第36話 覚えなき罪


 …獣の様なダストの咆哮が木霊し、アゾロイド達の絶叫が風に乗って伝わってくる。何か起きている。そうカナンが察するのに時間は要さなかった。カナンはリュシューリアが座る大岩の傍で水遊びをしていたのだが、ふと顔を上げてその音に気付いて小さく震えていく。


 そして慌ててリュシューリアの元へと戻って行き、彼女へ抱き付きながら言うのだった。


「ねぇ、変な音がするよ。…研究所で聞いた音と同じだ。怖い音がする。悲鳴が聞こえる。壊れる音がする。皆が嫌だって泣いてるよ? こんなの嫌だって泣いてるよ? その中にトウヤの声も雑じってる。みんな怖い顔して何かしてる。…怖いよ、凄く怖い」


『怖い音? それに研究所で聞いた?』


 一体何の事だろうとリュシューリアは首を傾げたが、直後にもしやと思い至って弱り顔を浮かべていた。もしやそれは自分達がイルフォート・シティを襲撃した際に聞いた音ではないだろうか、と。怖い音とは戦の音。悲鳴や壊れる音は爆発音か何かではないだろうかと。


 そうリュシューリアは察して、続いてトウヤの声が混じっていると聞いてもしやと思い出していた。そろそろ定期作戦の時期ではなかっただろうかと。もしやその音では――。


 あれからカナンは少しずつリュシューリアを慕う様になっていた。まだ完全に心を開くには至っていないが、それでも普通に喋れるほどには親しい間柄になる事が出来た。


 少しずつではあるが、カナンは人間の子供と同じ様な無邪気さを取り戻している。それを純粋に喜んでいた最中、まさか定期清掃作戦が開始されてしまうとは。しかもトウヤまでが参加しているだなんて。確か彼は故障したのではなかったのか。それなのに――。


 そうリュシューリアは考えて、今の彼はゴールドだった事を思い出した。そして一体誰が彼をゴールドにしてしまったのかも。だからリュシューリアは不安そうにしているカナンを自らの膝へと座らせていき、静かにカナンを教え諭すしかなかった。


『いいですか、カナン。この世にはバランスという考え方が在ります。人間が増え過ぎても駄目、我らアゾロイドが増え過ぎても駄目。何故ならば、人間もアゾロイドも互いに知識を有する存在だからです。我らアゾロイドは知的無機物、そして彼ら人間は知的生命体。でも互いに同じ能力を持ち自然界の頂点に君臨するからこそ、相争って数を減らし、どちらかが極端に増えないよう調整する必要があるのです。これはその為に必要な事なのです。彼らが一方的に我らを壊している訳でも無ければ、我らだけが彼らから餌食にされている訳でも無い。これはそういう話なのです。…今のあなたにはまだ早すぎる話です。忘れなさい』


「…忘れる。怖い音の事を? 皆が嫌がってるのに?」


 そう言われてカナンは黙り込んでいき、だが未だに聞こえる音を無視できず言っていく。


「嫌だっ! だってリュシューリアが教えてくれたんだよ? 誰かが嫌だって感じる事はしちゃいけないって。自分がされた事を誰かにしちゃいけないって。それにどうして僕には早いの? 音の中にはトウヤの声も雑じっているのに。トウヤは僕と何も変わらないのに。トウヤは僕と同じ子供だよ? それなのにトウヤはよくて僕は駄目なの? そんなの変だ」


『…カナン』


 一体どうしたものかと、そうリュシューリアは必死に思案する。確かにトウヤはカナンとさして変わらない年齢をしているように見える。でも彼はカナンとは違う。彼は本来人間。あの外見まで人間として育ってきた時間がある。それがカナンには無い。カナンは子供だ。


 だがリュシューリアはふと思い出して、止むを得ないと諦めてカナンに訊ねていった。


『カナン、トウヤのランクを書き換えたのは確かあなたでしたね』


「? うん、そうだけど?」


 だって少しでも早くトウヤに逢いたかったのだもの。そう思いながら頷いていくと、それを見てリュシューリアが目を細めていき、そして幼子には早すぎる言葉を告げていった。


『あなたが彼をあの場へと立たせて、死地へと追い遣ったのですよ。彼のランクがSでさえなければ、彼があの場に立つ事は無かった筈です。あなたが彼を死地へと向かわせたのです。その意味を自身の心に刻みなさい。それはあなたの罪です。決して償えない罪なのです』


「…罪? 僕の?」


 しかしまだカナンには早かったのか、罪という言葉が理解出来ず困り顔を浮かべてくる。リュシューリアはそれを見てまだ早かったかと溜息を付いていって、仕方ないとカナンを腕に抱いて立ち上がっていった。そしてカナンへ視線を向けながら言っていく。


『よろしい。あなたに見せてあげましょう。…あなたが犯した罪を。あなたがした事は誰かの運命を狂わせるものだったという事を。あなたはあなたを作った研究者達を憎んでいるようですが、もしトウヤが事実を知れば、きっとトウヤはあなたに憎しみを向けるでしょう。でもそれはあなた自身が招いた事。あなたが犯した罪なのです。それを教えてあげましょう』


「憎しみ? トウヤが僕を?」


 一体何故と、カナンは首を傾げるしかない。だがリュシューリアはそれに応えなかった。そうして彼女はカナンを大切そうに抱いて体を徐々に浮かせていき、やがて勢いよく孤島から飛び立って行った。この先に待つ絶望をリュシューリアは知っている。しかしカナンはそれを知らない。そして自らがトウヤをその絶望の中へと立たせている事も。


 だからカナンへと教えるのだ。自らが犯した罪の意味を。彼の運命を狂わせた事を。


 それにこの機会を逃したら、カナンは二度とトウヤに逢える事は無い。これが最後の機会なのだ。だから連れて行こう。カナンが願い止まなかったトウヤの元へと。


 我ながら酷い仕打ちだと思う。それでもカナンには必要な事だ。だから私は――。

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