vs 天の女王《イナンナ》
自分を呼ぶ声が聞こえて、失いかけていた意識を呼び起こした。
酷すぎるくらいに背中が痛み、それが意識を戻す要因にもなって、ミーリは自ら自分の上の瓦礫をどかして体を起こした。
「イテテ……」
「ミーリ!」
「マスター!」
ロンゴミアントとレーギャルンの二人に、強く抱き締められる。二人共目に涙を溜めて、頬を赤くしていた。
「あぅ……ユキナめ、不意打ちなんて卑怯な」
「あの子のこと知ってるの?」
「俺の彼女」
「彼女?!」
当然初耳だったわけで、ロンゴミアントは数人の生徒達に囲まれているユキナに視線を移す。そしてよくミーリが話していたあいつと彼女が重なることに気付き、その姿に見入る。
全体的に小さくまとまった白い体に、感じ取れる溢れんばかりの霊力。今さっきの怒りモードのミーリと互角か、それ以上の量と質を感じる。つまりそれは名のある神と同等ということで、今彼女を囲んでいる生徒の大半が勝てるわけがなかった。
そんなことはお見通しのユキナは、その場でクルリと回る。そして微笑を浮かべて霊力を一瞬だけ噴き出し、生徒達を吹き飛ばした。
「ミーリ、他の人じゃ無理だよ? 私はミーリじゃないと殺せない。だから殺して? その槍で、その剣で、私を貫いて?」
頬を赤くして、嬉しそうにミーリを誘う。だがその誘いに乗ったのは、客席から飛び降りたリエン・クーヴォの剣撃だった。着地も含めた斬撃を、ユキナは跳んで躱す。
「誰? 私はミーリに話しかけているの、邪魔をしないでくれる?」
光を宿すリエンの剣が、ユキナの首筋目掛けて振り下ろされる。
軌道線上に光を残す剣撃のことごとくをユキナは躱し、唇を舐め回した。スキを縫って懐に入り、鎧の胸部を撫でる。
剣を高く掲げたまま、リエンは動くことができなかった。全身を縛られたような硬直に襲われる。
「邪魔をしないで、聖処女さん。私、邪魔をされるのは好きじゃないの」
霊力の塊が掌に収束し、弾ける。鎧が粉々に粉砕され、リエンはフィールドと壁を抉りながら転げて客席に叩きつけられた。
女性最強の敗北に、周囲の生徒達の戦意が削がれる。
それを察した
「おまえは何者だ! 目的はなんだ!」
「……今度はあなた?
一瞬で、空虚とユキナの距離がゼロになる。うんと顔を近づけられた空虚は固まって、動くことができなかった。
「そっか、あなたミーリのことが好きなんだ。大好きなんだ。でもごめんなさい、私もミーリが大好きなの。愛してるの。殺してほしいの。それに、ミーリの正体を知ってしまったら、あなたはきっと彼を愛せない」
「ミーリの、正体……?」
「そう、教えてあげようか。ミーリはね――」
「離れろ
客席から二人の間に、リスカル・ボルストが降り立つ。そして雷の槍を振り回し、ユキナを後退させた。雷鳴を轟かせる槍の一振り一振りが、電撃を走らせる。
「何それ、雷をまとった槍? いや、槍の形をした雷。珍しい武器ね」
「走れ!
雷を地面に突き立てると、牙をむいた電撃の群れがフィールドを走る。電光石火の果て、すべての電撃がユキナへと食らいついた。ユキナの悲鳴をも掻き消す雷鳴が、炸裂する。
だが電撃を喰らったはずのユキナを見て、リスカルは言葉を無くした。
彼女の体のどこにも火傷の跡はなく、服も微塵も焦げていなかったからである。つまりは、彼女が電撃を喰らっていないということ。ユキナは実際余裕に満ちた笑みを浮かべて、リスカルを見上げた。
「雷を持てるなんてすごい人。でもそれでも、私は殺せない。私を殺せるのはミーリだけ。何度言ったらわかってもらえるの?」
「なっ!」
雷を握りしめられて、そしてへし折られる。悲鳴を上げた雷は周囲に放電しつくすと、少年の姿になってその場に倒れた。
「ラヴァーナ! ――!」
手刀がリスカルの脇腹に減り込む。
筋肉は歪んで骨は軋み、体をくの字に曲げられたリスカルの巨体は、上階の観客席へと吹き飛ばされた。
リスカルのパートナー、ラヴァーナも立ち上がろうとしたが、そのまま力尽きた。
「……あなたも、邪魔してきそう」
ユキナの標的が空虚へと変わる。軽やかな足取りでフィールドを踏みしめて、また一気に空虚に肉薄した。距離を一瞬で詰められて、空虚は抵抗できず押さえつけられる。
「ごめんなさいね。でもあなたじゃ、ミーリと釣り合えないんだもの」
両の腕を握りしめられ、空虚に激痛が走る。筋肉は泣き、骨は悲鳴を上げ、空虚自身も絶叫した。
その細い腕のどこからそんな力が出ているのか。空虚がもがいてもユキナはまったく動かない。むしろより強く握りしめて、空虚の腕を折ろうとしてくる。そのときのユキナの顔といえば、薄ら笑っていた。
腕が折れる。そう覚悟した空虚を救ったのは、彼女の目の前から飛んできた黒の剣だった。二本の剣が彼女の両肩を貫いて、そのまま押し飛ばしていく。
壁に張りつけられたユキナは驚いた様子でしばらく固まると、霊力を噴き出して剣を自分の体から抜き出した。そして自分の傷口を一瞥し、頬を紅潮させた。
今自分に傷をつけたのが誰か。それがすぐ、わかったからである。
「ミーリ……!」
右手には紫の長槍。左手には熱を抱く黒剣。足元には大きな箱があって、背後には有数の黒剣の群れ。それらすべてを操るミーリが、眠気を消し去った眼光でユキナを睨みつけていた。
その姿に、その目に、ユキナは興奮していた。
その姿をまえにした空虚も、思わず見惚れてしまう。
「ウッチー、下がってて。正直勝てるかどうかわからないから、できれば逃げてほしい」
「おまえがそんな弱気になるなんてな。初めて見たぞ、ミーリ」
「まぁ当然でしょ。だって俺、ユキナに勝てた試しがないんだもん」
ミーリの横顔は笑っていたが、目の奥は緊張して笑っていなかった。
これからする命のやり取りに、気の緩みなど、敵にしかならない。普段の戦いでも気を抜くことはないミーリだが、いつものように自信のついでに余裕まで持てる余裕そのものが、今は持てなかった。
こんなにも真剣なミーリの顔を、初めて見るかもしれない。
「行くよ、ロン。レーちゃん」
『はい、マスター』
『大丈夫よ、ミーリ。そんな顔しないで。私はあなたの槍、必ずあなたを勝たせてみせる!』
槍を構え、剣の群れを待機させる。
それに対してユキナは興奮し切った様子で、赤くなった自分の顔を手で包み、息を切らしながらミーリの姿に見入っていた。鋭い眼光を光らせて、真剣な顔つきで今、自分の命を持っていこうとしている。その姿全体がカッコよくて、見惚れていた。
ミーリ! ミーリ! ミーリ! あぁ、私の愛しいミーリ! その槍で私を貫いて! その剣で私を斬って! そして殺して、この私を!
「行くよ、ユキナ」
剣の群れが一斉に、ユキナに向かって飛びかかる。煙を上げてフィールドに突き刺さるが、ユキナは仕留められず、剣を蹴って高く跳ばれて回避されてしまった。
だがそこにミーリは飛んでいく。剣の上に乗って飛んでいくと、槍と剣を構えてさらに高く剣を蹴って跳んだ。
見上げたユキナの両肩に、剣と槍が突き刺さる。
そのまま落下していく途中、剣を複数背後に複製したミーリは、そのことごとくを射出した。
「“
降り注ぐ剣の雨がミーリごとユキナを斬り裂き、そのままフィールドに叩きつける。着地寸前に飛び出していたミーリは剣と槍を持ってフイールドを転がり、止まるとすぐに駆けだした。
「“裏切りの厄災”!!!」
空中に複製した剣の群れが、再びユキナを襲う。熱を帯びた集中豪雨の降り注ぐその場所に向かって、ミーリは槍を構えて走っていた。体中の霊力を噴き出して、一気に加速する。
フィールドと水平に跳んだミーリの一撃は、起き上がったユキナの胸を貫いた。赤い鮮血が紫の長槍と、青髪の先に飛びつく。
そのまま跳んでいったミーリは壁にぶつかって止まるとすぐに槍を抜き、ずっと距離を取って後退した。全身を斬り刻まれ、胸の真ん中を貫いても、彼女が死ぬ気がしなかったからだ。
そしてその予感は的中した。
壁に半身を埋まらせていたユキナだったが、すぐになんともないように動き出して、そして自力で普通に抜け出した。
その顔にもう赤みはなく、むしろ寂しそうで泣きそうだった。
「ねぇ、ミーリ……こんなもの? この程度なの?」
ミーリの力不足を嘆くユキナの傷口が塞がっていく。羽虫が群がっているかのような音を立てて体中の傷がなくなり、血もあっという間に乾ききった。
一歩一歩、力のない足音を立てる裸足が歩み寄る。
「ねぇミーリ、私を失望させないで。私を絶望させないで。私を殺してくれるのはあなただけ、あなただけなの。だから、ね? もっと頑張って」
ロンゴミアントとレーギャルンは絶句した。
自分を殺してと願い、できそうになければ頑張れと声を掛ける。彼女の狂いに狂った恋愛感情に、言葉を無くすことしかできなかった。
だが驚いてはいない。むしろ驚いたのは、彼女の狂った愛情を、ミーリが普通に受け入れていることだった。
うろたえたっていい。躊躇するのも構わない。むしろそれが普通の反応であって、彼女の狂った愛情を否定する方が自然だ。
なのにミーリは引かない。首を横に振らない。躊躇も、うろたえもしない。槍と剣を構えて、彼女の願いを叶えまいと振るう。
その姿が、なんだか怖かった。
ミーリは剣をフィールドに突き刺し、槍を回して構える。両腕を大きく広げて歩いてくるユキナの胸元に狙いを定め、フィールドを蹴り上げて肉薄した。
紫の槍とユキナの脚がぶつかる。霊力と霊力の衝突にフィールドの空間全体が一瞬歪み、舞っていた塵埃を吹き飛ばした。
「ミーリ、またガッカリさせるつもり?」
「じゃあ期待に応えよっかな……ロン!」
『えぇ!』
紫の槍から霊力が溢れる。ユキナの体を吹き飛ばした槍は先から徐々に変色し、
「それがその槍の能力なの? ミーリ」
「まぁね。
「へぇ、まるで私のために力を溜めてくれていたみたい」
「ちょっと最近、血を溜める機会があっただけ」
催淫の毒を抜くために、全員の体をちょっと刺しただけだったんだけどね。
「じゃあそれで、私を刺して? 私を殺して? 私を愛して、ミーリ」
槍をフィールドに対して水平に持ち、態勢を低くする。明らかな突撃の構えから突進したミーリの姿が、消えた。
瞬きなどしていない。視線を動かしても、もちろんない。だがミーリの姿は一瞬で消え、そして次の瞬間には、ユキナの小さな体を、紅の槍が貫いていた。
鮮血を浴びた槍が霊力を帯びて、ユキナの体を押し飛ばす。そのまま突撃し続けた槍はユキナを壁に叩きつけ、串刺しのまま張りつけた。その地点を中心に壁が砕け、ユキナの体をくの字に曲げて減り込ませる。
槍が独りでに抜け、代わりに四肢を黒剣が貫き留める。壁に張りつけられたユキナを的に、槍は切っ先を向けた。爆発的に上がる霊力が、フィールドの空間を揺らす。
「“
紅の流星が、フィールドを駆ける。ユキナにぶつかると紅の閃光が弾け、壁と客席ごと周囲を吹き飛ばした。
爆風に吹き飛ばされまいと、空虚はとっさに身を丸めて縮こまる。そのまえには複製された剣が並んで壁を作り、空虚を守っていた。
爆風が終息し、ミーリは槍を拾い上げる。槍は元の紫に戻り、霊力も落ち着いていた。
“槍持つ者の投擲”はミーリとロンゴミアントの最強技だが、溜めた血を一気に使い果たしてしまうデメリットがある。故に紅色の状態で放てるのは一発限り。最大出力にするには、また一から血を溜めなければならなかった。
だからもし、この一撃で仕留められなければ――
「私の神霊武装は、
――それは、ミーリにはもう成す術がないということになる。
「ミーリ、もう終わり? もう私を殺してくれないの? ねぇ、ミーリぃ」
普通に話しかけてくるユキナだが、姿を見ればまったく無事ではない。
傷口が修復を始めているとはいえ体の真ん中には大きな穴が開き、口からはダラダラと血を流している。剣によって張りつけられていた四肢からも血が溢れ、目には光が欠けていた。
まるで生気の欠けた生霊か、ゾンビのよう。
「ねぇえぇ、ミーリぃぃ!!」
ミーリの体を、ユキナの手が貫く。ミーリの背中で握りしめていた手を一回開いてから抜き出した手はベッタリと血を浴びて、生臭い臭いを染みつかせた。
『ミーリ!』
手についたミーリの血を舐め取って、紅潮した頬をその血でさらに赤くする。両膝をついたミーリの胸座を蹴り飛ばして、ユキナは興奮し切った様子で回った。
「マスター!」
人の姿に戻ったレーギャルンは、自分の背後に複製した剣を刺し、それを支えにして飛んできたミーリを受け止めた。あまりの強さに剣はすべて折れてしまったが、なんとかその場にとどまる。
「マスター! マスター!」
「ミーリ!」
起き上がろうとしてはいるが、力が入らず倒れる。そんなミーリの名を、二人は呼ぶことしかできない。それがたまらなく悔しかった。
一歩一歩、頬を紅潮させて近づいてくる彼女を止められないことが、悔しかった。
戦う以外に何もできない自分達が、今何もできないことが悔しかった。
だから今何ができるか、考えて考えて考えて考えて考えて、考え抜いた。その結果、一つの答えに辿り着いた。吐血しながらもまだ立ち上がろうとしているミーリに、ロンゴミアントは囁いた。
「ミーリ、私と契約して」
「何言って……俺とロンは、契約してるじゃん……」
「そうじゃなくて。私と、上位契約をして」
起き上がろうとしていたミーリの腕からまた、力が抜けた。
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