vs 天の女王《イナンナ》

 点滅を繰り返す街灯の上で、祖師谷樟葉そしがやくずはは長刀を振るう。その姿を見下ろすユキナの口角は、嬉しそうにほくそ笑んでいた。

「久し振りね。ちょっと大人になったじゃない」

 ナルラートホテプを担ぎ直し、ユキナは回る。その勢いで振り返り、樟葉の全身を舐めるように改めて見回した。

「本当に大人になった。九年前とは別人だわ。見た目も、霊力も」

「あれから修業したのです。エリお姉ちゃんと、ミーリお兄ちゃんと一緒に、私は強くなりましたよ、お姉ちゃん。ここであなたを倒してしまえるくらい」

「おしゃべりなのは、変わってないのね。昔からそうやって、付け足さなきゃいい一言を言う子だった」

「変わってないのはお姉ちゃんの方です。姿といいそのまとっている雰囲気といい、一体どんな霊術を使っているのですか。それとも、九年間まったく成長していないということなのですか。なら樟葉は残念です。樟葉はもっと、大人なお姉ちゃんを見たかったのですよ」

「またいらない一言を付け足す。直した方がいいわ、樟葉。敵が短気だったなら、即襲い掛かってきてるわよ」

「そんな人、樟葉の敵にはなりません。それにこれは挨拶のようなものです。お姉ちゃんなら怒ることなく受けてくれると、樟葉は知っています。だからお姉ちゃんももっと喋ってほしいのです。これから死んでしまうから」

「また、いらない一言を……!」

 互いの霊力が膨れ上がる。大気が震え、炎を消し飛ばし、転がるつぶてを吹き飛ばした。

「スサノオ、ナルラートをお願い」

「おまえはどうするんだ」

「この子に付き合ってあげるの。島を覆ってる結界も、まだ消えなそうだし。退屈しのぎよ」

「暇どころか、一生を潰せることを保証します。今の樟葉の実力は、それくらいスゴいのです」

「そう、楽しみ」

 次の一瞬には、ユキナの脚と樟葉の長刀がぶつかっていた。お互い斬られず折られず、霊力同士がぶつかり合う。だが結果力で勝るユキナが押し切り、樟葉は街灯から飛び降りた。

 だが着地と同時に地面を蹴り、すぐさま斬りかかる。その一撃をユキナに払わせると大きく薙ぎ払い、空高く吹き飛ばした。

 大気に爪を立てて止まり、ドレスワンピースの裾を払う。薙ぎ払うと同時に斬られていたその裾を持ち上げ、その切り口をジッと見つめた。すると逆に気に入ったのか、その切れた箇所をもう少しだけ自分で切って、そこから色気たっぷりに脚が見えるようにした。

 ミーリ、こういうの好きかしら。

 そんな考えしか、頭の中にない。そんな桃色の頭を叩き割ってやろうと、樟葉の長刀が大きく振りかぶって振られた。

 それを素手で受け止めて、軽く投げ飛ばす。そうして態勢を崩した樟葉に蹴りを入れて、ボートのアトラクションに吹き飛ばした。高い水飛沫が上がる。

 だが蹴ったその脚は正反対の方向に折れ曲がり、血をにじみ出していた。水の中から出てくる樟葉が、どうですかという目で見てくる。

 するとユキナは自らその脚を元の方向に折り曲げ、無理矢理元に戻してしまった。

 そんな、寝癖を治すんじゃないんだから、簡単にしてみないでほしい。しかもそれで治るのだから、怪物である。もはや神なんていう、信仰もされるような気高い存在とは離れている気がする。

 そんな怪物に対峙するのに、遠慮などいらないということを、樟葉は知った。水柱を上げて飛び上がり、アトラクションの小さなハリボテの山に乗る。そして長刀を振り回し、自分と水平に立てて構えた。

「本気で行くのです」

「どうぞ」

「……天地を返せ、天之逆鉾あまのさかほこ

 刀身の向きを、天から地へ。向く方向を変える。すると次の瞬間、ユキナは落ちた。

 地上にではない。空に落ちる。ユキナだけではない。水が、アトラクションの乗り物が、草木が、地面についていないものすべてが空に落ちていく。

 ロンゴミアントはミーリを抱きしめ、必死に鉄柵を握り締めた。レーギャルンもまた、とっさに複製した剣に乗って難を逃れる。そしてその手で一生懸命、気絶しているウィンの腕を剣に乗せようと引っ張っていた。

 地上のすべてが空に落ちる。少なくともテーマパーク内すべてのものはユキナと同様に落ちていた。

 重力に逆らって――否、重力に逆らっているのは、むしろユキナの方。必死に地上に向かって飛ぼうとすればするほど、その体は重力に似た何かの力によって空へ落とされる。

 そんなユキナに一瞬で距離を詰めた樟葉に、蹴りを叩き込む。するとそれを樟葉が長刀で受け止めた瞬間に、ユキナの全身に切り傷が刻まれた。

 他のものと一緒になって、結界に覆われている空に落ちる。すべてが結界の天井部分に堆積し、山となった。ユキナの姿も、その山の中に消える。

 樟葉は地上に降り立つと、長刀を振り回しながら天上を見つめる。その中からユキナの霊力を探知すると、思い切り地面を蹴って跳んだ――というより、落ちていった。

 全身の傷を再生させながら、ユキナは立ち上がる。天地が逆転したその山の上で、天に変わった地上から来る樟葉を見上げていた。

 山を蹴って、高く跳ぶ。そして斬りかかろうとした樟葉に足蹴りで応戦するも、それを躱される。だがその回避を目で追って、追撃の脚を伸ばして蹴り上げた。

 が、それで飛ばされたのはユキナだった。天上の山に叩きつけられ、吐血する。決して重くはない衝撃のはずなのに、体はそれ以上のダメージをこの一撃で負っていた。

 樟葉が山の鉄骨の上に立つ。相変わらずバランス感覚がいいのねと、ユキナは少し懐かしんだ。

「これも、その神霊武装ティア・フォリマの能力なの? 樟葉」

「はい、そうですよ。教えませんけど、これが私の神霊武装、天之瓊矛あまのぬほこの能力です。自慢ですが、世界創造の時代の武器です。その辺の神霊武装と、一緒にしないでくださいね。この子はプライドが高いので」

「世界創造の神霊武装……なるほど、納得の威力だわ。能力はまだまだありそうね」

 世にも珍しい二つの名前を持つ神霊武装……厄介ね

 未だ、前例がない二つの名を持つ神霊武装。さらにこれまでの歴史上他に二種類しか確認されていない、世界創造時代の武器。その二つの肩書が、樟葉の持つ長刀を警戒させる。

 未だ能力がわかっていないことも助長して、ユキナはこれまでにないほどの警戒を、樟葉に抱いていた。それが結構、屈辱だったりするわけである。

「行きますよ、ユキナお姉ちゃん。天地を返せ、天之逆鉾」

 山が崩れ、そして落ちる。今度は重力に沿って、すべてが地上に落ちていく。その崩れ落ちていく山の中で、樟葉はユキナに肉薄する。そして大きく斬りかかり、振りかぶった。

 対して、ユキナは躱す。ひたすら来る斬撃を躱し、距離を取り続けた。

 向かって行けば、また今さっきのように、反撃を受けるかもしれない。攻撃をした方がダメージを受ける。大したダメージでもないはずなのにそれ以上を喰らう。たった今さっき行って受けた経験が、ユキナに前に出るという選択を渋らせていた。

 そんなユキナに、樟葉は容赦なく斬りかかってくる。そして一閃。

 ユキナが躱すと、背後にあったボートが一刀両断された。その両断されたボートを蹴って、ユキナは跳ぶ。今からすべてが落ちていく地上ではなく、空へ。上の方に跳ぶ。

 だがそれを見た樟葉は長刀を振り回し、自分の目の前で水平に構えた。

「天地を隔て、天之瓊矛」

 天から地へ。落ちていくすべてがその場に止まる。その光景ははたから見れば、天と地の間に新たな大地が創られ、浮かんでいるようだった。

 現にロンゴミアントとレーギャルンの二人は、実際のこの光景をそう見ていた。

 ユキナはその光景に言葉を失い、返す言葉を探していた。新たに創った大地に立ち、長刀を振るっている樟葉を見下ろして、苦し紛れに笑みを浮かべた。

 すべての神の頂点である天の女王イナンナでさえ、天地を創るなんてことはしなかった。何せ彼女は、すでに創られていた天空の女神。天空を統べる覇者とはなったが、それを創ったわけではない。

 故に創造主というのには、結局勝てないのであった。

 そして今、目の前にいるのは創造主の力の一端。その力に、果たして勝てるのかと聞かれると、頷くしかない。だがそれも見栄ではなく、自信からくるものであった。

 新たな大地に着地して、回る。大気も霊力もすべて一掃した彼女は、未だ残っている右腕を伸ばし、その指を数度曲げて誘った。

 それに誘われ、樟葉が斬りかかる。縦に、横に、斜めに切り払って、ユキナを後退させる。

 だがユキナはそのことごとくを手で受け流して、軽やかなステップを踏んで躱していた。そしてついに一撃を受け止め、蹴り上げる。

「天地を返せ」

 顎を蹴り飛ばされた樟葉ではなく、蹴り上げたユキナが上を向かされる。だが今度はそこまでのダメージはない。むしろ顎を指先で持ち上げられたくらいの感覚だ。

 ユキナは即座長刀を手放し、樟葉を跳び越えた。そして着地するより前に空気を蹴って突進し、手を伸ばした。

 だがその一撃も、受けた樟葉ではなくユキナが吹き飛ぶ。弾き返されたユキナは宙返りをして着地し、口の中の血の塊を吐き出した。

「天地を返せ……それがその長刀の能力を引き出す暗号なのかしら。だから開号かいごう、と言ってもいいのかもね。その開号を合図に、能力は発動される」

「そうですが、それが何か? その開号がわかっても、能力自体がわからなければ、意味がないと思います。現にお姉ちゃんは、天之瓊矛にまったく対応できてない。このまま能力が見破られるまえに倒してしまえば、樟葉の勝ちです」

「私がいつまでも能力を不明のままにしておくわけないでしょ? もういくつかの仮説は立てた。あとはそれを試すだけ。現時点でも、もうその仮説はいくらか片付いたわ」

「なら……天地を返せ!」

 再び開号を発し、長刀を振って肉薄する。

 大振りで襲い掛かってくるそれらの一撃を躱し、受け流し、受け止めた。単純な膂力りょりょくなら、体の小さなユキナの方が断然強かった。

「折ってしまおうかしら」

 長刀の刀身を掴んだ手に、力が入る。その指が刀身に減り込もうとしたときに、樟葉は呟いた。

「天地を返せ」

 刀身ではなく、ユキナの指がヒビ割れたように切れる。そのスキに懐に入った樟葉は長刀から手を離し、思い切り肘を引いた。

「天地を返せ」

 強烈な肘鉄がユキナを飛ばす。宙に浮かぶ大地から飛ばされたが、元々飛行能力があるユキナは落下せず、大気に爪を立てて停止した。

 攻撃を喰らい、自身の攻撃も決まらない。圧倒的不利な状況下。だがユキナは、笑っていた。その笑みが何を意味しているのか、樟葉は即時理解した。

「逆転、それがその神霊武装の能力ね」

 当てられた。この短時間で。この天地創造を成した神霊武装の能力が。それは今までこの神霊武装を手にしてきて、経験しなかったことだった。

「始めは重力を逆転。この大地を創ってるのもそう。次は攻撃と防御。これで攻撃をした方が攻撃を受ける。ダメージも同時に逆転させたのでしょう? 軽ければ軽いほど重いダメージになる。でもその逆も成立する。どう? 当たってる? 当たってるわよね。だってそんな顔をするんだもの」

 悔しいかな、当たっている。それもすべて。

 この短時間で見切られた。能力はおろか、感情すらも。長刀を掴む手に、思わず力が入る。

 師匠は言っていた。

――おまえはすぐ顔に出る。攻撃の方向も傷の有無も、すべて顔に出る。いいか、樟葉。戦いにおいて感情を読まれること、考えを読まれることは敗北に繋がりやすい。だからおまえは、顔に出さないことを心掛けなさい。感情や考えが読まれた次の瞬間には、自分は負けてると思いなさい。それさえできれば、おまえは充分強いんだから

 負けた。もうこの次の瞬間には、自分はすでに負けている。だが引けない。引くわけにはいかない。

 今ここでユキナを倒すことで、どれだけの人間が救われるかを知っている。少なくとも、今地上で力尽きている兄弟子が、どれだけ救われるかを知っている。

 この先、未来、彼がどれだけ悲しまないかを、知っている。

「天地を――!」

 一瞬で距離を詰められ、腹に強烈な一撃を叩き込まれる。逆流してきた胃酸を吐き出し、吐血し、うなだれる。そして浮かぶ大地から突き落とされて、力なく落下した。

「あなたじゃ私を殺せないのよ。殺せるのは、ミーリだけなんだから。そう思うでしょ? ミーリ」

 ユキナの背後に、ミーリは立っていた。死後流血ロンギヌスの槍を手に、肩で息をしながらなんとか立っていた。

「大丈夫?」

「無理、限界。だから今回は、ナルさんを返してもう帰ってくれると嬉しいんだけど」

「ナルラートは返さないけど、帰るわ。調度、島を覆ってる結界あれももう限界みたいだし」

 ユキナの言葉を合図にしたかのようなタイミングで、結界が崩れる。

 ここまでの戦闘で誰にも当たらず外に行きそうだった攻撃のすべてを受けてきて、限界に達したのは目に見えていた。オルアももう霊力切れだろう。ここまでよく頑張ったと、むしろ褒めるべきである。

 ナルラートホテプを背負ったスサノオも結界の崩壊を見て、おもむろに指を伸ばした。

 それを一瞥し、ユキナは最後ミーリに抱き着いた。そして頬に口づけし、飛び上がる。

「じゃあね、ミーリ。また会おうね」

「バイバイ、ユキナ。また会おう」

 スサノオの転移で、三人は消えた。その後浮かんでいた大地はゆっくりと落ち、テーマパークは以前の原型もない姿となった。

 ただ一つ、シンボルである観覧車だけが、寂しく立ち尽くしていた。

 

 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る