vs ニコラ・テスラ Ⅱ

 空虚うつろは歩いていた。夢の中とわかっている場所を、ただゆっくりと。

 そこは、燃え盛る屋敷のまえ。どこの誰のかわからない、ただただ大きな屋敷が燃えているそのまえだった。

 その屋敷のまえでは、一人の少女が泣き続けていた。胸に赤く輝く石を抱いて、ひたすら泣き続けていた。

 だがお父様、お母様と、乞うことはしない。ただひたすら、炎に包まれる屋敷の姿を見て泣きじゃくる。だが涙で消火などできるはずもなく、炎は勢いそのままに屋敷を焼き尽くす。

 だがその炎が少女に振りかかろうとしたそのとき、宝石の光が炎を殺す。殺された炎は一瞬で消え去り、屋敷から去っていった。 

 そして、少女のまえに誰かが立つ。それは、絶えず揺らめく銀色の長髪を持った、漆黒の衣装に包まれた女性だった。黒の虹彩の中で、銀河にも似た光が輝いている。

 彼女は少女を見下ろすと、その手に長い槍を持ってその切っ先で少女の顎を持ち上げた。

――あなたでいいか……次の器

――……誰?

――さぁ、誰かしら。今はまだ、知らなくていいわ。それよりも、あなたには生きていてもらわないといけない……だから使わさせてもらう。あなたの心臓を……

――どういう……?!

 女性の槍が、少女の心臓を貫き穿つ。そしてゆっくりと串刺しにされた状態で持ち上げられ、槍を滑って落ちてきたところを槍を持つ手に止められた。その深紅に近い色の血を手に浴びて、女性の揺らめく銀髪が姿を変える。

 先は鋭く煌いて、色は深い紅色に。その長さは女性の姿などほぼ隠しきれる長さまで伸び、少女の体を撫で回した。

 幼すぎる……心臓だけでは無理か……なら。

 女性の髪の毛が、少女の両脚を捕まえる。そして力強く締め上げると、なんと髪の毛が両足を喰ってしまった。その両脚に流れていた神経も血も、すべて喰らって取り込む。

――これで足りる……でも、ここからはあなた次第よ。見事私を御し切って、天の女王イナンナを……あのバカを止めてみせなさい

――あ……なた、は……だ、ぇ……れ……

 微かに戻った薄い意識で、少女は訊く。紺色の髪とその顔つきには、今覚えば見覚えがあった。サクラである。となれば、赤い秘宝はブラッドレッドなのだが、空虚はその存在を知らなかった。

 だから今この光景が、ブラッドレッドととの契約であるということを空虚は理解できていない。ただ霊力と視覚の情報で、目の前の女神が、一人の人間の少女を貫いたとしか認識できていなかった。

 そしてその女神は滴る血を浴びて、冷ややかに表情をまるで変えない氷の顔で、少女のみに囁いた。

――私の名はエレシュキガル。冥府の魔女にして闇の女神……と言ったところで、あなたにはまだ、わからないのでしょうけど

 そう言うと、エレシュキガルの姿が槍と共に消える。サクラはその場に落とされて、そのまま一瞬だけ息絶えると、傷の修復と共に再び息を吹き返して、そのまま眠ってしまった。

 だがそんなことよりも、空虚が衝撃を受けたのは女神の正体だった。彼女は今、目の前にいる少女のみに聞こえるよう囁いたが、たしかに聞いた。エレシュキガル、と。

 エレシュキガル。彼女は冥府の魔女と自称していたが、まさしく闇を司る地獄の女神、エレシュキガルだ。

 あのイナンナの実の姉にして冥府の女神。その力は妹と拮抗し、地獄では女王だったあのエレシュキガルだ。

 いた。本当に。彼女はイナンナと共に実在したのだ。そしてそれはおそらく、今はあの少女――サクラの中。

 知らせなければ。一刻も早く。ミーリに、教えなければ。もし彼女の力をものにできたなら、彼はきっとあいつに――イナンナに勝てる。

 知らせなければ。

 その思いは未だ意識が戻らない空虚の肉体を現実にわずかながら動かし、パートナー二人に医師を呼ばせに行かせるほどだった。

「“十一時エルフ”」

 時間制限タイムリミットが半分過ぎた。もうそろそろ、勝機を見出さなくてはならない頃合いだ。

 だが相手は不死身と化した雷の魔神。強敵にも程がある。雷速で移動し、破壊力も充分。今まで戦った神の中でも、ミカエルに次ぐ厄介さがある。

 だがスキはある。ミカエルのように機械的でも、いつぞやの錬金術師のように計算高くもないこの雷電博士は、ただ強いだけだ。攻撃力も防御力も、ただ強いだけ。言うなら、弱点がないのが弱点と言える。

 説明すると長くなるし難しいのだが、例えて言うなら、固いだけの石は脆い。という話だ。

「“魂喰猫脚ジョーカー・ストーク”」

 漆黒をまとった脚で、音もなくニコラの後ろを取る。そして漆黒に染まった刃を振りかざし、ニコラの首をねた。

 が、ニコラの体はすぐさま元に戻る。首と繋がった胴体は雷鳴と共にミーリの背後を取り、頭を鷲掴んで地面に叩きつけた。ミーリの額から、血が噴き出す。

 だが理性の吹き飛んだ状態のミーリに、そんな傷を痛がる余裕と感覚はない。頭から絶えず湧き出るアドレナリンが、昂りを治まらせなかった。

「“魂斬十字ブラック・クロス”……!!!」

 体を捻り、十字の斬撃でニコラの腕を斬り落とす。血の噴き出ない腕に頭を掴まれたまま再び体を捻って立ち上がり、ニコラの体を縦真っ二つにした。

「無駄な抵抗だ! どれだけ霊力があろうが、どれだけ腕が立とうが、しょせんは人間! この俺に敵うはずもない! 諦めろ!!」

 真っ二つの状態から戻ったニコラが、腕の方に飛んでいく。ミーリが持つ腕と胴体とがくっ付くと、その腕で再びミーリを捕まえた。

 そして強く地面に叩きつける。追撃の雷撃が襲い、ミーリを焼いた。

 さすがにここまでの攻防。常時全開では霊力が持たない。ついに雷撃がミーリに届き始めた。体の至るところを、苦痛の絶叫ごと焼かれる。

 だがミーリはその雷撃から抜け出し、一瞬だけ構えるとすぐさま肉薄した。

 ミーリの作戦は至って単純。というか、単純を極めすぎて戦いの根底にあるものを突き詰めた感じだ。

 攻め続けること。ニコラの電光石火の攻撃も、霊力によって守られ効かないのなら、恐れることはない。ならば攻め続けて、底なしではない力――体力を削ぐ。かの最強の吸血鬼も、この作戦で勝利した。

 もっともそのときは総力戦だったし、ただの袋叩きだった。いわば力で押さえつけた力づくの作戦だったと言える。それを今度は自分一人でやらなければならない。

 それに吸血鬼の不死身能力と違って、体力の低下はないかもしれない。一人でその体力を削れるとも限らない。まさに賭けだった。正直、賭けていいと思えるほどの勝算はない。

 だがやるしかない。勝算はなくとも、微かな勝機はある。霊力が使い切れるまで、体力が底をつくまで、暴れてやる。斬って斬って斬り尽す。それが今、唯一打てる戦略だ。

「“魂喰道化師ジョーカー・キリング”」

 すべての空間を斬り付ける斬撃の連打を、ここで再び繰り出す。時間もそうない。まだ最後の時間まで経っていないが、この技ですべてを使い切る気だった。

 だがその覚悟を、ニコラも悟っていた。しかし避けない。それは今の不死身の状態にミーリが何もできないだろうという自信と、それを生み出す妖精石フェアリーストーンへの絶対的信頼が、そうさせていた。

「まったくこれだから好きになれねぇよ、人間は!!!」

 一撃目が、ニコラを斬る。同時に斬られた空間が大きく歪み、すぐさま修復しようと大気を圧縮させる。その勢いに呑まれたニコラの体は、その場に張りつけられたように動かなかった。

 まぁもっとも、今は動く気もないのだが。

「そうやって無駄な抵抗をすることしかできない! その無駄な抵抗で、生まれるのは破壊だけ! まったく見苦しい生き物だ!!!」

 二撃目が斬る。右肩から股にかけてが斬り裂かれ、真っ二つに割られた。その二つの胴体も、空間の圧縮に呑み込まれて一か所にとどまる。

「人間は破壊することしかできない! 戦うことでしか! 奪うことでしか! 壊すことでしか物語を、歴史を作れない! 人類は遥か太古より、醜い猿のままだ!!!」

 三撃目。今度は左腕が斬り落とされる。舞い上がった左は空間の圧縮に呑み込まれ、普通ならありえない方向に捻じれ曲がった。

「俺のように創造する者が現れても、人間はそれを使って自身以外の他を壊すだけ! まるで進歩がねぇ! そんな人間に俺は絶望したのさ!!! 何が人間だ! 何が世界だ! その世界と人間を生かす神もクソ喰らえだ!!!」

 四撃目。今度は首が飛ぶ。さらに五撃目が繰り出され、頭部は下顎と一時的にさよならした。それでもどういう原理か、ニコラは喋る。

「だから俺が世界を変える! この世界を、創造者のみが使える箱庭に変える!!! 世界を創るのは創造者だ! 破壊だけしか能のない野郎なんざ、この世から消えちまえばいいんだ!!!」

 六、七、八……そこからはもう、人間の肉眼では数えられない数と速度の連撃が繰り出される。

 それによってニコラの全身は塵のように細切れにされたが、それでもなお喋っていた。声はもはや遠くで聞こえる雷鳴がごとく、鈍く響く。

「そして俺は、その創造者として最も優れた力を手に入れた!!! 不死身、まさに生命の究極!!! 決して破壊されることなくただ作り続けられる俺こそ、次代の創造主に――世界の担い手に相応しいのだ!!! おまえとは、生きてる次元が違ぇんだよ!!! クソガキ!!!」

 一瞬で塵が集結し、ニコラ・テスラへと構築される。高く掲げた両腕は雷をまとい、ミーリの頭蓋に叩きつけられた。

「“雷帝滅却グロム・オド・スムルティ”!!!」

 両の拳から放たれる雷撃が、ミーリの体を焼く。放出されていた霊力はついに底をつき、ミーリはゼロ距離での直撃を喰らった。全身に痛みと熱がのしかかってくる。

 その手から鎌が滑り落ち、ミーリはその場で力尽きた。

 ニコラの目には、ずっと無駄な抵抗を続けていた人間がついに力尽きたと映る。そこには小さな達成感と、征服感とが入り混じっていた。思わず、高笑いが出る。

 両手を広げ、雷鳴を轟かせ、胸を張り、高らかに笑う。これも当然の勝利だと、新たな世界の創造主の誕生に、自ら喜んでいた。これならブラッドレッドなどなくても、世界を破壊してしまえる。そう思えるほどに。

 だがその高笑いは長くは続かなかった。そして驚愕する。たった今倒したばかりの人間が、立ち上がったことに。よく見れば彼の体も肩にかかっているだけの上着も、燃えていなかったことに。

 目の前の人間が虫の息ながらに呼吸し、ふら付きながらも立ち尽くし、自身をその虹彩の中に入れていることに、ニコラは驚きを禁じ得なかった。

「てめぇ、まだ立って……!?」

「……おじさんの、野望、とか……知らないし……俺は……ただ、戦いに来ただけだし……」

「戦いに来た? なんのために。俺がおまえに何かしたか? 友達が死んだか? そうでなくとも相当な深手を負ったか? それともあの小娘のことか? どれでもいいがな……どれも全部諦めな! それは新世界創造のためのただの犠牲だ! そんなものに一々怒って、てめぇは戦うのか?! あ?!」

「おじさんは! おじさんは……俺の友達を傷付けた……死んじゃうくらいの怪我させた……その上サクラちゃんにまで手をかけた……! それが犠牲? 知らない……新世界だかなんだか知らないけど、おじさんの勝手で! 勝手な理由で死んでいい命なんて、一つも! 俺の周りにはありはしない!!! だから俺は戦うんだ! だから戦うんだ! 俺は負けない……! ここで負けたら……目標を果たすどころか、大切な友達を失くすから! だから俺は、戦うことをやめない!!!」

「いい加減にしろ、クソガキが! そういうてめぇ勝手な都合が折り重なって、世界を壊すんだ!!! そういう奴がいるこの世界が、腐ってんだよ!!!」

 ニコラが雷電を灯した腕で襲い掛かる。その手で頭を鷲掴み、再びゼロ距離での直撃を浴びせる算段だった。

 だがミーリはその一撃を躱す。体勢を低くして腕の下を取ると、横から飛んできた紅色を掴み取って、その腕を斬り落とした。

 赤い鮮血が、ニコラの腕から噴き出す。

「腐った世界だろうと、俺は友達を犠牲にする腐った奴にはならない! 俺は……俺はやるんだ! おじさんを倒して、あいつを倒す!!!」

 そこにあったのは、意地。硬く鋭く研ぎすまされた、信念。その信念や意地は紅色の槍となって、ミーリの手に握られていた。

「行くよ、おじさん。対神学園・ラグナロク四年、ミーリ・ウートガルド。この神殺しの槍で……あんたを、倒す……!!!」

 

 

 

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