速度の熾天使
下級天使達の襲撃が一先ず落ち着き始め、戦っていた生徒達はようやく後退しながら休息を取れるくらいにまでなった。足元には、バラバラになった天使の死骸が少しずつ霊力となって消えている。
対神学園・ラグナロクの
『蒼燕様、大丈夫ですか』
「案ずるな、
『はい。ですが無理はしないでください。蒼燕様の秘剣は、ただでさえ体力の消耗が激しいのですから』
「あぁ」
「時、先輩……」
そこにいたのは、蒼燕の彼女。一年下の後輩で、名前を
「紅葉殿、よかった無事で……!」
「先輩逃げて!」
今まさに迎えに行って、抱き締めてすらしてやろうと思っていた矢先、彼女の体を、小さな何かが貫通する。吐血した彼女はそのまま力なく倒れ、蒼燕の足元を赤く濡らした。
「紅葉殿……? 紅葉殿! 紅葉殿!」
抱きかかえ、名前を叫ぶ。だが彼女は答えない。ただ虫の息を繰り返すばかり。彼女にはもう、答えられるだけの気力も体力もなかった。よく見れば、引きずっていた足は
「人間を発見。ただちに処分します」
「……貴様ぁぁっ!!」
『待ってください、蒼燕様! 今はまだ!』
「“秘剣・
全速力。最高速度で放った十の連撃は、ほぼ同時に繰り出される。だがそれは一瞬のこと。天使にぶつかる直前で、その速度が急激に遅くなる。それはもうただの連撃で、天使はその間に入り込み、そして打撃を繰り出した。
だがその打撃が、拳だったのか掌打だったのか、まったく見えない。その攻撃の速度は軽く秘剣を超えていて、目で追えるものではとてもなかったのだった。
攻撃を喰らって、吐血しながら吹き飛ばされる。地面を数度跳ねて転げた蒼燕の手から刀が落ちて、壁に激突した。
そんな蒼燕に、天使は容赦なく攻撃を浴びせる。浮かせた瓦礫を高速で突き飛ばし、叩きつけてきた。
全身の骨を粉砕する勢いで、瓦礫が叩きつけられる。うち一つの小さな石が蒼燕の体を貫いたとき、彼の体は大きく跳ね、大きな血の塊を吐き散らした。
天使はその一撃でもって、攻撃をやめる。そして今まさに下級天使を倒したばかりの生徒達をも、同じ攻撃で確実に仕留めた。
天使の名はイェグディエル。見た目はやせ形の長身男で眼鏡をかけ、服装はどこぞの教皇のようで全体的に黒い。だが翼だけは純白で、さらに青みまで帯びた美しい翼を六枚も持っていた。
その目は静かで、冷たい眼差しを放つ。蒼燕がまだ生きていることを認識すると、再び瓦礫を持ち上げた。
高速で放たれる、瓦礫の雨。それを喰らえば、蒼燕の命は確実に尽きる。だがそうはならなかった。
瓦礫が次々に射抜かれ、砕かれる。同時に放たれた攻撃は止められたものの、攻撃はすべて相殺された。その攻撃は、ずっとはるか後方からの射撃。天使の肉眼では、ギリギリ影が捕捉できる程度。そこから攻撃を放った
空虚はさらに距離を取り、建物や巨大な瓦礫の影に隠れる。二つの神霊武装が遠距離攻撃専門なので、当然と言える戦法。だから一瞬で距離を縮められれば、攻撃のスキを与えられなかった。
イェグディエルが一瞬で距離を詰める。それはもはや、瞬間移動に近い。空虚はすぐさま矢を放ったが、それはイェグディエルにぶつかる直前で止まり、平手で砕かれた。
すぐさま二発目を放とうとするが、再度繰り出された平手打ちに殴り飛ばされる。建物一階のガラスを突き破って転がり込むと、壁にかけられていた肖像画などをすべて落としてぶつかった。
そこに逃げ込んだ人々が、より窮屈に体を密着させて隠れようとする。一瞥しただけでもわかるほど、奥の部屋には容量を超えた数の人達が入っていた。
空虚はすぐさまここを離れようと飛び出す。だが天使イェグディエルはそうはさせまいと接近し、思い切り蹴り飛ばした。空虚が壁に叩きつけられたことで、怯えた子供達が泣きだす。
「人間確認、ただちに殲滅します」
「させるか!」
矢を放つが、またあと数センチのところで止まる。そして片手で払われると、再び拳が空虚の腹を抉った。壁に叩きつけられ、減り込む。
「人間ごときが、この天使イェグディエルに勝てるとでも? 無様。実に無様です。そんな人間など、頭を砕いてしまいましょう。脚の向きを逆にしてやりましょう。体を貫いてあげましょう。今まで通りに」
イェグディエルは瓦礫を浮遊させ、狙いを定める。だがそれが放たれるまえに空虚がゼロ距離で砲撃を浴びせ、その場を離脱した。
火薬と黒煙を吸ってしまい、急いで咳をして体から追い出す。そしてその場から離脱しようと、空虚は一目散に走り出した。目的地などはない。ただひたすらに距離を取るため、走る。
だが突然足の運びがグンと遅くなり、進みが遅くなる。そして瞬間移動並の速度で迫ってきたイェグディエルに再び殴り飛ばされ、首根を掴まれて壁に押さえつけられた。
「このまま首を絞めて死ぬのと、体を貫かれて死ぬのと、どちらがいいですか? もしよかったら、選んでいただけますか。どちらの死がお望みかを」
弓を落とす。意識が遠のき、砲口が出せない。必死に首の拘束を解こうともがくが、イェグディエルの力がすさまじくてまったく解けない。
もう呼吸ができない。全身が麻痺してきた。死ぬ……!
そう思って死を覚悟した次の瞬間、イェグディエルの拘束が解ける。倒れた空虚はすぐさま思い切り息を吸って、吐いて、また吸った。
必死に呼吸を繰り返しながら、何が起きたのかを確認する。するとそこには見覚えのある青い髪を揺らす一人の青年がいた。
「ウッチー、大丈夫?」
「ミーリ!」
ミーリ・ウートガルドだった。紛れもなく、そこにいたのはミーリ・ウートガルドだった。槍ではなく銃を武装しているが、間違いない。荒野空虚の、憧れの人がそこにいた。
「何、苦戦してるじゃん」
「うるさい。あいつの能力が厄介なだけだ。矢をいくら放っても、ぶつかるまえに止められてしまう。反射か何かの能力かもしれない」
「遠距離攻撃はキツそうだね」
『おいおい、俺の出番がねぇじゃねぇか、さっきから。あいつにも全然効かねぇしよぉ』
「あいつ……?」
「あれあれ」
ミーリが指差す方にいた、全身機械の天使――ミカエル。その翼は紅蓮の炎をまとい、燃え盛っていた。ミーリと空虚を視界に入れて、色々と計算している。
「彼女? 彼? まぁどっちでもいいけど、銃弾が効かなくてさ。ホント、戦略ミスだよねぇ」
「ならどうするつもりだ。勝てるのか」
「勝つよ? いや普通に。勝って明日もみんなと寝るよ、俺は」
勝利に関しての情報はまるでなく、この状況下でどうして勝つと言えるのか。空虚は不思議でならなかった。だがその不思議加減が、自分に勇気をくれる。勝てるんじゃないかと、思わせてくれる。
ミーリの持つ根拠のない自信に背を押され、ふらつきながらも立ち上がった。
「ミーリ、炎の天使は私がやる。おまえはそっちを頼まれてくれないか」
「いいけど、勝てるのウッチー」
「勝つさ。勝たなければならない。そうだろ、ミーリ」
「まぁね」
お互い力強くタッチして、背中を任せる。ミーリはイェグディエル、空虚はミカエルと対峙した。だが対戦相手が変わったことに、天使二体は動じない。
「人間が、この私に勝てるとでも? いいでしょう。この速度の熾天使イェグディエル、半分の力でもってあなたを殺しましょう」
「対神学園・ラグナロク四年、ミーリ・ウートガルド。全力で、君を倒しに行くよ」
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