神格化
ロンゴミアントが起き上がると、レーギャルン達もすでに起き上がっていた。そこは間違いなく、ミドル・オブ・ヘルの最下層。地獄の中央の奥底だ。現実世界に戻ってきたのだと、すぐに理解した。
だが側にいるミーリが、起きていなかった。意識はまだ自分の中にあるということなのか、それとも単に気絶しているだけなのか、それはわからない。だが息はしているので、命の心配はしなかった。
が、それは一瞬。次の瞬間、上空が光った。
それは閃光。大穴の上で戦う、二人の魔神の戦火。二人が持つ聖剣の一撃が爆発し、地獄の口にまで届いていた。深さ六千メートルの底に届くほどの光だ。
もはや太陽に近い。その熱量と衝撃は、穴の口を崩落させ、瓦礫を穴の底へと落とす。その大きさは氷山の一角——といっても尋常ではない大きさ。幅二十メートルはある、巨岩である。
ロンゴミアント、レーギャルンは即座にミーリに覆い被さる。ウィンとネキが巨岩を撃つが、まったく砕けない。リストは直ちに空間を斬り裂き、移動する構え。ヘレンは盾である光の膜を広げ、全員を覆った。
「ミーリ!」
「……起動、
ミーリが光に包まれる。青白い閃光がつま先から頭まで到達すると、体を持ち上げられたように立ち上がる。その光がロンゴミアント達の目を眩ませた一瞬で、ミーリの姿が変わった。
青い髪は白さを増し、青が混じった白銀色に。それがとても長くなり、背中を覆う。
そこまで鋭くなかった目は眼光ごと鋭くなり、進む時計と戻る時計をそれぞれの目に宿している。色は青、そして赤だ。
背丈も体つきも変わらない。しかしながら、その姿は一見女性のような印象を持たせる。その美しさと鋭さの両立が、ロンゴミアント達の目の前に立っていた。
「みんな、ちょっと待ってて。すぐに戻るから」
声は少し高く、女性より――というよりか、まだ声変わりし切っていない少年のようだ。まるで、未来のミーリのようである。
まさか、未来のミーリと入れ替わってしまったのだろうか。思えば二人の決着を、ロンゴミアントですら見ていない。あの刃の交錯の後、一体どうなってしまったのだろうか。
まさか、負けてなんて——
「大丈夫だよ、ロン。俺は俺だ」
ロンゴミアントの頭を撫で、ミーリは跳ぶ。
降りかかってくる巨岩を現出した槍の一撃で粉砕し、砂に変える。さらに降りかかってくる巨岩を次々に粉砕し、上空に飛び立った。
剣撃をぶつけようとしたアルトリウスとアンブロシウスの間に、ミーリが入る。長槍と短槍でそれぞれの剣を受け止め、遠く弾き飛ばした。
「なんだ……?」
「……そう……そうなのね? あれから一時間も経っていないはずだけど」
すべてを理解したわけではない。だがアンブロシウスは理解した。何があったのか、何をしたのかは知らないが、それでも、ミーリが自らの中の神を制御していることは、すぐに理解できた。
一方のアルトリウスは理解し切れていない。まず目の前に現れた一見女に見える男が、一時間ほど前に自分達の戦いを仲裁しようとした青年と同一人物だとは思えなかった。
「久し振り、というのが正しいのかしら。何があったかは知らないけれど、歴戦を潜り抜けてきた顔をしてる。そう……あなたは戦ったのね、自分の中の神と」
「あの瘴気を制御したというのか……?! バカな、一体どんな手を……!」
「さぁ。でもわかるでしょう、アルトリウス。彼は自身の中の矛盾に気付いたのよ。そう……力は自分の物ではなく、神の物であるということに」
全然違うけど、カッコついてるからいっか。自分としても、なんで今更エレさんの力がコントロールできるようになったか、わからないし。
「それで? ここに戻ってきたのは私達を止めるためかしら、ミーリくん」
「もちろん。この国の人命がかかってるんで。決着なら他の場所で着けてもらって、ここからとりあえず離れてほしいなぁって」
「言っただろう、ミーリとやら。俺はここで彼女を倒すと決めているんだ。こればかりは譲れない。俺が彼女を倒すそのときまで、待っていてもらう——!?」
アルトリウスの甲冑を破壊する。再びアルトリウスの素顔を晒したのは、ミーリの脚から伸びる黒い塊だった。鋭利に伸びたそれはアルトリウスの顔面を横切り、頬を掠め斬っていた。
「待てないんだよ、聖騎士王。あなたの我儘に、こっちは付き合うつもりはないんだ。君の我儘のせいで、何人死ぬかわからないんでね」
明らかに先ほどとは違う。力は完全にものにしている。それによって、限りなく強くなった。この聖騎士王をも凌駕しかねない存在にまで。
「それとも俺とやる? まぁ一瞬で勝負が終わると思うけど、それでもやりたいなら相手になるよ」
「……いや、やめておく。私が先に
それが賢明だった。今の自分では彼には勝てない。そんな直感が働いた。もし彼に勝てるのなら、アンブロシウスなど余裕で勝てる。そうすら思った。かの聖剣を持つ聖騎士王が、無様なことだ。
ミーリがアンブロシウスを見つめる。君もそれでいいよねと、同意を求めた。
すると彼女は聖剣と化していた手を引っ込めた。そしてうんと背筋を伸ばし、小さく吐息する。
「やめるのね? よかった。私も自分のせいで人が死ぬのは容認できないもの。だってそう、私は英雄ですから?」
「英雄なら、自分の武勇伝くらい背負ってよ。だから喧嘩になったんでしょ?」
「あら、厳しいのねミーリくん。でもその通り。すべては私の無責任が原因ね。反省するわ……そう、今はね」
そう言って、怪しく笑う。怪しくというか、その顔はまるでイタズラでも思いついたかのような、少女のような顔だった。それでも大人の雰囲気を醸し出しているので、ちょっとだけ妖艶である。
「じゃあどうしましょうか、アルトリウス。私とあなたの決着は先送りになったけど、あなたはここじゃないと私に勝てないと聞かないし……かといって、私はミーリくんの説得を
「なら、どうしろというのだ」
「それなんだけど……二人共、俺の軍に入らない?」
「軍……?」
アンブロシウスは首を傾げ、アルトリウスは唾を飲む。未だアルトリウスの顔の側には、ミーリの漆黒が鋭利に伸びていた。
「俺には倒したい奴がいる。そいつはすっごく強くて、しかも神様を集めてる。あいつと戦うには、俺にも軍が必要になる。他でもない、あいつの軍に負けない軍が。だから君達に入ってもらえると、助かるんだけどな」
「相手の名は」
「ユキナ。ユキナ・イス・リースフィルト」
ユキナの名前を聞いた二人は、顔を見合わせる。
実際、ユキナの勢力の大きさはミーリの比ではなく、壮大だった。ものすごい数の神を集めている彼女のことを、次の戦争のエースだと言う神も少なくなくなっている。
ユキナ・イス・リースフィルトと言う名前は、もはや次の神話大戦で確実に中心になる名前だろうと、神々の間で噂されていた。
そのことを、ミーリは知らない。神様同士の情報網なんて、聞いたことも聞こうとしたこともなかった。
「彼女を倒すのか。本気で」
「倒す。あいつには因縁がある。他の誰にもやらせない、俺が……殺す」
再び、ミーリを挟んで顔を見合わせる二人。
するとミーリの
「……倒せるの?」
「倒せる。根拠とかそういうのは、実際ないんだけどさ。俺にはロン達が……俺を支えてくれる、武装達がいるから」
「……そっか。へぇ……ふぅん……」
「アンブロ、シウス?」
アルトリウスはわかっていた。今アンブロシウスがしている顔は、何か思いついたか企んでいるときの顔だ。長年彼女の代わりをしてきた自分だからわかる。円卓の騎士ですら知らない、彼女の含んだ笑み。それが今出ていることに、アルトリウスは悪寒がした。
「決めたわ。そう、決めた。あなたの軍門に下りましょう、ミーリ・ウートガルド。私の名前はアンブロシウス・アウレリアヌス。彼はアルトリウス・ペンドラゴン。かの聖騎士王になった者とされた者。あなたの軍で、あなたのために聖剣を振るいます」
「お、おい本気か?! ユキナ・イス・リースフィルトにこいつが勝つ保証はないんだぞ?!」
「ならあなたはどうするの? また私と戦うために、ここに残る? 私はもう二度とここには来ないわよ。あなたはただの無駄に終わる。それよりも、あなたも一緒に軍に入っちゃいなさい。そうすれば、私はいつだってあなたの側にいる。暇なときはいくらでも付き合ってあげるわ。それでどう?」
「ムゥ……」
こういうときの交渉術は、アンブロシウスが断然上だ。だからこそ、自分は聖騎士王の看板を背負わされたとも言える。
だが確かに、このキーナに残って気まぐれでもない限り来ないアンブロシウスを待つよりも、同じ軍で彼女に相手してもらう方が効率的と言える。そんな気がしてきた。
いや、それすらも彼女の思うつぼなのだろうが、それでもその方が得のような気がしてしまうのだ。これだから怖い。アンブロシウスと相談するのは。
「どう? アルトリウス。その方が、あなたにとっても得だと思うけど」
いや、これはもう彼女は確信している。だってこれを飲ませれば、自分は確実に殺されない。やられることはない。実力的には、基本自分の方が上だと自覚しているからだ。故にこの話を持ち掛けているのだ。
そんなことはわかっている。わかりきっているのに——
「わかった……俺もおまえの軍に入ろう、ミーリ・ウートガルド」
乗ってしまった。いやわかってる。本当にわかっているのだ。
しかししょうがないではないか。話に乗らなければ、損しかない。話に乗れば、損だが、得は一応ある。だったら乗るしかないではないか。
まったくこの人はいつもそうだ。自分と相手の両方に利益があると言って、その利益は自分の方が大きい。だからこの人ばかり得をする。いつもそうやって、みんなを騙すのだ。
アグラヴェインだってモードレッドだってマーリンだって、みんな彼女に騙された。そういう人だ、アンブロシウスという人は。
「そ、よかった」
そしておそらく、こいつも同じ類だろう。皆に平等の利益を約束するが、実際は自分の利益が多くなる。狙ってはいないが、結局そうなる。アンブロシウスと同じだ。
そう、アルトリウスは直感した。こういうのがまたよく当たるのも、イヤになる。そう、すべてはわかっているのに。
「じゃあ、二人共」
ミーリは長槍を別の方に向ける。槍の切っ先から赤い閃光が伸び、方向を指し示した。
「こっちに行けば、小ぶりの城がある。そこにいるスカーレットっていう人に、俺のことを話して。そうすれば、俺の仲間だって認めてもらえるはずだから」
「わかったわ。行きましょう、アルトリウス。善は急げよ」
「わかった……ハァ、何故こうなるんだ、俺の人生は」
「そう嘆かないの。じゃあね、ミーリくん。また会いましょ」
ちょっと背伸びして、ミーリの頬に口づけする。そうしてアンブロシウスはアルトリウスを連れて飛んでいった。
なんとか丸く治まったと、ミーリは安堵する。
誰にも嫌われないための魅了だと言っていたが、本当にかけた本人すら酔う代物になっているらしい。強力すぎて、ちょっと引いてしまう。
だがこれもまた魅了様様だ。かけてくれたデウスかエクス、マキナにお礼を言っておかなければなるまい。
「終わったよ」
自分の中へと意識を潜らせる。精神世界には横たわる未来のミーリ——最初に現れた男性の姿だ——と、その側で立っている自分だけがいた。
未来のミーリの腹に空いた傷口から血が流れ出し、足元の水に染み出している。故に未来のミーリの周囲とその側に立つミーリの足元だけが、赤く染まっていた。
「君の言う通り、あの二人は過去のことで戦ってた。でもなんとか治まってくれたよ。君の言う通りにね」
「当たり前……君は必ずあの二人を味方につける。そう、決まっている……」
顔は水の中だというのに、普通に喋っている。これもまた、ミーリ・ウートガルドの精神世界だからだろうか。
「君が今、本当にユキナへの感情の正体に気付けたなら、君が今後俺になることはないと思う……だけど、もしわかってないのなら、俺はいつでも寝首を掻きに行く。いいね」
「わかった」
「それと、これだけは教えて欲しいのだけれど……ルイは……あの子はなんて言ってた?」
「……俺のことが好きだって。愛してるって、言ってくれた」
「そっか……そっか……」
泣いているように見えた。顔はまだ水の中だし、辺りは血で真っ赤なのでわからないが、それでも泣いているように見える。
きっと未来の俺は知らなかったのだ。妹が、自分を愛しているだなんてことを。だって会っていないのだから。最後に見たのは、あの燃え盛る屋敷で死んでしまった姿だろうから。
あれ以来、会ってなんていないだろうから。
だから知らない。彼女の気持ちも、彼女がどれだけ気持ちを押し殺してきたのかも。今になって、一五〇〇年生きて初めて知ったのだ。
「ルイは間違いなく人間に転生する。俺はそう信じてる。いいかい、君が守るんだ。何があろうとも、君が守るんだ。絶対だよ、わかったね、過去の俺」
「わかってるよ、未来の俺」
「……なら、いい」
未来のミーリの姿が透ける。光の粒となって、消えていく。彼女の思いを聞いて未練が消えたか。それとも、役目を果たしたということなのだろうか。
「いいかい、過去の俺。君が彼女に抱くのは劣情だ。しかし恋心じゃない。それをよくわかっておくことだ。君は、本当の恋をまだしていない」
「わかってる。君はそのためにここに来たんでしょ、未来の俺。まったく、本当に君は俺を殺しに来たの? 自分のことだけど、本当に人がいいね。なんだか誇りだよ。未来の自分がそうなるだなんて」
「余計なことだよ。自分が呼ばれないよう、祈っておくんだね」
「うん、わかった」
「……じゃあね」
ロン、レーちゃん、ボーイッシュ、ネッキー、ヘレン、リスッチ。また会えて嬉しかった。そして、さようなら。
未来のミーリは消える。そこには一本の槍が浮かんでいて、血に塗れたその槍は、ゆっくりと水の中へと沈んでいった。
それを見届けて、ミーリは現実へと意識を戻す。そしてゆっくりと、ミドル・オブ・ヘルを降りていった。
重力負荷も引力も受けず、ゆっくりと降りる。そうして崩落から護り切った愛する武装達へと、その姿を降ろした。
「さぁ、帰ろう。みんな」
「はい、マスター」
「あぁ」
「はい」
「私疲れたわ。とても眠たい」
「おぉ! 私も疲れたぞ! ミーリ、何か食わせろ!」
「……ロン」
ロンゴミアントへと手を伸ばす。ロンゴミアントはその手を取り、頬を擦らせた。
「えぇ。帰りましょう、ミーリ」
熱く、そして強く。ロンゴミアントはミーリを抱擁した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます