第23話 鏡合わせの友


 ありがとう、父さん。…こんな出来の悪い息子を見捨てずにいてくれて。


 そうトウヤは感謝しながら咲耶グループ本社からペガサスで飛び立ち、ふと何気に空を見上げて思っていた。いつの間にか夜が明けて昼になっていたのだなと。下層で戦っていた時には気付かなかった。もうあそこには昼も夜も無い。炎と煙に覆われた地獄が在るだけだ。


 美しい青空の下をペガサスで飛び、幾許もせずヴォグフォート・グループが入るVF本社へと辿り着く。突然空から現れたペガサスに人型をした警備ロボットが駆け付けてくるが、トウヤの左腕と顔を認識すると「失礼しました」と言って後ろへと下がってしまう。


 …果たしてダストとしてのランクを見たのか。もしくはトウヤがクライスの友人だったからか。はたまた元は咲耶グループの人間だったからか。何れにしてもどうでも良い事だ。


 その警備ロボットにペガサスを預けて自らはビル内へと入って行き、そして想像以上にすんなりと最上階へと続くエレベーターに乗り込む事が出来た。…まぁおそらく理由は、


 そんな風に心中で考えていると、エレベーターが最上階である三百階へと到着した事を知らせてくる。緩やかに開かれて行く扉に従って外へと出て行くと、長い廊下を歩いて左に曲がって行く。するとすぐに一つの無駄に豪勢な木製扉が見えてきて、トウヤはその豪勢な扉を叩き割る様な勢いで大きく開いて行った。そして堂々と中に入って行き、木製の高級机の脇に立つ女性を見つけて眉間を寄せていったが、その女性がやや呆れ顔をしているのに気付いて溜息を漏らしていった。成程とトウヤも呆れ顔をしながら机に向かって告げる。


「クライス、一体何をしている。こんな時にかくれんぼか」


 すると机の下からクライスがひょっこりと顔を出してきて、だが満身創痍にも等しい姿をしたトウヤを見て顔を青ざめさせていく。そして自らの立場を取り繕う様に言った。


「…ち、違うに決まっているだろうっ! …でもさ、君が物凄い形相をして傷だらけの体で僕の所に向かってるって聞いて。こんな時にゴールドのダストが態々僕の所に来るんだぞ。怖いに決まってるじゃないか! 何しに来たんだよ! 僕は悪い事なんてしてないぞ!」


「……」


 余りにも情けない言葉を吐かれて、トウヤは心底呆れて溜息を付いていた。…お前の思考では悪い事をしたらダストが来るのか。余程の悪事を働かない限りそんな事は有り得ない。


 そんな大層な事がお前に出来るか。そう思ってトウヤは呆れ顔をしていき、しかし未だに机の後ろで身を縮ませているクライスに呆れて言葉を失っていた。そして心中で思う。


 父さんには悪いが、こいつが何か重要な情報を持っている様にはとても思えない。万が一持っていたとしても、それを問い質してまともな答えが返って来るどうか。…不安だ。


 ならばとトウヤは思い直し、女性の方へと…ユリアードへと目を向けて訊ねていった。


「ここなら現状に似合った情報があると聞かされて来た。アゾロイドが群れを成してまで探し求める何か。覚えがあるだろう。…言っておくが虚偽で逃げようとするな。今は有事だ。何もかも失いたくなければ大人しく答える事だ。それこそ都市を失いたくなければな」


「アゾロイドが探し求める物…ですか?」


 そうユリアードは首を傾げた後、自らが仕える上司であるクライスを見る。だがクライスは依然机の下で身を縮ませており、余りにも情けない上司の様に、ユリアードは目を細めて軽蔑する様に見下していき、吹っ切る様に顔を上げて手元に半透明のディスプレイを発生させていった。そしてそのしなやかな指を素早く動かして操作し始める。


 それを見たクライスは「おい、僕は何も指示してないぞっ」と文句を言うが、ユリアードはそれに対して「反対もしなかったでしょう?」と涼しい顔をして返していった。


 上司が無能で部下が有能だとこうなる。まさにその典型と言える光景であった。


 やがてクライスは諦めたらしく、机の下から這い出てドンッと床に座って行き、やれやれと頭を掻きながらトウヤを見上げて言っていった。


「君は寛大な奴だ。こんな時に僕の元を訪ねてくれるんだからな。…実の父親ですら邪魔者扱いだったのに、君だけだ。こんな時に僕を頼りにしてくれるのは」


「……」

 何とも答え難い事を言われて、トウヤは何も言えず沈黙するしかない。クライスはそんなトウヤを見上げながら自嘲の笑みを漏らしつつ続ける。


「確かに僕はヴォグフォートの副社長に就任した。ダストである君と差を付けられた。僕は君を虫けらの様に扱える偉大な存在になった。…そう思っていた。でも違っていた」


「違っていた?」


 意外な言葉を吐かれて、それにトウヤは僅かに眼を見開く。それにクライスは頷いていき、寂しげな笑みを浮かべながら言ってくる。


「何も出来ない御飾りじゃ利用されるのが精々だったんだよ。自分の権力を示そうと君を無理やり連れ戻そうとした時は指令型のダストに、緊急時だからと社に詰めていても足蹴にされるのが精々だったのさ。何も出来ない。…父さんからも邪魔者扱いされちゃってさ、もうどうしようかと思っていたんだ。君が羨ましいよ。君には力がある。僕の様な見せ掛けの力じゃなくて、本当の力が君にはある。君に出来る事がある。羨ましいよ、本当に」


「…羨ましい、か」


 思い掛けない言葉をクライスから向けられて、今度はトウヤの方が自嘲の笑みを漏らす番だった。むしろこちらの方が言いたい気分だ。クライスが羨ましい。こんな安全な場所に居て、あの地獄を知らずに済んでいるクライスが羨ましい。…しかしと、こうも思う。


 ただ互いが互いの事を見えていないだけじゃないのか、と。確かに前線でゴミの様に死ぬしかない苦しみはある。でも自らの使命を全う出来る喜びは確かにある。自分が命を懸ける事で救えるものが在る。…でもクライスは違う。安全の代わりに何も出来ない。誰にも頼りにされない。誰も自分を求めて駆け付けてくれない。この豪華な部屋に一人、孤独なのだ。


 それを知って憐れみを覚えて見つめると、クライスは諦め混じりに話を続けてくる。


「さっき下の階層から流された放送、この二十階層でも流されたよ。あのハウンド・ドッグが応援に駆け付けたってね。…現場で働ける人達が羨ましかった。あの時ばかりはダストが羨ましかった。何も出来ない自分が悔しかった。僕には何も出来ないんだって痛感したよ」


「……」


 まるで独白の様に告げられて、トウヤは何も言う事が出来ない。しかしクライスも自分の言っている事が唯の我儘だと気付いていたらしく、寂しげに笑いながら「ごめん、忘れて」と静かに言ってくる。それにトウヤは苦い顔をするしかなく、二人の間に沈黙が流れ始める。


 そこへ見計らった様にユリアードが顔を上げてきて、トウヤに向かって言ってきた。


「一ヵ所発見しました。住所と地図が一致せず、明らかに不自然な施設が一ヵ所存在します。それも我がヴォグフォート・グループが所有する施設内に、です」


「…ほう?」


 意外な展開にトウヤは驚きの声を上げる。まさかこんな展開が待っていようとは。流石に咲耶グループが情報源なだけはある。だから父はここへ行けと自分に命じたのか。


 そう驚いていると、ユリアードは暗い顔をしながらクライスを横目に話を続けていった。


「表向きは愛玩キメラの生産工場という事になっています。…ですが実際には全く無関係な研究者達が行き来して、様々な劇物や医薬品等が持ち込まれています。現役の実験施設。それも表沙汰に出来ない種類の施設である可能性が濃厚かと思われます。…ですがここは」


 苦い顔をしてユリアードから言われて、トウヤはそんなユリアードから地図を赤外線で受け取って行く。そして彼女の言わんとする意味を知って小さく驚愕した。


「っ! …冗談だろう。だってここはもう――」


 そうトウヤは驚愕した後、目の前に展開した地図を何度も見回して唸る。…六階層。その地図は六階層のものだったのだ。既に六階層まで前線は上がって来ている。現在は七階層と六階層が前線と化しており、その下は壊滅状態に等しかった。その中に施設があるのだ。


 でも行かなければ何も始まらない。何も手掛かりが無いのだ。今ここで行かなければ。


 そう考えていると、クライスがふと顔を上げてトウヤに短く問うてくる。


「行くのか」


「ああ」


 それにトウヤは迷いなく頷いていた。クライスはそれを聞いて「そうか」とだけ言って、今度はユリアードの方を見て彼女へと訊ねていった。


「検索を掛けたにしても仕事が早すぎるよね。…知ってたの? その施設の事」


「…小耳に挟む程度ですが」


 そう彼女は答えていって、居心地悪そうな顔をして話を続けていく。


「私が知っているのは噂程度の話です。まだ都市がこのような形になる前、我々人類が地上で暮らしていた頃から存在する施設があると。まるで昔話のように語り継がれている噂話が社内には在るのです。その記憶を照らし合わせて検索いたしました。初めは人間と動物を掛け合わせてキメラを造り、次に動物と動物を掛け合わせて戦闘用キメラを造り。最終的には様々な種の遺伝子を組み合わせて未知なる生物を創り上げた。大半が聞くに堪えない様な話です。ですが実在していたとは。それも現代の都市の中に存在していただなんて」


「……」


 恐ろしげに彼女から言われて、クライスもまた苦い顔をするしかなかった。可能性としては在り得る。元々ヴォグフォート・グループはキメラの製造で富を得た組織だ。有り得ない話ではないだろう。それにしてもとクライスは溜息を付き、そしてトウヤに言っていく。


「聞いての通りだ。…でもな、トウヤ。君がその施設へ行く前に忠告しておくぞ」


「?」


 何をだとトウヤが顔を向けていくと、真剣な眼差しをしたクライスが警告してくる。


「僕が副社長に就任した時、君の経歴を彼女に調べて貰ったんだ。…最近の君は動きが多い。学園の修学旅行を警護していた時はランクEだったのに、その直後Bへと上げられている。そして気付けばS。おかしいとは思わないか? 確かにBへ引き上げられた時は人手不足だったみたいだけど、何故かSへと上げられた理由だけが見つからない。ある日突然君達のランクはSへと変えられているんだ。何の前触れもなくね。…気を付けろ、トウヤ。確かに君は強い。でもダストだ。僕と違ってダストなんだ。その意味、君が一番よく理解しているだろう? 仕事が出来ない僕の忠告だからって無視するな。生き急ぐなよ、いいな?」


「…、どうしたんだ。珍しく鋭いな。でもいいんだ。…ありがとう、俺を気遣ってくれて」


 そうトウヤが寂しげに告げると、クライスは「意味が違う」と小さく反論していく。多分定期清掃作戦を意識しての発言だと気が付いたが、クライスには絶対に違うと反論出来ず閉口するしかなかった。ダストではない自分が何を言っても無駄。そう察したからだ。


 そしてユリアードの方を見上げていき、諦める様に溜息を付いて言っていった。


「この死に急いでる馬鹿に許可証を発行してやってくれ。その施設への入場許可証だ」


「…、宜しいのですか?」


 言われてユリアードは眼を見開いていき、そうクライスに訊ねる。するとクライスは再び溜息を付いてきて、ちらりとトウヤを見上げながら言っていく。


「いいさ。どうせ僕に出来る事なんて知れてる。そもそも僕が発行した許可証で入れるかも判らないんだぞ? 無駄に終わるかも知れない。…それでも何もしないよりはいい。ここで何もしなかったら男じゃない。竹馬の友が自分の命を懸けて何かを成そうとしている時に何もしなかったら、それこそ人間として最低じゃないか。僕はそこまで腐ってない。だからいいんだ。それに父さんからも期待されてないしね~。一層はっきりと期待を裏切った方が判り易いだろ。グループに革命でも起こす気で頑張るさ。だからお願いだ。発行してくれ」


「…承知いたしました。ですが副社長、その言葉に二言はありませんね?」


 革命という言葉を聞いてユリアードが訊ねると、クライスはそれに対して「ああ」と頷いていく。ならばとユリアードは再び目の前にディスプレイを発生させていき、手早く何かを操作し始めた。だがそんな二人の遣り取りを聞いて、思わずトウヤは目を見張って告げる。


「どうした、クライス。…腹でも下したのか。それとも何処かで頭を打ったか?」


 余りにも意外だった為そう訊ねてみると、クライスは頬を膨らませて言い返してくる。


「何だよ、その失礼な反応はっ! …そんなボロボロな状態で君が訪ねて来たんだ。全身を真っ黒にして傷だらけにして、そんな状態の君が僕の元を訪ねて来たんだぞ? どれだけ大変な時なのかくらい僕にだって分かってるさ。どんな腐った人間だって正常にもなるよ。だからトウヤ、これが終わったら僕の依頼も偶には受けてくれ。この件は貸しだ。いいな」


「…、後悔するなよ。だが感謝する。今回は迷惑を掛けるな、クライス」


 そうトウヤから言われてクライスは苦い顔をしていき、「貸しを返す気がないな、こいつ」と恨み節を滲ませて漏らしていく。先ほどから気が付いていた。今のトウヤには生き残ろうという覇気が無い。既に諦めているのだ。生き残る事を。自分の未来を諦めているのだ。


 そんな時、ユリアードがトウヤに向けて「許可証をそちらへ送りました」と告げてくる。赤外線で受け取ったトウヤは手早く目の前に表示していって、確かにと頷いていく。そして二人へと改めて目を向けていき、「世話になった」と告げて早々に部屋を出て行った。


 残された二人は思わず強張った肩を撫で下ろしており、互いに安堵の息を漏らしていた。そしてクライスはやれやれと床から立ち上がって行き、自らの愚行を笑う様に言っていく。


「…こうなったら覚悟を決めるよ。君にはすまないと思っている。巻き込んでしまったな」


 クライスから思い掛けない謝罪を向けられて、ユリアードは困った様に笑って告げる。


「いいえ、私はあなた様の秘書ですから。何よりも先にあの方へ情報を提供したのは私の方なのです。むしろあなたは私を咎めるべきです。お前が情報を漏らさなければこんな事にはならなかった。そう追及すべきなのです。…あなた様は副社長に就任されてまだ間が無い。だから逃げようと思えば幾らでも可能でしょう。今からでも遅くはありません。ですから」


 だがそこでクライスはユリアードを睨み付けていき、怒りを滲ませて言い返していく。


「君は僕を馬鹿にするのか。秘書に全責任を押し付けて逃げろ。君は僕にそう言うのか」


「はい、通常であれば当然の流れですから。…その為に秘書は居る。そう言っても過言ではありません。あなた様にはそれだけの価値がある。そしてそれだけの力があるのですから」


「…っ」


 さらりとユリアードから言われて、クライスの顔に怒気が差す。そして怒鳴り付けていた。


「僕を馬鹿にするなと、そう言っただろうっ! …何が力だ、何が価値だっ! そんなものが僕に微塵も無い事は分かっているんだ。今回はそれがよく分かった! 今の僕には何の価値も無い。…トウヤの様に何かを成す事も、父さんの様にグループを纏め上げる事だって出来やしない。僕には何の価値も無いっ! だからこれから作るんだ。僕自身の価値をっ。その為には多少の苦労だって厭わない! その為に力を貸せ、ユリアード。君は僕の秘書だ。今後君だけが咎を受ける事も無ければ、僕だけが咎を受ける事も無い。僕達は一蓮托生だ。だから力を貸してくれ。僕が僕自身の価値を見出すその日までっ!」


「……」


 言われてユリアードは眼を見開いていき、そして思わず失笑を漏らしていた。気が付けば声を上げて笑い始めており、まさに青臭いとしか言い様が無い発言に言い返していた。


「若いとは良い事ですね。…私は何処までも付いて行きますよ。その為の秘書です。ですが副社長、このグループは決して清いグループではありません。叩けば幾らでも埃が出ます。そのグループに改革を齎すと、あなたは確かにそう言いました。その決意、貫いて下さい」


「…、ああ」


 静かにユリアードから言われて、クライスは重々しく頷いていた。そしてどちらともなくビルの外へと目を向けていき、決して遠くない空を一面覆い尽くす黒煙を見つめていく。


 あの黒煙の中に戻ってしまったトウヤの事を思い出し、思わずクライスは漏らしていた。


「…僕なんかには想像すら出来ない世界が広がってるんだろうな。今更に痛感させられる。ダスト。彼らがどれほどの苦しみを背負っているのか。どうして彼らだけが犠牲になる必要があるんだ。こんな事になって初めてそのシステムに疑問を抱くよ。…本当、馬鹿だよな」


「……」


 そう苦笑混じりに言われて、ユリアードもまた寂しげに顔を歪めていた。こんな二十階層の高層ビルからでも見える一面を覆い尽くす黒煙。あの下には多くのダストが居る。その中には自分達の友人が、縁者達が居る。彼らが犠牲になってくれているから生活が成り立つ。


 この場にトウヤが乗り込んで来た時、ようやくそれを痛感する事が出来た。…本当に今更な話だった。何故今まで目を逸らして来たのか。彼らはずっと犠牲に成り続けていたのに。


 そして同じ事をマサツグやマサキも感じた事を二人は知らない。罪を犯したのは自分達なのに痛みは彼らに押し付けて、自分達はのうのうと安全な場所に居る。…何て自分達は、


 愚かなのか。でも何もかも今更だと、そうユリアードは思ってクライスへと告げていく。


「副社長、罪を犯したのは我らヴォグフォート・グループです。…その一員として、私達は自分達の心に罪を刻み付けるべきです。私達が何の罪も無いダスト達を戦いの渦へと放り投げ、その命を奪っているも同然なのですから。私達は罪人。多くの生命を奪った罪人なのです。どうかそれを忘れないで下さい。そしてその為にも改革を行って下さい。それが彼らへの罪滅ぼしとなりましょう。…苦しい道程となるでしょうが、どうか諦めないで下さい」


「……」


 それにクライスは小さく顔を歪めていき、早々に自らの発言を後悔し始めていた。しかし傷付いた体をそのままに立ち去ったトウヤの後ろ姿を思い出して、クライスは自らを叱咤するように頭を振っていった。しかし格好良い言葉など思い浮かばず、弱り顔をして告げる。


「もしトウヤだったら格好良く返せたのかな。…でも僕には無理だ。皆に邪魔者扱いされるのが精々だもん。トウヤの様に強くない。出来る事は何も無い。だから――」


「副社長、そこまでです」


 そこでユリアードが言葉を遮っていき、笑いながら彼に言っていった。


「弱音はこれ切りにして下さい。もしくは私の前だけです。…あなたはこれからグループを改革していくのですから、しゃんと胸を張って下さい。あなたは一人ではありません。私が居るのですから。あなたはあなたが思っている以上に立派ですよ。確かに今は何も出来ないかも知れませんが、何れは彼らを救える日が来ます。…そう信じて頑張りましょう」


 そうユリアードは微笑んでいき、今は溜息しか漏らせない上司を心中では評価していた。今はこんなだが、何れは立派に成長してグループを率いていく御方になるだろう。…それに、


 彼は眼前に広がる現実を自分が理解出来ない事を理解している。それは人として重要な事であり、自分には理解出来ない痛みがある事を知るのは人間として大切な事であった。


 その想いを忘れた時、人は何処までも残酷になれる。自分には理解出来ない痛みがある事を忘れた時、人は過ちを犯す。…だからとユリアードは思う。この人に付いて行こうと。


 この現実から目を逸らさず、ダストの友を手助けした彼を助けようと思う。そんな上司は今まで一人も居なかった。だからこの人に付いて行こう。いま初めてそう思えた。


 今は何も出来ないけど、きっと彼らを救える日が来る。そんな日が来ると今は信じよう。そう信じる以外に無かった。あの黒煙の下ではダスト達が戦っている。いつかは救える日が来ると信じて。自らの無力さを胸に二人は黒煙を見つめる。この現実から目を逸らさない。


 今はそれしか出来なかった。それしか出来ないのだから。自分の心に刻もう。忘れる事がないように。そして変えるのだ。この現実を。その為に今は耐えよう。耐えてみせる。


 絶対に変えてやる。そんな強い決意を持って。そうでなければ報われない。だからきっと変える。変えてみせる。だからごめんない。何も出来なくてごめんなさい。私達は無力なのです。あなた達を救えるほど力は無い。でもいつかきっと助けてみせる。だから今は――。

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