vs 殺人鬼アロウリー

 外出公務の初日が終わり、貴族の面々は用意された個室に泊まる。昼の暗殺者騒ぎで逃げ出した貴族も何人かいたが、ほとんどの貴族は城にとどまった。

 逃げ出せば、逃げる自覚があると悟られてしまう。あとで弱みを握られ、いいように使わされるのがオチだ。皆それを恐れたのだ。

 もっともサクラやミストのように、元々何も隠すことがない善良な貴族もいないことはないが。

 護衛にも一応部屋は貸し出されるが、ほとんどの護衛は貴族と同じ部屋かその部屋の前で休息を取る。

 だがミーリは警護を空虚うつろ土方ひじかたに任せ、部屋で休んでいた。ロンゴミアントとレーギャルンを両隣に寝かせ、ベッドの中央で胡坐を掻きながら電話する。相手は屋敷で待機している玲音れおんだ。

「もしもしレオくん? そっちの様子どぉ? なんか変わったことあった?」

「はい、とくに変わったことはありません。ウィンさんが残ってくださってますし、標的となってるサクラさんがそちらに行ってるので……」

「油断しちゃメ、だよレオくん。こういうときを狙って、泥棒とかは入り込むんだから」

 実際俺ん家そうだったし。

「は、はい。わかりました。気を付けます」

「まぁたしかにサクラちゃんはこっちにいるから、そこまで気を張らないでもいいけどね。ま、お金目当ての泥棒はどこにでもいるから。気を付けてね」

「はい。では先輩、おやすみなさい」

「うん、おやすみぃ」

「向こうはどうだって?」

「ロン、起きてたの?」

「今起きたの。それで?」

 切った電話をネキに手渡す。目が見えないことをつい忘れて頼んでしまったが、ネキは何事もなく電話を受話器に戻してくれた。これだから、盲目であることを忘れてしまうのだが。

「向こうは平気だって。まぁこっちにサクラちゃんがいるんだし、向こうに人員を裂いてくることはしないとは思うけど」

「でも、あそこにはあるんでしょ?」

 秘宝、ブラッドレッド。

 リースフィルト家に伝わる、鮮血色に輝く宝石である。その正体がただの宝石でないことは想像だが、粗方間違ってはいない気がする。

 その存在がどれだけの人達の耳に知れ渡ってしまっているかは知らないが、それを狙う人間は少なからずいるだろう。それが金銭目的か、違う価値を見出しての目的かは知らないが。

 ともかく、守りを固めておいて損はないはずだ。屋敷は玲音とリエン、そしてウィンに任せよう。それしかない。

「じゃ、俺も寝るねおやすみぃ……」

「おやすみなさい、ミーリ」

 寝転がるミーリの額に口づけする。そうしてロンゴミアントはミーリの腕を抱き、また夢の中へと落ちていった。

 そして、ミーリにおやすみを告げた玲音もまた、リエンと交代でベッドに寝転がっていた。だが眠れない。

 いつ襲われるかわからない常時緊張状態。寝ていても、いつでもすぐ動けるような状態を保っていなければならない。そんな状態が初めてで、玲音はこの依頼を受けてからなかなか寝れずにいた。

 眠れな過ぎて、もう目の下にクマができそうな勢いである。

「眠れないのか、獅子谷玲音ししやれおん

「ウォルワナ……こういう長期依頼は慣れなくて……」

「慣れよ、とは言わん。だが寝ておけ。かの臆病者も、寝れるときは寝ていたぞ」

「でも……」

「何かあれば私が起こす。だから寝ろ、獅子谷玲音」

「……はい」

 隣にウォルワナがいてくれる。それで多少なりとも安心できるのだが、正直ウォルワナが側にいると怖い。

 何せ全身を甲冑で覆い、背中の三つの噴出口から度々蒸気を噴出するのだ。ホラー作品に出てきそうで、正直怖い。顔を決して見せないことが、さらに怖さを助長していた。

 まぁそんなことを言ったところで、甲冑は脱げないようなので仕方がないが。

 ウォルワナを側に置いて、少し眠る。ようやく睡眠できた玲音の意識は、どこぞの夢の中へと潜り込んでいた。

 そこは、とある屋敷の中。自分が立っているのは、玄関ホールのど真ん中。どこの英雄の名剣か白銀しろがねの大剣が飾られていて、自分はその目の前に立っていた。

 そのさらに目の前で、少年少女が遊んでいることに気付く。追いかけっこをしている最中大剣が目に入り、その勇ましき姿に見入っていた。玲音の姿は、視界の中に入っていない。

 二人は剣を指差し、何か言っている。だがその声と言葉に酷くノイズがかかっていて、何を言っているのかわからない。

 剣の勇ましさに関してかっこいいと感想を述べているのか。そこから話が伸びて将来の話でもしているのか。わからないが、そんな想像が膨らむ表情で二人は話していた。

 しかしこの二人、どこかで見たことがある気がする。厳密に言えば少年少女の少年の方だ。

 青い髪。まだ幼さが残る瞳と顔つき。そして、どこか気だるそうなこの態度。

 見たことがある。しかしわからない。それは記憶のどこかに掠っているはずなのだが、明確にヒットさせることができなかった。おかげでモヤモヤとした、複雑な心情である。

 そんな彼らは、再び追いかけっこを始める。扉を開けて外に出て行くと庭を駆け回り、そのまま敷地の外へと行ってしまった。

 そんな彼らから、玲音の視線が背後の大剣へと移る。その姿をもう一度見ようと振り返ったが、そこに剣はなかった。姿形、無論影まで消えていた。

――ユキナ!

 不意にそう叫ぶ声が聞こえて、再び振り返る。するとそこは灼熱に囲まれ、業火と轟音で満ちていた。

 そのホールの中心、玲音の目の前で今さっきより二回りほど成長した少年は叫ぶ。その手には今ここで消えたはずの大剣を握り締め、赤い鮮血を滴り落としていた。

 そして一番上の三階から、一回りだけ成長した少女が立ち尽くす。その場でクルリと回った彼女は、血塗れの手でドレスワンピースの裾を持ち上げた。

――ねぇミーリ? して? 私に告白して? 愛をささやいて? あなたの心の奥底から沸きあがる感情を、今ここで咆哮して

 ミーリ? そうか、じゃあこの人は……。

 少年は剣を突き立て、歯を食いしばる。その身に迫る灼熱に焼かれながら、爆発と共に巻き起こる爆煙を吸い込んだ。

――ユキナ、俺は……

「獅子谷玲音! 玲音起きろ!」

 ウォルワナに揺すり起こされる。夢の中へと潜ってから二時間は経っているようだが、まだ交代の時間には早かった。何かあったのだ。

「どうしたんですか?」

「ウィンフィル・ウィンから敵影の狼煙のろしだ。行くぞ、リエン・クーヴォ達が待っているはずだ」

「はい!」

 服装を整え、ネクタイを締め、ウォルワナと共に階段を駆け下りる。勢いそのままに廊下を駆け、力いっぱい玄関の扉を開けて飛び出した。

「乗れ」

 ウォルワナの肩に乗り、山を駆ける。ウィンが硝煙を上らせた場所までノンストップで駆け下りると、ウォルワナは背中から蒸気を吐き出した。

 リエンもほぼ同時に合流する。すでに二つの剣と上位契約済みだ。

「ウィン! 敵の状況は!」

「そう声を荒げるな……敵はざっと三〇。あと五分くらいでここに来る。屋敷は執事共に任せて、俺らはこれを狩るぞ。俺は左、クーヴォは右、獅子谷は真正面の敵を倒せ」

「わかった。玲音、私は自分のところが片付いたら、真っ先に君の所に駆け付ける。それまで堪えて欲しい」

「はい、頑張ります」

「俺は駆けつけねぇが、まぁ頑張れ。銃弾の何発かがそっちの敵を撃つだろ」

 ウィンは木の上に跳んでいき、リエンは右方向に駆けていく。玲音はその場で息を整え、再びウォルワナの肩に飛び乗った。

「行きましょう」

「しっかり捕まれ、獅子谷玲音。全速力で行く」

 背中から蒸気を噴き出して、ウォルワナは猛進する。玲音を肩から落とさないようになどとは考えず、全速力で山を駆け下り、わずか数十秒余りで敵部隊と接触した。

 鋼鉄の甲冑で突進し、敵の一人の胴体を貫く。弾ける血の塊を浴びたウォルワナは全力で停止し、再び背中から蒸気を吐いた。

 甲冑の中からの熱で、浴びた鮮血がすぐに乾ききる。

「ウォルワナ!」

 ウォルワナの姿が聖剣へと姿を変え、玲音の手に納められる。そのまま全身で回転し、剣撃を受けた武器ごとその人の体を叩き斬り吹き飛ばした。

 そのまま聖剣を振るう勢いで駆け抜け、敵を次々に斬り裂いていく。短剣やナイフでガードされるも、刀身の細い武器では盾にもならず、すぐさま粉砕されへし折られた。

 ブンブンと疾風を掻く音を立てながら玲音は次々と敵を倒し、ついに霊力探知で確認できる自身の視界内の敵を全滅させた。

 ただし剣の一撃で殺してはいない。全員毒を噛んでしまったので死んでいるが、玲音は絶妙に手加減をしていた。

 ミーリに最近教えてもらった剣をこの数日ひたすら特訓し、ついに手加減できるまでになっていたのである。まぁ厳密に言うと、ひたすら特訓していたのは緊張を忘れるためだったのだが、結果オーライだ。

 ともかく、教えてもらってまだ間もない剣で、玲音はなんとか自分の周囲の敵を撃破していた。

「終わり……ました……」

『いやまだだ、獅子谷玲音。来るぞ』

 ウォルワナの忠告通り、誰か来る。それはウィンでも、リエンでも、ましてや今倒した暗殺者集団の残党でもなく、一人の長身の男だった。

 酷く痩せこけていた。長く伸びた手足は、骨と皮だけでできているように本当に細い。そして胴体に至っては瘦せ過ぎて、あばら骨や臓器までが薄い肉の袋の中から飛び出していた。

 頬もすり減らしたそいつはゆっくりとうなだれながら、こちらに歩いてくる。ときどき見える眼光は鋭く、まるで餌を求めて這いずる狼だった。

 まぁ、狼というのはかなり美化したかっこいい表現だ。実際はナルラートホテプらと同じ、混沌の魔獣と言った方が一番近い。姿も形も何もない、ただ眼光だけは鋭いあいつらと、彼は同種類のような気がした。

 行く先に玲音の姿を見つけて、彼はおもむろに立ち止まる。そして足元に何かを見つけたのか、それとも何かの感情表現か、その場で足踏みをし始めた。

 小さい声で、何かボソボソと言っている。

 その声は耳を澄ませてもなかなか聞き取れなかったが、次第に足踏みが強くなるに連れ、段々と大きく聞こえ始めた。

 うるさい。

 だるい。

 しんどい。

 辛い。

 熱い。

 寒い。

 苦しい。

 死にたい。

 ひたすらに、ただこれら言葉の羅列を繰り返す。そこに意味はない。

 意味があるのなら、真っ先に病院にでも行くことをお勧めしたい。だがそれも手遅れか。今彼が言っている言葉すべてが事実なら、もう末期だ。病名は知るところではないが。

 八つの言葉を九往復くらいさせたところで、彼は突然耳を塞ぐ。そしてこの世のもの――人間の世界の尺度で計るとだが――とは思えないほどの絶叫で、その場の空間を張り裂いた。

 玲音もまた、耳を塞ぐ。そうしなければ、鼓膜が破けていただろう。それくらいの声だ。

 張り裂けんばかりの絶叫をした彼は、それでエンジンがかかったかのように肉薄してくる。その速度は異常で、玲音が瞬きを一度している間に、玲音からあと二歩分まで迫っていた。

 とっさに剣で弾く。だが皮と骨だけの腕から放たれた一撃とは思えないほど重く、玲音はバランスを崩してしまった。尻餅をつく。

 だが男は玲音のすぐ側を通り過ぎるとすぐに折り返し、再び鋭い爪で斬りかかってきた。

 すぐにウォルワナが武装を解き、人の姿に戻る。その強固な甲冑で爪の一撃を受け、玲音を守り切った。

 さらに折り返して斬りかかってくる男の一撃を、ウォルワナは受け止める。一撃を胸で受けたウォルワナは男の腕を掴み取り、背負い投げで投げ飛ばした。

 だが男はすぐさま体勢を立て直し、着地する。同時に地面を蹴り飛ばし、ウォルワナの陰に隠れる玲音を狙って肉薄した。

 赤い瞳孔を暗闇の中で光らせ、獣並みの俊敏性で駆ける。瞬身しゅんしんとも呼べる速度で縦横無尽に駆け抜けて、玲音の首筋に爪を向けた。

 だがその爪は届かない。男の爪が玲音の皮膚に触るか否かというところで、ウォルワナの腕が男を捕まえる。そしてまた玲音からずっと距離を離したところまで、投げ飛ばした。

「思い出した。どこかで見たことがあると思えば、この者賞金首。貴族王族金持ちを狙い、九〇もの人間をその手にかけた殺人鬼。アロウリー・D・バン。ジャック・ザ・リッパーの再来とうたわれた……」

「ジャック・ザ・リッパー……」

 思うところがある、その名前には。

 かつて魔剣を持っていたとき、その体を悪用された。意識を乗っ取られ、操られ、辻斬りをやらされた。そのときに付けられた通り名こそ、夜霧の怪人の名前だった。

 そのとき甘い言葉で玲音に近付き、血を求めて通り魔をしていた魔剣の名は――

「ジャック・ザ・リッパー、懐かしい名前を出すじゃねぇの。え? 玲音」

「ドヴェルグ……」

 人の名をドヴェルグ。武器としての名を血を啜る狂気の魔剣、吸血魔赤剣ダーインスレイブである。

 その魔剣が今、獅子谷玲音の目の前に、現れた。

 

 

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