シルフィード

 私はなんだ。

 私は何のために生まれてきた。

 私はマスターの――パラケルススの錬金術によってこの世に生まれ出た。そのまえは、ただの風だった。

 つむじ風に春風、暴風に颶風ぐふう。様々な形になって、世界中を駆け回るただの風だった。

 そんな私が、今や一個の生命として地に根を下ろして生きている。それが不思議でならなかった。

 私はなんのために生まれ、なんのために生きるのか。

 私は何故生まれる必要があって、なんのために何をすればいいのか。すべては、創造主の意思。考えるだけ、無駄だった。

――君は私の手足となるために、私が創ったんだよ

 私はなんだ。

 私は何のために生まれてきた。

 その答えがない今、私はマスターのために生きなければならない。そう、自らに言いつけてきた。

 だから人間が羨ましかった。何かのために、何かをしている人間達が羨ましかった。何か目的を持って行動している人間達が、羨ましかった。

「パパとママ、知りませんか……?」

 テーマパークの最奥で、シルフィードは少女に裾を引っ張られた。今にも泣きそうで、勇気を出して話しかけてきたことが想像できる。いわゆる迷子なのだろうが、正直、知ったことではなかった。

 今はここにいるはずのウンディーネを倒した人間を探すので、忙しいのだ。人間の子供に構っている暇はない。

「残念ですが、私はあなたの両親を知りません。ほかを……」

「あ? なんだ、迷子か?」

 少女と、彼女に目線を合わせて片膝をついたシルフィードを見下ろす、一人の女性。

 黒の上着の下はTシャツ一枚で、下は膝上までのショートジーンズ。赤い紅玉ルビーの目玉を持つ髑髏どくろのバッジをツバにつけたキャップを被った人。

 だが胸の膨らみといい、脚の肉の付き方といい、ところどころが女性だった。

 缶ジュースを片手にして、彼女は少女に視線を合わせることなく見下ろす。その威圧的な態度に、少女は怯えてしまった。

 無論それは当然なのだが、この女性――ウィンフィル・ウィンには、子供の相手をする術、その仕方がわからなかった。

 故にシルフィードの後ろに隠れてしまった彼女の怯え顔に、どう対処していいか困り果てる。同時、良心で話しかけている分、逃げんじゃねぇよという気にもなった。

 こんなとき、主人ならどうしただろうか。

 目の前にもあるヒントを頼りに片膝をつき、帽子を脱ぎ、素顔をさらす。威圧的な表情にすまいと、なんとか笑顔を作ってみせた。結果、ぎこちなくはなったが。

「よぉ、どうした? 迷子か?」

「……パパと、ママを、探してるの」

「そうか……とりあえず、飲め」

 そう言って、まだ開けていない缶ジュースを開けて渡す。すこし躊躇しながら受け取った少女はおそるおそる口を付け、そしてゴクゴクと飲み始めた。気に入ったらしい。

 そして立ち上がったウィンは生徒証を取り出すと、素早く電話機能を出して電話した。

「あぁ、俺だ。今どこにいる? ちょっとこっち来てくんねぇか? あ? あぁっと、フードコートの真ん前だ。すぐ来いよ。あぁ、待ってるから」

 電話を切ってから数分後、電話の相手がやってきた。ポップコーンの容器を持って、バクバクと手を動かしているミーリだ。

「どしたの?」

 ウィンの指差す先に、ジュースを飲んでいる女の子。そしてさっきまで泣いてたんだろう涙のあと。

 その二つで結論を出したミーリは、女の子にポップコーンをあげた。

「ボーイッシュ。なんで泣かせたの」

「泣かせてねぇよ! 迷子だ! 迷子! 俺は良心的に話しかけてやっただけだ!」

「なんだ迷子かぁ……で、そっちの人は?」

 ミーリの意識がシルフィードに向けられる。だがミーリもシルフィードも、互いに気付くことはなかった。

 種明かしをすると、シルフィードの方は元々姿形は人間のそれと相違ない。ただ霊力の形というか質が違うので、それを誤魔化すために風の加護を身に着けている。それによって、相手は普通の人間だと誤認する。

 対して、ウンディーネを倒したことでその霊力がまとわりついていると考えられていたミーリだったが、その霊力は一日経ったことでミーリの持つ膨大な霊力によって掻き消され、弾き飛ばされてしまっていた。故にもう、彼女が残した香りはない。

 故にお互いただの人間と、ただの一般人という認識しかなかった。

 ミーリはその一般人のことを脚から頭まで見上げて、綺麗な人だなという感想を抱く。

 対してシルフィードはミーリの全体をパッと見て、なんだこいつのバカげた霊力量はと思った。故に同時、これはマスターへのおみやげになると思った。

「あ……私は通りすがりのものです。たった今そこの少女に声を掛けられ、困っているところを、その人が通りかかって」

「なるほど。てっきりボーイッシュが喧嘩でも売ったのかと」

「なんでおまえの俺に対する見方がそっちテイストなんだよ。俺は最近大人しいだろ? ペット並に大人しいよ」

「種類によっては騒がしいけどね」

「んな細かいツッコミ求めてねぇよ!」

 その場が少し――というか、少女が少し明るい表情を見せたところで、ミーリ達は行動に移す。

 ここから距離がある迷子センターを目指して歩き始めるが、その道中、少し遠回りをして親を探して回る。そういう計画で歩き始めた。

「……べつに付き合わなくてもいいんだよ? 通りすがりの人。この子は俺達でなんとかするからさ」

「乗り掛かった舟、という言葉が人間の――いえ、この地球上にあるようですから。最初に声を掛けられたのは私ですし、気にもなります。生憎一人なので、お供させていただきます」

「ふぅん……」

 邪魔だな……。

 シルフィードを覆う風の壁。誰の霊力探知も霊力察知もジャミングするそれが、ミーリのアンテナにずっと引っかかっていた。

 どかそうと思えばどかせるのだが、それにはある程度の霊力がいる。そうしてまでこのジャミングをどかしても、晴れるのはおそらく一瞬。故にする意味もないのにわざわざするのが、酷く面倒だった。

 TVを見るのに一〇〇円いるとして、でも三〇分しか見れない。そんな感じだ。

 だからどかさずともわかる見解から、ミーリは動こうとしなかった。

 この人、霊力操作上手だなぁ……くらいの認識を、変えようとしなかった。

「名前、なんて言うの? 俺はミーリ・ウートガルド」

「シルフィード」

「じゃあフィーさんだね。よろしく、フィーさん」

「フィ、フィー?」

 初めて、愛称をつけられた。それは初めてシルフィードという名前をもらったときくらいに衝撃で、新鮮だった。

 常人とは比較にならない霊力量と、人に愛称を付ける少し軽めな性格。素材的にも個人的にも、このミーリという男のことが気になった。

 故に少女の親を探す途中、彼の情報を集めるためにいくつか質問した。

 わかったのは、彼が対神学園と呼ばれる神様を相手に対する学園の生徒で、帽子の彼女は彼のパートナー、神霊武装ティア・フォリマということ。しかも彼にはもう二人のパートナーがいて、今まで数々の神と戦ってきたのだそう。

 つまりは、マスターの敵になるかもしれない存在だ。

 その学園の生徒達が、今は修学旅行という行事でこの島にやってきているという。

「ミーリは強いのですか?」

「俺? さぁ、どうだろ。それなりだとは思うけど、自分でこれくらいって言うのは、ちょっと違うかな」

「そうですか」

 仮にこの男を基準とした場合を想定し、シルフィードは二つの案を企てる。

 一方は運よくことの進みが増す方向で、もう一方は運悪くことの進みが悪くなるどころか、それ自体が食い止められる方向。

 さて、どちらを進言するべきか。

「フィーさんは霊力操作が上手だけど、誰かに習ったの?」

「自己流です。学校には、通えないので」

 なんか聞いてはいけないことを聞いただろうか。

 そう思って、ちょっと反省する。故にミーリは自販機を見つけると、缶ジュースを買ってシルフィードに手渡した。

 ささやかなお詫びなのだが、シルフィードとしては何に関してのお詫びなのかがわからない。それに元は風の体は飲食が不要で、シルフィードは困り果てた。

 だが受け取らないというのも、おそらく変に思われる。そう考えて、受け取った缶ジュースを後で飲むからと腰のポシェットの中に入れた。

 そんなこんなで迷子センターまでの道中、少女の両親を探す。だがミーリの肩車に乗った少女は親を見つけられず、また涙目になり始めた。

 だがそれなら、とウィンが動く。迷子センターまでの道からそれて向かった先は観覧車で、四人そろって少し窮屈なカゴに乗り込んだ。

「どうだ? これならパパママ見つけられるだろ」

「高い高ぁい!」

 はしゃぐ少女と、あやすウィン。こうして見ると、実の姉妹のように話が合うようだ。ウィンの女性らしい一面が、ちょっと微笑ましい。

 一方で、シルフィードは初めての観覧車に不思議な感覚と共に乗っていた。

 元々飛行能力がある彼女としては、わざわざこのような乗り物に乗らなければ高いところに行けないというのがないため、高い視点というのは珍しくもなんともなかったのである。

 だが不思議なもので、ゆっくりと上がっていくこの超低速な乗り物に、何やら興奮というか、ワクワクを感じている自分がいる。おそらくは新鮮さがすべての原因なのだが、それでも乗り物に乗るというのが少し楽しくて仕方なかった。

 思わず珍しくもなんともない外を見て、テーマパークを高い位置から見下ろしてみる。

「観覧車好きなの?」

「……えぇ、まぁ」

「そっか。ならよかった」

 隣で組んでいる脚の上に頬杖をついている彼が、不思議に見えた。というより、感じた。

 何故この密室空間で、味方もいるこの状況で、仮に今隣にいる女性を敵視していたとしても、何故この場でまだ、彼は霊力を張り巡らせてるのだろう。

 ここまで一緒に行動してきたが、ミーリはずっと霊力を放っており、自分の霊力に何かが入ればすぐに対処できる態勢にある。おそらく彼の死角から撃った銃弾も、彼には届かず躱されるだろう。

 だがそこまで何を警戒しているのかがわからなかった。まるで暗殺を企てられている、国の偉人だ。

 そして驚異的なのは、それでもなお、ミーリの霊力が常人レベルを超え続けているということだった。一体どうすれば――どうなれば、こんなバカげた霊力が手に入るのだろうか。

 結果、四人が乗るカゴはミーリの霊力に数分で覆われ、シルフィードの目には、世界が少しだけ青白くなって見え始めた。

「どしたの?」

 外の世界が、カゴの中が、目の前に座る二人までもが青みを帯びて見えるその中で、その原因たるミーリの姿はより青く見えた。元々髪といい、羽織ってる上着といい、ジーパンといい、青色に包まれていたけれど、それでもより青く見えた。

 地球は青かった。

 そう言った宇宙飛行士が五〇年ほどまえにいたけれど、彼が言ったときよりも、シルフィードの見える世界は青かった。

 ウンディーネの見る世界は、果たして青かったのだろうか。

「いえ……ミーリは、観覧車は好きですか?」

 疑問も、今見えている世界も悟らせないよう、言葉で返す。するとミーリの霊力は少し落ち込んで、世界が少し色を取り戻した。

「そだな……正直、そこまで」

「何か、いやな思いででも?」

「昔、小さい頃、親がこういうテーマパークに連れてってくれなかったんだよ。そのとき外から見えた、観覧車に乗っていく人達を見て嫉妬して、勝手に妬いてたんだ。そんな人達が見える象徴みたいな観覧車は、特別、嫌いだった」

「……私は、聞いてはいけないことを聞きましたか?」

「いや、いいよ。今はこうして乗れるんだし。その親も、今はいないから……フィーさんの親は、どういう人?」

 親。

 その単語の意味は理解しているし、知っている。

 だが自分の親というのは、一体誰のことを言うのだろうか。果たしてあの人を、親と言っていいのだろうか。

「父はいません。ですが母は、私に色んなことを教えてくれました。私がなんのために生まれ、生きているのかも答えてくれました。立派な人です。ちょっと気難しいですが、私にとってはかけがえのない人です」

「……そっか。いいなぁ。きっと今だって、フィーさんのこと心配してるよ。羨ましいな、ホント」

 少し嬉しかった。自分のマスターが褒められて、嬉しかった。

 それはもう自分が褒められたくらいに嬉しくて、ちょっぴり恥ずかしかった。

「あ! パパ! ママ!」

 観覧車を降りると、少女の両親を発見した。三人は感動の再開を果たし、無事に少女は帰ることができた。

 ウィンもやっと解放されて、ホッと一息。だがミーリとしてはもう少し、ウィンの女性らしい一面を見たいものだった。

 シルフィードも、バイバイと手を振っていく少女に手を振り返し、笑みを浮かべた。ここで彼らと共に行動する意味はない。即座、離れようとする。

 だがミーリの霊力察知の範囲内で、行こうとしたところをミーリに止められた。

「行かなくてもいいのに」

「無事に彼女も帰れました。私も、今日のところは帰ります」

「……そっか。お母さん、心配するものね」

「では、またいつか」

 シルフィードは人ごみの中に消えていく。それを見届けたミーリは、ウィンとのデートを再開した。

 そう、今日――修学旅行六日目は、ウィンとのデートだったのだ。

 まぁデートと言っても、彼女はこのテーマパークにあるゲームセンターにこもりきりだったのを迎えに来ただけなのだが。

 結果、ウィンは二人以上で遊べるゲームにミーリを誘い、二人で少女を見つけるまで遊んでいたわけだ。

「さて、じゃあもう帰るか」

「やっと? もう……心配してたんだからね?」

「んだよ、おまえは俺の親か何かか? ったく……」

 心配してくれる。自分の帰りを待ってくれている。そんな人が今いるんだということを、ウィンは実感した。

 そして、決してミーリ達には言わないが、決めた。しょうがないから、毎日帰ってきてやるよ、と。

「ありがとな」

「ん? なんか言った?」

「なんでもねぇよ! ホラ、帰るぞミーリ!」

 その後、ロンゴミアントから連絡が入る。

 人工物とは思えない巨大な柱と、それに人間を食わせて霊力を与えている人型の何かがいる、と。

 帰ってきたロンゴミアントと合流し、今いる七騎しちきを全員集合させるのは、今から二時間後の話である。

 そしてその二時間後、ロンゴミアントが見つけた洞窟内で、パラケルススはシルフィードから一つの提案を受けていた。

「対神学園の生徒……?」

「はい。彼らの霊力は、私達が今まで捕らえてきた人間よりも良質で、量も多い。彼らの霊力を食わせることで、柱もよりマスターの望む形で目覚め、さらには復活自体早まるかと」

 提案を受け、パラケルススは指を鳴らす。そしていいことを聞いたという風に笑みを浮かべ、紫の刀身を持つ短剣を柱に翳した。

「いいね! いいよ! すごくいい! それ最高! ありがとう、シルフィード。君のおかげで、よりよい錬金ができそうだ」

 マスターの役に立てた。それがとても嬉しかった。

 マスターのために何かできているということが嬉しくて、マスターの笑顔を自分が今作ったのだと思うと嬉しくてたまらなかった。

「早速ノームとサラマンダーで狩りに行かせよう。まだあのテーマパークにいるかもしれない!」

「マスター。その、質問をいいですか?」

「なんだい、愛しい私のシルフィード。なんでも訊いてくれたまえ」

「その……マスターは、私が敵と戦うとなったら、心配してくれますか?」

「そりゃもちろん、当たり前だよ。私は君達のマスターだ。心配に心配を重ねてしているさ。無論、今もね。だから無理をしないでねシルフィード。今は君は、ここにいるだけでいい。この柱を、私を守って」

「はい、マスター」

 私はマスターの役に立つために生まれてきた。

 私はシルフィード。風の精霊、シルフィード。

 今はマスターのため、共に柱の復活に力を注ぐ。たとえその結末が、世界の終わりだとしても。



 


 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る