未来《デウス》の長針、過去《マキナ》の短針

 自由なる魔弾フライ・クーゲルを使ってでの脱出を諦めざるをえない状況に陥ったミーリは、オルアと共に地下のフィールドにいた。 

 おもむろに片手を持ち上げて、霊力を込める。発生させた霊力がその場の空気を押し潰し、吹き飛ばして、まったく別物に変えていた。

 集中的に手から出す霊力が、槍の形を形成していく。だが完全な槍になるまえに弾けて、消えてしまった。その衝撃に負けて、ミーリは数歩後退する。

「ミーリくん、大丈夫?」

「あぁうん……やっぱうまくいかないなぁ」

「でもこの短時間でここまでできたじゃん。ミーリくんならできるよ」

「ありがと。ねぇなんかコツとかない? 霊装を出すのにさ」

「僕は死屍神様から霊装をもらったし、出し入れができないんだ……ごめんよ、役に立たなくて」

「まぁいいけど」

 再度挑戦してみるもやはりダメで、ミーリはまた弾かれる。ここまで槍の形に霊力を形成するまでを感覚で覚えたが、それから先はまったくもって未知の領域。踏み入ることすら許されなかった。

 その後何度やっても結果は同じ。終いには霊力の出し過ぎで、ミーリは倒れてしまった。

「ダメだぁ……」

「無理もないよ。そもそも人が霊装を出せる時点で、すごいことなんだ。人類最後の希望とされてる三人にだって、できることじゃない。何せ出せるってことは、神様に近付いてるってことなんだから」

「はぁ、何とか俺に力くれてる神様に会えないかなぁ」

「会ったことないの?」

 そうだねと頷こうとして、ためらった。

 会ったことがないと思っていたのに、会ったことがあると言われてる気がした。ただ忘れているだけなのだと、思わされる。

 脳裏の向こう、広がっている何かで埋め尽くされた世界で、一人の影が立っていた。

 その顔が思い出せそうで、思い出せない。今さっきまで思い出せたような気もするし、元々知らなかった気もする。そんなあやふやな理解が繰り返されて、わけがわからなかった。

「なんだ、不調なのか」

 声のする方、階段の上からブラドが下りてくる。新たに獣を狩ってきたようで、胸元に返り血を浴びていた。おそらくこのあとは、大好きな入浴の時間だろう。

「無理もない。貴様はまだ人間。神になることで現出可能となる霊装は、本来取り出すことすら不可能なのだ。神の加護があるとはいえ、そこまでできただけで大したものだ」

「でも俺には霊装が必要になる。神霊武装ティア・フォリマの能力を半減させるユキナの神霊武装に勝つには、それでも打ち消せない力――霊装を使うしかない。そう言われたからね」

「たしかに我はそう言った。が、事には無理ということもある。今のままでは無理だ、ミーリ」

「じゃあなんかコツとかない? ミラさんの槍みたいにさ」

「コツ……コツ、と来たか」

 ブラドは槍を現出し、振り回す。その場の空気を押し潰していたミーリの霊力を斬り裂き、薙ぎ払った。肩に担ぐと共に消し、唇を舐める。

「霊装とはな。神が自らの意思で作り上げる、自らの伝説や神話の象徴だ。まぁ、他の伝説から持ってくる神もいるが、基本は自身の伝説から持ってくる。我の槍もそうだ」

「じゃあオルさんの旗も?」

「僕は自分で作れないけどね。でも歴史では、旗を掲げた姿で残ってるんだ。だからこの旗は、僕の伝説に基づいた霊装だね」

「ミーリ、貴様に力を貸す神にもまた、伝説や残した神話があるはずだ。それを理解することで、力を現出することができるかもしれん」

「理解……」

 その神について思い出そうとしてもできない今の状態でそんなことを言われても、理解できるとは思えない。

 仮に今神様に会っても、忘れてしまいそうな気がした。

 だが神に会えない今、理解することはできない。故にひたすら霊力で槍を創り上げるイメージをして、ひたすら槍を創ろうとした。

 だが奮闘すること二時間半。結局槍はできず、ミーリは倒れこんでしまった。無理のし過ぎで、立ち上がれなくなる。

「ミーリくん、大丈夫?」

「ダメダメェ……しばらく動けないかも」

「今はこの結界から出る術を考えないと。ウツロ達が心配だし、君はパートナー達が心配だろう? 君は力を温存しなきゃ」

「温存したって仕方ないよ。俺の力じゃこの結界は破れないし、オルさんと協力しても無理。ボーイッシュがいればなんとかなったかもしれないけど、今となってはもう望めない」

「じゃあ――」

「そこで、俺の霊装だよ。この力に賭けるしかないんだ」

 ミーリはまた立ち上がり、霊力を振り絞ろうとする。だがそのまえに倒れてしまって、そのまま気を失ってしまった。

 オルアの声が、どんどんと遠くなる。だが代わりにもっと幼くて小さな声が聞こえてきて、終いには今顔を覗いている姿さえ、まったくの別人に見えてしまった――いや、まったくの別人だった。

 髪は赤どころか、真反対の青紫。目は緑ではなく、青と紫のオッドアイ。背はうんと小さくて、まるで一〇代前半の子供のよう。

 額と後頭部、手首についた歯車がどういう原理か回り、彼女を動かしているようだった。

 瞳の中で、二つの時計の秒針が動く。

「大丈夫、ですか?」

「あ、あぅ……うん……ダイジョブ」

 今さっきまでの疲労感が嘘だったかのように、ミーリはすんなり立ち上がる。本人もすっかり忘れていて、霊力が足りないことなど頭の片隅にもなかった。

「で、あのぉ……君は誰?」

 少女は視線を伏せて答えない。それどころか今にも泣きそうで、頬を赤らめ俯いてしまった。

 だがすぐに、ミーリは思い出す。片膝をついて目線の高さを合わせて、真っすぐ見つめた。そうすると、彼女は答えてくれる、はずだった。

「君は誰? 俺はミーリ・ウートガルド」

「ま、マキナ……マキナは、機械仕掛けの時空神デウス・エクス・マキナ

「じゃあマッキーって呼ぶね。ねぇマッ――」

「ま、マキナはマキナ。だから、だから……マキナって呼んでほしい、です」

「わかった。じゃあマキナ、ここはどこ? 夢の中ってオチ?」

 天地を覆いつくす無数の歯車が、その世界を動かしていた。自分達がいる場所も歯車の上で、ずっと機械音を鳴らしながら回っている。

 その世界が一体何なのか、それはまだ思い出すことができない。だがまえにも、彼女に同じ質問をして訊いた気がした。

「こ、ここはマキナの世界……過去をさかのぼり続ける、過去マキナの世界。だからきっと、お兄さんはここに来たことを忘れちゃう。マキナの名前も、この世界のことも、頭の中から消えていっちゃう」

 寂しそうに、悲しそうに、マキナは俯いたまま答える。だがそれは当然のことであって、マキナは諦めているようだった。

 するとかわいそうとでも思ったのか、ミーリの体は脳が考えて命令するより早く、マキナの手を取ってその甲に口づけした。

 少女の体が、一瞬で自分の熱で茹で上がる。

「なんとか俺が覚えてる術はないかな? 俺、君の力が必要なんだ。この世界のことも、力のことも、君のことも忘れたくない。なんとか、ならないかな」

 マキナは一瞬困った顔を浮かべて一歩後ずさったが、寂し気な表情の中でしばらく熟考し、そして顔を上げた。でもやっぱり寂しい気持ちは抜けないようで、下手すれば泣いてしまいそうだった。

「マキナの力じゃ何もできない。でも、お兄さんが本当にマキナの力を望んで、欲しいって言ってくれるなら、マキナは過去マキナの力を貸す。でもその力を使うためには、もう一つの力も覚えないといけないの」

「もう一つ?」

「未来を行く力……過去を遡って、それを斬る過去マキナの力じゃない。未来まで行って、貫く未来デウスの力が必要なの」

未来デウスの力……」

 未来デウスの名を口にした次の瞬間、すべての歯車が次々に止まりだす。そしてマキナの体は重さを失ったかのように浮かんでいって、上へ上へと飛んでいった。

「マキナはお兄さんの力になる。デウスに会わせてあげる。だから、未来デウスを掴んで?」

 マキナの体は透明に透けていき、やがて消える。するとすべての歯車が今までと逆に回りだし、そして天地が引っ繰り返った。

 天に変わった歯車が敷き詰められた元大地は高速で回転し、地に変わった歯車が散り散りになった元天空は速度を落として回る。

 落下していったミーリはその歯車と歯車の間に落下し、跳ねて、止まったままの歯車の上に叩きつけられた。 

 現実だと確実に即死であるはずだが、体中のどこも怪我はない。だが頭はクラクラと揺れていて、立ち上がったその場でまた倒れた。

 その頭は、柔らかな感触に受け止められる。それが膝だとわかったのは、次の瞬間、その膝の持ち主が顔を覗いてきたからだった。

 マキナとほぼ特徴は変わらない女性。マキナを五年ほど成長させ、美しさと大人っぽさを足したような女性だった。マキナと同じく、速度と進む方向の違う二つの秒針が瞳の中で動いている。

 彼女は目の中の秒針の像を歪ませると、おもむろにミーリの額に口づけした。

 さすがのミーリも、戸惑いと照れを見せる。

「お返し。あなた、私にキスしたでしょ?」

「あぁさっきの」

。さっきね……私からしてみれば、あなたのいうさっきは私のいうずっとまえのこと。何年、何十年とまえのこと。そう、あれは過去。遠い遠い、私の過去」

「マキナ……」

「マキナは過去の力。人の手では及ばない、機械仕掛けが遡る領域。私は進む、進む力。それは人のみが可能とする、未来の力。それを司る私は、過去マキナじゃない。私は未来デウス。機械仕掛けの時空神の見届ける力。デウス」

 ミーリはポカンとデウスを見上げる。今さっき――彼女からしてみれば何十年とまえの彼女自身だろうマキナとは、似ても似つかない性格だったからである。

 一人称から喋り方、雰囲気までがまるで違う。そんなデウスの唇に、おもむろに伸ばした指先をピタリとつけた。

「な、何?」

「いや、マキナだよなぁって思って……デウスもマキナも結局同じで、機械仕掛けの時空神なんだろうなぁって。そう、思っただけ」

「そう思っただけで、あなたは女性の唇に触れるの?」

「あぁ、ごめん」

「まぁ、いいけど」

 引っ込もうとしたミーリの手を取って、デウスは自分の頬に擦りつける。赤く紅潮した頬はその色と反して冷たく、その冷たさはまるで金属に触れているようだった。

「ねぇ。あなた、私の力が欲しい?」

「そりゃあねぇ。ミラさんの結界を出たいし、後々ユキナを倒したいし。君の力は欲しいよ。いつか使えるようになりたい」

「そう……でも今はまだ、使わせてあげるわけにはいかない。あなたはまだ、神霊武装すら完璧に使いこなせてないんだもの。元は神話、伝説の武器である、神の力の一欠けらを」

「一欠けら……」

「だから、あなたがもし神霊武装を使いこなしたら、もしあなたが、それ以上の力がなくちゃいけないときになったら、力を貸してあげる。それまであなたは現在いまのままで――現在エクスのままでいて」

「エ、ク……」

 無数の歯車が鳴らす機械音が、子守歌のように眠気を誘う。視界が徐々に歪んでいくなかで、デウスは自分の頬をより強くミーリの手に擦りつけた。

「だからそれまで死なないでね。デウスはお兄さんをずっと、見てるから」

 その一瞬に見たデウスの顔といえば、やはりマキナの顔だった。だが次の瞬間には彼女の顔はぼやけていって、ついに思い出せなくなった。

 眠気に負けて寝たはずなのに、それで現実に起きる。オルアが旗を布団代わりにかけていて、顔を覗き込んできた。

「起きたかい、ミーリくん。随分と長いお昼寝だったね」

「まぁねぇ……なんか、夢の中ですごいとこ行ってた気がする。こう、現実的じゃない場所っていうか、なんていうか」

「もしかして、君に力を貸してくれてる神様の世界だったりするんじゃない? 思い出せる?」

「うぅん……まったく!」

 言い切ってもいいほど覚えていなかった。でも寝るまえとは違って、行ったことがあるという感覚だけは覚えていた。

 でも、頭の中にイメージがあった。

 進む力の長針と、戻る力の短針。あるはずもないそんな時計の双方の時針が、脳内で時間を刻んでいる。

 ミーリはおもむろに立ち上がると、体の中の息を吐きだして、そして両掌に霊力を流し込んだ。そこから放たれる霊力が、徐々に形を作っていく。

「進め、未来デウス

 ミーリの右手に、黒い長針を思わせる槍が握られる。

「遡れ、過去マキナ

 ミーリの左手に、黒い短針を思わせる槍が握られる。

 左右の長さの違う槍が、ミーリの手の中で霊力を放出する。大気を押し潰し、斬り裂き、吹き飛ばした。

 オルアはその場に旗を突き立て、踏ん張る。そうしないと、発せられる霊力に飛ばされてしまいそうだった。

 霊力が落ち着いても、双方の槍はミーリのとは似つかない霊力を放ち続けている。ミーリはその槍を試そうと、大きく上に持ち上げた。そして思い切り振りかぶり、薙ぎ払う。

 だが長針の方は振るまえに消えてなくなってしまい、短針のみが振られた。しかも振っても威力はそこまででもなく、ミーリの周囲一周のみの空気だけ裂かれる。

 これなら死後流血ロンギヌスの槍の方が、より威力があった。

 これが元々の力なのか、それとも本来の力を出し切れていないのか、どちらでもないのか。それはわからない。

 だがこの程度の力で、結界は到底破れるわけはなかった。

「違う手を考えよう、ミーリくん。ブラドが生かしてる限り、僕達には考える時間がある」

 今頃風呂に入っているだろうブラドのことを思う。だがミーリはとくに他に返す返事もなく、そうだねとだけ頷いた。

 天地が歯車で満ちる世界で、少女は笑う。回る歯車のうえで共に回り、そして仰ぐ。目の中の時計は進み、戻っていた針は止まっていた。

 黒い長針が、次の数字を刻む。


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