vs 自由なる魔弾《フライ・クーゲル》Ⅱ

 北の山で、女性は息を白くしながら持っていた双眼鏡を覗き込んでいた。

 まだ雪も残っており冷たい風も吹く山頂で、赤紫の毛皮コートの下は胸元と下腹部だけを隠した露出度の高い姿。観光目的の登山客は、その薄すぎる格好に二度見して、目のやり場に困った。

 彼女の覗く双眼鏡のさきは、今にも雨を降らせそうな黒雲と、その下の元教会。今は対神学園として使われている施設だった。

 黒雲の黒が濃さを増し、なにやら雨どころか雷すら落としかねない色になっていくのを見て、白い吐息を漏らす。

「やれやれ、珍しくお怒りのようだな。まぁべつに構わないが、バレることだけは避けてくれよ。おまえを庇うのは、骨が折れる」

 ロンゴミアントとレーギャルンは走っていた。

 お互いそれぞれ闘技場を目指していたのだが、突然発生した巨大な霊力を感じて慌てて駆け込み、同時に控室に付き、そしてフィールドへ向かっていた。

 フィールドに着くと、観客席は同じように霊力を感じた生徒達が誰一人座ることなく、繰り広げられていた戦いに見入っていた。そこに盛り上がりはなく、言葉もなく見入る。

 そして繰り広げられている戦いといえば、神霊武装ティア・フォリマのウィンフィル・ウィンがまさかの逃げの一手。

 無数の銃口を現出させて銃弾を乱射するも、ミーリはその銃弾と銃弾の交錯する間を抜けて肉薄し、確実に距離を詰めてくる。ウィンはそれに対して距離を取るべく、ひたすら後退と後方への跳躍を繰り返していた。

 ここまでお互い無傷で、ほぼ動くこともない圧勝の成績。

 だがその両者の間にある、確実で大きな差。それが観戦している生徒達から、言葉を奪っている原因だった。

 いや、もっと言ってしまえば、ミーリそのものが原因だった。

 怒りに満ちたミーリから、溢れ出す霊力の量と質。それを実感した誰もが思い、さらに経験のある生徒達は記憶を思い起こした。

 それはまるで――

「名のある神かよ、てめぇはぁぁっ!!」

 神の中でも逸脱した存在。

 かのオリンポスの一二神や東欧の三極神など、神話や伝説に名高い神々。名前のある神の霊力は、他の名もない神々と比べるものですらない。とにかく圧倒的だ。

 そんな圧倒的な霊力を、ミーリが放ち続けていたのだ。最強の座にいる人間とはいえ、驚きしかない。

 さらには相手をしているウィンにとっては、もはや脅威でしかなかった。

 放たれた銃弾をすべて手をかざしただけで停止させ、そして跳ね返す。現出させていた銃口にいくつかが入って、空間内で爆発した。

 背中で爆発を受けて吹き飛んだウィンは、ミーリの足元に倒れる。即座立ち上がって拳を振ると、もうそこにミーリはいなくて、背後に回られ手刀で打ち払われた。

 数度転がってから立ち上がり、再度銃口を現出させる。そしてすぐさま銃弾を放つが、すべてがミーリの霊力に押し潰され、フィールドに埋もれていった。

「クソがぁぁぁぁっ!!」

 現出させていた銃口が、次々に消えていく。

 両膝をついたウィンは正拳を受けた腹を抱えて、咳き込みながら唾液と胃液を嘔吐した。目の前から溢れている霊力を感じ取って、痺れたあごで歯を食いしばる。

「なんなんだてめぇ、本当に人間か? 人間が武器も持たねぇで、神霊武装の俺を……こんな――」

「もし俺が人間じゃないんなら、むしろロン達を使っているときが力をセーブしてるとき。つまり、今の俺が本気になる。ってか俺が何者とかそういうの、今はどうでもよくない?」

「よくねぇよ……人間じゃないんなら、なんで神霊武装なんて召喚した。こき使うためか? 手堅く利用するためか? それとも、俺達を否定するためか? なんでだ! なんで!」

「なんで?」

 ミーリの霊力放出が、止まる。

 恐る恐る見上げたウィンが見たのは、ミーリの、とぼけたような眠たそうな顔だった。

「決まってるじゃん。俺一人じゃ弱いからだよ」

 ミーリはその場にしゃがみ込んで、ウィンの帽子を取り上げる。それを指先の上に乗せて、グルグルと回して遊び始めた。

「俺は弱いよ。かれこれ一八年生きてきたけど、まだ何も守れたことない。友達も、恋人も、親も、いとこも……なぁんにも守れてないんだ」

 喜びと楽観ならいつも見せられている。怒りは見た。

 喜怒哀楽という人間の基本感情のうち、まだ見ていない感情は一つ。

 だから怒りと同様に、初めて見た。ミーリの哀しげな表情かおを。彼もこんなに哀しい顔をするのだということを、初めて知った。

 絶対に泣きはしないだろうが、それでもとても哀しそうで、見ている方が辛くなりそうだった。

「だから俺には何も守れないなんて言われて、カチンときちゃった。でもこれからは守るよ? ロンがいるし、レーちゃんもいる。ウッチーやあおくんの力だって、場合によっては借りる。君の力だって借りるよ?」

 現学園最強が、自分は弱いと言っていることが驚愕だった。脳内で何度も彼の言葉を繰り返し巻き戻して再生して、そして言葉をなくして驚いた。

 ウィンフィル・ウィンの中での最強は、すべてを退け覆す。自身の力を絶対と信じていく孤高の――王のような存在だった。

 あいつが――昔の主が思い描いていた最強は、すべてから自分の大切なものを守ることができる、これも絶対的存在だった。

 だがこの現最強は、自信の力を絶対と言わない。むしろ弱いと言い切った。

 そして言った。他人の力を、神霊武装の力を借りると。

「てめぇはさっき言ったな……神霊武装を持ってない今が本気だって。なのにてめぇは、神霊武装の力を借りると言った。てめぇにとって神霊武装はなんだ。何者だ」

「一生のパートナーでしょ。俺が死ぬまでか、向こうが死ぬまで、一生付き合うことになる。だからいつかみんなを使いこなして、そのときが本気だってなりたい」

「……てめぇは、神霊武装を否定しないのか。別れようとか思わないって言えるのか」

「別れる? 無理、そんなの。絶対無理。ありえない。ロンやレーちゃんがいた方が楽しいし、強くなれる気すっごいするし。絶対別れない、俺からは」

 神霊武装を下に見て、最後には否定していなくなったあいつとは、この男は限りなく違う。

 神霊武装を武器として見ていない。対等の存在として、パートナーとして見ている。それは結果上にも下にも見ていないということで、神霊武装からしてみると理想的な関係図であった。

 ミーリの後ろ――入場口にいるロンゴミアントとレーギャルンの二人を、羨ましく思う。

「てめぇは、あいつとは違うのか」

「何、昔のパートナーでも思い出した?」

「てめぇは読心術でも使えるのかよ。だが確かにそうだ、あぁそうだ! てめぇの方がずっといいよ! ……神霊武装の味方なんだな、おまえ」

「そんなすごい人じゃないよ、まだ」

「そうかい!」

 突然後退して、現出させた銃口に火を噴かせる。放たれた銃弾はミーリのすぐ側を素通りして、後方のロンゴミアントの槍脚に蹴り飛ばされた。とっさのことにレーギャルンはかがみ損ねる。

「悪いが、勝負はまだ譲る気はねぇ! さっさと槍でも剣でも持って来いよ! かかってきな! ミーリ!」

「……じゃあ遠慮なく」

 帽子をベルトに下げて、おもむろに横に手を伸ばす。

 その手に向かって跳んだロンゴミアントは手を取って口づけし、槍へと姿を変えた。ミーリの手で、紫の長槍が光る。

「やるよ、ロン」

『今回は随分待たされたわ。まさか一人で始めちゃうなんてね』

「ごめぇん。でも頼むよぉ、ロン」

『わかってるわ。私はあなたの槍、必ずあなたを勝たせてみせる!』

 手を掲げられたのを合図に、背後の空間が歪み銃口の群れが顔を出す。一瞬の光をまとい銃声を轟かせ、無数の銃弾が襲い掛かった。

 対してミーリは槍を回し、体を回転させ、銃弾の雨を受ける。槍がことごとくを弾き、斬り落とし、薙ぎ払った。

 ミーリが槍で応戦し始めて、客席もいつもの賑わいを取り戻す。いつも通りのミーリの戦いぶりに、いつも以上の声援が送られた。

 開始時刻より早く試験をしていると聞いて駆け付けた、リエンとリスカルが到着する。最初はでたらめな霊力を感じて警戒していたが、フィールドを見るとすぐさま武器を下ろして人の姿に戻らせた。

 さらにそれより遅れて到着した空虚うつろも、いつものミーリを見て安堵する。まだ調子の悪い体を進ませて、空いてる席に腰を落ち着けた。

 鳴りやまない銃声と治まらない銃撃の嵐に、ミーリはなかなか進ませてもらえない。だがこのまま、防戦一方となることはなかった。

 一度大きく振り払って銃弾を弾き飛ばすと、フィールドを思い切り蹴飛ばして降り注ぐ嵐の中を突っ込んだ。吹き付ける豪雨の中をすり抜けながら、体を濡らそうとする雨粒をことごとく槍で弾く。紫の光が躍る電光石火が、嵐を貫き進んでいた。

 対するウィンは銃口の数を増やす。そして脇腹付近に現出させた銃口を二つ引き抜いて、黒と赤の双銃を手に持った。指先でつまみ上げた黒い銃弾を装填そうてんして、狙いをつける。

 ミーリはその二つの銃口を嵐の中に見つけると、そこに向かって肉薄した。槍を回し、体を回し、そして高く跳ぶ。それを追いかけて上を向いた銃口の一列をすべて切り裂いて、ウィンへと落下した。

 着地と同時、二つに分かれ双剣となった斬撃がウィンを斬る。

 肩と脇腹を浅く斬られたウィンはほんの少し吐血したが、だが銃口を下ろさなかった。手にした銃を背後のミーリに向け、引き金を引く。

 結果最後となったその銃撃に肩をかすめられたが、ミーリは霊力を溜め込んだ肘でウィンの背中を突き吹き飛ばした。

 二転三転したウィンは仰向けになる。起き上がろうと腹筋と腕の筋肉に力を入れたが、体は言うことを聞かずに起きれなかった。宙に現出させた無数の銃口と取り出した銃が、限界を迎えて消えていく。

 勝敗が決したのだと、ウィンは自覚した。だが不思議と心は穏やかで、荒れる様子はない。

 今なら一発空き缶を踏んづけてしまえば、それで発散できそうなくらいだ。

「あぁぁっ!! あぁっ! ……負けだよ、くしょうが」

 ベルトに下げていた帽子を取って、ウィンの顔に被せる。脚をバタつかせてもがいたウィンだったが、ミーリの手をどかすことはできなかった。

「じゃあ約束守ってね、ボーイッシュ。ウッチーのことはもう言わないって」

「……あぁ、わかった、わかった、わかりましたよっと。ったく、強い奴の言うことなら聞くって言ったけどよぉ、まさかこんなお願い聞くはめになるとはな」

「強い奴の言うことなら聞くの? じゃあもう一つ聞いてもらおうかなぁ」

「は? おまえ、今度は何言うつもりだよ」

「いやさ、さっき言ったじゃん? いつか君の力も借りるって。だからボーイッシュさ、俺と――」

 その先は言えなかった。言わせてもらえなかった。

 突然天井の一部が落ちてきて、ミーリはとっさに槍でウィンを庇い、無理な態勢をしたために腕を痛めてしまった。なんとか瓦礫をどかしたが、片膝をつく。

 そんなミーリに歩み寄り、そいつは手を差し伸べた。

「ミーリ、お疲れ様」

「ユキナ……」

 天井を破って侵入したのはユキナだった。学園に誰かの侵入を許したのはこれが歴史上初である。突然の緊急事態に、その場の七騎ほとんどが臨戦態勢に入った。その時間、わずか数秒。

 だがミーリは立ち上がると、彼女の手を取った。そして強く抱き締めた。槍を手放してまで、強く、強く。

 ユキナはそれを抱き返して、ミーリの耳元でささやいた。

「ねぇミーリ、約束を覚えてる?」

「そりゃね」

 あの日、燃え盛る別荘で、彼女が回ってした約束。告白を受けて、歓喜した彼女がした約束。あの情熱的な約束を、あの惨劇的な約束を、忘れるはずがなかった。

 人生上したどの約束を忘れても、これだけは忘れない。そんな自信すらある。

「ミーリ、あなたは本当に強くなった……学園最強なんでしょ? だから果たして、今、ここで」

「ユキナ――!」

「ミーリ、私はあなたが大好き」

 ミーリの背中が抉られた。

 肉を削がれ、骨を削られ、爪を立てられて抉られた。血という血が噴き出して、背後にいたウィンを濡らす。

『ミーリ!』

「マスター!」

 二人の呼ぶ声が、ミーリの受けたダメージを想像させる。今彼の背中は痛みの極致に掻きむしられ、激痛を伴っていることだろう。傷を反射的に押さえる習性がある人間の手の届かない場所に、深い傷がついた。

「ミーリ。お願い、約束を果たして?」

 一歩離れたユキナが放つ正拳が、ミーリの腹をねじる。ミーリは吐血し、両の膝をついた。

 が、ユキナの手は止まらない。今度は手を開いて大きく上に持ち上げ、そして平手打ちを叩き込んだ。ミーリの体が飛び、レーギャルンのすぐ側の壁に埋もれる。

「ミーリ! ミーリ!」

 槍化を解いたロンゴミアントと、レーギャルンが駆け寄り、ミーリの上に乗っかった瓦礫をどかす。その間もユキナは自分を抱擁し、興奮し切った様子でその腕を広げて微笑んだ。

「ねぇミーリ、早く約束を果たして。言ってくれたでしょ? 俺は君を愛してる、世界で一番愛してる。殺したいほどにって。だから、ねぇ、ミーリ」

 その瞬間、その場にいたほぼ全員が、同じ感想を抱いた。

「私を、殺して?」

 悪魔を見たと。



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