第25話 骸と化した大地


 …カランッと渇いた音を立てて地に降りる。それはマックスだった。マックスはペガサスから飛び降りて走って行き、しかし恐怖で足が竦んで手前で立ち止まってしまう。


 アゾロイド達が都市の外へと向かって移動し始める。一体何故? 先ほどまで相争っていたというのに。何故今になって撤退を始めたのか。一体何があったのか。


 トウヤ発見の一報を受けたのは少し前だ。その時マックス達は四階層に居たのだが、すぐ報告を受けた六階層へと向けて移動を開始した。居ても立っても居られなかった。ようやくトウヤが見つかったのだ。一刻も早く逢いたい。そう思って駆け付けたのに――。


「…トウヤ?」


 ぽつりと、マックスが漏らす。しかし相手は答えない。何故地面に横たわっているのか。何故何も応えないのか。何故彼のペガサスは未だ嘶き続けているのか。分からない、何も。


 そこへスオウ達のバイクが駆け付けてくる。彼らはバイクを放り捨てる様に飛び降りていき、慌てて二人の元へ走り寄って来た。そして一様に息を呑んで全身を強張らせていく。


「何だよ、これ。…おい、トウヤ?」


 これはシスの声だろうか。彼にしては酷く頼りなく、そして弱々しいものだった。そんな彼に倣う様にスオウとジュナは今にも泣きそうな顔をしており、ジュナがスオウへと寄り掛かって顔を背けているのが判る。そんなジュナをスオウは優しく抱き留めていく。


 スオウは妹であるジュナを抱き締めたまま、声を震わせて思わずマックスに問うていた。


「…大丈夫、なんだよね? だってダストだし。この前だって――」


「ふざけんじゃねぇよ! …そんな訳、あるかよ。そんな訳――」


 怒声の後に寂しげなマックスの声が響く。そして彼女は拳を震わせながら続けた。


「俺達ダストも不死身って訳じゃ無い。俺達だって限界があるんだ。…お前ら人間だったらどうなんだよ。手足を捥がれても無事なのか? 頭だけになっても無事なのか? そんな訳ねぇだろうがよ。俺達だって同じなんだよっ! …俺達だって、俺達ダストだってっ」


「「「……」」」


 彼女から悲痛に叫ばれて、三人は何も言えなくなってしまった。マックスは自らの動揺を必死に堪える様に拳を握り締めた後、緩りと顔を上げてトウヤのペガサスに近づいて行く。そして寂しげに微笑んでいき、その首を掻いてやりながら言うのだった。


「ありがとうな。…ずっとトウヤを守ってくれてたんだよな。ありがとう、本当に」


 それにペガサスは小さく鼻を鳴らしていき、マックスはそんなペガサスをもう一度だけ撫でた後、ふと視線を地面へと落としてトウヤの元へ歩み寄っていた。そしてその場に腰を下ろしてトウヤの体を抱き上げていき、固く閉じて開く気配の無いトウヤの瞳を見つめて双肩を震わせ始める。トウヤの胸はまるで臓器を抉り取られた様に穴が丸く空いていた。


 それを静かに見つめた後、全身煤だらけの姿を見て小さく微笑んで言っていた。


「お疲れさん。…もう十分だ。ゆっくり休めよ。俺が傍に居てやるから。だから心配すんな」


 そうマックスが静かに言っていくと、遂にジュナが啜り泣き始める。スオウとシスも双眸に涙を滲ませており、何度か眼を擦っては天を仰ぐのを繰り返していた。


 本当は訊きたい事が色々あった。どうして自分だけを置いて行ったのか。どうして一人で都市に戻ったのか。まだ色々訊きたい事があった。…でも、もう訊けない。もう喋れない。


 最後に見たトウヤはどんな顔をしていただろう。もうそれさえも思い出せない。いつかはこんな日が来る。ダストなのだからいつかは来るのだ。こんな日が。それでも――。


 そうマックスはトウヤを抱き締めて泣き続ける。やがてそれは号泣へと変わっていって、草木一つ残らぬ死んだ大地に響き続けた。…そんな静寂の中、一機の飛行艇が轟音を立てて地上へと降りてくる。それを見てスオウ達は顔を上げていき、操縦席から降りてくる人影を見て誰ともなく顔を向けていた。そんな中に降り立ってくる人影、それはゲイボルグだった。


 ゲイボルグは苦い顔をして皆の元へと歩いて行き、事情を知って溜息を付いてくる。打ち沈んでいる彼らの様子から状況は明らかで、それでもとゲイボルグは厳しい眼差しをして彼らを叱責する様に言っていった。


「立て、そして任務に戻れ。…被害は甚大だ。今は一人でも多くのダストを救出し、その命を救わなきゃいけない。そいつだけじゃないんだ。この都市を守って死んで逝った奴は山の様に居る。そして今なら救える奴も山の様に居るんだ。分かったら立て。任務に戻れ」


「……」


 しかし、スオウはそれに答えなかった。代わりに怒りの炎を瞳に灯してゲイボルグを睨み付けていき、そしてマックスが抱き締めているトウヤを見つめて言い返していた。


「僕達には友人の死を嘆く暇すら与えられないんですか。…任務が何ですか。その為に彼は死んだも同然なんですよっ! 都市を守る為、人間を守る為っ! 彼は何の為に死んだんですか。唯の犬死ですかっ! 何が都市を守る為だ。そんなの人間の傲慢じゃないかっ!」


「…っ」


 ゲイボルグは怒気を浮かべていき、思わず拳を振り上げてスオウへと振り下ろしていた。スオウはゲイボルグの強烈な拳を受けて吹き飛んでいって、ジュナはその場に尻餅付いて痛みに顔を顰めていた。スオウはすぐに体を起こして顔を顰めていき、切れた唇を手の甲で拭きながらゲイボルグを睨み付ける。ゲイボルグはそんな視線を受けて言うのだった。


「頭を冷やせ。俺達だって人間だ。たとえ都市の人間じゃなくても同じ人間なんだ。俺達に都市の連中を責める権利は無い。…まぁそれに、だ」


 そうゲイボルグは言葉を切っていき、弱り顔をしながら話を続けていった。


「言葉足らずだった。どうして俺が飛行艇をぱくって来たと思う。…外のダスト・プラントは無事なんだよ。そりゃ全く被害が無かった訳じゃ無いみたいだが、少なくともダスト達を修理できるほどには無事なんだ。だから俺はダスト達を回収して回ろうって言ってんだよ。そんで一人でも多く助かれば万々歳だろうがっ! それにそいつだって助かるかも知れん。だから早く行くぞって俺は言ってんだ。俺だってそいつを助けたいからだよっ!」


「「「……」」」


 それに三人は目を丸くして口を大きく開いていた。そしてスオウは慌てて立ち上がっていき、深々とゲイボルグへと頭を下げながら頼み込んでいく。


「すぐに連れて行って下さい。…彼をプラントへ。お願いです、隊長っ!」


 スオウに倣ってジュナ、シスも頭を下げていき、マックスだけが呆然とトウヤを抱き締めて眼を見開いていた。そして涙を一滴零して呟いていく。


「助かる? …それにプラントが無事って――」


 ゲイボルグはそんなマックスに頷いて見せて、傍に片膝を付いて腰を下ろしていき、彼女の涙を拭ってやってトウヤを見下ろしていた。そして煤だらけの顔へと手を伸ばしていき、その煤を拭ってやりながら言うのだった。


「よく頑張ったな。もう大丈夫だ。お前達のお陰で沢山の人達が助かった。…ありがとう。俺はハウンド・ドッグの代表として、お前達ダストに心から感謝する。本当にありがとう」


 そうゲイボルグから言われて、マックスは双肩を震わせて再び泣き始めていた。ようやく全てが終わった様な気分だった。これ以上辛い想いをしなくていい。もう終わったのだ。


 声も無く泣き始めたマックスに、彼らはそれ以上何も言う事はしなかった。ゲイボルグは代わりに辺りを見回していき、焼け野原となった一帯を見て黙祷を捧げていく。


「あなた方の犠牲を無駄にはしない。だからどうか安らかに。ゆっくり眠ってくれ」


 そうゲイボルグは祈りを捧げた後に、トウヤを両手で抱き上げてマックスやスオウ達を連れて飛行艇へと乗り込んでその場を後にする。…この日、多くのダストが死んだ。


 三億人を誇るイルフォート・シティの人口の半数が死亡し、犠牲者の全てがダストと云う悲惨な結果となった。生き残ったダストは三千から四千、全体の四分の一以下であった。


 大半が十階層から上の警固に就いていたダストであり、十階層から下を守っていた者はほぼ全滅に等しかった。生き残った者は無に等しかった。それほどに酷い有様だった。


 何故こんな事になったのか。…そう問う勇気のある住民は誰一人居なかった。


 多くの嘆きが大地に響く。だが幾ら嘆こうとも、その嘆きを大地が優しく包む事は無い。全ては人間が犯した過ち。何もかも自ら招いた惨事なのだから。


 そして屍の上に生き残った人間達が流す涙は、犠牲となったダストに届く事は無かった。それでもダスト達は都市を守る為に自らの任務へと戻って行く。それしかないからだ。


 生き残ったダスト達は人間達が流した涙を心の中だけで受け取り、それを糧に明日へと行く為に今日を生き続ける。…生きている限り明日は来るのだから。だから、


 だから私達は生きよう。脳が潰されて思考が停止する、その日まで――。

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