼女達に何をしてほしいのだろう。

「ミーリ?」

「うん? うん……そだな……とくに——じゃあ、一緒にいて欲しいな」

「一緒に?」

「うん、ずっと一緒に」

 ロンゴミアントは赤面する。その場にあったタオルに顔をうずめ、隠してしまった。珍しく照れているらしい。

 ちょっと——いや、すごく可愛い。

「もう……少しずつ始めましょうね、ミーリ。大丈夫。あなたにもきっとできるわ。憧れとか、特別な存在が」

「うん、ありがとう、ロン」

 脚を洗い終わったあと、TVをつける。そして部屋にあった新聞を開くのだが、キーナの新聞は四つの大陸にある大国の情報が多く載っているため、いつも読むのよりも情報量が多かった。字数が多くて少し目が回る。

 なので結局、二、三気になった見出しを抜粋して、そこを読んだ。まぁ普段から、新聞の全部を読んではいないのだが。

「探検家の行方不明が続いてるんだって」

「神様の仕業なの?」

「いやなんとも……同じ場所で続いてるから、単なる遭難かも……ここ行くときは、気を付けておいた方がいいかもね」

「場所は?」

「東の……ホラ、アザー・キングって山」

「あぁ……東で二番目に高い山だっけ。東ならラグナロクにも依頼が来るでしょうし、気を付けないと。まぁあなたなら大丈夫でしょうけどね」

 そんな感じの会話をして——いつもこういうことを話すのだが、ウィンからはときどき夫婦かよと突っ込まれる——TVは新聞の記事をなぞるように長々と時間を費やしてニュースをやっているのでつまらなくって、結局消した。

 天蓋付きのベッドに倒れ、思いのほか大きな吐息をする。精神世界での出来事とはいえ五度も戦闘し、そして神々の戦いを止めたのだ。肉体的疲労はものすごい。

 そして同時、過去を話したことで精神的にも疲れた。だから今までの倍、疲れた気がする。だから体が、ベッドにより深く沈んでいる気がした。

 そしてその隣に、ロンゴミアントが沈む。

「私ね」

「うん」

「ミーリが好き」

 ロンゴミアントが手を伸ばしてくる。その手は指を何度も曲げてミーリの手を探し、優しく握り締めた。

「青い髪も、瞳も、背が高いのも。優しいところも強いところも、最後まで諦めないで誰かを助けようとしてるところも、全部好き。あなたは私にとっての特別よ」

「……そっか」

「きっと会えるわ。ミーリにとっての特別に。好きなもの、好きなこと、好きな人。あなたが特別好きになれるものに、きっと会える。あとはそれを愛するだけよ。たったそれだけよ」

「……そっか」

 今まで愛してると言ってきた。だがその感情は間違いだった。彼女に抱いているはずだと思っていた感情は虚像で、他人に愛せよと言われたから抱いた作り物の感情だった。だからこそ、彼女に対して愛情と殺意が同居するようなものになってしまった。

 愛してると、好きと、恋愛感情とは違う。とても似ていて、似すぎてて、違いなんてそんなものはわからないけれど、でも、こんな恋愛をしたからこそ思う。

 自分はまだ恋なんてしていない。そんな甘酸っぱくて、苦いような思いはしていない。考えるだけでとても辛くて、うまくいかないときに限って思いつめてしまう。そんな思いをしていない。

 そういうものが恋愛感情だと、小説だとか人の経験談とか聞いて知っているはずなのに、よくもまぁ自分のは違うと気付けなかったものだ。少し情けない。

 ロンゴミアントには大丈夫だと言われたけど、正直自信ない。未来の自分にも強気で言ったけど、今こうして冷静になってみて思う。

 ミーリ・ウートガルドは果たして、人を愛せるのだろうか。その人だけを、特別に。

「ミーリ……」

「うん?」

「抱き締めて?」

「いいよぉ」

 みんながいないとなって、甘えたがりのロンゴミアントが出る。甘えてくる彼女を優しく抱き寄せ、抱きしめた。

 ロンゴミアントが胸に顔をうずめてくる。その熱と息が熱くて、なんだか切なくて、ミーリはその後頭部を撫で回した。

 そのときに感じた胸の高鳴りと熱を思わず恋心と勘違いしそうになったが、このときばかりは冷静だった。これは恋ではないと、脳内処理を施す。

 しかし、ならばこの胸の高鳴りと熱の正体はと訊かれると、まったく答えられない自分がいた。

 

 

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