未来の英雄
心のままに純情に、俺は君だけを愛せない
話し終えたミーリは、まるで力尽きたように目を閉じた。が、すぐに目を開けて、一呼吸置いて聞いた。
「俺は……俺はユキナを愛してる。愛してる、はずなんだ……なのに、未来の俺はそれを否定した。俺には誰も愛せない。ミーリ・ウートガルドは誰も愛することができないって言われた。だけど……俺は……」
「ミーリ……」
ロンゴミアントが口づけする。ミーリの額に唇を重ねた彼女は、少し晴れたような、でも曇ったような表情を浮かべていた。
「ありがとう、話してくれて。辛かったわね……でも、ごめんなさい。私には、あなたの答えて欲しい質問には答えられない」
「私もです……マスター……だって、だってマスターは……」
レーギャルンも、ネキも口を紡ぐ。その二人の表情を見ても、その顔は過去を語ってくれたという嬉しさで晴れ、同時に答えられないという悲しさで曇っていた。
だが、ここには物事をハッキリと言ってくれるパートナーがいる。答えられないで返したくないパートナーがいる。第三の目で物事を見れるパートナーがいる。その三人が答えてくれる。そう思っていた。
しかし、その三人もまた難しい顔をしていた。とくにヘレンが口を結んだのには、なんというか驚いた。彼女ならズバズバと言ってくれると、そんな気がしていたのに。
ウィンは後頭部を掻き乱し、帽子を脱ぐ。
「ミーリ。残念だが、俺達には答えられねぇよ。答えられねぇ……」
「ボーイッシュ……」
「そりゃあ、俺達それぞれ思ったこともある。おまえの恋愛事情に関して、そりゃあ色々な。だけど……あぁ、もう。これは言っちゃいけねぇだろうが、おまえのそれは——」
「ウィン!」
ロンゴミアントが止める。だがウィンは、やっぱり黙っているのは性分ではないらしい。制止を振り切り、そして言った。
「おまえのそれは……悲惨だ、ミーリ」
「……ひ、さん……?」
「そうだ。おまえのそれは、余りにも悲惨すぎる。寂しいとか、苦しいとかそういうんじゃねぇんだよ。とにかく悲惨だ」
悲惨。
ウィンが言うのなら、おそらくそうなのだろう。そう思う。みんなそれぞれ思うところはあるようだったが、悲惨と言う感想は、皆の総意であったようだった。その証拠に、この状況に耐えられなくなっているレーギャルンから涙が溢れている。
「ミーリ。おまえが果たしてあの女を本当に愛せてるのか。その質問には答えられねぇ。俺達はおまえじゃない。だから、わからないとあえて言っておく。だが言えるのは——俺の口から言ってもいいのは、ミーリ、おまえは恋をしてないってことだ」
「……恋?」
このときミーリが訊き返したことに、ロンゴミアント達全員が驚愕した。その反応はまるで、恋という単語を知らない子供のようだったからである。恋って何? そう、訊いてきそうな勢いだったことに驚いた。
「そっか……恋、か……」
恋。
異性を好きになるという感情の表現。その相手のことを考えたら、他のことなんて手に付かないとか付くとか。そんな話を聞いたことがある。ロンゴミアントが読む小説の主人公だって、そんな甘酸っぱい恋に悩んでいた。
だが思えば、そんな思いしたことがないかもしれない。その相手を思えば胸が高鳴り、鼓動が早まり、体に熱を抱くような経験、したことがない。
ユキナを思えば、同時に思う。ルイのことを。とても大事だった、一生守ると誓った家族。その彼女の死を思い出し、膨れ上がり、苛立ち、殺意が湧く。絶対にユキナを殺す。その目標でいっぱいになる。
これが恋か? 否。
おそらくこれは恋ではない。燃え上がっているのは復讐心。妹の仇を取るという怒りと憎しみ。これを恋だとはき違えるほど、間違ってはいないはずだ。
だがそうなると、本当に自分は恋をしていないことになる——ユキナを愛していないことになる。バカな。そんなはずはない。自分は愛しているはずだ。この世の中で一番、彼女を愛しているはずなのに。
「そうだ……俺は、俺はユキナが好きなはずだ……好きになったんだ。なれたはずなんだ……俺は……」
「先駆者よ。其方は何故彼女を好きになったのだ? その人の、一体どこを好きになったのだ」
「どこ……?」
どこなのだろう。わからない。一切。
髪? 肌? 顔つき? 体格? 性格? ダメだ、わからない。まるでわからない。
だがあのとき、聖夜に好きになったはずなのだ。愛していると自覚できたはずなのだ。彼女を愛していると、わかったはずなのに。なのに、何故わからない。自分は一体彼女のどこに惚れて、どこを好きになった。
待って、違うんだ。あの子の前でならいくらでも言える。いくらでも思いつく。彼女を愛する理由なんて、いくらでも出てくるんだ。ただ今は、頭が働いていないだけだ。
そうだ。そうに違いない。
だがなんで、本当になんで、出てこない。愛している理由くらい。自由自在に出さないか。
「……わからないのだろう? 当然だ。恋をせずに人を愛するとそうなる。不思議なものよ。その人の前ではいくらでもその人を愛せるのに、離れた途端これだ。恋無き愛は自壊する。いとも簡単に、それも虚しく」
バカな、そんなはずはない。確かに恋なんてしていないかもしれない。そんな甘酸っぱい経験はしたことがない。
だがだからと言って、彼女を好きでないはずがない。好きでないはずがないのだ。あの聖夜の日、確かに自分は感じたはずだ。彼女を愛している、と。
「ミーリ。あなたは聖なる夜……彼女と口づけを交わしたその聖夜。何故その日になって、突然彼女を愛していると自覚したの?」
リストに続いて、ヘレンが訊く。だがその質問にも、ミーリは
何故? 何故あの夜に、ユキナを好きになったのか? ——いや違う。質問が違う。何故あの夜に、もう自分はユキナを愛していると自覚したのかだ。
何故? たしかにそうだ。何故あの日、あの夜に、自分は彼女を愛しているなどと自覚したのだろう。まるで思い出せない。
いやそもそも、思い出せるような大きな変動があっただろうか。自分はあのとき、何もしていない。ただユキナに告白されて、それで——
そうだ。彼女が告白してきたんだ。あの子が好きだと言ってくれた。愛していると言ってくれた。そして訊いてきた。自分はもうあなたを愛してる。あなたはどうですか、と。その言葉に、衝撃を受けたのだ。
そうか、彼女は婚約者として、もう自分を愛してくれている。迎える準備をしてくれている。なのに何故、自分はまだ中途半端に立ち止まっているんだろう。彼女を守り、家族を守ることが、その先の使命なのに。そう思った。
「あなたはその人に好きと……愛していると言われたから愛しただけ。好きになったんじゃないわ。好きになっちゃったの。その人のどこが好きなのか、何が好きなのか。わからないままで」
そんな。
そんな簡単に、自分は人を好きになった? 愛していると自覚した? そんな簡単に、ミーリ・ウートガルドは一人の女の子を守ると誓ったのか。
そんな簡単に……あり得ない。彼女の当時のあの言葉に、そんな力があったとは思えない。力があったのはいつだって、父親のそれだったはずだ。言葉の力は、父親の専売特許だったはずなのに。
ネキが手を取る。するとその手を自分の胸に当てさせ、鼓動を感じさせた。
トクトクと、小さくもたしかな可愛らしい鼓動を感じられる。その鼓動を聞いていると、不思議と安心できた。混乱していた頭が、ほんの少しだけ回復した気がした。
「主様。私からも意地悪な質問です。あなたのお父様の
「父さんの……影響?」
父の言葉の力は、たしかに脅威だった。凄まじい破壊力を持っていた。故に母は壊れ、父は大罪を犯しながらも数日で帰ってきたのだ。周囲にはものすごい力を発揮していたと思う。
だが、はたして自分はどうだったのか。たしかに計ったことはない。故に考えたことがなかった。自分が父親の言葉の術中にはまっていると言うことを。もしかしたらそれすらも、父の言葉の魔力なのかもしれない。今思えば、だが。
だがその場合、はたしていつから父の言葉にやられていたのだろう。今まで疑問視したことがなかったため、まるでわからない。
もしも、仮定の話、物心ついた頃からだったとしたら。そしたらどうだったのだろうか。
あのとき、七歳のとき、父に出された婚約話。思えば何故、あんなにも簡単に受け入れたんだろうか。今になって疑問だ。政略結婚なんて本人の意思が反映しないものを、何故あのときは受け入れた——何故今も受け入れている。
ロンゴミアントの読んでる小説のキャラクターだって、政略結婚となれば苦悩し、悶え、絶望し切っていた。だがその中でも恋人と一生を添い遂げるため、必死に頑張っていた。
なのに何故、自分は受け入れている。ごく普通に。当たり前のように。貴族ならば疑う余地もないだろうくらいに、自然に受け入れてしまっている。それは何故なんだ。
いや、聞くまでもないではないか。それこそ、父の言葉の影響ではないか。
そのときの自分はなんて言った? その子を愛してみせるよ……? 何を言ってるんだ。そのときの自分はユキナの顔も、性格も、何も知らなかったはずだ。なのに何故、そんなことが言えた。
そうだ。たとえどんな子だろうと、自分は愛したのだ。好きになったのだ。たとえその子に何か障害があろうとも、何かが欠けていようとも、壊れていようとも、愛したはずだ。
何故ってそれは、愛しなさいと言われたから。他の誰でもない、あの父に。
だからユキナを愛した。そのきっかけが、彼女の告白だった。好きだと言われたことで、焦って好きになったのだ。だって愛しなさいと言われたから。好きだと言われたから。嫌いじゃ、なかったから。
「主様……きっと主様は、今も尚お父様の影響を受けているのですね。ウィン様が悲惨だとおっしゃったのは、おそらくそのことと思います。私からは、以上です」
「マスター。私も意地悪な質問です、ごめんなさい……マスターの好きな人って、どんな人ですか? どんな方に好意を持つのでしょう。ミーリ・ウートガルドと言う人は、どんな人が好きなのですか?」
少し泣きそうな声でレーギャルンが訊く。その質問は、一瞬答えられると思った。
だが無理だった。言葉がまるで出てこない。ただ好みを訊かれただけではないか。なのに何故出てこない。
そうだ。姿は黒髪のストレートで、長ければ長いほどよくて、白い肌の人が好きで、背は自分より低い人がいい。露出はあまりしなくて、おしとやかな人がいい。
性格は、強い人がいい。自分の意見を持ってて、こっちが間違っていたら正してくれるくらいの強さを持った人がいい。実力は弱くて構わない。逆に守ってあげたい。そんな人がいい。
そうだ。自分にはそんな好みがある。こういう人に惹かれるんだと、思う心がある。心のままに純情に。好きな人を選ぶことができる。
だがそれに気付いた今、同時に気付いた。果たして、ユキナは自分の好みに該当しているのだろうか。
背格好は当てはまる。当然だ。だって外見上の好みは、彼女をベースに作っているのだから。当てはまらないはずがない。
性格は? 間違いない。彼女をベースに作り上げたのだ、間違いはない。
だが何故、納得がいかない? 彼女を——ユキナ・イス・リースフィルトをベースとしたこれらが、ミーリ・ウートガルドの好みのはずだ。それを今、言えばいいだけの話。だが口は動かない。
何故だ。だがわかる。考えてしまっているのだ、頭の中で。考えすぎかもしれないが、それでも考えてしまう。
彼女を愛したのが父の影響だったなら、この好みに関しても、幻の類ではないのだろうか。そう考えてしまう。
だったらわからない。自分は一体どんな人が好きで、どんな人なら愛せるのか。まるで見当がつかない。どんな人が、どんな人が……。
「私達は武器です。色恋沙汰の種類を経験しません。でも私達は、恋をする戦士の武器でした。誰かを愛した、誰かを守り抜いた人、神の武器でした。彼らは等しく、自分の理想とする像を持っていました。愛する人の像を……その心に。マスター……マスターは、自分で形作っていなかったんです。愛する像を」
涙が出てくる。過去を話しても堪えていたのに、とめどなく。それは寂しさか、それとも虚しさか。とにかく涙が溢れて止まらない。
同時に気付いてしまった——いや、わかった。彼女達が何を言いたくて、何を教えたくて、何を伝えたかったのか。
「俺はまだ……ユキナを愛していなかった……好きにもなってなかった……ユキナに恋……してなかった……」
ミーリ・ウートガルドは、ロンゴミアントが好きだ。レーギャルンが好きだ。ウィンフィル・ウィンが好きだ。ネキが好きだ。ヘレンが好きだ。リストが好きだ。
だけどユキナは違った。愛していると思っていた。一番に愛していると思っていた。この殺意の裏は、きっと彼女への愛で満ちていると思っていた。
だが違った。ミーリ・ウートガルドは平等に人を愛していた。好きだった。だがそこに、ユキナ・イス・リースフィルトはいなかった。妹を殺されたその日から、彼女は愛の対象にはなっていなかった。
彼女は特別ではなかった。特別は、まだいなかった。
「ミーリ……私はあなたが好き。今の私にとって、あなたは特別よ……でもあなたにはその特別がない。誰だって好きで、嫌いじゃなくて、愛してるの。あなたはそんな……冷たくも温かい人よ」
「……ロン。これだけ教えてくれるかな……俺は……ユキナを好きになれると思う?」
「……好きにはなるのは、多分できる。でも愛せない。彼女のために、彼女を守るために何かすることは、きっとあなたにはできないわ」
「……そっか」
体は完全に治っていた。ミーリはゆっくりと起き上がり、涙を拭う。
ルイが死んだあの屋敷以来、初めて人前で泣いた。それで気持ちが晴れることはない。むしろ曇るばかり。自分には何もないと知ってしまったこの虚無感は、決して今すぐに埋め合わせられることはない。
だが、同時に思う。
今何もないと言ったばかりだが、何もないわけじゃない。自分には彼女達がいる。ロンゴミアントが、レーギャルンが、ウィンが、ネキが、ヘレンが、リストがいる。
きっと彼女達は自分にとっての特別とは、またべつの存在になるのだろう。だがそれでも、大事な存在に変わりない。
「ロン、レーちゃん、ボーイッシュ、ネッキー、ヘレン、リスッチ。決着を着けたい奴がいるんだ……戦って、くれるかな」
「……はい! マスター!」
「相手は想像つくぜ。ま、未来のおまえに説教ってのもいいかもな」
「主様の御心のままに、私をお使いください」
「構わないわ。昔話を聞いたから、運動しないと体に毒なの」
「我も構わん! この死神の一番弟子、ブラックリスト! 未来の貴様に引導を渡してやろうか! フフフ……腕がなるわ。刃が光るわ」
「えぇ、ミーリ。任せなさい。私はあなたの槍、必ずあなたを勝たせてみせる!」
全員、頷いてくれた。全員、ミーリのこの決着に異論はなかった。だって何故なら、この間違った恋愛感情を持った男の未来を、放ってはおけなかったからだ。
そんな気持ちを手玉に取って、奴と決着を着けようと言うのだから、まったく酷い話である。
だが信じていた。彼女達が頷いてくれると、心の底から信じていた。だって、大好きな彼女達だから。
心のままに純情に、彼女達を愛してる。だけど今わかった。ユキナ・イス・リースフィルト。君のことは未だに、君だけを愛していない。愛せない。
そのことに今気付けた。だから聞きに行こう。未来の俺が、いつそのことに気付いたのかを。たった一人で、愛する彼女達のいないその世界で。
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