差し伸べられたその手を

 目を覚ますとそこは医務室で、やや汚れた天井と白いカーテンが最初に目に入った。少し足元に視線を移すと、ロンゴミアントとレーギャルンがそれぞれ左右で寝息を立てていて、二人共ミーリの手を握っていた。

 気付かれないようにそっと、そぉっと手を抜いて、起き上がって、そしてその場から抜ける。

 カーテンを開けると、扉に寄り掛かってウィンフィル・ウィンが腕を組んでいた。ミーリを見つけて、帽子を深く押し付ける。

「よ、よぉ。目ぇ覚めたか」

「まぁねぇ、お陰様で。ボーイッシュも待ってくれてたの?」

「ま、まぁ一応、下位契約を結んだわけだしな……応急措置だが。べつに気になってたわけじゃねぇよ、勘違いすんな」

「……それツンデレ?」

「んなわけあるか! 脳天ぶち抜くぞ!」

「当てられるのぉ? ボーイッシュに」

「な、なんだよ! 当てるさ! あぁ、当ててやるよ! 覚悟しやがれミーリ!」

 銃口がウィンの背後に現れる。

 だがそれらが火を噴く前に、ミーリが動いた。怪我人だということも感じさせない速度で肉薄し、ウィンを扉と自分の間にはさみこむと――いわゆる壁ドンというやつである――帽子を取り上げて顔を覗き込んだ。

 ウィンの顔が真っ赤に熟れる。

「ボーイッシュってさ」

「な、なんだよ……」

「綺麗って言われない?」

「……は?!」

 ウィンの顔が沸騰する。顔どころか耳まで赤くなって、湯気のような霊力のような何かが噴き出した気がした。

「ば、バカか?! バカなのか、おまえ!! お、お、お、俺が綺麗なんてそんなこと……あるわけねぇだろ?!」

「えぇぇ……絶対陰で言われてるでしょ。だって俺から見てもさ、ロンと同じくらい綺麗だもん、顔とか」

 綺麗なんて言われたのは初めてで、どう対処していいのかわからなかった。すんなり受け取ってしまうとなんか腹が立つし、否定するのもやはり腹が立つ。だがそうなると取れる行動がなくて、ウィンはおもむろに俯いた。

「髪も結ばないで下ろしたら? ってあれ、どしたの?」

「……なぁ、ミーリ。俺は強いか? 綺麗とかそういうのより、そっちの方が嬉しい。どうなんだ、俺は……神霊武装ティア・フォリマとして恥ずかしくないか? 俺は、強いか?」

「うん、強いよ。俺よりは弱いけど」

 はっきりと、なんの迷いもためらいも見られなかった。それはもう彼にとっては当然のことを聞かれたまでであって、迷うことなどなかったのだろう。その姿を、昔の主にも見せてやりたかった。

 これがおまえの同級生だった奴なんだぞ、と。

「そうか……じゃあ俺もおまえの武器になるしかねぇな」

「ほえ?」

「だっておまえは強いんだろ? だったらおまえの武器になれば、俺も強くなれる。こっちとしては願ったり叶ったりだ。俺は最強になりてぇんだ。俺を捨てた奴を見返してぇ。神霊武装は、ここまで強くなれるんだってな」

 ミーリは少しポカンとしたが、すぐにウィンに帽子を被せた。そしてその帽子の上から、頭を撫でる。

 これももちろん初めてのことで、ウィンはやっと取り戻しかけていた冷静さをまた欠いて赤くなってしまった。

「わかった、いいよ? 俺もボーイッシュみたいな遠距離系がいると、心強いし」

「じゃ、じゃあ決まりだな!」

「よろしくねぇ、ボーイッシュ。で、早速お願いがあるんだけどさ」

「な、なんだ」

「トイレ行かせて……そこ、どいて」

「なっ! さ、さっさと行ってこい!」

 脚で蹴り上げられ、追い出されてしまった。怪我人ということを完全に忘れられているなと、ミーリは頭を掻く。戻ってきたときがまた怖そうで、ミーリは少し遠めのトイレに行った。

 用を済ませて、戻ろうかまた少し遠回りをしようか迷う。考えた結果遠回りをすることを決めたミーリは、廊下を徘徊することにした。

「こんなところで何をしてるんだい?」

 徘徊直後に声を掛けられる。振り返るとそこにいたのは、学園長の帝鳳龍みかどほうりゅうだった。夜とはいえこの暖かい季節に、毛布のロングコートなど着ている。

「学園長、どうも。ちょっと散歩してましたぁ」

「フン、怪我の方はよさそうだな。よかったよかった」

 そう言って、ミーリの肩を叩く。学園長と話すこと自体滅多にないから、触れられて少しだけ警戒した。

 事実彼の背後では、透明な髪を泳がせる少女が目を光らせていた。失礼があれば、速攻斬りかかってくるだろう。

「しかしミーリくん、君の彼女はやってくれたね。第二闘技場はしばらく使えず、リスカルとリエンの二人は負傷し、例の神討伐には支障が起きそうだ。死者がいないことだけが、僕の何よりの救いだよ」

「ユキナはまた来ますよ。俺がこの学園にいるとずっと」

「そうだね」

「俺を追い出します?」

「最悪、そうしなければならないかもしれない。だがそれは今じゃない。ここは学園。学生を守るのが教師としての、学園長としての僕の役目だ。それは君だって例外じゃない。たとえ君が、神様だとしてもね」

 月光が照らす窓を撫でる。霊力の足りない神は体が透けるものだが、ミーリの手は半分透き通って、血管が見えていた。

「自覚はないんですけどね。べつに暴走したりするわけじゃないし」

「そうだね。僕も信じられないよ、君のような神様がいるなんて。だがその体。そして何より彼女が言うんだから、間違いはないんだろうね」

「師匠はなんか言ってきましたか?」

「まだ何も。今年の夏行く予定なら、そのとき聞いてくるだろう。それで、僕には話してくれるのかな、君と彼女に何があったのか」

 月光の下、振り向くミーリの目が一瞬、鳳龍の視界に入る。そのとき見たものは一瞬で消えてしまっていて、二度と見ることはなかった。

 ミーリの左目の、急速に時間はりを戻している時計を。

「今日はもう寝たいんですけど……どしました?」

「い、いや、なんでもない。ではまた、時間があるときに頼むよ。ミーリくんももうおやすみ。スカーレットによろしく頼むよ」

「へぇい、おやすみなさぁい」

 廊下を歩いていくミーリの背を、ジッと見届ける。彼の左目に映った時計の針がずっと頭の中に残って、過去に彼の師匠が言ったことを思い出していた。

――おまえは信じるか? 人型の神なんてゴロゴロいるけどな、神から生まれなかった神はいない。だが唯一人と人から生まれた神。それが奴だ

機械仕掛けの時空神デウス・エクス・マキナ、か……」

――ユキナ、俺は君を愛してる。世界で一番愛してる。殺したいくらいに

 あの日、燃える別荘で告白した。もし彼女が――ユキナが手を取ってくれたなら、どうなっていただろうか。

 自分は学園ここにいただろうか。

 ユキナとは一緒にいられただろうか。

 ユキナを殺すなんて、馬鹿げてると思えただろうか。

 彼女を召喚することは、なかったのだろうか。

「ミーリ!」

 医務室の手前まで戻ってきたミーリに、ロンゴミアントは抱き着く。そのまま強く抱き締めると、よかったと耳元で何度も呟いた。

「心配させちゃったね、ごめん」

「本当よ、もう……」

 ミーリの胸に顔をうずめる。ジンワリ感じる温もりと湿り気が、ミーリの胸元を少しだけ濡らした。

「ねぇミーリ、あの子とはまた会う?」

「会うね、絶対」

「そしたら戦う?」

「戦うでしょ、確実に」

「勝てると思う?」

「勝つよ。だってロンが勝たせてくれるもん」

 見上げたロンゴミアントの前髪を持ち上げて、そっと額に口づけする。そのまま頭を撫でながら微笑みかけると、ロンゴミアントも目をこすって笑みを浮かべた。

「えぇ。私はあなたの槍、必ずあなたを勝たせてみせる」

「そうこなくっちゃ」

「……さ、戻りましょう。もう少し寝てなきゃ、傷に響くわ」

 そう言って先に戻るロンゴミアントの背中を見て、ふと思い出した光景がある。

 その日は荒れた台風が本土に上陸した日で、酷い雨風だった。中にいても音が入り込んできて、雑音になる。

 そんななか、槍脚の女性が泣く声がした。耳を塞いで、体を縮こまらせて、ボロボロ涙を流して泣いていた。その側には、横たわる体が一つ。

 彼女はその体をときどき揺らして、それでも動かないことに恐怖してまた泣いた。願いと祈りをもって奇跡を信じて、名前を呼び続けていた。

「ミーリ?」

「うぅん、なんでもなぁい」

「そ、じゃあいきましょ?」

 おもむろに、ロンゴミアントは手を差し伸べる。

 ミーリはその手を掴んで、引っ張られながら歩いた。

 もしあの日、燃える別荘で、彼女が差し伸べられた手を握っていたら。きっと、こんな風に引っ張られたのかもしれない。

 そんな気がした。

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